其の二十七 ラカスVSデカチョー
一方。ムラマハド城近辺。
「い、いったい何が起こってんねん……」
馬車の中でナニワがつぶやく。ルゥンダにより、身体に包帯が巻かれていた。
今。彼の視線の先では、一人の少女と、一人の青年が戦っている。
少女が上段回し蹴りを放つと、青年は身体を低く沈めて避ける。と同時に水面蹴りを軸足に放つが、少女は軸足を上げて避け、空中へ。直後、体重をめい一杯かけて肘打ちを仕掛けるが、青年は転がるように移動して回避した。
デカチョーとラカスの対戦は、息つくひまもなく、激しい攻防を繰り広げていた。
ナニワはふたりのめまぐるしい攻防に驚く。ルゥンダは、直前まで仲間だったはずの男の思わぬ裏切りに、戸惑いを隠せなかった。
やがて、二人の距離が離れ、動きが停止する。
デカチョーが肩で息をしているのに対し、ラカスはなお涼しい表情である。
(………こいつ。強い!)
デカチョーは心の中で叫ぶ。
老若男女。耀纏道場であらゆる人と試合をしたが、その中でも特に強いと確信した。彼女の放つ攻撃がまるで当たらず、また彼の攻撃も鋭く、防ぐのが精一杯の状態だった。
一瞬でも油断すればやられる。そう確信していた。
しばらくの沈黙が流れる。
突如。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
遠くから地鳴りのような音が聞こえてきた。その場にいた全員がその音の方向を見る。
遠く離れた所。大きく砂が盛り上がって、それが次第に迫ってきているのがわかった。
砂波。
この砂漠の至る所で頻繁に起こる謎の現象。それが、デカチョー達に向かってきたのである。
「!? な、なんやあれ!?」
「このままだと飲み込まれる! 早く逃げないと……!」
ルゥンダはすぐさま馬車前方の操作席へ。アラマドのたずなを握り締める。
人の足では逃げ切れない。
「デカチョー! 一旦乗れぇ!」
ナニワが馬車から顔を出して、大声で呼びかける。
その直後だった。
「…………」
ラカスがいつのまにか、彼らの乗る馬車の真横まで移動していた。
「! なっ……!」
思わず息を飲むルゥンダ。
そして彼は行動を起こす。
アラマドの胴を思いっきり蹴飛ばしたのだ。
“ブッ……ブルヒィィン!”
奇声をあげながら、アラマドは興奮し暴れ出す。ナニワ達を乗せ、行き先もデタラメに走り出した。手綱を操っても、制御しきれない様子だった。
「う、うわぁ!」
馬車の中はガタガタと激しく揺れて、ナニワが身体を大きく打ち付ける。
そして、砂波が及ぼすであろう範囲外まで去っていった。
その様子を見て
「ちょ、ちょっと! 何するんですか!」
デカチョーが鼻息荒く、問い詰める。
対して、ラカスは静かに言い放つ。
「…………ヌシを、逃がしはしない」
細い目を、デカチョーに向ける。
つまり、デカチョーを馬車の中に逃がさないために起こした行動であった。
砂波に襲われながらも、戦いを優先したのである。
「………!」
絶句するデカチョー。一瞬、背筋が凍る。
そうこうしている内に、砂波はすぐそこまで迫っていた。
ラカスは無表情のままそれを見た後、視線をあるものに移す。
戦士達が乗っていた、他の馬車である。アラマドは戦士が乗っていったため、残っていない。
ラカスはすぐさまそれに向かい、屋根部分に上った。砂波の被害を逃れるために、少しでも高い位置に登ったのだ。
数秒遅れて、デカチョーもそれに気付き、ラカスと同じ馬車に登る。
その直後、砂波が直撃した。
ズシャアアアアアアアアアアア!
高さ三メートルほどの波が馬車を大きく呑み込む。
しかし、半分が砂に埋もれたものの、屋根部分は影響を逃れた。大きく盛り上がった砂から半分顔を出した状態で、馬車は砂波に巻き込まれ、流される。
二人は若干バランスを崩すものの、屋根の上から振り落とされることはなかった。
そして、そのまま戦いが再開した。
この状況であるにも関わらず、ラカスがいきなり、中段蹴りを放ったのである。
「うわッ!」
デカチョーは突如放たれた攻撃に驚きながらも、腕で十字をつくってこれをブロック。すかさず、ラカスは猛追をしかける。
(………正気……!?)
面食らうデカチョー。この状況で戦いを再開すると思わなかった。
しかし、反撃しなければ砂波に叩き落されてしまう。
狭い足場の中、デカチョーは小刻みに動き回り、彼の攻撃を避け、または突きや肘撃ちを繰り出す。
馬車は常に揺れ続け、かなり不安定な状態である。まともに姿勢を保つのもやっかいなこの状況で、戦い続けられる彼らのバランス感覚は、超人級といってもよかった。
しかし、やはりラカスのほうが一枚上手だった。
「うぐっ!」
ラカスの後ろ蹴りをまともに受け、デカチョーが後方に吹き飛ばされた。
足が宙に浮く。後方は砂の波の中。
しかし、デカチョーはすぐに反撃に出た。
一瞬。視界に入った屋根の縁を両手で掴むと、馬車の中へ身体をもぐりこませる。
そのまま、遠心力を利用して
「でりゃああああああああ!」
デカチョーの右足が屋根の中から突き破り、ラカスの右ふくらはぎに直撃した。
「………!」
ラカスは不意をつかれ、バランスを崩し、外へ投げ出された。
しかし、砂波に巻き込まれることはなかった。放り出されると同時に砂波が止み、その動きを止めたのだ。
ラカスが砂の上で受身をとって着地し、素早く立ち上がる。デカチョーもそれに続いて、馬車から飛び出した。
再び両者がにらみ合う。
ふとあたりを見回すと、そこは城下町のすぐ近くだった。
大型生物避けと、匂い標のためのツノサボテンが周囲に並び、石畳で舗装された道が見える。
(……あそこのほうが、いくぶん戦いやすいか……!)
一瞥するデカチョー。
砂の上では足をとられやすい。ただでさえ手ごわい敵である。
すぐさま街の入り口まで走りだした。ラカスもそれに並んで走り出す。
ツノサボテンの群生を抜け、石畳の上へ到達。
直後。目を合わせるや否や。
ラカスが猛スピードでデカチョーへと迫ってきた。
3メートルの距離が一瞬で奪われた。
「………!」
鋭い踏み込み。体勢は低く、いとも簡単に懐に潜り込まれる。いまだかつて、味わったことのない経験だった。
驚きに息をするのも忘れる。
そして、腹部に強烈な肘打ちをくらった。
「………くっ!」
デカチョーは反射的に後ろへ跳び、ダメージを減らした。
だが、跳んだ方向が悪かった。
ドアのない入り口を通って、とある民家の中へ這入りこんでしまったのだ。
壁に身体を思い切り打ちつけ、寄りかかるように腰をおろした状態になる。
「ひ、ひぃ!」
中には中年の女性。それに小さな男の子がしがみついていて、畏怖の目を向けていた。
「あ! ごめんなさい!」
思わず、謝るデカチョー。
わざとではないにしろ、不法侵入。どこまでもモラルに厳しいのが彼女のアイデンティティだった。
しかし、それが命取りになる。
ラカスは彼女達を見据えて、
「……………」
すかさず、猛追をしかけた。
民家の中へ飛び込み、正拳をデカチョーの顔に叩き込もうとした。
彼女は間一髪。転がるようにしてその拳を避けた。
ドグァン!
拳は壁の中に勢い良く減り込み、石の破片を撒き散らした。
「………っ!」
デカチョーがそのひびが入った壁に思わず声を失う。
一瞬で間合いをゼロにする瞬発力。壁を粉砕する腕力。
イャンクッドほどではないにしろ、その膂力には驚ろかざるを得ない。リアルな破壊力だけに、脅威を感じた。
ふと、デカチョーは、女と子供が怯え震えている事に気付き、盾になるようにラカスの間に立ちふさがった。
「ちょ、ちょっと待ってください! ここでは住民に被害が……」
一旦戦闘を中止しようとするが、
彼は待たなかった。
「……………」
無口。無表情のまま。さながら人形のように。
彼女の顔めがけて、とび蹴りを放った。
避けるわけにはいかない。彼女の後ろにはまだ女と子供がいる。直撃すれば怪我はまぬがれない。
デカチョーは腰をおとし、安定させ、腕でバツの字を作ってとび蹴りを真っ向から受け止めた。
衝撃が骨を、内臓を、肉を、伝わる。
「ぐぅ……!」
おもわずうめき声をあげる。ラカスは、後ろに飛び上がってもとの位置に着地した。
「あ、ありがとうございます……!」
女は礼を言いながら子供を連れ、家の外へと逃げ出す。
デカチョーは、それに応える余裕もなかった。
腕が激しくしびれ、指もまともに動かせない。
その状態で。
「……なんで攻撃をやめてくれなかったんですか…?」
眉間に皺をよせて、ラカスをギロリと睨みつける。
「………」
ラカスは喋らない。再び構え直して、対峙するのみ。
「……もしかして、アタシと戦えれば、他の人はどうなってもいいっていうんですか……?」
そう感じた。
先ほどから、彼は戦闘のみに集中しているように感じた。砂波が襲ってきても、街の中へ移ったときも、民家の中に這入った時でさえ、ラカスの目は彼女を捉えて離さない。
いわゆる『戦闘狂』。
戦闘前に言い放った言葉を聞いてから、直感的にそう思った。
そして、それは確信に変わる。
「……我には関係無い」
短く、そう言い放った。
「しかし、周囲の者がヌシの気を散らすのも確かである。ならば―――」
と、後ろを振り返る。
民家の外。いつのまにか取り囲んでいた野次馬を見回して、
「―――我が排除しておこう」
拳を添えて構える。
無表情。無感情。
ただ淡々と、彼はそう言い放った。
戦いの邪魔になるものは片付ける。たとえなんであろうと、彼には関係ない。
そして
人を人とも思わぬその言葉が、デカチョーの逆鱗に触れた。
拳を握り締めて、屋外に出ようと進むラカスの前に立ちふさがる。
「……ふざけるなよ……」
ボソリと、しかしはっきりと。
目上に対する、丁寧言葉を止めて。
「今、分かった……おまえは悪だ!」
構える。耀纏道場独自の構え。
右腕を顎の下に、左腕を左腰の脇に添える。
「鉄拳制裁をくらわしてやる!」