其の二十三 木戸、動く
「ま……マジかよ。」
小太りの王気取り。稲原犀が目を剥ける。目の前には、息を切らせた香川がいた。
稲原と木戸は想具を奪ってくる香川を王室で待っていたのだが、予想より遅く、不審に思い始めていた矢先の出来事である。
急いで階段を駆け上る香川が現れ、そして言い放ったのだ。
【我侭放題】(エゴスティック)が、破壊されたことを。
「ご、ごめんね。サイちゃん」
弱弱しい声で、香川は謝る。
一年以上、発動し続けた【我侭放題】(エゴスティック)が、一片も残らず消滅したのだ。彼女にとっては、相棒同然の想具だったために、内心、かなりのショックを受けていた。
「「…………」」
稲原と木戸も、驚きを隠せなかった。何も言えず、ただ沈黙を続ける。
やがて、遠くから蹄が鳴り響く音が聞こえてきた。
香川が急いでバルコニーまで走ると、その音の方向を見る。
城下町の中央通路。城まで続く一直線の道を、武器を携えた何十もの戦士が、アラマドに乗って向かってきていた。
「!……ど、どうしよう、サイちゃん! あいつらやってくるよぉ!」
香川が顔を真っ青にして叫ぶ。
「待ち伏せされていたようですね。あの少年は彼らの仲間だったようです。ならば、『敵意』を感じずにどうやってこの城まで近づけたのかが疑問ですが……」
木戸がものしげに考えるが、稲原は気にしない様子だった。
ドカっと深く、王座に腰を下ろすと、ニヤリと微笑んだ。
「なあに。どうってこたねぇサ。俺たちには無敵の魔神様がいるじゃネェか。良い機会だ。俺達にはどうあがいたって勝てねえことを、骨身に刻んで教えてやるゼ」
と、稲原はあくまで勝気。魔神に対し、命ずる。
「魔神。大勢で出迎えて、やつらを叩きのめせ」
「かしこまりました」
深々とおじぎをする魔神。すると、口から紫色の煙を吐き出した。
それはまるで魂のような形でふわふわと漂うと、やがて形作られていき、もうひとりの魔神が姿を現した。
いわゆる、分身である。といっても、魔神の身長が三メートルに対し、分身は一メートル半と人並み。筋肉量も若干劣るといった様相である。
それを、魔神は何人も作っていく。
次々と煙を吐き出して、やがて、百を越えた魔人の軍隊ができあがった。
「なるほど。これなら問題ありませんね。しかし、念のため、オリジナルはここに残したほうが良いでしょう」
木戸が稲原にそれとなく提案する。稲原もそれに従い、魔神に伝えると、小さな魔神達だけを城の外へと出向かわせた。
「潤美。おまえはここにいろ。【我侭放題】(エゴスティック)なくしちゃオメー。ただの女だからナ」
「……ごめん。ほんと、ゴメンね」
瞳をウルウルとさせながら、うつむいて謝る。
「バァカ。気にすんじゃねぇヨ。すぐに一掃するからヨ」
それは決して気遣いではなく、彼は自信ありげに言い放った。
香川が黙って、王妃の椅子に座ると、稲腹の腕に身をよせてすがりついた。
「………好きだよ。サイちゃん」
「……バァカ。知ってるっつーの」
と、一指し指で彼女の額を軽くつついて、幸せそうな顔を浮べて返した。そんな彼女も、頬を赤らめて幸せそうだった。
その様子を見て、木戸はフゥと深いため息をついた。
やれやれ、といった様子である。といっても、神具を探し回っていた期間も含めて一年半。二人のこういう様子は何度も見てきているので、特に不快ではない。
「……さて、私も出向くとしますかね」
「あぁ? 珍しいなオイ。オメーが自ら動くなんてヨ。つーか必要ねーだろ?」
「いえ。平兵士はともかく、正義氏の右腕であるイャンクッドという男には注意が必要です。王国一の槍の使い手であり、ずばぬけた戦闘能力をもっていますからね」
「? イャンクッド? そんな奴がいんのか?」
「私はこういう場合も想定して、兵士の名前と特徴は、あらかた記憶していたのですよ」
彼らが王国を占拠して以来、王国の兵士とは全く接触はなかった。
なぜなら占拠したその日に、【我侭放題】(エゴスティック)によって全員例外なく、国外まで吹き飛ばしたからである。
それから一年の間。誰とも敵対することなく、国民に神具探しを命じて悠々自適の生活を送っていたが、木戸尭だけは違った。
彼はこのチームの頭脳である。いついかなる時も、あらゆる状況を想定し、あらゆる策を講じる。
もちろん【我侭放題】(エゴスティック)が壊されるというのも想定済みだった。
そのため、城下町へ降りて、兵士についての情報を入手していた。万が一、彼らとの戦闘が行われる場合、有効となる情報を聞き出していたのである。
チームに降りかかる危険を振り払うのは彼の役割であり、趣味でさえあった。
将棋のように、事象の一手、二手、三手先を読むのが好きだった。危険な『祭り』に参加するため、稲原と香川のカップルコンビと手を組んだのも、喧騒の中で敵を出し抜く快感を得るためであった。
「迎撃にあたって……魔神さん。ひとつお願いがあるのですが……」
彼はそう言うと、丁寧に命令を魔神に伝える。魔神は、ランプから召喚した稲原以外、二人の命令も聞くようにしているため、黙って耳を傾けている。
その話を横で聞いて、稲原が
「……なるほどナ。あいかわらず面倒な戦い方しやがるゼ。そこまでする必要あるかヨ?」
「油断は大敵ですよ。稲原さん。それにね……」
コツコツと、革靴を鳴らしながら歩いて、半身を翻す。
うっすらと微笑んだ。
「そろそろ、将棋だけじゃ物足りなくなってきたところですから」
*
城の正面。大門の手前。
そこでは、大勢での戦いが繰り広げられていた。
分身魔神100体 VS 正義団30人
その数もさながら、分身魔神一人当たりの強さも並ではなく、腕の一振りで戦士数人がなぎ払われた。また、指から怪光線を繰り出したり、炎を吐いたりと、およそ予想もつかない戦い方をするだけに、戦士達は困惑するばかり。完全に身動きがとれない状態である。
全滅は時間の問題だった。しかし
「皆! ひるむな! 絶対勝つぞ!」
砂埃の舞い上がる喧騒の中。魔神相手に素手で立ち向かいながら、正義は臆することなく声を張り上げた。
他の兵士誰一人として、諦める者はいない。
そこで、正義の横に、大きな槍を携えたイャンクッドが跳びこんできた。
「正義さん。やっぱり、ここは作戦通りにいくッス!」
「ああ! 頼むよ!」
正義が相槌をうつと、イャンクッドが正義を抱え込み跳躍。近くの魔神の頭を踏むと、また近くの魔神の頭へ。ヒョイヒョイと踏み台にしながら、大門の方へと向かっていく。
魔神達は攻撃をしかけようとするが、それを槍でなぎ払い、あるいは他の兵士がそれを防ぐ。
「セイギさん! 幸運を祈ります!」
「頼んだぞ! イャンクッド!」
兵士達と王子の応援を背に、二人は喧騒を抜けて、開け放たれた大門を通過した。イャンクッドが正義を下ろし、二人そろって駆け抜ける。
数人の魔神がその後を追う。兵士がそれを防ごうとするが、いとも簡単に吹き飛ばされてしまった。
(くそっ……予想以上に強い……!)
イャンクッドが広い中央通路を走りながら、後ろを振り返る。四人の魔神が、風のように速く走り、二人を追いかけていた。
(このままでは、追いつかれるッス!)
そう思ったイャンクッドは足を止め、身体を反転。魔神達と、向き合った。
「正義さん! 先に行くッス! こいつらはジブンが、死んでも止めるッス!」
「イ、イャンクッド……」
正義も立ち止まり、彼の背中を心配そうに見つめる。
イャンクッドは到達した魔神達四人を槍でなぎ払って
「さあ、早く!」
必死に叫ぶ。正義がそれに呼応した。
「……頼んだよ!」
一言。そう言って、正義は走りだす。
イャンクッドは、彼が走り出す事を確認すると、四人の魔神と相対する。
吐き出す炎を盾で防ぎ、繰り出す爪を槍で破壊し、怪光線を避け、体中から飛び出す針を鎧で受け止める。
防御するのが精一杯で、攻撃に転じる暇もなかった。額に汗を流し、必死に立ち回る。
やがて
(…………?)
ある違和感に気付いた。
魔神四人は猛攻こそすれど、どこか本気でないように感じた。
わざと防ぎきれるレベルで、避けられるレベルで攻撃している。
そして、自分がいつのまにか、大きく後退していることに気付いた。
(!………こいつら、どこかに誘導してるッスか?)
そう確信したときには、すでに遅かった。
一人の魔神が頭から体当たりし、イャンクッドがそれを盾で受け止める。しかし、衝撃は受け止めきれず、イャンクッドは後ろに大きく吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた先は、庭園だった。
正面玄関広間の奥にある、屋外庭園である。扉の無い、開け放たれた入り口を通って、イャンクッドが庭園の石床に体を叩きつけられた。
急いで起き上がり体勢を立て直すが、魔神にもう、攻撃の意思はなかった。
彼らは入り口に立ち、そして、その身体を巨大な石に変えて、入り口を防いだからだ。
「!……ま、まさか!」
気付き、イャンクッドが他の入り口を見回す。
東西南北に一つずつある入り口。全てに一体ずつ魔神が配置し、大きな立方体の石に変化し、一分の隙間もなく、入り口を防いだのだ。
建物構造は吹き抜け。真上に空を見上げられるものの、周辺は一階と二階の壁に囲まれている。抜け出すことはできない。
イャンクッドは中央庭園に閉じ込められた。
「くそ! やられた!」
悔しそうに歯を噛み締める。
しかし、あせりは禁物。冷静に周辺を見渡して分析することにした。
そこは確かに昔からある屋外庭園だったが、イャンクッドの知るものとは、明らかに様子が違っていた。
彼が知る広場は、中央に井戸が設置されていて、城で生活する者の生活水として使われていた。また、庭園とは名ばかりで、サボテンが隅に点在するだけであった。床も石作りであり、ただ天井が開け放たれているだけの印象だったのだ。
しかし、今。目の前にある庭園の中央に井戸はなく、その代わりに、大きな噴水が湧き出していた。
また、東西南北の入り口から中央へと向かう道に沿って、見たことのない様々な植物が茂っていた。サボテンがあったところには大きな果物を実らせた木が植えてある。石畳は変わらないものの、それは立派な庭園といえるものであったのだ。
これらは全て、三人が魔神に命令して作らせたものだった。
食料と水分補給の為に、魔法により植物を生やし、無限に湧き出る噴水を造ったのである。
「……やつらだけ、こんな贅沢を………!」
なぜこのように激変したのかはともかくとして、彼ら三人がこの城で贅沢な暮らしをしていることを確信し、憤りを覚えた。
しかし、今はそんなことで腹を立てている場合ではない。
魔神四人が石壁となって身動きできないでいるものの、後から他の魔神が正義を追うかもしれない。一刻も早く脱出する必要があった。
再びあたりを見回すと、イャンクッドは二階のある一点に目をつけた。
庭園を見下ろすために組み込まれた、人間大の窓ガラスである。
二階まで跳躍するのは問題ない。その脆い箇所を突き破れば、抜け出せるのではと考えた。
「……よし!」
うなずいて、イャンクッドは膝を曲げて跳び上がろうとする。
その時だった。
左足のふくらはぎに、強烈な痛みが走った。
視線を足元に移す。
血が、迸っていた。
「!……なっ…?」
力が入らず、左ひざを落とすイャンクッド。
何かに撃ち抜かれたような感覚がした。しかし、ふくらはぎに矢などは刺さっていない。
(い、一体……なにが……?)
半ば頭を混乱させながら、とっさに背後を振り返る。
それと同時に、透明な液体が彼の視界に飛び込んできた。
それは直線状で、まっすぐに彼の心臓めがけて飛んでくる。
「う、うおぉ!」
反射的に、イャンクッドは盾を前に掲げてそれを防いだ。
パシャァ!
液体は盾に弾かれて、雫を落とした。
その時、イャンクッドは確かに見た。
噴水の中央。湧き出る水が、円方向に広がり、カーテン状の水の膜を作り上げている。
そこから、ものすごい勢いで、水の塊が飛び出してきたことを。
《こんにちは。イャンクッドさん。木戸尭と申します》
突如。噴水から聞いたことのない声が聞こえてきた。
木戸尭。イャンクッドはもちろん、戦士の全員が、正義から聞いている名前である。
城を占拠した三人のうちの一人。しかし、彼についての情報は一切不明であり、要注意人物といわれていた。
そして、再び声が聞こえてくる。
丁寧かつ礼儀正しく、淡々とした声で。
《あなたには、しばらく私の遊びに付き合ってもらいます》