其の二十六 迷路の層
リリアナ=ルミルソンは心底後悔していた。
一面の焼野原。足の裏にインクをつけて魔法陣を描くという試みだったが、それは足が速いからといって、スイスイと事が進むことはなかった。
魔法陣を描く為には当然、直進のみならず、複雑な方向へ進むことが要求される。上空から指示を与えるも、ジュウは対応しきれず、間違った箇所まで走ってしまうことが数え切れないほどあった。不器用な彼にとっては仕方の無いことである。
結局、無駄な部分を雑巾がけにより削除する作業も合わせて、のべ一時間もかかった。
(……海に叩き落せばよかっただわさ)
現在。魔法陣の完成により開けた、第二層へと続く梯子を下りながら、リリアナは後悔する。
作業の最中、常にうんざりしていた様子のジュウであったが、梯子を見つけたとたん再び目を輝かせて、リリアナの下で嬉しそうに梯子を降りている。
凄く表情の変化が激しい。
「なあなあ! おまえの使ったあのヘンテコな水! なんなんだ?」
降り始めてからしばらくして、ジュウはリリアナを見上げて疑問をなげかけた。大分長い梯子である。降りるのに飽きたのかもしれない。
「だから言っただわさ! アタイは魔術士だって! あれはアタイの作った『魔道具』だわさ!」
「? まじゅつ? 魔法みたいなもんか?」
「ハッ! これだから素人は!」
急に偉ぶって、鼻で笑った。
「この際だから、魔術について懇切丁寧に説明してやるだわさ!」
と言い出して、説明を始めた。
彼女にとって、素人に対して魔術のうんちくを説明するのは、わりかし好きなのであった。最近は、めっきりその相手が少なくなったため、内心、喜んでいる面があった。
「魔術とはつまり、大地、海、風など、自然に流れるエネルギーを『魔力』という力に変換して、活用する学問だわさ。そのためには、『魔法陣』『呪文』『魔道具』の3つのうちいずれかを使用する必要があるだわさ。対して魔法とは、そのうちどれも必要とせず、生身の体だけで魔術と同じ力を実現させる技術だわさ。だけどこれは、ただの夢物語だわさ。理論的には、人間の体の中に自然エネルギーと同等のエネルギーがあれば実現できるけど、果たしてそんなものが存在するかどうか明らかでない。魔法という言葉は、とある魔術士が描いた架空の方式にすぎないだわさ」
そこで一息溜めて、
「……しかし、この『魔法』に限りなく近い形で実現させている者がいる。それが、暗黒の魔神。イシュブルグだわさ」
梯子を降りながら、一際声を低くして言う。
「あの魔神は、肉体そのものが『魔法陣』であり、『呪文』であり、『魔道具』なんだわさ。周囲の自然エネルギーを吸収して、無限大の魔力を作り出す、最強無敵の召喚生物だわさ………!」
と言い終えてから、ふとジュウの気配がないことに気付いた。
下を見る。
ジュウが消えていた。
「…………は?」
※
やがて地下のフロアに到達した。
いの一番に見たのは、鼻ちょうちんを膨らませながら大の字に寝ているジュウの姿だった。
難しい話が苦手な彼は、梯子を下りながら居眠りをして、そのまま落下したらしい。床には衝突によって大きな亀裂ができている。にもかかわらず、本人は無傷で、幸せそうに眠っていた。
「………なんなんだわさ。コイツ」
異端中の異端すぎて、わけがわからなかった。
ここまでの変人は、さすがの彼女も求めていない。
しかし、これは好都合と思い立ち、放っておいて先に進もうと考えた。この少年。邪魔以外の何者でもない。
その矢先。
「ふわぁ。よく寝た」
ジュウが気だるそうに起き上がってあくびをした。リリアナが「チッ」と大きな舌打ちをする。
「ん?……んおおお !? なんだコレ!」
眠気はぶっとんで、目を大きく見開いて周囲を見回す。
リリアナ達が降りたところは、青色の壁が取り囲む、円形の小さな空間だった。その一端から細長い道が続いている。
ジュウは嬉しそうに、その道の先に向かって走り出した。
道の先には、さらに壁があった。行き止まりと思いきや、左右にさらに道が続いている。その突き当たりも同様である。
つまり、
「ナハハハハ! 迷路だぁぁ!」
鼻息荒く、弾むような声。その顔は満面の笑顔だった。
「よぉし! オレが1位だぁぁ!」
ナハハハ!と笑いながら、誰とも競争しているわけでもなく激走。曲がり角へと消えていった。
「…………」
その様子を引き止めることなく、引き止める暇もなく、リリアナは呆然と見ていた。
「……ま、邪魔者がいなくなってよかっただわさ」
安心したようにそう言うと、肩に掲げた巨大なバックを下ろし、ある魔道具を取り出した。
それは髑髏の形をした置物だった。
人のサイズの倍の大きさ。両目から、赤色と青色の長い導線のようなものが2本伸びて、それぞれの先に吸盤がある。リリアナは赤い導線の吸盤をもつと、それを近くの壁と接着した。
数十秒経過。すると、髑髏の目が赤く怪しく光り、その口が激しく上下し始めた。カタカタカタ……という音を鳴らし続ける。
やがて、その口の隙間から細長い羊皮紙のようなものが出てきた。髑髏の歯がその紙を何回も激しく挟みこむ。それによって、紙の表面に黒い跡(■)が点々と打たれていた。
全面ではなく、挟み込む度に打たれる箇所が変化。歯は10個あり、■は一個から最大七個まで、全くバラバラに列を成していて、大きな点字のようだった。その様子は、測定器がデータを紙に印刷するよう様に似ている。
しばらくすると、リリアナの前に全長10メートルはあろう、長く繋がった羊皮紙が、表面に多くの■を映して現れた。
「……さすが伝説の魔術士。ひとすじなわにはいかなそうだわさ」
それをしばらく眺めてから、リリアナがつぶやく。
「だけど、解読術はアタイの得意分野。ここはやらせてもらうだわさ!」
そう言うと、カバンから羊皮紙を数枚と、羽ペン、魔道書数冊を取り出して、床に広げた。
彼女の一連の行動についての理由を述べるとして、まず結論からいうと、彼女らがいるこのフロアは、迷路ではないということだ。
実は、この壁は一メートル感覚で区切られていて、それぞれの壁が、床から天井にかけた軸を中心に、あらゆる角度に回転するような仕組みになっている。このフロアで魔法陣を描く方法。それは、この壁ひとつひとつを動かして、魔法陣の形を作ることだ。迷路に見えるのは、製作者がしかけたブラフである。
しかし、手動でひとつひとつ動かし、魔法陣を作るわけにはいかない。
さきほどと違い、上空からの視点はないし、時間と労力を大きく必要とする。しかも、どの方向に、どのような手順で動かせばいいのか。高度な次元力と論理的思考が問われるのだ。
しかも、壁を一つ動かしはじめると、どこからか水が流れ出てきてフロア全体を浸水させるというから、手作業でじっくり長い時間をかけて行うのはほぼ不可能。死の危険を伴う。
従って方法はただひとつ。遠隔操作で、壁をほぼ同時に動かすことである。
そのために、それぞれの壁は魔力を帯びている。これらを解析、解読することで、フロア全体の魔力配列を知ることができる。いわゆる、コンピュータのプログラムのようなものである。
あとは、このプログラムを元に、新たなプログラムに書き換えて、入力することで、魔力配列を変え、壁の向きを変え、魔法陣を描くことができるのだ。
現在、魔道具『スペルスカル』を使用して魔力配列を記号化したところである。これを一般用語に翻訳した後、新たな魔力配列に書き換えなければならない。そのための情報は、描く魔法陣と共に攻略書に記されていたため、リリアナは即時に行動に移せることができたのだ。
しかし、その記号量は膨大であり、翻訳が得意と自称するリリアナも、全ての作業を終えるまで一時間もの時間を要した。
「はぁぁ……やっと終わった……だわさ」
深くため息をついた後、長々と背伸びをする。
リリアナの目の前には、子供がふざけて描いたような、グニャグニャの文字がびっしりと書かれた紙があった。その文字は、魔力配列を示す『魔力配列文字』。その紙は、『スペルスカル』入力用の、特殊な繊維で織られた紙である。
「あとはこれを、ここに入れて、と」
リリアナは、その紙を小さく筒状にまるめて、『スペルスカル』の鼻-----三角形の穴に詰め込むと、壁に貼りついた赤い導線を青い銅線のものと取り替えた。赤の導線が情報の取り込み、青の導線が情報の入力を担っている。
しばらくすると、今度は髑髏の目が青色に妖しく光り出す。同時に、ゴゴゴゴゴと大きな音を立てて、フロア中の壁が一斉に動き出した。
「よぉし。頼むだわさ……」
両手を握り締めて拝む。壁と床、天井がこすれあう音は次第に小さくなり、やがて止まった。
しかし、周囲になんの変化もなかった。
成功ならば、魔法陣に使用されたもの以外の壁が全て床に沈み、中央に、下のフロアへと続く梯子が現れるはずである。
「……あ、あれ?」
冷や汗を一筋。首をかしげる。
直後。
ズシャアアアアアアアア!
膨大な水が流れ落ちる音が響いた。
まるで滝のような音で、振動が壁を伝うほどである。ほどなくして、壁の下のわずかな隙間から水が染み込んでくるのが見えた。
「あ、アワワワワワワ!」
それを見て、リリアナは慌て始める。侵入者を排除するシステムが発動したのだ。
「あぁもぉう! 何が間違ってただわさ !?」
リリアナは『スペルスカル』の鼻に指を入れ、入力した特製用紙を取り出すと、書き出した魔力配列文字を確認して、羊皮紙の■記号と照らし合わせる。
水がすべて浸水するまでおよそ十五分。それまでに入力を成功させなければならない。
*
一方。時は少し遡り。
ジュウはイライラしていた。
「ちくしょー! なんか変だぞこの迷路。ずっと同じ場所歩いてる気がするし、いつまで立ってもゴールできねー!」
小一時間。ジュウは走り続けていて、フロアのほぼ全域を回り終えていた。
しかし、これは迷路ではなく、当然ゴールも存在しない。冒険好きなジュウだが、同じ光景がいつまでも続くと、さすがに退屈を覚えてきた。
その時。
ガツン!
「いでっ !!」
横の壁が急に回転し、ジュウの身体正面に思い切りぶつかった。ジュウの視界が真っ黒になる。
一瞬の昏倒。鼻がつぶれ、鼻血が一筋流れる。
「??……な、なんだぁ?」
半分涙眼の状態。何が起きたのか分からなかった。
直後。滝のような音がドドドドと響き渡り、壁の隙間から水が染み出るのを確認した。
「! おおお !?」
直後、感嘆。壁に囲まれた空間に変化が生まれ、それがジュウの好奇心を刺激した。
自然と笑みがこぼれる。
「もしかして、ソバカスねーちゃんがなんかやったのか? よし! 合流してみよう!」
大きく宣言すると、来た方向も確認せず、再び駆け出した。
彼に冷静な判断というものはない。思うがままに、赴くままに、突き進む。
しかし
ガツン!
再び壁が動き出し。そのひとつに顔面をぶつけた。
「………!」
さらに、痛みに叫ぶ間もなく、背後から回転する壁が迫った。ジュウを突き飛ばし、床へと叩き落とす。
「? ? ? ? さっきからなんだぁ?」
眉をひそめて、顔をむくらせる。
せっかくのワクワクした気分を台無しにされた気がした。
予期せぬ方向から、それなりに痛い攻撃を受けるというのが、一番腹が立った。
依然、ワケが分からないが、渋々と立ち上がり、再び走り出す。しかし、今度は、あまり間をおかないうちに、
ドカッ!
本日4度目の激突。
横から叩きつけられるようになぎ飛ばされ、尻餅をついた。
プチン。
何かが切れた音がした。
「うっがあああああああああああああああああああああ!もう怒ったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
最大怒りマーク。鬼のような形相で弾くように立ち上がると、ジュウは走りだした。
思うがままに、赴くままに、
しかしそれは、壁など関係なかった。
壁という壁を突き破りながら、まるで猪のように突き進んでいたからだ。
拳。頭。足。あらゆる身体の部位をぶつけて、次々と壁を破壊していく。すでにジュウは周囲が見えておらず、まるで獣のように暴れまくった。
浸水し始めた水が、大きな飛沫をあげた。
*
フロア中央。
リリアナが3度目の入力を試みて、失敗した時、すでに水は彼女の腰あたりまで到達していた。
そして
「う……うぐっ……うわああああああん! 分かんないだわさあああああああああああああ!」
混乱の末、ついに大声をあげて泣き出した。
増えていく水かさがあせりを生み、まともな状況判断を失わせていた。およそ40行にわたる魔力配列文字のわずかな間違いを探し出すのが不可能に思えて、彼女の心をへし折った。
あとになって分かったことだが、実はケアレスミスというものではなく、■記号を魔力配列文字に直す公式そのものを間違っていた。
そんなことも知らず、ただ子供のように、涙を滝のように流して叫び続けた。
その時である。
ゴォン! ドドゴォ! ゴガァン!
激しい破壊音が、遠くから聞こえてきた。衝撃で、周囲の水に波紋が生じている。
「??……なんだわさ?」
泣き止んで周囲を見渡す。破壊音がどんどんと近づいてくるのがわかった。
そして、
彼女の目の前の壁が粉砕される。
そこから勢いよく飛び出したのは、ジュウだった。
「……! ジュウ…… !?」
リリアナが目を剥かせて叫ぶ。しかし、
「うがああああああああああああああああああああ!」
まるで聞こえていない。なお獣のような咆哮をあげて、目の前の壁をただ粉砕する。
そして、あっという間に姿を消した。フロア全体を揺るがす破壊音はなお続き、ドゴォンという音と共に、砂埃がパラパラと落ちていく。
リリアナはただ呆然とするしかなかった。
※
およそ十分後。
フロアの壁がものの見事に全て粉砕され、大きな空間が広がっていた。
発動条件となった壁がなくなったことで、浸水トラップも停止して、水位がどんどん低くなっていく。
「……………」
呆然とするリリアナ。彼女から少し離れた場所に、ジュウは居た。
やっと落ち着きを取り戻したところで、周囲を見渡すと、ニカリと歯を見せて笑う。
「あ~すっきりした! ナハハハハ!」
背伸びをして、爽やかに言い放った。
リリアナは、絶句する。
彼の尋常じゃない膂力と破天荒さはもちろんのことであるが、魔法陣を作るための壁がなくなったことに、彼女は大きなショックを受けていた。
しばらくして、再び頭に血が昇り始める。
「あ……あ……あんたってやつは~!」
顔を紅潮させて、ズシリズシリと大股でジュウに向かう。
その時である。
床や天井に、壁の一部が残っていることにふと気付いた。
壁の縁の部分である。
(………! もしかして…!)
その縁部分に力を加えてみる。
軸を中心に、大きく回転した。
「……! こ、これならできるだわさ!」
叫んで、カバンから攻略書を取り出す。描くべき魔法陣を確認した。
上からみて明確にわかるようならば、たとえ壁の一部であろうと適用できるはず。そう考えたのだ。
移動を阻むものはもうなく、視界は大きく開けている。少し大変な作業ではあるが、手作業で魔法陣を描くのは可能である。
しかし、彼女一人ではあまりにも大変である。そこで、
「ジュウ! アンタ、魔法陣作るだわさ! またアタイが指示するから!」
「えええ~! またかよ~」
再び、うんざりするような顔を見せるが、
「黙れ。呪うぞ。死ね」
冷徹に言い放つ。先刻よりも2割増しの殺気で。
そうして再び、あまりにも魔術士らしからぬ、二人の地道な作業が始まった。