其の五 ダヴィンチ登場
『三変人』
それは、御供市東小学校の中で、特に教師や父母の間で広まっている、飛び抜けた三人の変人達を総称したものだった。
新約聖書に出てくる三賢人をもじったものであり、若干の皮肉が込められているのは言うまでもない。全員が全員、問題児中の問題児であり、大人達の悩みの種であり、騒ぎがあれば必ずと言っていいほど、それら三人の誰かが渦中に存在していた。
そして最悪なことは、彼らが皆同じ学年―――五年生に集中していることだった。
裏では『悪魔の世代』と呼ばれるほどだった。
一人はいわずもがな。三度の飯より冒険が好きな破天荒小学生。
五年一組。出席番号3番。天元じゆう。通称ジュウ。
もう一人は、五年四組。出席番号7番。袈裟掛只子。
そしてもう一人。五年二組。出席番号22番。飛羽場識人。
正義感が服を着て歩く少女。デカチョーをもってしても、『変人』という悪口を言わせてしまう凄味が、確かにその少年にはあった。
その少年の主義は『絶対知的主義』
父が大学の有名教授である影響か、父が刷り込ませているのか、とにかく、飛羽場は知識に貪欲でいて、勉学家だった。
事実。彼は非常に優秀だった。大人顔負けの知識量を誇り、計算高く、頭の回転も速い。しかも、その知識は一つの分野に偏らず、多方面に渡った。
おそらく教師陣からだろう。そんな他分野ぶりから、人は彼のことを、皮肉を込めて『ダヴィンチ』と呼んだ。
テストでは満点しか知らない優秀な彼であるが、致命的な問題は、彼は知力の劣る者を毛嫌いする傾向があった事である。
彼にとって、それは同級生全員にあてはまる。それどころか、一部の先生でさえ、彼にとっては『低能』と判断されていた。だから、彼が担任の指示を聞かないで勝手なことをするのは、日常茶飯事だった。
授業中。授業に関係ない、全く別の分野の分厚い教本を読んだり、体育に参加せず、机の上でひたすら本を読みまくるなど、クラス全員と足並をそろえることは決してなく、自分の正しいと思ったこと、より効率的な生き方を貫いたライフスタイルであった。
そんな孤立した彼ゆえに、いじめの標的に合うこともあったが、彼は何倍ものダメージでもって復讐した。とあるいじめっ子は、彼が下駄箱にしかけていた小さな火炎放射によって火傷をして、心に大きなトラウマを負った。
さらに厄介な目に遭うのは、教師陣だった。ある日、歴史の授業中。よく彼を知らない新任教師が彼に質問を投げかけると、彼はそれに答えるばかりか、歴史の間違いを指摘し始め、それに気づかない教師を無能と罵ったのである。その教師も心に大きな傷を負って、しばらく学校を休んだという。
このように、ジュウのようなアクティブな問題児ではないが、こちらから手を出すとひどいダメージを負ってしまうような、そんな問題児だった。
「去年。同じクラスだったから良く知ってるんだけど……さすがのアタシも、あいつだけは粛清できなかったよ」
翌日の放課後。彼のもとに案内することを買って出たデカチョーは、廊下を歩きながらそう説明する。隣にはナニワと、今日から登校することになった(決めた)ジュウが歩いている。
「おまえが!? へぇ~。すげぇなそいつ!」
毎日のように追いかけられ、制裁を食らっているジュウが感心して言う。
「とにかく、何を言っても聞く耳もたずって感じ。全く相手にしないんだよ。下手に手を出せば、何をするかわからないような奴だし……平和を守るためには、とりあえず放っておくしかなかった」
「ジュウ以外に、そんな奴がおったとはな~」
転校したてのナニワは、まだそんな隠れた内部事情を理解してはいなかった。
※
やがて、飛羽場識人のいるクラス。五年二組の教室へと到着。デカチョーが扉を開ける。
教室の窓際。一番後ろの席に彼はいた。
シャープな形の銀淵眼鏡。襟付きシャツの上にベスト。エリートを思わせるような、整った髪形。鋭く細い目。そして、小学生とは思えない、冷静沈着な雰囲気が感じられた。
彼はいつものように、分厚い教本を読んでいた。背表紙には、『ハートウェル遺伝学』と書かれていた。
「……識人。ちょっといいか?」
少し気まずそうながらも、デカチョーは彼の前に立ち、呼びかけた。
識人は、数秒遅れてから、露骨に嫌そうな表情を見せながら本から視線を離さず、こう言い放った。
「何の用だ。ド低能共」
「「…………………………………」」
ナニワ達は思わず、絶句した。
デカチョーは初めから予想はついていたのか、怒りもそこそこに、すぐに切り返す
「実は、頼みごとがあるんだけど……アタシのことは覚えてるだろ? 去年、同じクラスだった武町愛誠だ。元クラスメイトのよしみで―――」
「断る。おまえなど知らん」
実にあっけない即答だった。
そしてそのまま、彼は何も喋らず読書へ。一方的に会話を断ち切った。
「……デカチョー。こいつ、殴ってええか?」
「待てナニワ! 気持ちは凄く分かるし、アタシもそうしたい気分だが待て! 暴力は正義の敵だぞ!」
拳をプルプルと震わせて怒りを表現するナニワを、デカチョーが止める。
そこで、ジュウが一歩、彼の前へと踏み出る。そして、左腕のギプスにも構わず、机に両肘をかけるように突っ伏し、彼と目線を合わせた。
「あのよー。クイズを三問解いて欲しいんだよ。そうしないと俺たち、先へ進めねーんだ」
「………………」
「おまえ、『ダヴィンチ』って呼ばれてんだろ? なんかしらねーけど、すげー偉い学者と同じで、すげー頭いいんだろ? なあ、協力してくれよ!」
「…………五月蠅いぞタコスケ。消えろ」
識人は眼鏡の奥で鋭い視線をジュウに向け、睨み付けた。まさしく、口の悪さは天下一品。
しかし、ジュウは平気でナハハと笑った。
「タコスケか! ナハハハ! おめぇ、面白いこと言うなぁ!」
自分を悪く言われているにも関わらず、ジュウは陽気に笑う。
その時。このままでは話が進まないと踏んだのだろう。デカチョーが両手でバンッと識人の机を叩いて、彼に意識を向けさせる。
そして、
「頼む! 識人! 今回だけだ! クイズ云々の前に、あの悪人を懲らしめてやりたいんだ! そのために、おまえの力が必要なんだ!」
彼女は真剣な目つきで識人を見つめた。
中城寺は、屁理屈やひっかけをして、断りもなしに商店街へ常駐する、反モラル精神の塊のような男だった。想具を手に入れるかどうかより、悪を罰することの方が、彼女にとっては重要なことだった。
そんな真剣な眼差しを受けながら、しかし識人は冷淡な言葉を言い放つ。
「……何の事かは知らないが、おまえらのようなド低能に貸す力など無い。時間の無駄だ」
そして、彼は立ち上がり、ランドセルに本を入れると教室の外へと歩き出した。よほどジュウらが目障りらしい。
自分勝手。効率主義。低劣差別。冷淡非情。
まさに、三変人の看板に偽りなしだった。何を言っても無駄ということを、デカチョーとナニワが悟るが、ジュウだけは違った。
「頼んだぜ! ビンチ!」
快活な声で、満面の笑顔で、識人に向かってそう言った。
「………ビンチ?」
識人は扉の前で、わずかに振り返り見る。
「『ダヴィンチ』の『ビンチ』! 言いにくいからよ!」
「……………ふん」
つまらなそうに鼻で笑い、彼は姿を消した。
「くそっ。やはりダメだったか……」
デカチョーは歯噛みをしながら言う。
「どうすんねん。期限は一週間やで。10万円なんか払えへんぞ!」
デコとの取引。それは、一週間以内に、代理となる者を見つけ、もんだいを解かせること。できなければ、三人合わせて10万円を請求するというのだ。
「………あんた達が悪いとはいえ、デコちゃんも相当な悪人だよな」
デカチョーは眉をひそめてそう言う。年上をちゃん付けするあたり、あまり良い印象では無いようだった。
「ま。なんとかなんだろ! ナハハ!」
ジュウは相変わらずのお気楽ぶりだった。
しかし、現実問題。あの高等な雑学問題を連続で解ける子供といえば、識人―――ビンチしか思い当たらないのも事実。なんとか彼を説得するしかない。
その時。ナニワはジュウの顔をふと見て、
そして、あることに気づいた。
(………もしかして………)
「? どうかしたのか? ナニワ?」
手を顎に当て考え込むナニワに対してジュウが訊くと、
「……二人とも。俺、ちょっと行くとこあるさかい、また後でな! ほな!」
「え? ちょ、待てよ、ナニワ!」
引き留めるデカチョーに構わず、ナニワは踵を返して、教室を出ていった。
「「…………?」」
二人はそろって首を傾げた。
※
その後。
とある住宅街。電信柱の影に姿を隠すナニワの姿があった。
その先には、識人の姿がある。
ナニワが急いで教室を出たのは、先に出た識人を尾行するためだった。
ナニワの中で、ある推測が成立していた。その確証を得るために、よく彼を観察する必要があったのだ。
(まさかとは思うけどな……)
きっかけは先ほどの短い会話の中。識人の言葉に違和感を覚えたことだった。
ナニワは識人に見つからないよう、それでいて不自然にならないよう、後方遠くからついていく。
やがて、人通りの少ない路地に到達。視線を常に前に、一切の寄り道もせず、一人で歩く識人。
だが、ある場所で彼は立ち止った。
そして、じっとあるモノを注視している。
ここで、ナニワは確信した。
自分の推測が正解であったことを。
※ ※
その夜。ナニワはデカチョーの自宅に電話を掛けた。
「もしもし。武町です」
《デカチョーか? 俺や。ナニワや》
「ナニワ? どうしたんだ?」
《識人の件なんやけどな》
ここで、ナニワはニヤリと笑って言い放った。
《俺にまかせといてくれんか?》