三話 決闘の夜明けにつき
ズキズキと痛む頭にブレイクが目を覚ますとそこには既視感のある天井が広がっていた。
「見た事がある……気がする天井だ……」
ボソリと零した独り言に、横から凛と澄んだ声が返ってくる。
「当然です。ギルド内の医務室ですので見たことはあるはずです。寝ぼけているのですか? それと、腕の治療費払って下さいね」
「ん? アルーシュさん?」
ベッドの横に視線を移すとそこには、背筋をピンと伸ばした綺麗な姿勢でアルーシュが椅子に座りブレイクを見ていた。
腕の痛みを忘れる為に大量の酒を飲んだところまでは記憶があったが、どうやらその後疲れもあってか気を失い、担ぎ込まれたのだとアルーシュに顛末を説明されて漸く納得がいったとブレイクは頷く。
話を聞いている間にもアルーシュの少し冷たい細い手がシーツから飛び出た腕を握り、じわりと温かみのある光が放たれていた。
「アルーシュさん、回復魔術使えるんですね」
「えぇ……程々にですが……」
伊達に十五年来の付き合いをしていないブレイクは、普段なら「そうですが何か?」と言って返してきそうなアルーシュが歯切れの悪い返事をしただけで触れて欲しくない部分であると察する。
強引にでも話を別の方向に舵を切らなければと考えているとアルーシュは昨晩の決闘について訊ねてきた。
「あれは一体どういうつもりだったんですか?」
「あれ? どういうつもりと言うと?」
「ゴブリンにすら囲まれたら負けるブレイクさんが格上のセリオスさんに決闘で勝てる可能性は皆無。そんな分かりきっている結果にも関わらず決闘などを挑み、貯めたお金の半分を不貞を犯した者共に差し上げた事です」
丁寧に、それでいて気になる部分を的確に突いてくるアルーシュが発する言葉の端々に感じる刺々しさは普段受付をしている時のものとは異質で、僅かに怒りを孕んでいた。
納得の行く説明をしない限りこの怒りは長く続くのだろうと観念したブレイクはどうして決闘したかを素直に白状する。
「あれは……親心……みたいな物ですかね?」
「親心?」
「あの子達が村の昔馴染みってのはもう知っていますよね?」
「むしろ知らない人の方が少ないかと」
「ははは……まぁ、それはいいとして、あいつ等が裏で何をしてたかを差し引いても五年と言う歳月は人間からしたら結構あるんです。遅すぎると言う事はないですが二十歳ともなれば結婚するには少し遅い。だからあれは、長年そういう環境にし続けてしまった俺の後ろ暗い気持ちの清算と少しの仕返し、それとこれからあの二人に起こる事に対する親心ってわけです」
そこまで話すとアルーシュは「あぁ、なるほど……」と相槌を打った。
「そういう事ですか。大体は理解しました」
「そういう事です。あの二人のおかげで俺の稼ぎは上がりましたし、知識も増えた。知識が増えれば戦えなくても色々できますし、ここまで生きれたのも二人が居おかげだからと思えばこそ貯めた金の半分でも渡しておけば何かあっても飢え死にすることはないでしょうしね。命には命に対する対価を払う。その為の決闘と言うわけです」
「律儀なんですね」
そう言うとアルーシュは溜息を吐く。
ブレイクはその溜息を余計な仕事が増えた事に対する疲れから来るものなのだろうと労う。
「私情に巻き込んでしまってすみません。この埋め合わせはいつか……」
長い耳がピクリと動く。
「埋め合わせですか……。知っていますか? エルフは菜食主義と勘違いされていますがお肉も食べるんですよ?」
アルーシュは突然、エルフの食性について語り出した。
ブレイクもいい大人だ。女性が唐突に語るそれがどのような意味を持つのかわからないほど子供ではない。
それ故にわからなかった。
ギルドの顔とも言うべき受付嬢は、見目麗しく冒険者達からの覚えがいい。能力のある人間はとんとん拍子に上にあがり、ランクに比例して報酬の金額も跳ね上がる。それこそBやAランクと言った上位の冒険者は日々が命がけとは言ってもそこらの底辺貴族よりは良い生活が出来る程度の稼ぎがある。
アルーシュも受付嬢である以上、上から下まで様々な冒険者から熱烈なアプローチを受けているのは無駄に長く冒険者をしているブレイクもよく知るところである。しかしそれを素気無く断り、歯牙にもかけないのがブレイクの知るアルーシュと言う女性だ。
そんな女性が遠まわしにでも食事に行こうと言って来る理由はなんなのか。
(同情? フラれた俺を励まそうとしてくれている? いやいや、顔を合わせている年月だけはどの冒険者よりも長い自負しているが、それは自惚れって物だ)
男女問わず目を奪われる美男美女ばかりのエルフと言う種族。その中でもブレイクが見てきた誰よりも美しいと思えるエルフの女性が、こんなギルドの手続き上だけの関係しかなかったいい歳した男を誘うだろうか? 答えは否だ。
何を隠そうこのブレイクと言う男、今までリシュアと関わってきたため三十にもなって女を知らぬ生娘ならぬ生男なのである。男として誘われているなどと自惚れるべきではないと三十年間付き合ってきた全身の細胞が、そう告げていた。
(じゃあなんだ? 単に肉が食いたいだけ? まさかな。もしかして、俺を殺そうとしているとか? ……そっちの方が可能性がありそうだ)
数多の冒険者達が挑み、そして散っていった大山を、これと言った取り柄のない中年の男が大した労もなく越えようとしている。しかも女に振られたすぐ後にと言うタイミングでの事だ。ブレイクがそう考えるのも無理からぬことだろう。
誘いを受ければ間違いなく血気盛んな冒険者達はブレイクを許しはしない。例えアルーシュが止めに入ったところで火に油を注ぐだけとなる。
同情から来る誘いであったとしても、冒険者達にとってはアルーシュと食事をしたと言う結果が最重要であり、それは万死に値する行為となる。楽に死ねるとは思えない。
ではこの誘いを断ればいいだけの事かと言えばそんな簡単な話ではない。
受付嬢と言う仕事はただの顔役、窓口だけに留まらないのだ。
冒険者の仕事である依頼は基本的にギルド内にあるボードに張り出された物を冒険者当人達が任意で受けるが、それ以外にも受付嬢と親しいと能力に見合った仕事や割のいい仕事をボードからキープしておいて斡旋してくれたりもすればそれとは逆に、冒険者の能力が心もとない時は受付嬢の差配で受注を弾かれる場合もある。
つまり、ご機嫌を損ねると言う事は戦闘能力を持たないブレイクにとって仕事の割り振りに大きく影響を及ぼす。他の受付嬢に頼むと言う手段もあるが、それをして浮気者と逆恨みじみた嬢の口撃を受けて姿を消した冒険者をブレイクは知っていた。
(どうする……! 正直、アルーシュさんとは下心無しに日ごろお世話になっているお礼も兼ねてご馳走したい。だが!)
引いても地獄、押しても地獄。
ブレイクの思考は、全て自分を殺しにかかっていると言う結論に至っていた。
足りない頭を全力で回転させても額からは玉のような汗が滴り落ち続けるばかりで答えは出ない。
固い表情で汗を垂らしながら「如何にも困っています」と言った様子のブレイクであるが、アルーシュはそんなことは知った事かとジッと返答を待っていた。
半ばやけくそ気味になったブレイクは禁じ手とも言える最後の手段に頼るかを検討し始める。
(発動するかはわからない。だが、結論が出ない以上最初にして最後の切り札を切るしか手はないだろう……本心を言えば、絶対にやりたくない。もし変な結果が出たら俺は間違いなく死ぬ。)
それはリシュアの物理系でも、セリオスの魔術系でもない、報告例が少なく強力な物は山を崩し、海を蒸発させ、天変地異すら起こす可能性を秘めると言われているもう一つの特殊系と呼ばれるスキル。
と言ってもブレイクのスキルにそんな能力はない。それどころか発動しないなんて事は本来ありえないのだが、意思に反して発動したりしなかったりとそのじゃじゃ馬っぷりを発揮し、発動したとしても碌な事にならない為、誰に言われたわけでもなくブレイクはこのスキルの使用を控えて来た。
(このスキルのせいで酷い目にもあった。変な通り名も付けられた。だけどこれに助けられた事もある。しかし自分で結論が出せない以上、やるしかない。スキルが発動する可能性は五分。その後酷い事になる可能性は体感で八割。五分の壁を越え、二割の奇跡を掴み取るしか俺に残された道はない……! 頼む!)
自分の命運を他所に預け、かなり低い確率の賭けに出ると言う選択をしたブレイク。
アルーシュはそんなつもりではなかったのかも知れないが、それは本人のみぞ知るところであった。
ブレイクは軽く息を吐くと、馴染みの者達にすら秘密にしてきた自身のスキルを発動すべく心の中で雄叫びを上げた。
(答えろ、『選択の迷宮!』)
視界が一瞬、グニャリと歪む。
それは本当に困った時にしか使わないブレイクのスキルが発動するときに起こる現象。本人以外には見えていないのか、アルーシュはピクリとも動じてはいなかった。
しかしブレイクは確かな手応えを感じた。
(来る……!)
すると、ブレイクの視界には何処からともなく文字が現れ空中を漂い始めた。
『人生とは選択の連続である。答えよ』
五分の壁を越えた事に、内心ガッツポーズを決める。
(来た、発動した! でもやっぱり……)
ブレイクは体を動かそうとしたのだが、まるで何かにピッタリと固定されたように指先一本動かせなくなっていた。
スキルの中には『思考加速』と呼ばれ、物事を考える一瞬を何十秒にも引き伸ばすものがある。しかし、それは一瞬と言う『時』を感じる体感が引き伸ばされているだけであって、加速した思考の速度に相手の動きが釣り合うと意味を成さないし、似たもので言えば剣術スキルを高めた熟練者同士が向かい合ったとき、体に染み込んだ何通りもの剣筋を幻視して手を読み合うのと同じだ。
このスキルは違う。
加速しているだとかではなく、止まっていた。
その証拠に先程から目の前に居るアルーシュの胸はまったく動かず、瞬きすらしていなかった。
(だけど俺も動けないし、喋れない。本当になんなのだろうか、このスキルは……)
だがこのスキルの真価は時を止めるものではない。例え時を止めるものであったとしても自分も動けないのだから全く意味はない。
相変わらず不明な点の多いスキルに戸惑っていると、文字が生き物の如く宙を漂いブレイクとアルーシュの間に来ると二つの形を成した。
そしてその文字を見たとき、動かないはずの全身が僅かに震えた。
原因となったのは先ほどまで宙を漂っていた文字。
ブレイクはスキルを使用した事を深く悔いた。
『手を握り、俺はお前が食べたい。と真顔で伝える』
『ベッドの上に立ち、格好良いポーズをキメながらお金がないから仕事紹介してくださいと格好悪い事を言う』
――ブレイクの顔は絶望に染まった。