其の九 怪物の谷
まるで絵本から飛び出たような色彩と形の木々の中、彼らは歩きだす。幸いにも、人が通った跡のような道があり、彼らは楽に進むことができた。
そして、歩き出して数分。
「いや~。それにしても、腹ぁ減ったなぁ」
ジュウはぐぅう~と、大きな腹の音を鳴らして言った。
体感時間では、午前9時ごろのはずで、昼飯にはほど遠いが、ジュウにとってはあまり関係ない。食事の時間さえ彼は自由だった。
「お! これうまそう!」
と、ジュウは傍にチューリップのように咲いているイチゴをもぎ取る。顔の大きさくらいあって、一個食べれば満腹になりそうではあった。
「おいジュウ! 変なモン拾い食いするなよ!」
ここでやはり注意したのは、デカチョーである。
「固いこと言うなよデカチョー。拾い食いしなきゃ、冒険できねーぞ。それに、オレにはこのふりかけがある!」
そう言って、ジュウはランドセルを下ろす。そして、中からある粉袋を取り出した。
それは、海苔の入った瓶などによく一緒に入っているモノ。
乾燥剤だった。
「「「……………」」」
「旨そうだろこれ! きっとこれをふりかければ、どんなモノもおいしく食えるぞ! 皆も試してみろ!」
と、地面にばらまいた。
何十個もばらまいた。
そのひとつを手に取るナニワ。
「わーい。砂糖みたいになめらかな手触り! そしてこのクールな注意書き装飾! これならどんなモノもおいしく……いただけるか! ドアホ!!」
乾燥剤を地面に叩きつける。
盛大なノリツッコみだった。海苔だけに。
「腹壊すこと間違いなしや! おまえは乾燥剤も知らんのか!」
目をむき出しに怒鳴る。すでに袋を破いてイチゴにふりかけようとした所、ジュウは「はえ?」と素っ頓狂な顔を見せる。
しかも、ジュウが持っていたのは一昔前まで使われていた生石灰というものだった。水に濡らすと発火するという危険性から、最近は見なくなったものである。おそらく、ジュウの自宅周辺。ゴミ捨て場から拾い集めたものだろう。
妖精ミルファはその楽しげな雰囲気を、やはり楽しそうに眺めていたりした。
その傍ら。
「……………」
飛羽場はその乾燥剤の一袋を拾い、ひそかにポケットの中に閉まった
※
15分後。たどり着いた先には、巨大な谷が広がっていた。
その幅。最大で50メートル。高さ100メートル。グランドキャニオンのような雄大さが感じられた。
「ここだよここだよ! この谷の底に住んでるの!」
ミルファは崖下を指して言う。
ぞっとするような高さに、ナニワは思わず身震いした。
素手で崖下りというわけにもいかないことは、すぐに理解できた。周囲に、下に降りるための道は無い。
その時。
「ナニワ。あの縄跳び、使えるんじゃないか?」
と、デカチョーは思い出したように言う。
「! あれか!」
救われたような顔をするナニワ。バックを下ろし、中からその縄跳びを取り出した。
小学生が使うような、プラスチック製の安物の縄跳び。それは前回の冒険でも活躍した想具のひとつだった。
伸縮自在。さらに、糸電話のように、取手を受話器代わりに会話ができる能力がある。
「名付けて! 【超縄線】!!」
「別に名前はどうでもいいけどさ」
デカチョーの白けた言葉に、ナニワはガクンとうなだれる。実は密に考えていて、自信があったのだった。
「よし。じゃあこれを………」
と、デカチョーが、その【超縄線】を手に周辺を見回す。一番近くの木が視界に映ると、その先を巻きつけて結んだ。そして、ゆっくりと引っ張ると、縄もそれに従い、まるでゴムのように伸びてゆく。
「…………!!」
飛羽場が目を見開かせて驚いた。常識では考えられない現象である。
「うわっうわっ! すごーい!」
妖精ミルファも、不思議そうに声をあげる。
「よし。これにしがみついて伸ばせば、降りられるはずだ」
「ええ!? ほ、本気でゆうてんのか!? デカチョー!!」
ナニワは顔を青ざめて聞き返す。高さ百メートルのがけにおびえているらしい。
「大丈夫だって。アタシが一番下になるから、手を滑らせて落ちても、救い上げてやるさ!」
と、ドンと胸を叩くデカチョー。
あまりに男勝りで、頼りになりすぎる少女だった。ナニワはため息をついた。
「ミルファ。悪いけど、アタシらが下についたら木から縄を外してくれないか?」
貴重な想具。ここに放っておくわけにもいかない。
そこで、空を飛べるミルファが、回収役に適任とデカチョーは判断した。この裁量の良さはさすがに委員長というところである。
「いいよいいよ! お安い御用だよ!」
ミルファは一つ返事でそう返した。
そうしてジュウら四人は、縄に捕まってぶらさがり、ゆっくりと伸ばして崖下へと向かった。ミルファは木の付近で待機することとなった。
ナニワが恐怖に震える最中。ジュウは楽しそうに周囲を眺めながら、まるでロープウェイで下っているかのような気楽さだった。
※
数分後。彼らは崖下まで数メートルという所まで接近していた。
「よし。無事に着いたぞ!」
デカチョーが一番下から知らせる。安堵にナニワが胸をなでおろした。
その時。
「うわっ!?」
急にガクンと体が急降下するように感じた。それは全員同じだった。
縄がほどけたのである。
ドシィンン!
彼らは落下し、大きな衝撃を伴って着地。突然のことに流石のデカチョーも対応しきれず、ジュウらの下敷きにならざるを得なかった。
「いてててて……こら! 間抜け妖精!! 何しとんねん!!」
起き上ったナニワが上に向かって大きな声を上げる。しばらくして、ミルファが金色の鱗粉を伴い、下降してきた。
「アハハアハハ! ごめんよ! もうとっくに降りたかと思って!」
ミルファは対して悪びれもしない口調で笑って返す。
その様子に、飛羽場は
「……………」
眉をひそめて、訝しげに睨んだ。
「つーかよ。ちっちゃいの。ここ、誰もいねえぞ?」
ジュウが周囲を見回して、ミルファに言う。
回りは何の変哲もない谷底。そもそも、こんなところに人が住んでいるのは不自然に感じた。
「もうもうちょっと先に行った所だよ! とても親切な人達だよ!」
しかしミルファは、快活にそう返すのだった。
「そうか。じゃあ、先へ進もう」
デカチョーが【超縄線】を回収し終えると、先頭を歩き出し、他もそれについていく。
しかし、飛羽場は立ち止っていた。
「? どうしたんだビンチ?」
ジュウはそれに気づき、振り向く。そこで、
「僕はここに残る。おまえたち。先に行ってろ」
飛羽場は何やら訝しげな表情をして言い放った。
「? なんや。怖気づいたんかいな」
「ついてこい飛羽場。一人は危険だぞ」
ナニワは馬鹿にしたように言い、デカチョーは彼の身を案じて言う。それに対し、
「先に行って安全を確認して来い。その後についていく」
相変わらず、偉そうな態度を崩さない飛羽場。
「はぁ!? おまえ、ええ加減にせえよ!?」
と、激昂するナニワ。
その時である。
「おお! なんだありゃ!?」
ジュウは目の前を指さして叫ぶ。
崖伝いの向こう側。そこに、人型の大きな影が見えたのだ。ずんぐりむっくりとした形。その巨大さから、明らかに人間ではない。
「行ってみよーぜ!」
ジュウは危機感皆無でそう言って、走り出した。
「ちょ、待てよジュウ!」
デカチョーが言って、後を追いかける。仕方なく、他一同も後を追う。
そして、100メートル程走ったところで。
その光景が視界に飛び込んだ。
「な……なんやこれ………!!」
そこは確かに、人が住む集落のようだった。
谷の壁にいくつもの洞穴が掘られていて、その穴に到達できるように、崖に寄り掛かる形の山や、なだらかな坂が形づくられている。谷の地形を利用した、原始的な集落である。
だが、その光景よりもまず、彼らの目に飛び込んだのは、
3メートル超の巨人が、何十人も歩き回っている姿だった。
「か、かか、怪物や! 怪物の住処や!」
ナニワが顔を真っ青に叫ぶ。
歩くそれは、人間ではなかった。
緑色の肌。頭に角。肉身のついた大柄な体。誰もが毛皮を羽織っている。
神話に登場する怪物。それはまさしく、『トロール』の姿そのものだった。
「こ、ここはやばそうだ。見つからないうちに、逃げ―――」
デカチョーが危険を察知し、逃げようと言う矢先。
ミルファが予想外の行動を起こした。
にんまりと微笑むと、
「キャーキャー!! ドボデ助けて~! 悪いやつらに襲われてるの~!」
大きな声で助けを求めたのだ。
「!? な、なにを……!?」
デカチョーが突然の奇行に目を剥ける。
そして、谷の底を歩くトロールのうちの一人が、ゆっくりとこちらに振り向いた。
ミルファが呼んだ、『ドボデ』という名のトロール族である。
「な~ん~だ~ど~?」
重低音の、野太い声。腹の底から響き渡る恐ろしの声。
続いて、ドシン、ドシンと大きな足音と共に、ジュウ達の方に向かって走り始めた。
「ぎゃ、ぎゃああああ!! 来たああああああああああ!!」
ナニワが恐怖のあまり、デカチョーに抱きつく。
そして、その怪物は彼らの前に全貌を明らかにした。
上を向いた鼻。たらこ唇。とても人間とは思えない厳つい顔をしている。額には左右で長さが異なる小さな角があった。
「「「……………!!」」」
ナニワ、デカチョー、飛羽場は思わず声を失う。ジュウだけが目を輝かせていた。
そして、妖精ミルファは、
「アハハアハハ! ひっかかったひっかかった!!」
三人が驚き、恐怖している様子を見て、空中で笑い転げていた。
それを見て、飛羽場は確信する。
「……思った通りだ。妖精は悪戯好きと相場が決まっている。見ず知らずの奴に親切するような種族じゃない。短気で凶暴なトロールの、どこが『優しい人』だ……!!」
不愉快そうに眉をひそめた。
初めてミルファを見た時から、飛羽場は怪しんでいた。そして先刻、【超縄線】をわざと早めに緩めたことから、その疑心は深まったのだ。
彼女は全員がしりもちをつく所を楽しんでいたのだ。妖精の案内通りに進む事を躊躇するのも、無理のないことだった。
「お~め~え~ら~!!」
トロールは厳つい顔をさらにゆがませて彼らに近づいてくる。その怪物の顔はまるで魔獣。目が赤く、不気味に光っているようにも見えた。
ナニワは恐怖に足が震え、デカチョーも反射的に身構える。
ドスン! ドスン! と大きな足音を立てて、そして、彼らの真ん前で立ち止まり、トロールが大きく見下ろす。その身長差は二倍以上。ひるませるには十分な威圧感があった。
「……く、くそ! やるしかないのか……!!」
デカチョーは、耀纏道場独特の構えをして、戦闘態勢を整える。
しかし、彼の対応は、予想外のものだった。
「!! ぼろぼろでねぇか! ひでぇありさまだぁ!」
「…………!?」
その風体からは想像のつかないような、親しみのある声で、そのトロールはそう言った。
彼らは一瞬呆気にとられてしまう。確かに、境から出た時に樹洞から地面に落ちたのと、先刻崖から落ちた事で、衣服が多少汚れてしまっている。
「ミルファを襲おうとしたっちゅうのはひとまず置いといて。まずは家さこい! 温かいスープもあるべよ!」
「え!? ちょっ……!?」
と、戸惑うデカチョーを後目に、トロールは半強制的に彼らの腕を引っ張る。その巨体に抗う術もなく、彼らは居住所である穴の中へと誘われることになった。
ミルファはその様子を見て
「……ちぇっちぇっ! なぁんだ!! つまんないの!!」
悪態をつけて指を鳴らす。どうやらトロールに脅される様子を楽しみにしていたらしい。
そして、金色の鱗粉を巻きながら、空へと去って行った。