其の四十 崩壊
「!? な、なんだ!?」
紫色の煙が、急須の想具に吸い込まれた現象を、サィッハ王子が目を剥けて見ていた。今まさに、魔神が再び封印されている。
その直後
ドスウウンン!
突然。大きな石塊が天井を突き破り、王室に落ちた。
一同は驚き、空を見上げる。
魔神が突き破ってできた穴。その向こう、遥か上空に白い雲が見えた。
そして、そこから小さな黒い点が出現したかと思うと、それはみるみると近づき、そして破壊音と共に、目の前に石塊として姿を現した。
魔封殿の残骸。つまり、浮遊石である。
魔神が封印殿を貫通した際、封印殿の浮力の源が破壊され、石ひとつひとつに供給していた浮力が断ち切られたのである。
崩壊は必然。このままでは、石に押しつぶされてしまう。
「マナト! セイギ! 乗れ! 脱出するぞ!」
王子は、いまだ磁力の圧力を受けながらも、手綱を握り締める。
「わ、わかった! 兄ちゃんも、早く !!」
デカチョーは仰向けに倒れる正義に向かって呼びかける。
しかし、正義は動かなかった。
降り注ぐ石塊を見つめながら、ニコリと笑っていた。
「………強くなったなあ。愛誠」
優しい声で、彼は呟いた。
すでに狂気的な感情は、そこに感じられない。
「な、なに言ってんだよ! 早く立ち上がってよ !!」
「君達だけで行くんだ。僕はここにいる」
正義は明確に、そう告げた。
「な……なにを……」
「ごめんよ。ひとつ、嘘をついた。……元の世界へ戻る方法が、もうひとつだけある」
「………… !?」
彼は唐突に、語りだした。
「砂漠の境が分からない以上、他の領域に行って、その境から戻るしか方法はない。親切な現人がそこにいれば、見つけるのは容易いだろう。だけど、そこに行くには、拒否が障害だ。現人を拒む絶対的障害。そして、それを取り除くには……想具を破壊しなければならない」
「ま、まさか…… !?」
そして正義は迷いもなく、戸惑いもなく、言い放つ。
「僕が死ねば、君達は助かる」
デカチョーは
「ふ、ふざけんな !!」
怒りのあまりに、叫んだ。
「そんなの……そんなの、許せるわけないだろ! せっかく、また逢えたのに……!」
「そうだ! 余も、他の皆だって、許さないぞ!」
王子も続けて、怒り、叫ぶ。
正義は少し、困ったような顔をして、
「その皆に、あわす顔がないよ。ここで死ねるのなら、丁度いい」
「そんなこと………!」
デカチョーは悲しそうに、うつむく。
その先は、言葉にならなかった。
降り注ぐ石は激しさを増していく。
石と、天井と、床。破壊音と激突音は、増していく。
一刻の猶予も無い。そんな中で、正義はそれらを受け入れるように、手足を大の字に広げた。
「僕はここで、石に潰されて死ぬ。不運にも助かったら、僕の剣でもって自害しよう。それが、彼に対する侘びにもなる」
と、正義は、少し離れた所に倒れる稲原を見て、その心臓を貫いた剣を見る。
悔いるように、悲しそうに眉をひそめ、再び天井を仰いだ。
そして
「……ああ、でも、その必要は無いようだ」
呟いた。その視線は、天井に大きく開け放たれた穴。
その先から、正義に向かって、一際大きな石塊が落ちてくる。
直撃は、免れない。
「セイギ! 避けろ!」
王子は叫ぶが、彼は応えない。駆け寄ろうとしても、磁力が働いて体が動かない。
正義は、顔を横に傾けて、王子と愛誠を見つめ、
そして微笑んだ。
「王子。皆に済まなかったと。そして、ありがとうと、伝えてください。例え世界のルールに縛られた上の信頼でも、王子の、イシュブルグの、王様の、皆の気持ちに偽りはなかった。僕が……愚かだった」
迫りくる石塊は、その大きさを増していく。
正義は、視線をデカチョーへ移す。
「そして、愛誠。死ぬ前に、おまえに逢えて……本当に良かった」
デカチョーの視界が、滲んだ。
そして、死刑執行のギロチンのような戦慄を伴って、その石塊が姿を現した。
正義の体を押しつぶすには、十分すぎるほどの大きさ。
時が、減速していく感覚を覚える。
ひどくスローモーションなその世界。石と石が砕け、割れる音と、王子の、喉が張り裂けんばかりの叫び声を聞きながら、
彼女は聴いた。
真っ直ぐと、愛誠を見つめながら。
武町正義の、最期の言葉。
「こんな兄ちゃんで……ごめんな」
ズガアアアアアアアアァァァァァァァァン !!
暴力的かつ絶対的な粉砕音が、その空間に響き渡った。
5000メートル上空からの落下による、莫大な加速度を伴った石塊。その破片が激突の瞬間、何百にも砕け散り、広がっていく。
そして、そこには、いなかった。
王子の傍に、武町愛誠の姿は無かった。
「…………」
彼はそっと目を開けた。
息を、空気を、音を、匂いを、自分の鼓動を感じた。
正義は、まだ生きていた。
その彼の上着を引っ張る形で、彼に重なるように倒れている姿があった。
大人に変身した武町愛誠がそこにいた。
石が姿を現し、落下する間。彼女は落とした指輪の想具を拾って、指にはめ、兄を抱え込める体格であろう身長190センチに変身した。
そして、石が直撃するその直前。石塊と正義の間に、滑り込むように体をもぐりこませると、半ば乱暴に、擦るように正義を安全圏まで回避させたのだ。
しかし、彼女自身の負傷は免れなかった。石と床の間を通り抜ける瞬間、頭を思い切り打ち付けたため、額から血が流れていた。
正義がデカチョーの姿を確認した直後、デカチョーの『大人化』が解除される。
彼女はゆっくりと上体を起こすと、額から流れる血が、ボタボタと音を立てて床に落ちた。
「………なんでだ」
正義は、奥歯をギリリと噛み締める。
怒りと、悲しみの混じったような表情で。
「なんで、死なせてくれない! もう、こうするしか、おまえたちを助けることも、償うこともできないのに! どうして……!」
「……まだ分からないのかよ。馬鹿兄貴……!」
愛誠は、彼の胸倉を掴んで、ぐいっと上体を引き上げた。
そして、彼の顔をするどく睨みつける。
「自分に甘えるなって―――逃げるなって言っただろうが! 皆にあわせる顔が無い? ふざけんな! 自分の罪に怯えてるだけだろうが! 罪は生きて償えよ! 当然のことだろ! そんなことも忘れちまったのかよ! 警察志望!」
叫んだ。精一杯叫んだ。
彼の心に届くように、叫んだ。
「たとえ……たとえ兄ちゃんが死んで、アタシ達が元の世界に帰れたとしても、それで、本当に助かるわけないだろ! 心の底から笑えるわけないだろ! 兄ちゃんも一緒にいなきゃ、意味ないんだよ! そこんとこ分かれよ! 馬鹿兄貴ぃ!」
肺の中の全ての空気を使うような勢いで、彼女は叫んだ。
心の底の底からの、感情だった。
「…………………」
正義は、口を閉ざしたまま、黙って彼女を見つめていた。
少し、困ったような顔をして、
直後。
「 !!……あ、危ない!」
王子の叫び声が届く。
彼らの真上から、再び石塊が落下してきたのだ。
「…………… !!」
王子の声に反応し、デカチョーは見上げるが、回避する時間は圧倒的に足りなかった。石の凹凸の細部までも確認できるほどの距離だった。
彼らに黒い影が覆いかぶさる。デカチョーは反射的に、兄を庇おうと覆いかぶさった。
その時。
「……『ストーン』」
ふいに、正義は呟いた。
次の瞬間。彼らの真上にあった石塊は、その動きを止め、逆に上へと加速していった。
まるで、磁石が反発しあったかのように。
「……兄ちゃん……!」
驚く愛誠。正義は上体を起こした。
その手に持っていたのは、【我侭放題】。
発動しているキーワードは『Stone』。
石に対して斥力が働いている。
「おまえの言うとおりだよ。愛誠」
正義は正面から、右腕を愛誠の左肩に回し、少し引きつけるようにして、抱きしめた。
「兄ちゃんが卑怯者だった。罪は生きて償う。当たり前のことを忘れていたよ」
悟ったように、静かに言い放つ。
デカチョーは
「…………うん……!」
ほとんど涙声で、そう応えて、兄の腕を抱えるように抱きしめた。
死にかけて、救われて、慕われて、奪われて、奪い返して。
そして、裏切られた。
だけど、彼は前を向いた。
逃げない。怯えない。目を背けない。
例え出口のないトンネルでも、進み続ける。
彼はそう決めた。
正義は腕を離し、愛誠の顔を正面から見据えると、ニコリと微笑んだ。
20年における彼の闇は今、取り払われた。
「さあ、帰ろう。みんなが待っている」