其の二十二 草原の層
魔術士。リリアナ=ルミルソンが住むピサの街。その中央美術館には、かつて、街の宝があった。
街の人々は、それを『魔神ランプ』と呼んでいた。
言い伝えによると、その中には伝説の魔術士、リファエル=ルミルソンが創りだした魔神が住んでいて、持ち主の願いを3つ叶えてくれるというのだ。大昔。まだ魔術士が数多く生き残っていた時代に作られたものだが、当時の魔術士が悪用を恐れ、厳重に保管していたものらしい。
しかし、20年以上前。
その『魔神ランプ』が何者かに盗まれた。
当時、それは大きな騒ぎになったという。魔神ランプを手にしたものは、まさしく絶大な力を得ることができる。
もしかしたら、盗人が魔神を使って街を襲うのではないだろうか?
そんな噂がいつしか広まり、20年経った今でも少なからず、街は不安に陥っていた。リリアナ=ルミルソンの目的は、その不安を取り除くため、魔神を封印することである。
というのは、建前である。
「『魔神ランプ』を取り返して、街のやつらを全員見返してやるだわさ! 二度と魔術士を……アタイを馬鹿になんかさせないだわさ!」
ハッハッハ!と高らかに笑いながら、絨毯にのって雲を突き抜けてゆく。リリアナの後ろには、ワクワクと胸を躍らせているジュウの姿があった。
絨毯はぐんぐんと高度を上げて、いよいよ、分厚い雲の層を突き抜けようとしている。
やがて、強い日差しがふりそそぐ。
上空5000メートルの雲の上。あたりは清々しいほど真っ青な青空が広がって、太陽がサンサンと降り注いでいた。
見渡す限り、真っ白な雲が広がっている。
リリアナの絨毯が停止し、その上をふわふわと漂っている。
「うわあああ! すっげぇぇぇ !!」
ジュウは顔を紅潮させて、興奮状態で辺り一面を見回した。
リリアナは左腕を天に掲げて、眼をつぶった。その左手の掌には、内側に文様が描かれた円形の陣-----魔法陣が、刺青のように刻まれていた。
そして、精神を集中させる。
「我、ルミルソンの一族の末裔にて、魔封殿の解放を命ず。イル、ウルス、ベム、ティアマ、イカムソム」
「?……何言ってんだおまえ? バカか?」
「うるさいだわさ! 静かにしろ!」
怪訝な眼をしたジュウに向かって、リリアナは赤面して激昂する。
そのとき、
下に広がっている雲がゆっくりと渦を巻き始めた。
直後、大量の雲が竜巻のようにうねりながら急激に上昇すると、彼らの上空でひとつの塊を作り始めた。
「おお? なんだ?」
ジュウが興味深々に見上げる。
リリアナの左手の魔法陣が、光り輝き始めた。やがて、雲の塊が、徐々に形作られ、逆三角錐の巨大な物体を造りだす。
表面が太陽光の反射で光り輝き、その色は黄土色。
一片3キロメートルはあろうかという巨大なピラミッドが、頂点を下に向けた状態で、姿を現した。
「うおおおおお! すっげえええええええ!」
ジュウは眼を光り輝かせて、声を高らかに叫んだ。
「ルミルソン一族に伝わる魔法陣を刻印した者のみが開放できるといわれる、『魔封殿』だわさ。魔神が悪事を働いた場合の緊急措置として、リファエルが創ったもので、再びランプに封印するための設備だわさ」
リリアナが絨毯を、逆ピラミッドの上まで上昇させながら、半ば独り言のように言う。
この設備を起動させるには、魔神がランプの外に出ているのが条件である。魔神の魔力を感知することで、初めて『魔封殿』を顕現させることができるのである。魔神の存在をジュウから聞くことができたおかげで、リリアナは起動にふみきることができたのだ。
やがて、ピラミッドのはるか上空まで移動し、上面の全貌が明らかとなる。
そこには、広大な草原が広がっていた。
一辺3キロの正方形の面に、小さな青芝が面々と広がっている。
「うおお! すっげえ! すっげえ!」
ジュウの興奮は最高潮に達していた。ピョンピョンと飛び跳ねている。
「ちょ、ちょっと! 揺れるから止めるだわさ!」
「うおおおし! 行くぞおお!」
鼻息荒く。ジュウは、目下10メートルの草原に向かって飛び降りた。
「! なっ……ちょっ」
リリアナの驚きもよそに、ジュウが草原の上に降り立った。
普通怪我では済まさない高度である。リリアナは二度驚いた。
しかし、その直後。
草原からツタが伸び、ジュウの身体に巻きつき始めた。
「ん?」
ツタが両足をガッシリと固定するように巻きついた後、上へと伸び続け、身体全体を縛り上げる。
「うわっ! なんだなんだ?」
やがて、頭も含めて隙間もなく全身に絡みつき、ジュウを拘束した。口も塞がれて、息もできない状態である。
必死にもがくが、モゾモゾと動くだけで抜け出せない。
その様子をリリアナが見て、
「……まったく、何がしたいんだか……」
あきれた顔で呟いた。
この魔封殿を発動させるには、まず、上から順に配置された3つの層それぞれに、封印のための魔法陣を描かなければならない。その一つ目がこの草原である。
緊急措置のための設備ではあるが、だからといって簡単に発動できるわけではない。魔神を封印するためのこの巨大な設備は、巨大な魔方陣を描くことができる機能を有していて、魔神ランプと同様に、悪用されかねない代物なのだ。
したがって、侵入者を排除するための罠が各階に張り巡らされている。ジュウを巻きつけたツタもそのひとつだった。
(……まあ、邪魔者がいなくなってちょうどいいだわさ)
内心。かなり冷たいことを思いながら、リリアナは魔方陣を描くための準備を始めた。
家から持ってきた分厚い本を開く。それは、一族に伝わる、魔封殿の攻略方法を記したものである。
パラパラとページをめくり、あるページに描かれた魔法陣に目をおとした。
第一層に描く魔法陣である。
描く魔法陣は第一層から三層にかけて、外から内へと構築される形になっている。つまり、第一層は一番外側の輪状の魔法陣。第二層はその内側に入る小さな輪状魔法陣。最期に第三層で、中心の魔法陣を描くことになる。使用者は上から下へと、トラップを回避しながら降り、魔法陣を描かなければならない。
第一層の全ての床には、侵入者を拘束するツタの罠がはりめぐらされている。床に下りずに、空中から描くしか無い。
(となると……やっぱりあの魔術を使うしかないだわさ)
するとリリアナは、バックから一枚の白い布を取り出すと、絨毯に広げた。
さらに、黄金色の小箱を取り出して中を開ける。中には、小さな小瓶が何十本と並んでいて、それぞれ色の異なる液体が入っている。
「ええと……これがいいだわさ」
リリアナがそのうち、やや黄緑色の液体が入ったものを選び、取り出すと、蓋をあけて白い布にポトリと一滴落とした。
直後。その液体が布全体に染み渡り、全面がひとつのムラもなく、緑色に染まった。その色は、下に広がる草原の色と酷似している。
続いて、布を裏返す。小箱から筆をとりだすと、黒のインクで二重丸と、それに重ねて十字を描いた。
さらに、バックから、ダーツのような棒を取り出した。
先端に針。反対側には、先刻布に描いたマークと同じものが刻印されている。
リリアナは、それを草原へと落とすと、針が草原に突き刺さった。
瞬間。緑色の布に描いた魔法陣が一瞬、光り輝いた。
「……よし。接続完了」
一言。確認するようにつぶやくと、再び裏返して、表に戻す。
今、彼女が行ったのは、『成りすまし』の魔術である。
対象のものと酷似した、簡易な模造品を用意し、形や特徴等の変化を与えることで、対象のモノもリアルタイムで同様の変化を与えることができる。より複雑に、高度に変化させるほど、より完成度の高い代用を使用しなければならない。
魔術の基礎ともいえるもの。いわば、呪いの藁人形と同じようなシステムである。
対象物は『草原』。模造品は『黄緑色の布』
リンクが成功した今、布に魔法陣を描けば、第一層の草原に、同様の魔法陣が浮かび上がることになる。
しかし、黒いインクをそのまま使って魔法陣を描くわけにはいかなかった。
布に黒インクをしみこませれば、草原の上にも黒インクが浮かび上がることになる。布には鮮明に描けることができるが、草の上では、はっきりとした魔法陣が描けるとは考えにくい。草の先っぽに黒インクが付いた状態となって、模様がまばらとなってしまうのだ。
魔法陣の効果を十分に発揮するためには、より克明なものが必要になる。草原にはっきりと跡を残せて、なおかつ布にそれを描けるようなものを考えなければならない。
リリアナはウ~ンと唸りながら、しばらく考えて
「よし。アレを使うだわさ」
といって、バックからまた別の小瓶を取り出した。
小瓶の中には赤い液体が入っていて、表面に炎が燃え盛っている。まるで、ガソリンが燃えるように、小瓶の中で小さな光を放っていた。
リリアナはその小瓶の蓋を開けると、筆を浸した。
すると、筆に燃え盛る赤いインクが移り、彼女はそれを、緑色の布に付ける。インクが染み込むと同時、炎がそのインクの上で踊るように燃え上がった。
直後。草原のある一点で、ボオゥっと大きな音と共に、巨大な炎が発生した。
そのインクの名称は『フレアリキッド』。
不思議な炎を纏う液体であり、彼女が独自に調合したものである。紙に描いても表面に炎が出るだけで、紙そのものは燃えないという特徴を持ち、面白半分で製造したものだった。
「よし!」
半ば緊張気味に、その筆を動かし始める。草原の炎がその軌跡どおりに、燃え広がっていた。
紙の上に炎が発生すれば、草原の草にも炎が発生する。つまり、彼女は草を燃やした跡で、魔法陣を完成させようと試みたのである。
しかし、
「……あ、あれ?」
インクの染みが予想よりも広がって、筆の軌跡を無視して広がり始めたのだ。
当然それに従い、炎も広がっていく。
「!……や、やばっ」
リリアナが青ざめるが、すでに事態は最悪の方向に向かっていた。
フレアリキッドの染みは緑色の布全体に広がり。結果。草原が一面。巨大な炎に包まれた。
一分の隙間もなく、ボウボウと音を立てて燃え盛っている。
「う、うわぁぁぁ! どうしよどうしよぉぉぉ!」
リリアナが頭を抱えて、半ば錯乱気味になる。
彼女がろくに魔術を扱えない理由は、未熟であるというよりも、その人格にあった。
おっちょこちょいでせっかち。つまり、ドジを踏んでしまうのだ。ゆえに、魔道具の使用方法を間違えたり、手順を飛ばしたりして、失敗することが多いのである。今回は、その『フレアリキッド』の調合を間違えたために起こった失敗だった。
リリアナはゴウゴウと燃え盛る炎を呆然と見つめ続けるしかなかった。
その時。
「ううあっっちいいいいい !!」
悲痛な叫び声が聞こえた。
服に炎をつけたジュウが、苦しそうに走り回る姿がそこにあった。ツタが炎で燃えちり、拘束から開放されたのだ。
「……あ、あいつ……!」
リリアナは驚愕に目を剥ける。彼が生きていたことについてではない。
その走る速度だ。
それは残像が残るほど速かった。生じた風で、炎が一瞬にして消えるほどである。直後、再び火が燃え盛るものの、そのスピードは人並み外れたものだった。
しばらく呆然とそれを見て
リリアナは閃いた。
「そ、そうだ! その手があっただわさ!」
すると、リリアナは皮袋を取り出す。飲料用の水が入っていて、チャプチャプと音を立てていた。
そして蓋を外すと、わずかに傾けて、燃え盛る布に雫を浸していく。
(……今度こそ……慎重に……)
緊張な面持ちで、ポタポタと雫を落としながら、その皮袋を動かしていくと、ある部分の炎のみ消えていく。
つまり、発想の転換。鎮火跡で魔法陣を作ることを考えたのだ。
炎がキャンバス。水がインク。克明な魔法陣を描けるのに違いは無い。
少しずつ、雫を垂らしながら、布の上で皮袋を動かすリリアナ。やがて、最後の文様を描き終わろうとした。
その時だった。
「うああっちいい!」
いよいよ我慢ができなくなったジュウは、炎から逃れようと、空に浮ぶ絨毯めがけて跳躍。
ガシッ!
絨毯の端をつかんで、空中にぶらさがった。
「ぶはぁ! あ~熱かった」
尻についた残り火をパンパンと払ってのけながら、絨毯の上に上がる。
そこに、身体をフルフルと震わせたリリアナの姿があった。
「いきなり火事になったぞ? おまえ、なんかしたのか?」
彼女の異変には全く気付かず、ジュウは暢気な質問をする。
彼女は答えない。
そして、異変は彼女だけではない。
一辺3キロの正方形の床。
さっきまでゴウゴウと燃え盛っていた炎が、全て跡形もなく鎮火していた。
首をかしげるジュウ。リリアナの震える手の下には、水をぶちまけた皮袋が横たわっていた。
ジュウが飛びかかった衝撃で絨毯が揺れ、皮袋の中の大量の水を布にこぼしてしまったのだ。
「あれぇ? 今度は消えてらぁ。なぁなぁ! なにしたんだよぉ!」
ジュウは反応のないリリアナに対し、後ろから彼女の肩をユサユサとゆさぶった。
ブチ。という音が聞こえた気がした。
突然。彼女は右手でジュウの顎をガシッとワジ掴みにする。その甲には血管が浮き出ていて、小刻みに震えていた。
ジュウは頬を潰されて、たこの口のように尖らせている。
そして、リリアナは身体をなお小刻みに揺らしながら、
「あ……あんた………」
「??」
「何するだわさあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
立ち上がる勢いでジュウを持ち上げると、そのまま草原に向かって叩き落とした。
ドスン!と鈍い音を立てて、ジュウが背中から叩きつけられる。芝草はすでに燃え散ったため、罠は発動しなかった。
「? ? ? ?」
ジュウはワケが分からず、はてなマークを浮かべる。
そして、リリアナは怒りマークを額にいくつも貼り付けている。ふぅふぅと荒い息遣いだ。
「??……なぁなぁ。なんで怒って…」
「うるさい! 喋るな! 呪うぞ!」
まるでヤクザのような恐ろしい顔つきで吼えた。その後ろには、確実に殺気のオーラがゆらゆらとゆれて発せられている。
さすがのジュウも口を紡ぐしかなかった。
リリアナはジュウを暫く睨んで、
「あぁあもう! こうなったら最後の手段だわさ!」
苛つきながら、絨毯を降下させてジュウの前に降り立つと、魔道書の、魔法陣が描かれたページを開いてジュウに見せる
「アンタ。この魔法陣、足で描くだわさ」
と言い放った。
「……? はぁ? 何言って…」
「うるさい。喋るな。呪うぞ」
冷たい目線と冷たい言葉で、問答無用と黙らせた。ジュウが少ししょげる。
「この床全部に埋まるくらいの、大きな魔法陣を描けっていってんだわさ。アンタは白インクを足の裏につけて、アタイの指示通りの方向に走ればいいだわさ。まぁ、あの足の速さなら、そんなに時間はかからないだわさ」
そう言って、白い液体の入った小瓶を取り出した。
「えぇえ~! めんどくせー! なんでオレがそんなこ―――」
言い切らない内に、リリアナの鉄拳がジュウの顔面に直撃。ミシリッと音を立てて減り込んだ。
そしてドスを効かせた声で。
「黙ってやれ」
「…………ふぁい」
減り込んだ顔で気弱に返事をする。
さすがの自由人ジュウも、その凄みには平伏するしかなかった。