其の七 もんだい再挑戦
「おまえ。一体どうやって説得したんだ?」
翌日の日曜日。午前九時。花巻商店街にて。
デカチョーは不思議そうな顔でナニワに訊いた。
その後ろには、飛羽場。それに、ジュウ、デコが続いている。デコと飛羽場以外の全員が冒険の支度を済ませていて、各々、リュックやポーチ、ランドセルを身に着けている。
「へん! 俺の口八丁にかかれば、エリートも大したことあらへんっちゅうことや! ハハハ!」
鉄拳制裁を食らいたくなかったので、ナニワは内容を喋らなかった。しかし、このような手段でもなければ、飛羽場を協力させる手段は無かっただろう。
「……調子に乗るな。オカマ」
後ろでその言葉を聞いて不機嫌になったのだろう。飛羽場は眉間に皺をよせながら、ボソリとつぶやいた。
「? オカマ? なんのこと―――」
「アハハハ! い、いややなぁ飛羽場くん! 俺サクマやで、サ・ク・マ! マァしか合っとらんやん! アハハハ! 博識なだけやなく、冗談もいけるんやなぁ!」
首をかしげるデコ。それに対しナニワは慌てながら、ごまかすように飛羽場の肩をバンバンと叩く。
飛羽場はそれがますます気に食わない様子で、その手を振り払った。
「なれなれしく触るな。ド低能。断っておくが、協力するのはこれが一回きりだ。僕がその気になれば、少々乱暴な手で証拠を奪い返すことができる。そこを穏便に済ませてやろうというんだ。ありがたく思え」
飛羽場は鋭くナニワを睨み付ける。
デカチョーは怪訝に思い
「証拠? ……ナニワ。あんたもしかして……」
ナニワを睨み付けた。そこで
「あ! あー! ちゅうかジュウ! おまえ、大丈夫なんか!? その左腕!!」
ナニワはわざとらしく大きな声で、ごまかしながら、怪我しているはずのジュウの左腕を指し示す。
全治三か月の重傷。にもかかわらず、すでにギプスが外れている。
「おお! じいちゃんから貰った湿布貼ったら治った!」
「!? な、治ったって……三日で治るって話、本当だったのか!?」
デカチョーが驚き、声をあげる。どうやら話を逸らすことには成功したらしい。
「ああ。オレ、怪我するたびにあの湿布使ってるんだ。大抵すぐに治るから、便利だぜ!」
と、左腕をぶんぶんと振り回し、アピールする。
我門の言葉は真実だった。
骨折を三日で治すという、現代の科学技術ではありえない話。骨折から一か月経過して、治りかけていたとはいえ、あまりにも信じられない事実だった。
「……ホンマ、おまえのじいちゃん。何者なんや……?」
ナニワは訝しげな顔でぼそりと呟くのだった。
その時。
「見えたわよ」
花巻商店街に到着。デコが、前方にある、八百屋店の前に陣取る男を指さした。
中城寺総雲。妖精の領域。その境の門番。
その男が、ニンジンやカボチャ、白菜などの沢山の野菜に囲まれながら、ブルーシートの上で鎮座していた。
「「「…………………」」」
「よお、また会ったな。如月ちゃんと小学生達」
中城寺は特に何事もない様子で、快活にそう言った。
彼の後ろでは、人情深い八百屋の店主が、中城寺を見ながら男泣きをしている。
中城寺のその姿。服はボロボロで汚れ、まるでホームレスの姿そのものだった。
「……あんた。恥ずかしくないの?」
デコは呆れた様子で蔑む。
「………何も言うな」
中城寺も自覚したうえでの、開きなおりだった。
「てゆうか、いつまでいるつもりよ。今日で五日目でしょ?あっちの世界だと、一か月近く経過してるわ。例の女子高生になんかあったんじゃないの?」
「いや! おれっちはあの子達を信じる! 道端でふと目についた彼女の、スカートの短さに賭けて!」
「色気に目がくらんだだけ!?」
デコが盛大にツッコんだ。
それにしても、一か月も帰ってこないとなると、身の危険があった可能性が高い。こちらの世界でも、警察が捜索願で動き出していてもおかしくない。
「その子達のためにも、なんとしてもここを通らせてもらうぞ」
デカチョーは以前から危惧していたのだろう。真剣な表情で、中城寺を睨み付けた。
悪どい詐欺師まがいの言動に重ね、女子高生の違法的アルバイト勧誘。中城寺双雲はまさしく、彼女の憎むべき『悪』だった。
「そんな睨むなよ。デカチョーちゃん。そもそも、君たちにクイズの回答権は無いだろ? いったい何しに来たんだ?」
「決まってんでしょ。代理の代理を連れてきたのよ」
と、デコは眼鏡の少年。飛羽場飛羽場を指して言った。
「ほぉ~。確かに、賢そうな坊やだが……正解したとしても、この子があの世界で生き残れるとは思えないけどなぁ」
「そやな。だから飛羽場には、俺ら三人分の問題を解いてもらうんや!」
ナニワが言うその言葉に、中城寺は表情を曇らせる。
「おいおい。それはちょっと……」
「認めないとは言わせない。おまえだけ一方的にルールを決めるのは、フェアじゃない」
デカチョーは燃える正義感を胸に、はっきりと言う。
一方。ジュウはというと、あまり関心が無いようで、後ろで鼻をほじっていた。相変わらず、難しい話にはついてこれないらしい。
「……一理あるな。いいだろう。認めてやる。ただし、三問連続正解でないと、全員失格。一人も通さないからな」
「いいからとっとと始めろ。僕の貴重な時間を無駄にするな」
飛羽場は苛ついた様子で、そう切り出した。
中城寺はその言葉に、不機嫌そうに眉間に皺をよせる。デコも同じような表情で「こいつも生意気そうなガキね」と隣のナニワに囁いた。
「……ほえ面かかせてやる。第一問!」
今回はジャジャン!とはおちゃらけずに切り出した。
再び、クイズが始まる。
「『窓に水滴が浮かぶ結露現象。どういう状態の時に発生するでしょうか?』A! 窓の外で雨が―――」
「待て」
飛羽場が中城寺の出題を遮った。
「? どうした? 今更怖気づいたか?」
「僕を馬鹿にするな。選択問題だと? そんな問題、素で答えられる」
「……なに?」
中城寺は驚き、思わず聞き返す。
そして彼は答えた。
「壁や窓などの表面の温度の飽和水蒸気量よりも、室内の水蒸気圧―――つまり、絶対湿度が高い場合、その過剰分の湿気は水蒸気となることはできず、水になって表面に現れる。これが結露現象だ。温度が低く、飽和水蒸気量が少ない冬季によく起こりやすく、PCトラブルにもなる。……雨は全く関係ないな」
「…………!」
中城寺は目を剥けて驚く。模範解答のような、正確すぎる答えだった。
さらに
「ちなみに教えてやる。ド低能共」
飛羽場は、ニヤリと笑って言う。
「もうひとつの冬季トラブルとして静電気現象があげられるが、これは逆に、湿度が低く、乾燥している場合に起こりやすい。いずれにしろ、冬季は湿度に気を使わなければならない。具体的な関係性を述べるとすれば、結露が発生する水蒸気量を1とした場合の相対湿度六十五%以上で、静電気が発生しにくくなる。」
「…………!!」
中城寺を含める全員が目を丸くした。
求められた解答。さらに、そこから派生する雑学まで、自らの博学さを証明するように、飛羽場はスラスラと答えてのける。
ド低能と、クラスメイトを罵るだけのことはあった。
「なるほど……なかなかやるようだな。じゃあ、続けて第二問!」
ここで、中城寺は悪戯的な微笑みを浮べた。
「『世界の長い川ランキング。一位から十位まで順に答えよ』……制限時間は十秒」
「なっ……なんやて!?」
ナニワは思わず憤慨した。
つまり一秒で一問以上答えなければならない。この問題は、知識云々よりも、タイムアップによる失格を狙った問題だった。選択問題を拒否した事を利用しての卑劣な策である。
しかし、飛羽場飛羽場は只者ではなかった。
「ナイル川アマゾン川長江ミシシッピ川黄河オビ川ラプラタ川ザイール川アムール川レナ川……ついでに世界の高い山ランキングも言おうか?」
まるで一息もつかず。余裕三秒を残して全て正解したのだ。
「……………!!」
中城寺は絶句した。
「どうした? この程度か? 拍子抜けだな。さあ、さっさと最後の問題を出せ」
飛羽場は余裕綽々という様子で迫る。中城寺は苦虫をつぶしたような顔をして冷や汗を流した。
「へ、へっへーん! どうしたんや繋がりマユゲ! はよ出さんかい!」
ナニワは予想以上の飛羽場の能力に驚きを表しつつも、中城寺に対して挑発する。
中城寺は驚きを隠せないでいた。
まさに、『知識』のエキスパート。三変人の一人。飛羽場識人。彼の前では、どんな問題も通用しないような直感が中城寺の中にあった。
しかし、そこで閃いた。
「では……最終問題」
中城寺は言う。なお、ニヤリと笑って。
「『紙は一回折ると二枚分の厚さになり、二回折ると四枚分の厚さになる。それでは、0.08ミリの無限大の大きさのコピー用紙があるとして、何回折ると月まで届く厚さになるでしょうか?』」
「!………あいつ、また……!!」
デカチョーは睨み付ける。
前回、ジュウに出題したような、時間制限内では回答不可能な計算問題。しかも、今回は選択問題ではない。回答者は正しく、曖昧な答えではなく、正しい数値を答えなければならない。
これには、さすがの飛羽場も即答というわけには行かず、押し黙った。
「ふ、ふざけないでよ! そんなの、雑学の範疇超えてるでしょ! ただの計算問題じゃない!」
「そうやそうや! 大体、おっさんも答え分かってへんのとちゃうか!?」
ナニワとデコが猛反発する。それに対し、中城寺はいやらしく笑い声をあげる。
「だぁれが! 今日も雑学問題を出すと言った!? 出題者が答えを把握していなければならないと! 誰が言ったんだよ!? ハハハハ!!」
「……………」
飛羽場は沈黙している。ナニワ達は怒りに奮えていた。屁理屈にも程があった。
「残り三秒。おらガキンチョ! さっさと諦めろよ!」
中城寺は威勢よく言う。
そしてその言葉の通り、誰もが諦めかけていた。なぜならそれは、十秒という短い時間で導ける計算問題では無いからだ。
誰もがそう、思っていた。
飛羽場本人を除いて
「……四十三回だ」
残り一秒。すんでの所で、飛羽場は答えた。
「……………は?」
言葉が耳に入りながらも、中城寺はおもわず聞き返した。それに対し、飛羽場ははっきりと答える。
「四十三回。厚さ703687キロといったところか。もっとも、地球から月までの距離は384400キロだから追い越してしまって、正しい意味での到達とは言えないかもしれないがな」
「ば……馬鹿な……!!」
中城寺は激しくうろたえる。
その前に、デコが歩み寄り、携帯のディスプレイ画面を見せつけた。そこには、電卓機能のアプリで計算した答えが導き出されていた。
0.08×2の43乗。計算式の答えははっきりと703687と記されていた。
「2のべき乗くらい、とうに100まで記憶している。正確な数値を暗算するのに、時間がかかりすぎてしまったがな。僕もまだまだだ」
「「……………………!!」」
これにはさすがに、ナニワもデカチョーも開いた口が塞がらなかった。
想像以上の知識に加え、並外れた知力。この国に彼を超える『脳力』のエキスパートはそういないだろうと確信できた。
「……ち、ちくしょう! こんなの、み、認めないぞ!!」
中城寺はひどくうろたえながらも、負けを認めなかった。
「さあ。約束通り、そこを通らせてもらうわよ。そのマンホールの下をね」
「う、うるせええええ!!」
デコの責めに対して、中城寺は逆上。拳を振り上げ、目の前の飛羽場に対し、襲いかかってきた。
自らが嫌いと言い放った暴力を施行したのだ。
「………!!」
飛羽場は突然の行動に反応できなかった。
しかし当然のごとく、暴力に対して許せない少女がいる。
武町愛誠。彼女が飛羽場と中城寺の中に割って入り、彼の拳を手のひらで受け止めた。
「くっ……畜生! 離せ……!!」
中城寺は拳を引き戻そうとする。しかし、デカチョーは彼の拳をしっかりと握りしめて離さない。
そして、うす笑いを浮べて彼を睨み付けた。
「これなら正当防衛ってことで、大丈夫だよな……!!」
「………!!」
察知した瞬間には遅かった。
彼女は彼の視界から姿を消すように、鋭い動きで下へダッキングすると同時、右足を高くふりあげ、中城寺の顎へアッパーキックをかました。
「……がはっ!!」
中城寺の足が宙に浮き、勢いよく後方へ。八百屋のキャベツコーナーの棚へ直撃した。
「お、おいあんちゃん! 大丈夫か?」
八百屋の店主が心配して駆け寄る。すると、中城寺のステテコパンツから抜き出たらしい財布が、視界の中に入る。
おもむろに店主は中身を確認すると、十万円以上の大金が入っていることに気づいた。
八百屋の店主は怒った。
「てめぇ! 金持ってんじゃねぇか!! ホームレスのフリしやがって!! 商売の邪魔してんじゃねぇよ!!」
店主はすでに半分グロッキー状態の中城寺の胸倉をつかみ、持ち上げる。
店主の腕はだるまのように太い。そして、まさにその外見を裏切らない、強烈強靭な腕力でもって、中城寺をぶん投げた。
ガチィィン!!
歩道の上を飛んだ中城寺は、電信柱に勢いよく顔面から激突。
中城寺は気を失った。まさに奇跡のようなコンボだった。
「……ここまでくると、なんか可哀そうやなぁ」
「そのくらいが丁度いいよ! その男は!」
デカチョーが満足気に、そう言った。
「おお! 終わったか!」
端で見ていたジュウが状況を察知。すぐさまブルーシートをまくりあげる。
「ちゃっかりしとるなぁ。おまえは……」
ナニワが呆れながら言う。ジュウは隠されていたマンホールの蓋をあけた。真っ暗で底が見えず、ぞっとするような冷気が漂ってくる。
そこで
「んじゃ。行ってらっしゃい。絶対想具とってきなさいよ」
デコはしれっと言った。
「? あれ? デコは行かねえのか?」
「当たり前でしょ! 私は依頼人なんだから。コイツみたいにここで待ってたりはしないから、そのつもりでね」
と、完全にのびている中城寺を指した。
その様子を、飛羽場は一瞥すると、
「……用は済んだ。何の遊びか知らんが、僕は帰るぞ。おいオカマ。約束を破った場合、報復が待ってるからな」
ナニワに対し、脅す。そして、興味を無くしたようで、踵を返して帰ろうとした。
その矢先だった。
ジュウはニヤ~と笑うと、いきなり飛羽場の腕を掴んだ。
「! な、何をする!?」
飛羽場の拒否反応も構わず、ジュウは腕を引っ張る。
一同は、彼の突然の奇行に反応できない。
そして、
マンホールの中に、飛羽場をひきずりこむ形で飛び込んだのである。
「!?……あ、あのアホ……!!」
ナニワ達は仰天。慌てて、ナニワとデカチョーがマンホールの中に飛び込んだ。
飛び込んでから数秒間。真っ暗な空間の中、下降状態が続いた。
本来ならば地下水道の道へ届いているはず。確かに、境が機能しているようだった。
やがて、穴の底から光が差し込むのが見えた。
そして
「うわあ!!」
一瞬の奇妙な浮遊感。直後、ナニワは背中から地面へと落ちた。上から下へと重力に従って落ちたはずが、それが90度向きを変えたのだ。
「いててて………」
落ちたのは1メートル程度。ほぼ無傷で済んだ。ナニワが痛みにうめきながら周囲を把握する。
そこはまるで、童話の世界のようだった。
まず、彼の目の前に見えたのは、なぜか地面に倒れている何本もの樹だった。
しかし、それは見慣れたものではなく、まるで絵本で描いたような色彩と形で、現実感を伴うようなものではない。足元の地面や石なども同じだった。空はファンタジー色の強い、ピンク色で満たされていた。
ナニワが先刻飛び出した場所を確認しようと後ろを見ると、そこには大きな樹がそびえたっていた。
歪な形で、松の樹に似ている。彼の頭の上の位置には、丁度マンホール程度の穴が開いていた。
いわゆる、樹の内部が腐って削ぎ落ちることでできる『樹洞』。そこが、今回の領域の境だった。マンホールを落ちて、先刻、この樹洞から飛び出したのである。
「うおっとっと!」
続けてデカチョーも樹洞から飛び出すが、運動神経バツグンの彼女は、わずかに体制を崩しながらも宙返りをした後、見事にナニワの目の前で着地してみせた。
そして、先に飛び出したジュウと飛羽場について。
ジュウは嬉しそうにはしゃぎまわり、意味もなく周囲を走り回っていた。飛羽場はナニワと同様、地面に叩きつけられ、顔をしかめさせながらゆっくりと起き上る。少し頭を打ったのか、頭を振る仕草をして、目を開けた。
当然。彼は驚愕した。
「い……いったい……なんだ!? ここはどこだ………!?」
いつも冷静沈着な飛羽場も動揺を隠せないようで、周囲をせわしく見回していた。
「うわぁ………!!」
デカチョーも思わず声を上げてあたりを見回す。
その表情は、本当に楽しそうな、無邪気な子供のようなものだった。
彼女もまた、冒険に惹かれていることが、目に見えて分かった。
「お、おい! これはどういう事だ! 説明し―――」
「おおし! わくわくしてきた!」
飛羽場の言葉も聞こえないようで、ジュウはデカチョー以上の笑顔でそう叫んだ。
ナニワも同じ気持ちだった。胸の高まりが収まらず、これからの冒険に、心が弾む。自然と顔がにやけた。
ジュウは、首のスカーフをほどいて頭へと巻く。
そしていつものように、誰ともなく高らかに叫んだ。
「冒険の、始まりだ!!」