其の二十五 投了
どのくらい時間が経ったのか。イャンクッドはすでにわからなくなっていた。
体中が鮮血に染まり、立っているのがやっとの状態だった。
足元はふらつき、目も虚ろである。
《身を捻って、かろうじて急所を避けているようですね。敵ながら天晴れといいたいところですが……そろそろ飽きてきました。王手を掛けましょう》
抑揚なく、木戸は言い放つ。
『鏡』の向こうで、木戸が銃口を向けた。そのとき。
「……お前は……お前達は、平気なんスか?」
小さく、今にも消え入りそうな声でイャンクッドが言う。
《平気? なんのことです?》
「……自分たちの勝手な目的のために……力の無い者を傷つけて、心は、痛まないんスか……? セイギさんのような良心は、おまえらにはないんスか……!」
少年時代をいれて、およそ二十年。正義の化身ともいえる存在、『セイギ』のそばに寄り添い、働いてきた。
彼は常に優しく、争いをなにより嫌う人だった。この戦争も、心の底では望んでいないはずだ。
そんな彼と比較して、城を占拠した三人はどうだろうか?
正義のような良心は、わずかでもないのだろうか?
同じ世界からやってきた住人ゆえに、そんな疑問が生まれ、思わず口に出た質問だった。
しかし
《別に。考えたことないですね》
冷徹に。木戸は言い放つ。
《むしろ彼の行動こそ、私にとっては理解できませんよ。せっかく私たちが帰る方法を示してあげたのに断るとは、馬鹿な男ですよ。いくら20年もの付き合いがあったとしても、相手は所詮幻想で、虚構にすぎないのに。滑稽に他ならない》
「……………」
イャンクッドは、口を閉ざす。
《フフフ……そういえば、あの老人。あなた方でいう元王様ですか? 彼も、滑稽でしたね。魔神が王様を殺そうとした時でした。彼はこう言ったんですよ。『わしはどうなってもいい。財宝も好きなだけくれてやる。しかし、王妃や国民の皆には、手を出さないでくれ』ってね。稲原さんは『いいヨ』といって、王様を殺しました。まあその直後に、王妃さんを殺しちゃうんですけどね》
「……………っ!!」
《そのときのその女の顔といい、王様の使い古されたような庇いたてといったら、滑稽以外のなにものでもありませんでしたよ。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!》
その笑い声から、彼の狂った表情が読み取れる。
イャンクッドは
拳を固く握り締めた。
「……よぉく分かったッス……」
低く言い放ち、槍を前に構える。
鬼気迫る怒りの表情をして
「おまえらが救いようの無い、腐れ外道だってことが !!」
血を吐きながら叫び、激昂した。
正義はイャンクッドにとって親友であり、信頼できる上司であり、かけがえのない仲間だった。
今は亡き王。国王とその王妃は、常に国を想い、偉ぶることは決してなく、国民と同じ目線で未来を見続けていた、良き指導者だった。彼はもちろん、全国民が彼を慕い、敬った。
そんな彼らを冒涜した。
イャンクッドの怒りは、頂点に達していた。
《……言いたいことは、それだけですか? 吼えたところで、今のあなたは何もできませんよ。いい加減、死んでください》
再び、銃口が彼に向けられた。
引き金が引かれる。その瞬間だった。
イャンクッドは懐にすばやく手を入れると、あるものを取り出した。
どこにでもあるような、変哲のない石。
それを握りつぶした。
直後、その手元から大量の砂が噴出した。
まるで圧縮されたガスが一気に噴出するように、砂波のごとく、大量の砂がその手に持っていた石から、放射状に広がるように噴出したのである。
《!! それは………… !!》
木戸はそれを知っていた。
『サィキハの実』を知っていたように、彼はこの世界に住む珍獣や植物、歴史に至るまで記憶していた。それは、一年という長い歳月の間行っていた暇つぶしという面もあったが、いつか来るかもしれない戦いにそなえて、知識を蓄えていたのである。
イャンクッドが持っていたものも、頭の中に記憶している。
砂石
それは石のようであって、石ではない。角ばった形をしているものの、その正体は、およそ10000リットルもの砂が、掌サイズに押し固められたものである。表面から刺激を与えれば、内部に溜った大量の砂が放出するようになっている。砂漠の至る所で発見されており、砂波の現象と関連性があると考えられている。
かくして、イャンクッドが砂石を握り潰し、大量の砂が噴出した結果。
『鏡』の映像は一面、砂で覆われた。
イャンクッドは全ての砂が放出されきるのを待たずして、砂石を空高く放り投げると、槍の中心をもって高くかがけた。
肩から血を流しながら、彼はそれを高速で回し始める。
「うおおおおおおああああああああああああ!!」
手元を中心に、槍が凄まじい速さで回転し、周囲に猛烈な風が巻き起こる。噴出された砂がそれに従って、彼を中心に回り始めた。
巨大な塵旋風が、庭園中に発生した。
*
「……なるほど、考えましたね」
木戸は思わず微笑む。
彼の目の前では、【明鏡止水】(はねみず)に映し出されていた十数個もの『鏡』が、次々に消え始めていた。
砂とは、土が乾燥して粒子になったものである。それは当然、液体を吸いあげる性質がある。特に、この世界の砂はそれが顕著であり、数々の現人達がそれに苦しまされていた。
今、イャンクッドは、塵旋風を巻き起こすことで周囲の壁に張られた液体-----『鏡』を吸い上げ、またはその風により乾燥させて、消滅させているのである。
元々、イャンクッドはこの方法で、乾燥に弱い現人を倒すつもりだった。そのために、砂石をいくつか持参していたのである。
やがて、盆の上に、網の目状に映る数々の『鏡』の映像が消えてゆき、ついに中央噴水の『鏡』を残すのみとなった。噴水は常に流動しているため、さすがに乾燥させることはできない。
「いわゆる、飛車・角落ちというところですか……面白い。やはりこうでなくては」
状況は振り出しに戻った。しかし、木戸は決して落胆することはなかった。
逆に、思わぬ玩具の反撃に、心が躍った。
それに、すでに相手は瀕死状態。ここからの逆転は考えにくい。すでに彼の中で、勝利のビジョンが見えていた。
(彼の体力はすでに限界。いつまでも槍を振り回し続けられるわけがありません。塵旋風が弱まって視界が開けたら、すかさず彼を見つけ、引き金を引けばいい。もし避けられたとしても、再度『鏡』を増やしてスキを窺うだけです)
「……あとは『詰み』に入るだけです」
木戸はぼそりと呟く。
やがて、塵旋風が弱まり、ゴウゴウといった風の音が小さくなっていくのを感じた。わずかながらも、砂の向こうの風景が見え始めた。
そこで、木戸が【明鏡止水】の画面に人差し指で触れて左へと動かし、全方位の状況を確かめる。
そして、イャンクッドを発見した。
噴水から二メートル程の位置。噴水に対し背中を向けた状態で、腰を下ろしてうずくまっていた。
木戸はニヤリと笑い、【水遊戯】を構えた。
「これで詰みです!」
引き金に指をかける。
しかし、その直後。
「…………!?」
引く寸前のところで動きを止めた。
何かに気付き、画面をじっと見つめる。
画面は半分以上が砂で隠れている状態である。その状態で、木戸はある違和感を感じた。
背中を向けたイャンクッド。その背中に、噴水に面を向けるように、等身大のガラスが立てかけられているのだ。
それは、二階に設置された、庭園を鑑賞するためのガラスだった。
塵旋風で視界ゼロの中、彼は記憶を頼りにガラスの真下へ移動すると、最後の力をふりしぼって跳躍し、ガラスの枠部分を斬りぬいたのだ。そして、わざと噴水から見える位置へと移動してから、それを背中に立てかけたのである。
もちろん、それを行ったのには、理由がある。
木戸に打ち勝つ方法。それは、『鏡』を通じて攻撃する他ないと、イャンクッドは考えた。
それは、今にも発砲しそうな銃口に、指を突っ込むのと同様の意味を持った。
そこで選択できる最善の方法とは、『鏡』から弾が飛び出る次の瞬間に、そこにめがけて攻撃をしかけることである。
つまり、ガラスで一度攻撃を受けとめ、その反射音をきっかけとして、直後に噴水の『鏡』に攻撃をしかけるという作戦である。
塵旋風を起こしたのは『鏡』を少なくするためのみならず、『鏡』を噴水ひとつに限定し、さらに視界をゼロにして、ガラスを見えにくくするのがねらいだったのだ。噴水の近くに移動したのは、すぐに反撃しやすくするためである。
また、【水遊戯】は超高速の水を打ち出すが、もとはただの水鉄砲。一回の補充に対し打ち出せる弾は3、4発が限界だった。イャンクッドは何回か攻撃を受けて、それを把握していた。
一度受け止めれば残りは2、3発。多少のリスクはあるものの、面向かって立ち向かう価値はある。
しかし、
「なるほどなるほど……フフフ。やってくれますね」
木戸は不敵に笑う。
「しかし……それも想定済みでした」
その策や、全ての目論見を、木戸尭は想定していた。
等身大のガラスがそこにあったのは把握していたし、視界をゼロにすれば、そのような策を講じてくることを想定していたのだ。
想定していたがゆえに、砂で見えにくい視界の中、ガラスを認識することができた。
(想定はしていましたが……さて。どうしましょうか)
木戸は顎に手を添え、今一度考える。
まず最初に、他の『鏡』を作り、ガラスに当たらない角度から攻撃をしかけるという対策を考えた。
しかし、塵旋風が収まらない現在。新しく鏡を作ってもすぐに乾燥してしまうことが考えられる。それに、弾を打ち出して、新たな『鏡』を作り、その『鏡』へ画面を変換するのに、致命的なタイムラグが生じてしまう。新たな『鏡』から攻撃しても避けられるのは目に見えていた。
イャンクッドの体力が尽きるまでの持久戦という手もあるが、彼にとって、今はすでに『詰み』に入っている状態。それをだらだらと長引かせるのは、彼のポリシーに反することだった。長引くほどどんなアクシデントが起こるとも限らない。
『遊び』は楽しく短めに。これが彼のモットーだ。
今すぐに終わらせるためには、近距離から急所への狙撃をすることが確実である。
そう考え至った矢先である
「……?」
木戸は、【明鏡止水】に新たな『鏡』が現れたことに気付いた。能力範囲内の『鏡』は、全て自動的に現れる仕組みになっているので、その点については驚かない。
問題は、その『鏡』が真っ赤に染まっていることだ。
「……なんでしょう……?」
顔を近づけてよく覗き込む。
そこに、イャンクッドの顔がアップで映っていた。
黒い影のようで見えにくいが、それは確かにイャンクッドだった。同時、木戸はその赤い液体の正体に気付いた。
イャンクッドの血である。
身体に負荷をかけた反動からか、膨大な量の出血を起こし、床に血溜りを作っていたのだ。それが、『鏡』として反応したのである。
イャンクッド自身の身体で覆いかぶさっているためか、血溜りは砂や風から避けられ、乾燥を免れていた。
「……ふ、ふふふふ、ハハハハハハハハハハハ!」
思わず、木戸は高笑いをあげる。
「まぬけな者だ! 自ら『鏡』を作るとは! 『金』を相手に差し出すような愚かな行為ですよ!」
蔑むような目で、血の『鏡』の中のイャンクッドを見る。
「そもそも、ガラスをもってくる余裕があれば、そのまま二階へ逃げて『投了』すればよかったものを。勝負にこだわるから、馬鹿みたいに命を落とすことになるのです!」
木戸はすでに勝利を確信していた。血溜りの発見と同時、新たな策を思いついたからだ。
木戸は指を血溜りの『鏡』にではなく、噴水の『鏡』の方へと触れて、画面を切り替え、【水遊戯】を構えた。
血溜りから弾を撃ち出すのは容易である。直撃は確実だろう。
しかし、その直後、刺し違える覚悟で血溜りから反撃される可能性もある。あまりに近距離であるがゆえに、リスクも高いのだ。
ゆえに、木戸は囮を考えた。
まず、噴水の『鏡』からわざとガラスに弾を撃ちだす。そして、ガラスに直撃して、相手が反撃のため翻る間に、血溜りの『鏡』に素早く変換し、そこから二発目の弾を撃ちだす。
一発目を囮に使うのだ。
これにより、イャンクッドにとっては予想のつかない方向―――真下から、確実にとどめをさすことができる。
反撃のために立ち上がることで、心臓や頭を狙うことは難しいが、直撃は確実。現在のダメージから、あと一発でも当てれば殺せるだろうと考えた。
要求されるのは、画面を変換するための素早い指さばきだけだ。
「さしずめ、この感覚は、時間切れ待ち残り3秒……というところですか。……フフフ。最期まで楽しませてくれます」
そう呟いて、銃口を『鏡』の向こうのガラスへ向けて、引き金に指を掛ける。
「これが捨て駒!」
弾が発射された。それがガラスに直撃するや否や。木戸はすぐにその画面を閉じ、左半分の、血溜りの『鏡』の方へ手を伸ばした。
そして
「そしてこれが……王手です!」
血溜りの画面へ変換。拡大し、空間がつながった。
すばやく、とどめとなる二発目の凶弾を放つべく、銃を構える木戸。
しかし、その【水遊戯】の弾丸は、イャンクッドに直撃することはなかった。
なぜならば、
空間がつながると同時。イャンクッドの槍が、彼めがけて襲い掛かってきたからである。
「 !?……な、あ、があああああああああああああああ!?」
絶叫。木戸は思わず、【水遊戯】を落とし、しりもちをついた。槍は木戸の右腕を大きく裂いて、肩に深く突き刺さった。
すぐに肩から槍は外れたものの、血がドクドクと出て止まらない。
何が起こったのか分からなかった。
ただ確実なことは、イャンクッドが血溜りの空間を通って、反撃してきたということだ。
木戸は左手で出血を抑えながら、ただ混乱していた。
*
「……説明するッスか? 公正を期すために」
イャンクッドが【明鏡止水】を通じて、話しかける。その声は弱弱しいものの、どこか確信もった声だった。
勝利を確信していた。
「一言言えば、十分ッスよね?……囮を先に仕掛けたのは、ジブンの方ッス」
その一言で。
イャンクッドが言うとおり、その一言で、木戸は全てを理解した。
《……まさか、あなた………… !?》
【明鏡止水】から離れ、壁に背を預けた状態。目を剥けて、信じられないといったように言う。
つまり、イャンクッドは彼の策の、さらに上をついたのだ。
砂漠の戦士。イャンクッド。
怒りに血が昇る反面、頭の中は自分でも驚くほど冷静だった。
確実に木戸を倒す方法。それは、『鏡』を通じて攻撃する上、他の『鏡』から移り変わった直後のタイミングを狙う他ないと彼は考えた。
そこで、イャンクッドは、まず『鏡』を2つにする。
それが『噴水』と『血溜り』である。
ガラスを背中に立てかけておけば、木戸はわざとガラスに一発当てて、血だまりの『鏡』を選択して、確実な攻撃を狙うだろうことを予測した。
その策を、逆手に取った。
イャンクッドは、ガラスに弾が当たる音をタイミングとして、血溜まりの中に攻撃を仕掛けた。元々身構えていたことから、木戸よりもはるかに速く、攻撃を仕掛けることに成功したのである。
そして、その血溜りを作った方法とは
《ば……ばかな。そんなの……ありえない……》
木戸は声を震わせて、恐れおののく。
【明鏡止水】を覗かなくとも、理解した。
イャンクッドの右手首は、槍でもって深くえぐられていた。
動脈は切断されて、手首は半分繋がった状態。未だドクドクと血を流し続けている。
イャンクッドはわざと、血溜まりを作ったのだ。
《そ、そんなこと……! し、死んでもおかしくないぞ !?》
「もとより……覚悟の上ッス!」
弱弱しく。しかし、強く。言い放つ。
顔は真っ青。体中が痙攣を起こし、すでに目も見えづらくなっている。立ち上がることさえ不可能な状態で、しかし瞳だけは真っ直ぐ。強い意志を宿していた。
正義は出発前に、皆に「死ぬな」と言った。
その時初めて、イャンクッドは正義の命令に、従う気になれなかった。
死を覚悟しなければ、勝てない。
これはそういう戦争だ。
イャンクッドは強く想う。
*
「……くっそ。ふざけやがって……!! この私が……玩具ごときに………!」
壁際で、ブツブツと木戸が呟きながら、立ち上がる。
落とした【水遊戯】(ブルーフール)を、左手で拾った。
「そうだ……あと一発……あと一発当てさえすれば、殺せるはずだ。か、勝つのは------」
鬼気迫る形相で、【明鏡止水】へ飛び掛る。
「この私だああああああああああああああああああ!!」
すでに策も何もなく、本能のまま襲い掛かる。まるで獣のような咆哮をあげる。
直後。
【明鏡止水】から腕が飛び出た。
イャンクッドの左手。その手には、あの石ならざる石が握られていた。
砂石
10000リットルもの砂が押し固められた固形物。イャンクッドが、現人を倒すためにもってきた兵器。
それを、握りつぶす。
直後。砂の洪水がなだれ込んだ。
「が、ふがはぁあ!」
至近距離から砂の放出を受けた木戸は、壁まで吹き飛ばされ、口や鼻などの呼吸器官に、これでもかというほどの砂を突っ込まれた。
大量の砂が。砂という砂が、その狭い牢屋の中を埋め尽くしていく。
やがて、砂は牢屋の天井までを満たしたところで、砂の放出は止まった。
後には、将棋をするにはうってつけの、静寂だけが残った。
*
「……っと……!!」
砂石ハヂラを握りつぶした後。大量の砂が空間を通じて自分に激突する前に、イャンクッドは素早く左手を引き抜き、転がるようにしてその場を離れた。直後、血だまりの『鏡』から、膨大な量の砂が湧き上がる。
『鏡』から噴き出る砂と、中央噴水から噴き出る水。
それらが並んで吹き上がる様子を、イャンクッドは眺めながら
「おまえの敗因を、教えてやるッス」
すでに物言わぬ彼に対して、ニヤリと微笑んで呟く。
指一本も動かせない状態。体中から止めどなく流れる血が、降り積もる砂に染み込んでいった。
「ジブンの覚悟を、想定できなかったことッスよ」