間3
ジュウ一行が馬車に乗って国から飛び出したのとほぼ同時刻。
一人の男が砂漠を歩いていた。
上半身は裸。下駄を履いていて、腰のベルトにひょうたんをぶらさげている。顔面左半分から左胸にかけて、唐草模様の刺青がある。
トウ。デカチョーと戦った後、彼はそう名乗った。
下駄にも関わらず、彼はただでさえ歩きにくい砂の道を、いとも簡単に進んでいく。
やがて、その歩みが止まった。
『変化』を感じ取ったからだ。
彼の顔にある刺青が、ひとつひとつ、意思を持つように動いていた。
ズズズッと。それは左耳と口元に向かって集約するように移動していく。肌の下をミミズが這うような感覚に似ていたが、彼は特に嫌悪感は無い様子だった。
そして、刺青の形が、インカムマイクのように耳の中と口の端まで広がった。
同時に、音声が送られる。
《もしもしトーくん? だめだよー! ちゃんとお仕事しなきゃー! スイちゃんなんか、カンカンだよー!》
男か女か判別できない、子供のような声が、彼の左耳に聴こえた。唐草模様の刺青が通信機能を果たしていて、彼の声も話し相手に通じるのだが、無口の彼にとって、あまり意味のあるものとはいえない。
「……………」
《なんか行ってよ! もー! 相変わらず、トーくんは無口だなー。まーいーやー。実は小型のてー察機を回してるから、大体のじょーきょーは分かってるんだよねー》
直後、トウの視線が、右斜め方向に鋭く動いた。同時に、右腕が素早く動き、空中で何かをつかまえる仕草をした。
掌を開く。その中に、わずか1ミリ程度の大きさの、壊れた偵察機があった。
「………陰鬱」
《だからって壊さないでよー! まーすぐに作れるからいーけどさー……じゃあ、今までの経緯、確認したいから、ちゃんと答えてねー?》
と、言って、一息置く。
《事の始まりは、『魔術の領域』で、想具が盗まれたことから始まったんだよねー。魔神のランプってやつー。いわゆる、不確てーよーそってのだよねー。まさか、想具持ったまま、隣の領域まで逃げちゃうなんて、フツーじゃありえないからねー。まー幸い、盗人は砂漠で生き倒れちゃって、想具は隣の『砂漠の領域』に放置されたから、トーくんがそれを元の領域に戻すために、向かったわけだけどさー……それが分かってから、今までの2じゅー年間、一体何してたのさー?》
「………………」
《あーもー! ちゃんと答えてって言ったでしょー! 僕もいー加減怒るよー! まートーくんのことだから、向かう途ちゅーに強そーなのと戦ってたとか、そんなんだと思うけどさー》
「……正解」
《クイズじゃないよー! もー!》
子供の声の主は、子供のように怒る。
正確に言えば、トウは18年間。同じ敵と戦い続けていたのではあるが、あえてそこまで口に出す彼ではなかった。
《おかげで、『魔術の領域』と『砂漠の領域』の環きょーとか文化とか、混ごーしちゃったじゃないかー! 砂漠っていうしょー害があったから、まだ軽くて済んだけどさー。そーさせないのが、僕達の仕事だろー?》
「……………」
彼は無表情のまま、答えない。声の主はため息をついた。
《……こっから先の話は、確認だよー。せー義って人の話を聞くと、最しゅー的に、イナバラって人がその魔神を出す想具を手に入れて、しかも変な結界みたいの張っちゃったもんだから、手出しできなかったってことで、いーんだよねー?》
「…………」
《だからって一年もの間、その『せー義団』ってところにいて、結界が解ける機会を待つっていうのも、分からなくないけどさー……なんだかトーくんらしーってゆーか、よーりょー悪いよねー。確かに領域は一つでも残したいところだけどさー。もーそんだけ時間経ってたら、消してもいーと思うよー?》
「…………」
《そんで、きょー、めでたく結界が解けて、さー取り返しにいくぞって時に、トーくん。また強そうな才のー見つけて、戦っちゃってさー。もー呆れるしかないよー。挙句の果てに、『魔術の領域』の人が、その想具を取り戻しに来ちゃってるしさー。それじゃあ、トーくんが来る意味なかったじゃないかよー。まるで笑い話だよー》
「…………」
《それにしても、そのリリアナって子と一緒にいた男の子……明らかに、拒否を越えてきたってことだよねー? 現人だったら絶対無理なはずなのに、おかしーなー? 二じゅーじゃなかったから、誤作どーが起こったのかなー? ねーねーどー思うー?》
「…………」
《……ねー。さっきから全然喋らないけど、ちゃんときーてるー?》
「……冗長」
《おしゃべりだっていーたいのかよー! トーくんが無口すぎるんだよー!》
と声を荒げるが、実際、よく喋っていたのは確かだ。
《……全く。みんないちおー、ちゃんとやってるんだから、ちゃんとしてよねー。この2じゅー年間、君の担とー領域の管理、他の皆がやってたんだからー。連絡とろーとしても、刺青のリンク切っちゃってるしさー。ウルサイのが嫌いなのはわかるけどー、ちょっと反せーしてよねー?》
「………了解」
《わかればよろしー! それじゃー早速、仕事に取り掛かってよー。この領域の想具が壊れちゃったから、ここも消さないとねー。あと、できれば香川って現人も、連れてきてねー。一人でも欲しーところだからー》
「………了解」
言うと、トウは片膝を地面につけて、左腕を砂の地面に突っ込む。そして、何かを念じるように、細い目を閉じた。
しかし、
直後、彼は何かに気付いたように立ち上がり、ある方向に首を傾けると、その先をじっと凝視し始めた。
《………? どーしたのー?》
「………必要無し」
一言。そういい切った。
《えー? どーゆーことー?》
訊くが、しかしトウは答えない。
また、何かに気付いたように、別の方向を見ると、無言のまま走り出した。
その速さは、人のそれではない。
時速二百キロ。大量の砂塵が彼の後ろに舞い上がった。
《ねーねーちょっとー! 何があったの----》
音声は途中で途切れた。
トウが耳に指を突っ込み、刺青リンクを断ち切ったからである。唐草模様の入れ墨が、元の位置へと戻る。
彼はまっすぐと前を向き、黙々と走り続けた。