其の三十五 兄妹喧嘩
上空5000メートル。
魔術士。リリアナ=ルミルソンは、一方的な防戦を強いられていた。
それもそのはず。魔術とはそれ相応の準備があって成せる業であり、即防御・即攻撃が求められる戦闘には適さないのである。
手にはカマイタチを起こす魔道具『刃風扇』を手にしていたが、急ごしらえだったために三回ほどで効力を無くした。故に現在、リリアナは魔神の攻撃を、その空飛ぶ絨毯で回避し続けるしかなかった。
切り落とした左手も、再生魔術ですでに生え変わっている。脅威は依然、続いていた。
「フハハハハ! どうした! リファエルの末裔よ! そんなに空を飛ぶのが好きなのか !?」
小馬鹿に、魔神は嘲笑う。
飛び交う火の弾。拳。針のムシロ。凍てつく息。
リリアナは全神経を足に集中させ、重心を機敏に変えつつ、飛び回り、回避する。魔術士ゆえに、非力な彼女にとって、どの攻撃も一発でも当たれば致命傷。
彼女の額に汗が流れた。
彼女が負けるのは時間の問題だった。いずれ集中力が途切れて、避けられない攻撃が来るはず。
さらに言えば、魔神は不死身の存在である。いかなる攻撃も通用しない絶対無敵の存在。
魔神に勝つ方法はただひとつ。『封印』のみである。
しかし、その封印術式を行うことも、もはや敵わない。
(くそっ……一体どうすれば…… !!)
焦りと不安が、彼女の動作を次第に鈍らせる。
魔神はその一瞬を見逃さなかった。
岩のような巨大な拳が、容赦なく彼女に襲い掛かった。
(………… !!)
回避する隙も、余裕もなかった彼女は思わず、腕を前に身構える。
その時。
ズズンン!
鈍い音が聞こえた。
次の瞬間、魔神が繰り出した拳は、彼女の横数メートルを横切った。魔神は体をくの字に折り曲げ、不自然な体勢で浮いている。
その音は、魔神の腹に、ジュウの拳が深く突き刺さった音だった。
「…………… !?」
魔神は思わず言葉を失う。
ダメージは如何ほども無いが、いきなりの不意打ちと、現れるはずのない人物の登場に動揺し、一瞬、硬直した。
ジュウはさらに、その腹を蹴り飛ばすと、その反動でリリアナの絨毯へと飛び乗った。
「よお。無事だったか?」
ナハハと笑い、笑顔を向ける。
「あ、あんた。なんでこの高さから落ちて……それに、どうやってここまで―――」
「リリアナ。どうやったら、あいつに勝てるんだ?」
遮るようにして、ジュウは訊く。
その目は、真っ直ぐと魔神を捉えていた。
「か、勝つって……やっぱり、封印するしかないだわさ。でも、その発射台は壊れたし……」
「でも、魔法陣は生きてるんじゃねぇのか?」
「え? そ、その通りだけど……」
「じゃあ、別に発射しなくてもいいよな?」
「?………! ま、まさか……!」
「何をごちゃごちゃ話している」
低い、闇の底から響くような声が、彼らの話を遮った。
魔神。イシュブルグは、瞳のない視線でジュウを睨んでいた。
「……どんな手を使ったが知らんが、おまえが死にたがりということは分かるぞ。ワシは不死身にして最強。発射台を失われた今、もはやワシに勝つ術はないのだ……!」
勝ち誇った笑みを浮かべる魔神。
しかし、ジュウはニヤリと、挑発的な笑みを返した。
そして、素人のような戦闘の構えを見せる。
「む、無茶だわさ! あんなの相手に、そんなこと……!」
「そんなの……やってみなきゃわかんねぇさ!」
その言葉に、一切の不安も、恐怖も無かった。
そして、第一歩を踏み出し、魔神に向かって飛び掛る。
「いっくぞおおおおおおおおおおおおおおおお !!」
雄雄しく、情熱的な咆哮。
しかし、それとは対称的に、魔神の行った動作は冷静で、単純なものだった。
右手を前に差し出し、その一指し指から、黄色い怪光線を放った。
「……… !!」
ジュウはそれを見て間一髪。空中で身を捻り、ギリギリの所でかわした。
しかし、その背後にいたリリアナは無事で済まなかった。
「 !! キャアアア!」
絨毯の姿勢が途端に崩れ、リリアナが絨毯と共に落ちていった。その光線は絨毯に穴を開け、その飛行能力を半減させたのだ
「!! リリアナァァァァ !!」
自らも空中で落ちる中、その様子を視界に捉える。そして、そのまま彼も再び、地上へ落ちていくと思われた。
しかし、そうはならなかった。
彼の体は、とある岩盤によって支えられた。
ピラミッドを構成していた、石の塊だった。
先刻。第三層から魔生物と共に飛び出した際と、魔神が射出台を破壊した際に飛び出た岩盤が、その浮遊能力を失わず、ピラミッド周辺に漂っていたのである。
ジュウはその浮遊石の上で、落ちていく絨毯とリリアナを視界に収めた。奇しくも、先刻のリリアナと同じ状況だった。
「ふん。運の強い小僧だ」
魔神は、邪悪な視線でジュウを見下ろす。
ジュウはリリアナを落とされた怒りから、キリッと睨み返した。
「だが、これでおまえの足場は限られた。空も飛べない人間が、どう足掻こうというのだ……?」
「……空が飛べなくても、魔法が使えなくても、俺は終わらない」
強い意志で、はっきりと言い放つ。拳を固く、握り締めた。
「たとえ、色黒魔神が相手だろうと……」
そして再び、右足を蹴り出し、魔神へと飛びかかった。
「俺の冒険は、終わらねええええぇぇぇぇぇ!!」
魔神は、薄く笑みを浮べ、彼の到来を待ち受ける。
*
その頃、地上では、ナニワを含む、数名の戦士達が、一同にして空を見上げていた。
たった今、まるで空を飛ぶように、跳び上がった少年の姿を追っていた。
「いける気がする」と、なんとなく呟いてからジュウがとった手段は、ごく単純なものだった。
5000メートルの距離をゼロにするまでの、超跳躍。
それは、もはや人間の身体の限界を超えている。
人々は驚きに口を開けている中、ナニワはたった一人、歯を噛み締めて、空を見上げていた。
そして、怒りと、悲しみと、悔しさが混ざったような表情で、ポツリとつぶやいた。
「……あの、馬鹿…… !!」
その手には、【臆病な英雄】が握られていた。
*
武町正義は一人だった。
たった一人。王座に座り、うなだれていた。
(どうして……どうして、こんなことに……)
どうしようもない、喪失感に囚われていた。
なにも成すつもりもなく、なにをするつもりもなく、己の絶望的な現実に、ただただ悲観する。
(どうして、僕は……)
その時。
静寂に包まれた広い王室。その中に、とある雑音が入り込んだ。それはバルコニーの向こう。正面入り口の向こう側から聞こえるものだった。
彼にとって聞きなれた音だった。
正義は思わず立ち上がり、バルコニーからその様を遠くに眺める。
アラマドの馬車が、街の中央通路を、真っ直ぐにこちらへ向かっていた。
操縦者はサィッハ王子。体全体がせもたれに押し付けられ、苦痛に顔を歪ませている。馬車の中には、デカチョーが居た。
「……そうか。まだ、その方法があったな……」
正義は向かい来る馬車を眺めながら、ぽつりと呟いた。
【我侭放題】を攻略する方法。それは、対象者以外の者に牽引させることである。
キーワードは正義団。彼らは総じて、磁力に阻まれて正義の下に辿りつくことができない。
そこで、正義団以外のモノに引っ張ってもらうことで、攻略したのである。
動物のアラマドは、その意味で最適だった。
強い牽引力を持ち、操縦士の手綱に従って行動する。操縦者と搭乗者は磁力で体が押しつぶされるものの、アラマド馬車なら不可能ではない。
前々から講じられていた作戦ではあったが、城の周りを常に魔神が監視していることと、辿りつけても磁力で制限されて戦えないということから、頓挫していた。
しかし今、この場に魔神はいない。戦うことはできないが、話し合うことはできる。
アラマド馬車は、正面大門まで到達すると、そのままの速度で屋内へ進んだ。
「! まさか、ここまで来るつもりか?」
そのまさかだった。
ガツッ ガツッ ガツッ
階下から、乱暴的な蹄の音が聞こえてきた。
それは次第に大きくなり、そして
正義の背後。階段を越えて、彼らはやってきた。
至る所にぶつけたようで、布の屋根は破け、あらゆる部品が傷つき、破損していた。王子は接近したことで強まった、さらなる磁力に顔をしかめ、手綱を握って体勢を保つのがやっとの状態である。
その状態で、
「……セイギ……! どうして……?」
すがるように、彼は問いかけた。
「…………無事で何よりです。王子」
「どうしてこんなことを! 敵はもういなくなっただろう! 昔のように、またここで暮らせるんだぞ! 元の世界に帰れなくても、まだ我らがいるだろう! お願いだから、絶望しないでくれ!」
「……………………」
「貴方が望むのなら、この国の王になっても構わない! むしろ、余はそうしてほしい! 余は、王の器ではない! 貴方なら、きっと私達を------」
「------黙れ !!」
正義はたまらず、サィッハの懸命の言葉を遮るように激昂した。
これまで見せたことの無いような、苛立ちの形相を浮べていた。
サィッハはその豹変に、声を詰まらせる。
「もう……うんざりなんだよ! 君達のその態度が、ますます僕を苛立たせるんだ! もう僕に構うなよ! 顔も見たくない !!」
「? セイギ……一体、何が気に食わないんだ?」
サィッハは眉をひそめて問う。
正義の心中が、わからなかった。
正義は、一息おいて
「……とにかく、僕はもう、何もするつもりはない。この城で静かに暮らすだけだ。放っておいてくれ………」
顔をうつむかせ、生気のない声で言い放った。
その時。
「そうは、いかない……!」
そう言って、身長190センチの元少女は、馬車の中から身を乗り出した。
武町愛誠。通称デカチョー。
彼女は
二本の足で、地面に立っていた。
「!? マ、マナトさん……!?」
目を剥かせるサィッハ。
現在も、【我侭放題】の効果は続いている。決して、二本足で立つことなど不可能なはずである。
しかし、デカチョーは、まるで磁力が働いていない様子で、正義の元へ歩き出していた。
「………ば、馬鹿な…… !? なぜ、磁力が効かないんだ……?」
正義も動揺は隠せなかった。
デカチョーは静かな声で言う。
「……どうしてか分からないけど、国の中に入った時点で、すでに磁力は働いていなかったよ。……王子さんには言いづらかったけど」
傍目で、王子が少しショックを受けたのが見えた。
「でも、これだけは確かだ。兄ちゃん。アタシは『正義団』としてじゃなく、『武町正義の妹』として、ここまで来た! 兄ちゃんに、鉄拳制裁を与えに来た!」
そう言うと、彼女は右手に嵌めた指輪を取り、あらぬ方向へ投げ捨てた。
直後、彼女の体が一瞬光り輝いたかと思うと、元の小学五年生のデカチョーが姿を現した。
『妹』になった。
そして、耀纏流空手の構えを取る。
「……自ら勝機を捨てるのかい? 大人の姿ならおそらく、ぼくにもひけをとらないよ」
「アタシは、アタシのまま、決着をつける……!」
「………」
正義は何も言わない。何も語らない。
そして、無表情のまま、彼も構えた。両手を胸の前に。耀纏流柔道の構えである。
「決意は固いようだね。こうなったら、力づくでもおまえをここに住ませるよ。外で生き延びられる保障は、どこにもないから……」
相対する兄弟。柔道と空手。
妹と兄。正義と正義。
思いは交錯し、そして激突する。
「久しぶりに、兄妹喧嘩しようぜ。兄ちゃん……!」