其の四十三 夕日
それから、再びジュウのケイタイのバイブが鳴り響くまで、正確な時間を記憶しているものは、誰一人としていなかった。
しばらくの間だれもが、ただ呆然としているしか、心の安定を図る術が無かった。
つい先刻。宴の準備に興奮し、再会に笑いあった事が、遠い昔のように思えた。
「……ワタシは、行かないわよ」
再び、気絶から覚めた香川が、仰向けに倒れたまま、ジュウ達一向に言った。
その瞳には、絶望の色しかない。
「犀ちゃんだって、あんた達なんかに渡さない。ワタシは、犀ちゃんと一緒にいるんだから……もう、現実世界には、帰らない……」
「………そう」
デカチョーは、彼女を見下ろす形で、静かに返す。
「じゃあ…………元気で……」
力なく、意思もなくそう言うと、彼女は踵を返して、
「……あと兄ちゃんが……謝りたかったって……」
思い出すのも辛そうに、つぶやくように言って、乗るべき馬車へと向かった。
「…………………」
香川はそれを見送ることもなく、言葉も聞こえないように、魂が抜けたような表情で、空を仰いでいた。
デカチョーの中に恨みつらみが無いと言えば嘘になる。
しかし、兄の意思を無下にすることなど、できるはずもなかった。
「それじゃあ、皆。お別れだ……」
馬車に乗り込んだ少年少女。ジュウ、ナニワ、デカチョーに向けて、サィッハ王子は真っ赤に腫れた目を向けた。ルゥンダがその横にいて、未だ鼻をすすりながら泣いている。
「ルゥンダ。君が気にすることはない……」
彼女をなだめるように、王子が言う。
結局その後、木戸は見つからなかった。
稲原が死に、香川がここに残るならば、彼もここに残るだろう。そんな期待を残して、彼ら三人のみで帰還することとなった。
正義の遺体は、ここに残すことにした。
過去にどこで生まれようと、今、確かな絆があるのは、イャンクッド達や王子、その他ムラマハド国民であることは事実。この国で静かに眠らせたいという気持ちが、デカチョーにあった。
なにより、彼自身が、そう望んでいると思った。
「?……あれ? イャンクッドはどこいったんや?」
ナニワは周囲を見回す。
つきあう時間は短かったが、彼もこの戦いをともに戦った戦友の一人。別れの挨拶は必要である。
「? そういえば、姿が見えないな? さっきまで、そこにいたはずだが……?」
王子も不思議そうに見回す。重症だけに、そう遠くまで移動できるはずはない。
その話の横で、
「あんた。気を落とすもんじゃないだわさ」
魔術少女リリアナが、デカチョーに声をかける。
「魔術界では、『死者の魂は、縁者の負心によって彷徨う』という言葉があるだわさ。いつまでも落ち込んでると、あのお兄さんも、報われないだわさ」
励ましの言葉を与える。デカチョーは軽く微笑み、「はい」と小さく返事した。
その微笑は、強がりであることは、誰の目にも明らかだった。
「………じゃあな。リリアナ。また逢えるといいな」
ジュウが馬車から顔を出して言う。その声は、いつもより低めで、少し元気が無いようだった。
正義とは面識がほとんど無いとはいえ、彼も彼なりに、想うところはあったらしい。
「今度逢った時は、あんたみたいな餓鬼が気安く話しかけられないような、びっくりするほどの大魔術士になってやるだわさ。あんたも無茶して、死ぬんじゃないよ!」
と、リリアナは自信ありげに声を張り上げた。
伝説の魔神を封印したとなれば、彼女の名声や名誉も高いものとなるだろう。
《みんな、準備はいい? やるわよ!》
ジュウの黒ケイタイから、デコの声が鳴り響いた。
「ああ! いいぞ!」
とジュウが返事を返すと、ズズズっと、馬車が見えない力に引きずられ始めた。
「じゃあな! 皆!」
「ほな! さいなら!」
「色々と、ありがとうございました!」
三人がそれぞれ、口々に別れの言葉を掛ける。サィッハ王子、リリアナ、ルゥンダが、手を振っ
てそれを見送った。
そして、馬車のスピードが加速し始め、それが最高潮に達した。
*
「キャアアアアアアアアアアアアアアアア !?」
間一髪。デコは自らも境に飛び込むことで、ギリギリ馬車の激突を回避することに成功した。
【金成る軌跡】。その弾を呼び戻す力はすさまじく、馬車は宙に浮き、空を飛ぶほどだった。その加速はデコにも制御しきれるものでなく、馬車は最大加速のまま砂山へと突っ込んだのである。
結果。日晒木公園の砂場から、大量の砂と一緒に馬車が飛び出すといった怪現象が起こることになった。
しかし、それも一瞬のこと。虚想世界のものであるその馬車は、フッと、空気に溶け込むように消えてなくなり、中に居た三人だけが取り残された。
そして、数メートルの高さから、着地。ナニワだけは、無様に尻餅をついた。
「よっしゃー! 帰ってきたぞー !!」
ジュウが両手を突き上げて喜ぶ。陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすような叫び方だった。
「こら! バカガキ! 馬車に乗ってるならそう言いなさいよ! あやうくぶつかるところだったじゃないの!」
「ナハハハハ! まあ細かいこと気にすんな!」
デコの怒号に、いつものように、軽く笑い飛ばした。
「はあ、全く……その様子じゃ、また無茶したみたいだし……あんた、そのうち死ぬわよ !?」
と、包帯だらけのジュウを見る。他二人もついでに眺めると、デカチョーに目が留まった。
「? あれ? この子は誰? 見たところ、高校生みたいだけど?」
「いや……一応、小学5年生やけど……」
「は、はあ !? こ、この身長で !?」
ナニワの説明に、大げさなくらいに、デコは目を剥けて驚いた。デカチョーは謎の少女(本当は20歳)の登場に、戸惑いを隠せない。
「……なんか、殺意が湧いてきた」
と、デコはジロリと、にらみつけた。その悪意ある目つきに、デカチョーはおもわず後ずさる。20歳ながらに身長140センチ足らずの彼女にとっては、うらやましいことこの上ないので、仕方の無いことではあった。
公園の時計は、午後五時を指していた。
約二時間半。虚想世界で半日、冒険していたことになる。
時は夕暮れ。さっきまでいた領域と同じように、空が赤く照らしだされていた。夕日が、彼らを照らしつけ、影が大きく伸びている。
「はぁ~。今回も、色々あったなあ~……もうヘトヘトや」
ナニワがだるそうに腰を曲げる。そして、そのリュックサックを背負い直して、歩き出した。
「全く……偶然、私のパチンコ弾があったからいいものの、あんたら、本当に帰れなかったかも―――」
と、さらに説教が続くと思いきや、デコはそこで言葉をとぎる。
ナニワ、ジュウ、デコが揃って、公園を出て行こうと歩き出す中。デカチョーだけが砂場をじっと見つめて、動こうとしなかったからである。
「ちょっと! ノッポちゃん? どうしたのよ?」
皮肉っぽい呼び方をするものの、彼女に返事はない。
ただ、砂が飛び散り、荒れ果てた砂場と、地平線彼方に輝く夕日を見つめて、昔のことを思い出していた。
■
別れるのが、辛かった。
辛くて、どうしようもなかった。
四年前。兄ちゃんが、いなくなってしまったあの日、アタシは初めて、嘘をついた。
砂場遊びなんて、そんなに好きでもないのに、兄ちゃんの学校からの帰り道に通る公園で、待ち伏せるように、砂をいじっていた。
兄ちゃんは、そんなアタシを見て、我侭を言うワタシを見て、少し困った顔をしながらも、城作りを手伝ってくれた。
兄ちゃんと遊びたいために、少しでも長くいたいためについた嘘。でも、兄ちゃんは制服も着替えずに、わざわざ家からバケツを持ってきてくれた。
本当に優しくて、強くて、正義感あふれて。
自慢の兄ちゃんだった。大好きだった。
だから、幼心ながら、兄ちゃんが東京に旅立つことを知ったときは、本当にショックで、辛かった。その日は、兄ちゃんの学校の卒業式の日で、つまり、翌日に警察学校の宿舎へと旅立つ日だった。
それを思うと、涙がこぼれてしまった。
寂しくて、泣いてしまった。
兄ちゃんは、「どうしたの?」と不安げにアタシの顔を覗く。アタシは、「砂が目に入った」と二回目の嘘をついた。
どうしようもなく、下手な嘘だ。
兄ちゃんもおそらく、それを察したのだろう。アタシの心を見透かすように、言った。
(「泣くなよ愛誠。女の子だろ……?」)
優しい声で、優しい笑顔で、そう言った。
(「泣かないのは、男の子だよ?」)
そう言い返したら、兄ちゃんは答えた。
(「女の子だって同じさ。男の子と同じくらい、いやそれ以上に、強く生きなきゃ。だから、例えば……誰かがいなくなって、寂しいだけで泣いたりしちゃ、駄目だよ?」)
……『だから、例えば』……
……本当に、気が効いて、優しい兄ちゃんだった。
(「いなくなるその人だって、泣きながら別れたくないもんね。そうだろ?」)
兄ちゃんは、満面の笑みを、まるで見本だとでもいうかのように、アタシに見せて、そう言った。
そして嘘と分かりつつ、アタシに砂を洗うように、水のみ場の方を、指差したのだ。
………………
言いたいことは、分かったよ。兄ちゃん。
アタシ、泣かなかったよ……。
兄ちゃんが死んでも、泣かなかったよ……
でも、アタシ、もう……
□
「馬鹿やなあ。デカチョーは」
声が聞こえた。
ナニワの声。茶化すような、悪戯めいた笑顔だった。
デカチョーは振り向く。その瞳は、涙で潤んでいた。
瞼に、涙が、溜っている。
そして、それに続くように、ジュウが言った。
少しあきれたような、笑ったような顔をして、
「もう兄ちゃんは、ここにいないだろ?」
「……………」
その言葉が、彼女の頭の中に、強く浸透した。
溜め込んでいた感情が。押し殺していた感情が。押し寄せる。
「………ぅう。……っく……!」
うまく、呼吸ができない。涙で、視界に映る全てが滲む。
「……ひっく。……ぅうううう……!!」
そして、堰を切ったように、それはあふれ出した。
デカチョーは、泣いた。
人目もはばからず、大粒の涙をボロボロと流した。
「うわああ! あああああああああああん! ううあああああああああああああああああああああああ !!」
ほとんど悲鳴のような、そんな鳴き声が、日晒木公園に響き渡った。
涙がボロボロと、頬を伝って、顎を伝って、零れ落ちる。
あふれ出した涙が、止まらなかった。彼女の涙が、夕日で赤く反射する。
彼女の泣き顔に、夕日の真っ赤な光が照らし出される。その夕日は、あの日のように、美しい緋色に染まっていた。
そこにいたのは、いつもの強気な委員長ではない。ただの小学5年生の、女の子の一人に過ぎなかった。
ジュウ達はいつまでも、見守るように彼女を見つめていた。