其の三十六 ジュウVSイシュブルグ
同時刻。
宮殿の中央広場。イャンクッドが戦ったその場所で、魔術士リリアナが倒れていた。
絨毯に穴を開けられて飛行能力を半ば失いながらも、かろうじて致命的な墜落をまぬがれることができ、不時着したのである。
「……うぅ」
うめきながら、ゆっくりと体を起こす。減速しながらとはいえ、体に受けたダメージは多大であり、全身が悲鳴を上げていた。
おもむろに周囲を見渡し、地上にいることを確認したリリアナは、続けて空を見上げる。
わずかな小さい黒点が動いているのが見えた。
彼は―――ジュウは戦っていた。
リリアナは少し離れた所に広げられた絨毯を見る。修復は不可能なほどに、ズタボロだった。
『空飛ぶ絨毯』はかなり高密度・高技術の魔法陣と呪文によって創られている。それは先代から代々受け継がれてきたものであり、半人前のリリアナでは修復はおろか、その基礎構造を理解することさえ敵わなかった。
他に空を飛ぶ術を知らない。再び、救出に行くことは不可能だった。
(………でも、どうせ、行ったところで……)
行ったところで、どうにかなるはずもない。
魔神イシュブルグは最強無敵。不死身の肉体。封印するしか生き残る道は無い。
だからといって、ジュウの提案した策は無謀と言わざるを得ない。不可能と言っても良い。
それでも、彼は確かに笑っていた。
(「やってみなきゃ、わかんねぇだろ!」)
敗北を疑うことなく、信念のまま、勝利を信じて。
彼は立ち向かった。最強無敵の魔神へ。
リリアナは―――立ち上がった。
彼女は、彼女自身のために、なにより、一人の友の為に立ち上がった。
ここでへし折れている場合では無い。例えあの場所にいけなくても、ここから援護する手もあるはず。
(だけど……どうやって……)
リリアナは空を見上げながら、あらゆる長距離攻撃用の魔術を脳内検索するが、どれも決め手に欠けた。複雑な準備と長い時間を要する上に、この距離ではまともに当てられるとは限らない。
魔術師リリアナは考える。
その時、彼女は初めて、その場にある巨大な噴水の存在に気付いた。
広場中央。高さ数メートルまで水が吹き上げられ、空中で霧散する。カラカラに乾いた地方であるにも関わらず、その一帯だけはその噴水により、涼しげな湿った空気が流れていた。
そして、
「…………!!」
彼女は閃いた。
少なくとも、魔神と互角の条件で勝負できる最善の策を。
*
そして上空。ジュウVSイシュブルグ。
ジュウはすでに何回立ち向かい、跳ね返されたか分からなかった。
飛び掛かっては跳ね除けられ、偶然に頼るように近くの浮遊石に着地する。その繰り返しである。もちろん、魔神イシュブルグにダメージはわずかさえ無い
しかもその度に、足場である浮遊石は、魔神によって破壊されていた。ジュウを標的としているより、浮遊石の破壊について重点を置いているようだった。
じわじわと。いたぶるように。精神的にも、肉体的にも、窮地へと追い込む。
「無駄だ無駄。いい加減理解することだ。何百回。何千回。何万回拳を当てようと、ワシは倒れんぞ」
魔神はクククと含み笑いをする。
それは、明らかな事実だった。いずれ足場が無くなってしまうのは時間の問題。
ジュウは一旦、攻撃態勢を解くと、「う~ん」と腕を組み考え始めた。
そして、閃いた。
ニヤリと不敵な笑みを見せると、
その石から飛び降り、そしてその石を蹴飛ばした。
自ら足場を失くしたのだ。
「…………… !?」
突然の奇怪な行動に、魔神は一瞬度肝を抜かれたが、その狙いはすぐに分かった。
飛ばされた石は、少し離れた石へぶつかり、さらにその石も他の石へ―――まるでピンボールのように、彼らを囲んでいた浮遊石がぶつかりあい、右往左往、縦横無尽に飛び交い始めたのだ。
その最中、ジュウは、またもや偶然に頼るかのように、飛び交う石へと着地しては他の石へと飛び移る。
いわゆる、撹乱作戦である。空中での素早い移動で、魔神を翻弄しようというのである。
しかし、これには大きな欠点があった。
ここは囲いの無い空中。どこにもぶつからない石は、その空域を脱してしまう。つまり、足場を急激に失ってしまうのだ。
実際。周囲の浮遊石はみるみるうちに少なくなっているのが分かった。
(……ふん。所詮、子供の浅知恵か)
イシュブルグが呆れて失笑する。その時、
「うおおおおおおおお !!」
ジュウが雄たけびをあげながら、イシュブルグに迫った。
それも真正面。足場ほどしかない大きさの浮遊石の上に立っていた。
当然。イシュブルグは彼の存在に気付く。この時点で、撹乱作戦は全く無意味のものとなった。
「……少しは考えろ。小僧!」
イシュブルグは苛つきながら、右手を大きく振り回す。
すると、その爪の一つが剥がれ、さながらドリルのように変形しながら、高速で進んでいく。それは激しい回転をしつつ、ジュウの心臓めがけて向かった。
いわば『爪弾』。一瞬のうちに、ジュウの胸の手前まで距離を縮めた。
だが、ジュウはまるであらかじめ予期していたかのように素早く、足場(浮遊石)の下に潜り込み、それを回避した。
両手でぶらさがるような姿勢。そのまま、なお、浮遊石は慣性に従って前進する。
魔神とジュウ。両者の距離は、およそ5メートル。
「…………!!」
ジュウのねらいは、撹乱ではなかった。
今この瞬間。イシュブルグに接近することが目的だったのである。
何十もの浮遊石がぶつかりあい、移動すれば、おのずと魔神に向かう石も出てくるはず。ジュウは周囲の石に飛び移りながら、そのチャンスを待っていたのだ。
そして今、接近することに成功した。
体が大きく、リーチが長いということは、そこに到達するまでの時間も長いということである。故に、センチ単位で接近されたり、足元にもぐりこまれた場合、対処しきれないという弱点が巨人にはあった。ジュウはそれを本能的に察知していた。
今、ジュウはイシュブルグに対し、完全に死角の位置に居た。胸の前。浮遊石の下で、ジュウは左足を大きく振りかぶり、魔神の顎へ蹴り上げようとする。
しかし、
「………… !?」
ジュウは言葉を失った。
突き出された左足。
そこに、イシュブルグの顔面は無かった。
空気を切る音だけが虚しく響いた。彼の眼前には広大な空が広がっていた。
魔神の首から上が無かった。
「残念だったな。小僧」
低く。どす黒い声が聞こえた。
その発声源は、ジュウの後ろ斜め下。
魔神の厚い胸板から、生首が生えていた。
ジュウがその顔を確認する前に、魔神は行動を起こす。口を大きく開けると、放射状に広がる炎を吐き出した。
それは容赦なく、ジュウに襲い掛かる。
「うわあああああああ !!」
直撃。体が炎に包まれながら、弧を描いて吹き飛ばされた。
完全に無防備な状態。そして、イシュブルグの右掌が横殴りに迫り、再び彼を鷲掴みにした。
「フハハハ! だから無駄だと言ったのだ。ワシは、人間が想像できることならば、大抵のことは実現できるぞ! なんでも願いを叶えることができるのだからな!」
胸に生えた魔神の顔が歪み、そして高らかに笑う。
その生首が引っ込み、再びもとの位置に頭が戻った。
「ふむ。だがしかし、先ほどの攻撃でおまえの狙いは分かった。……確かに、可能ではある。相手がこのわしでなかったらな……!」
ググッと、拳に力を込める。
「が、あああああああああああああああああ !!」
折れた骨が、ヒビの入った骨が、さらに軋み、ひび割れてゆく。
「さて……そろそろ飽いた。こんどは確実に、息の根を止めてやる」
そう言って、左手を掲げる。直後、その人指し指の表面にギザギザ状の歯が現れると、さながらチェーンソーのように、高速で回転し始めた。
そしてそれを、右拳の上へ。ジュウの首の真横へ運ぶ。
狙いは、首の切断。
「………ぐ……ぎぎぐぁ……ああ… !!」
ジュウは必死に体をよじり、脱出しようともがくが、それも敵わない。
銀色の残像が、死の面影を伴って目の前に迫る。
「さらばだ、小僧」
最後にニヤリと、イシュブルグは今までで最高に歪んだ笑みを見せて、
そして、その人指し指を振る。
その時だった。
突如。彼らの視界が真っ白になった。
「…………!?」
白。一面真っ白。とはいえ、それは失明したというわけではなく、彼らの周囲一帯が、大きな白雲に包まれたのだ。
しかも、それは本物の雲のような水蒸気でできた雲ではなく、明確な色を伴ったモノだった。
さらにそれは、彼らを強引に下から押し上げていく。突然の現象に一瞬、イシュブルグはひるみ、その手を緩めた。
ジュウはその隙を逃さなかった。最大の力でイシュブルグの手を内側から蹴り飛ばし、その反動で脱出した。
イシュブルグがそれに気付き、再び捕まえようとするが、視界は不明瞭。その雲のなされるがまま、彼らは上へ上へと押し上げられる。
そして、空が開けた。
気付くと、そこは雲の上だった。
四方1キロ程。真っ白な雲が広がっていて、その上にジュウは立っていた。
「うおおおお! なんだこりゃあ !?」
ジュウは興奮し、大仰に辺りを見回した。
広大な足場が出来ていた。
イシュブルグも少し離れた所にいて、不愉快そうに顔をしかめた。
そして気付く。
この雲が、魔力を伴ったものであることを。
「まさか…… !?」
*
彼らの5000メートル真下。
そこで、大々的な魔術が展開されていた。
中央庭園の噴水。それを囲むように、砂をなぞって描かれた簡易な魔法陣。さらに、その庭園一面を覆い尽くす炎があった。
その炎の先からは、白い雲がモクモクと大量に噴出されていた。
その魔術名は、『クラウディア・ステマ』。術者の想像する雲を創りだす魔術である。
魔術は直ぐに発動できるものではなく、高度なものほどその時間は長い。しかし、ある代用物を使用すれば、短時間で発動できなくもない。
その魔術の必要条件は『水』と『炎』と『風』。
本来、この3つの要素を含む複雑な魔法陣を描く必要があるが、リリアナは『噴水』と、手元にあった燃える聖水『フレアリキッド』、急いで作り直した刃風扇によるカマイタチをそれぞれ、『水』『炎』『風』の代用とし、魔法陣を簡略化したのである。
創りだす雲は『触れる』雲。ジュウの足場を作るために、彼女はこの魔術を発動したのだ。
リリアナは庭園の直ぐ傍。屋内において、大量の熱を顔面に感じながら、長々と呪文を唱え続けていた。高度な魔術ながら、その呪文も膨大。間違えないように細心の注意を払いながら、彼女は唱え続ける。
強く想うのはただ一つ。
―――ジュウを、死なせはしない!
彼女は、遥かその先を見据えるように、空を見上げる。
(アタイができることはここまで。後は任せただわさ……!)
*
「……小娘の分際で。小癪なマネを………!」
イシュブルグは歯をギリリと噛み締めながら、視線を落とす。魔神の魔術ならば、雲を透過して、衛星のごとく地上の様子を伺うことは造作も無いことだった。
「んん? なんかわかんねぇけど、これで互角に戦えるぞ!」
ジュウは笑い、構える。
半身を傾けた、素人のような構え。イシュブルグはそれを見て、フンと鼻で笑った。
「……まあいい。些少なことよ。足場があろうがなかろうが、このわしに勝てるものは存在せぬわ………!」
そう言って、魔神は微笑む。
体格差。絶対的能力。不死身性。
足場が確保されたとしても、やはりそれらにおいて、ジュウは何一つ対抗する術を持たない。
「寿命がわずかに延びただけだ。小僧。今度こそ覚悟しろ」
そして、圧倒的存在感をもつその巨大な足が一歩。踏み出された。
その時、
「………んあ? なんだあれ………?」
ジュウは、魔神の遥か後方から飛んでくる、あるものに視線を奪われていた。




