其の二十一 ボロボロの勝利
時はわずかに遡り。砂漠の中。
正義率いる正義団およそ30人が、宙に浮ぶ、光輝く縄を辿って進んでいた。
ラクダもどき。アラマドという動物の背に乗り、また、それが曳くソリの馬車に乗りながら、砂塵を巻き上げていく。
その先頭の馬車の中に、デカチョーの姿があった。
最初、正義はデカチョーにおとなしく待つように指示したが、彼女は頑として聞かなかった。
正義感溢れる者として、この現状を見逃せるはずもなかった。
(「兄ちゃん! アタシも正義団に入れてくれ!」)
自分も戦うという、意思表示をした。
正義はやや抵抗するも、すぐに諦めた。口論している時間が無駄となってしまうし、なにより、彼女の正義心と頑固さには定評があることを知っていた。
そして、縄跳びの取手を近くの壁に深く突き刺して固定した後、戦える者を急いで集めて出発したのだ。
城の周りに生える植物。ツノサボテンの匂いをたどって国へ到達することもできるが、縄を辿った方が確実で迅速である。そういう判断から、彼らは縄の先を追っていた。
「……愛誠。これだけは守って欲しい」
馬車の中。デカチョーの隣に座る正義が、正面を見据えたまま言う。
「おまえが強いのは、僕が一番良く知っている。当時、小学1年生だったにもかかわらず、おまえにかなう小学生は、あの道場にもいなかったからな。それから……5年くらい経ったのか? その上背も手伝って、さらに強くなっているだろう。だけどね……」
デカチョーの顔を見据える。
「決して無理はしないでくれ。本当に危ないと思ったら逃げてくれ。僕もおまえを守りきれるとは、約束できないからね」
重く、言葉を紡いで、デカチョーは黙ってうなづいた。
彼女は、決してこの事態を甘くは見ていなかった。今から生々しい戦争に身を投げ出すことに、正直、恐怖を感じていた。
しかし、彼女の中にある確固とした正義感が、その場に留まることを許さなかったのだ。
「……それと、これをおまえに渡しておく」
そう言うと、正義は懐の袋からあるものを取り出して、デカチョーに手渡した。
それは、玩具の指輪のようだった。
プラスチック製の宝石と薄汚れた輪。ピンク色のコーティングが施されている。
「……これって……?」
「国を追い出されてから、砂漠で遭遇した現人の死体からとった。おそらく、想具だ」
先刻、正義が言った、稲原らに対抗するために集めた想具。それらは全て、砂漠で生き倒れた現人から取った物であった。
一種の窃盗である。
「………………」
デカチョーはわずかな動揺ながら、静かな怒りを込めて、正義を睨み付けた。
「……そう睨まないでくれよ。仕方が無かったんだ。やつらの絶対的な武器に対して、なんの抵抗勢力もなしに挑むわけにはいかないからね。おまえの気持ちは分かるが、今は見逃してくれ」
正義はやや困ったような顔でそう言った。
「その想具については、ついに使い方が分からなかった。もしかしたら、想具じゃないかもしれないが……まあ、ほんのお守り代わりに持っていてくれ」
言われて、デカチョーは渋々了解し、それを右の薬指にはめた。
この時。なんとなく、兄に対して違和感が生じ始めていたのは確かだった。
やむをえない。仕方が無い状況であったのは分かるが、そう簡単に割り切れるほど、兄の正義心は弱いものではない印象があったのだ。
長い年月が、彼を変えたのかもしれない。そう思い始めた。
「王子も、なるべく前線には出ないようにしてくださいよ」
正義はまた、同じ馬車に同席している王子。サィッハ=ラフィス三世に対し、注意を促す。
王族とはいえ、彼の剣の腕は並では無い。故に、戦士と共に、戦う決意をした。
王に似て彼もまた、民を想う心を持っている。そして、父の仇を討ちたいという気持ちは、誰よりも強かった。
戦闘に入ったら、無茶をしないとも限らない。
そう憂慮する正義を前に
「……それは約束できないな。セイギ。必要とあらば、余はいくらでも前へ進む」
確固たる意思を持って、サィッハは言う
「それに、何度も言っているが、余にだけ敬語を使うのは止めてくれないか。君は『正義団』のリーダーだろう。示しがつかないではないか」
正義団の中で最も身分が高いのは、誰を差し置いてもサィッハ王子である。しかし王子は、戦闘における指示では正義が適していると判断して、正義をリーダーに任命したのである。
「僕があなたにタメ口で話したら、それこそ、あなたの示しがつきませんよ。この戦が終わったら、あなたはこの国の王となるのですから」
「……民を率いるのは、余でなくてもできる。例えば、そなたでも……」
と言いかけたところで、
「セイギさん! 城が見えたッス!」
先頭のアラマドに乗ったイャンクッドが声を張り上げる。
「よぉし! 止まれ!」
正義が号令をかけると、イャンクッドが後続に見えるように赤い旗を大きく上げて停止。次々とアラマド達がその足を止めた。
そこは、城下町手前1キロあたりの砂山の裏手だった。
城の周囲では、常に魔神が監視を行っているため、うかつに近づくことはできなかった。そのため、【我侭放題】(エゴスティック)の磁力がなくなったことの連絡が、縄跳びを通じて届き次第、突撃する作戦だった。
彼らがじっと息を潜めて待ち始めて間もない頃。
望遠鏡を覗いて国を監視していたイャンクッドが、街から何かが飛んでくるのを確認した。城の裏手の方角からである。
「 !?……せ、正義さん!」
慌てて、正義に望遠鏡を渡す。正義も同様に覗いた。
映し出されたのは、ボロボロに汚れた水色のパーカーを着た、黒い短髪の少年。
ナニワが街の外へ飛ばされていく様子だった。
「! さ、佐久間!」
「な、なんだって !?」
デカチョーが、裸眼で彼を発見し、横にいた正義が驚く。
彼女の視力は2.5。同級生の姿を捉えるのには十分だった。
ナニワの吹き飛ぶ速度は序々に低下し、砂山に掠れるようにして落下。正義達から500メートル程離れたところで停止した。
「ま、まさか……!?」
最悪の結末が、正義の心中に浮んだ。
その想像を極力抑えながら、彼は後続の兵士達にナニワのところへ移動するよう指示し、自らもいの一番にその元へ向かった。
そこに、ボロ雑巾のように変わり果てた姿のナニワがいた。
「さ、佐久間 !!」
デカチョーが駆け寄り、続いて正義、イャンクッド、王子が彼を囲んだ。
体中痣と生傷だらけ。息も絶え絶えで、意識を保つのがやっとの状態だった。
「おい! 佐久間くん! 大丈夫か! しっかりしろ!」
正義がナニワの上半身を抱え上げ、呼びかける。
「う……うぐ…」
か細いうめき声を上げて返事をする事しか出来なかった。
吹き飛ばされる前に、香川から受けたダメージもあるが、ここまで吹き飛ばされる間に、あらゆるモノに衝突してできた生傷が大半を占めているようだった。
デカチョーがその様子を見て、絶句する。同時に、心の底から怒りがこみ上げてきた。
それは正義も同様だった。
「……畜生! あいつら! こんな子供まで、こんな仕打ちを!」
悔しそうに歯をかみ締めながら、半分涙眼の状態で叫ぶ。
やがて、ルゥンダを先頭とした医療班が、ナニワのもとに駆けつけた。
その時である。
「……あ、あんたが、デカ兄か。思ったより老けてんやな……」
へへっと笑いながら、ナニワが正義の顔を見る。
「……佐久間くん、すまない。僕が無茶なお願いをしたばかりに、こんなことに……その様子だと、【我侭放題】(エゴスティック)にたどり着くまえに、見つかってしまったんだね……」
正義は深く後悔してうつむく。
年端もいかない子供を巻き込み、大けがをさせてしまった。余計な責任を負わせてしまった。
そして、作戦が失敗した。
最悪の予想が的中してしまった。
しかし
ナニワは薄く、微笑んでいた。
「……ああ。確かに、辿りつけんかったわ。けどな……」
苦しそうな声をあげながら、ナニワはウェットポーチから【臆病な英雄】を取り出すと、ニヤリと微笑んだ。
「視界に捉えることくらいはできたで!」
*
「な、なによこれぇ!!」
一階中央。
香川は、とある正方体のガラスケースの中を覗きながら、叫んだ。
それは、裏の玄関広間。その中央通路から一つ部屋を隔てた奥。裏門から二十メートル先の所にあった。
高さ1メートルほどの四角い台座の上にガラスケース。その中の四角い穴に棒磁石がはめ込まれていて、Nと表記された部分が突き出している。
【我侭放題】(エゴスティック)の固定場所である。
今、彼女が困惑ながら凝視しているのは、その真上。
ガラスケースの天板から次々と、青や赤色のブロックが出現し、その空間を満たし続けていたのだ。
テトリスに出てくる形の4種類のブロック。
それが丁寧に、かつ迅速に、几帳面なほどに繋がっていく。
「まさか、あのガキの想具の能力 !? い、いつのまに……!」
香川はガラスケースを外そうとするが、それも想具の能力か、頑丈に固定されているみたいに動かなかった。
ナニワが香川に見つかり、扉に押し付けられたあの時。
すでに彼の掌には、3Dテトリスの画面が張り付いていた。
その準備が行われたのは、はるか前の時間。縄跳びの取手から、正義達の話し声が聞こえてきたときに、すでにその準備は行われていた。
ナニワは極度の怖がりで、臆病である。ゆえに、その時点で、外敵に対する対策を講じていた。
3Dテトリスのカセットを入れ、GBNを起動し、ゲーム画面を掌の上に張り付けていた。
いつ、どこから敵が襲っても対応できるように。
また、【我侭放題】(エゴスティック)を破壊することになったら、3Dテトリスのブロックによって消去することを考えていた。
画面を投げたのは、ナニワが香川のスカートをめくったのとほぼ同時だった。
つまり、右足でスカートをまくり、左手で扉のかんぬきを抜き、そして右手を振り上げて、香川のはるか後方に見える台座----【我侭放題】(エゴスティック)に向かって、3Dテトリスの画面を投げとばしたのである。
「くそっ……なによ!こんなもん!」
どんな能力かは分からないが、このままだと、【我侭放題】(エゴスティック)の能力が解除、もしくは破棄されることは予想できた。彼女は、近くの燭台を手に取り、ガラスケースを壊そうと、勢いよく叩く。
しかし、【臆病な英雄】の効果か、まるでびくともしなかった。
香川はどう対処してよいか分からず、慌てふためく。
やがてブロックの一部が、【我侭放題】(エゴスティック)の一部と同一化し始めると、とうとう香川の焦りはピークに達した。
「くそっ! この! このぉ!!」
がむしゃらに燭台でガンガンと叩くが、効果はなかった。ブロックの動きが止まる様子はなかった。
*
ナニワは砂漠の中。正義に抱き起こされながらも、一心不乱にGBNのボタンをカコカコと音を鳴らして連打している。他一同は、不思議そうにその様子を見守っていた。
ブロックの塊は、4段目まで積み上げられ、ついに棒状のバーを残すのみとなった。
「こんなボロボロで、みすぼらしくて、どうしようもない格好やけどなぁ……言わしてもらうで!」
そして、ブロックを落下させるためのコマンドを押す。
「……俺の、勝ちや!」
*
ムラマハド城の1階中心。
台座の上に固定された棒磁石は、ブロックと共に消滅した。
同時に、『敵』を反発する磁力も、無くなった。
「……………!!」
香川はしばらく呆然として台座を見ると
「………ちくしょおおおおおぉぉ !!」
怒り、叫んだ。
*
「よくやってくれた! ありがとう。佐久間くん!」
ナニワから事情を聞くと、正義が深く頭を下げて礼を言った。
「あとはゆっくり休んでくれ。君に報いるためにも、やつらから必ず、国を取り戻す!」
「……ああ、そうやな。あとは頼むで。どうやら俺の冒険は、ここまでらしいさかい」
痛々しそうに言って、ナニワは救護班の担架に乗せられて、馬車まで運ばれた。
正義はその様子を見て、全員に号令をかける。
「みんな! 佐久間くんが作ってくれた一世一代のチャンス! 絶対無駄にしないぞ! 全員、覚悟はできているね!」
戦闘準備も、覚悟も万端だった。
「オオオオオオオオオオオオオ!!」
兵士達は雄たけびを上げる。
全員、気持ちは一緒だった。
ある一人を除いて。
「待て」
一言。
端的に放つ短い声が聞こえた。
その場にいる誰もが、聞きなじみの無い声だった。
それもそのはず。その男は、正義団にいる間、全くといっていいほど何も喋らず、口を閉ざしていたからだ。
高い身長に糸目。まるで武士のような雄雄しい雰囲気を携える男。
ラカスと呼ばれたその男が放った言葉だった。
全員が驚きのあまり、動きを止めた。正義でさえ、一ヶ月ぶりに聞いた声だった。
彼はどこからともなくやってきて名乗った後、「ここに入れてくれ」と一言いうだけで、あとは無表情、無反応を決め込んでいたのだ。奇妙な姿をしてはいたが、肌に乾燥ヒビがないことから、『挑戦者』の一人だと推測し、半ば不安ながらも、狩猟時に見せたその戦闘能力から入団を決定したのだ。
「……待て、とはどういうことだ? ラカス」
正義は問うが、ラカスはいつも通り、何の反応も示さない。目も合わせずに、ただ一点を凝視していた。
その視線の先には、デカチョーがいた。
「…………?」
デカチョーは何事かと首をかしげる。やがて、彼女に向かってラカスが歩き出した。
デカチョーの手前で止まると、こう言い放つ。
「……少女よ。我と、手合わせ願いたい」
「……………え?」
言っている意味が分からず、首をかしげる彼女を前に、ラカスは戦闘の構えを作る。
彼の戦闘は素手での格闘。足を大股に開き、身体を半身に、両拳を固く握りしめている。
正義やイャンクッド、その他兵士も、突然のこの奇行に戸惑いを隠せなかった。
「な、何を言っているんだ? ラカス」
正義が、やっとのことで言葉を搾り出す。
しかし、ラカスは何も言わず、ただデカチョーを見つめている。
「決戦前に稽古をつけるということか? それとも、腕試しをしたいのか? あいにく、そんな時間はないし、そういう状況でもない! 何を考えているのだ!」
サィッハ王子がやや苛つきながら言うが、やはり、ラカスは無反応だった。
その時。
「………王子さん。この人、本気です」
ラカスの眼をみて、デカチョーが言い放った。
何の感情の乱れもなく、ただ純粋な強い意志を、その瞳に感じた。
今まで幾度と見た、強者の眼だった。
だから、
「………わかりました。手合わせしましょう。みなさんは先に行ってください」
デカチョーはそう言って、戦闘の構えを作り、ラカスと見合わせた。
右腕を顎の下に、左肘を軽く曲げ、腰の横で拳を作り、中股で自然体を作る。
どの状況、どの武道でも対応できる、纏耀道場独特の構えである。
「マ、マナトさんまで何を言うんスか! おいラカス! いい加減にするッス! これ以上は、裏切り行為とみなすッス!」
イャンクッドがいよいよ激昂する。
しかし、ラカスは一瞥もせずに言う。
「裏切り? 否。元々、仲間でもなし。我は主らを利用したに過ぎぬ」
淡々と、無感情にラカスはそう言い放った。
仲間じゃない。はっきりとそう答えた。
「り、利用した……? どういうこと-----」
「もういい」
動揺するイャンクッドを制するように、正義が口を挟む。
「愛誠とラカスを置いて、先に行くぞ」
「し、しかし……」
「これ以上は時間の無駄だよ。僕にも分かる」
正義もラカスの強い意志を感じて、そう結論づけた。
「……残念だよ。ラカス。会話せずとも、心は通じ合ってると思ったのは、僕の勘違いだったらしいね」
少し悲しげな表情でラカスを見てそういうと、踵を返した。
「ルゥンダ。佐久間君を頼んだ」
「……はい。わかりました」
正義の期待に、ルゥンダが答える。
そして正義は、全員に号令をかけアラマドを走らせた。イャンクッド含む他の兵士は動揺しながらも、各々のアラマドの手綱を握る。
「愛誠! たのんだぞ!」
たちこめる砂煙の中。正義が叫び、そして消えていった。
後に残されたのは、ナニワ、ルゥンダ、デカチョー、ラカス。
ルゥンダはナニワを連れて、デカチョーとラカスから距離をとった。
この間。デカチョーは一切、視線をラカスから外さなかった。
彼は至って無表情。落ち着いた雰囲気ではあるものの、まるで大型獣のような、凶暴かつ巨大なオーラのようなものを、内面から感じ取っていた。
並の強さではない。デカチョーは経験から感じ取っていた。
「……始める前に、ひとつだけ聞かせてください」
その緊張感に耐え切れなくなってか、デカチョーが口を開く。
「なんで今なんですか? 戦争が終わってからでは、駄目なんですか?」
少しの沈黙が流れる。
デカチョーは、また無反応かと思ったが、予想と反して、ラカスが口を開き始めた。
「……我は、磁力の消去が目的であったが故、達成した今となっては、主らに合わせる必要はなし。何より―――」
ラカスは拳を固く握り締め、腰をかがめる。
内面から湧き出るオーラが、より一層大きくなるのを感じて、デカチョーも警戒心を持って構えを固めた。
「―――我が嗜好は、『血湧き肉踊る戦』故に」