其の四 未知体験
まん中山から生還したその日、二人はこっぴどく叱られた。
昨日、ナニワが深夜になっても帰ってこないということで、両親が警察に通報。警察と、近所の住民による捜索隊が結成され、夜の十二時まで捜索が続いた。翌朝五時から再開し、午前九時二十八分。花巻商店街で発見、保護されたのである。
子供一人の暴走も、大人五人がかりでは止められてしまった。
「まぁたおまえの仕業か! くそガキ!」
捜索隊の一人の中年の男が、商店街の人ごみをかきわけ、ジュウに怒鳴りつけた。角刈りにハチマキ、日焼けした肌に筋肉隆々の体が印象的な、まさに『頑固おやじ』を絵に描いたような男である。
「おまえの無茶に他人を巻き込むんじゃねぇと、何度言ったら分かるんだ! 今度はどこほっつき歩いてたんだ!」
「あぁもぅカクさん! 説教は後でいいから、ここ通してくれよ!」
ジュウが地団太を踏んで、懇願するが、カクさんと呼ばれたその男は顔を真っ赤にし、顔に血管を浮かばせる。
「なんだその態度は! ちっとも反省しとらんだろ!」
と、両拳でジュウの頭を挟み、ぐりぐりとえぐり込む。ジュウが無言の叫びをあげて足をばたつかせる。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。見たところ、連れはひどい怪我してるようだし、今日の所はひとまず家に帰らせましょう」
横にいた男がなだめるように意見を言う。
結局、皆がそれに賛同し、捜索隊はその場で解散。ナニワは疲労困憊のうえ、傷だらけであったが、入院するほどでもなく、自宅で療養することになった。
「いやだぁぁ! 放せぇ! 冒険に行くんだぁぁ !!」
「いいかげんにしろ! くそガキ !!」
と、ジュウはだだをこねるように暴れるが、カクさんを含める3人の大人達が取り押さえ、むりやり連れ去られた。
(ほんま、底なしの元気やなぁ……)
ナニワは、ジュウが引きずられながら遠ざかる様を、憐れむように、またあきれるように見送った。
その後。大人達に付き添われながらの帰宅途中、両親を含む別の捜索隊と合流。ナニワは両親に、その場で人目もはばからず叱られた。
さらに家に帰ってからも、くどくどと長ったらしい説教を受ける。父と母の交代での、二時間ばかりの説教。精神・肉体、ともにズタボロだった。
山で拾った勾玉を母に渡して機嫌とりをすることすらできないような、そんな剣幕だった。
その日は幸い土曜日の休日。説教地獄から開放されたナニワは、差し出された昼飯のカレー(頼み込んでなんとか昼飯抜きを免れた)をがっつくように食べてから二階の自分の部屋へ。
「……転校初日から、とんだ洗礼をうけたもんや……」
うんざりしたようにつぶやくと、ベッドに飛び込んで、死んだように眠った。
※ ※ ※
翌日、朝日が昇りきった頃。ナニワは目を覚ました。
傍らの目覚まし時計を見ると、短い針が八を指していた。
昨日は午後一時から五時までの睡眠後、ひどい筋肉痛と疲労感と戦いながら夕食、風呂を済ませて九時に就寝した。つまり、まんなか山から帰ってから計十五時間眠ったことになる。
思った以上に疲労がたまっていたらしい。おそらく、精神的な要因が大きいのだろう。
なかなか始動しない脳をむりやり働かせて、ナニワが階下に下りる。未だ筋肉痛が体中を蝕んでいて、自然と体の動きがぎこちなくなる。一歩一歩がだるい。
そして、いつものように食卓へと向かう。
しかし、そこには父も母もいなかった。
昨夜の残りのカレーライスが一人分、ラップで包まれている。
「? あれ?」
怪訝そうな顔で辺りを見回した後、ようやく脳の回路が働き始め、ぼんやりと思い出す。
ナニワの父親はとある食品会社のサラリーマン。土日休みの週休二日制である。今日は日曜日で休みのはずだが、確か昨日、朝早く出張に出かけると言っていた。母は持病の腰痛を治すために病院へ出かけるとも言っていた気がする。
つまり、今家にはナニワ一人しかいないということだ。
また口うるさく説教が始まらないかと内心怯えていたナニワは、ホッと安堵のため息をもらした。
朝食後、二階へと戻ると、テレビゲーム機の電源スイッチに手を伸ばす。さすがに十五時間も眠ると、眠気も吹っ飛び、体力もそこそこ回復していた。ナニワは、寝巻きのままコントローラーを握り、現在進行中のRPGを進め始めた。
その時。
ピンポーン
インターホンのベルが鳴り響いた。
突然の来客。面倒くさがるナニワは居留守を使うこととし、立ち上がりもせずにゲームに集中する。しかし、
ピンポンピンポンピンポンピンポーン
何度もベルの音が響く。
さすがに不審に思い、指の操作を止めるナニワ。しかし、今は寝巻きで人前に出るには恥ずかしい格好である上、全身筋肉痛で階段を下りるのも億劫だった。再度ゲームの進行を進め始めるが、
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン
再々度、いやがらせのようなベルが鳴り響く。
「しつこいやっちゃなぁ……」
ついに観念。着替えるのも面倒くさく思ったナニワは、寝巻のまま一階へ。玄関の扉を開けた。
そこには、見慣れた顔があった。
「おっす!」
ランドセルを背負ったジュウが、気さくに右手を上げて挨拶した。昨日と同じ格好で、ポーチやポケットがついた腰ベルトを巻いていた。
ナニワがげんなりした表情でカクンと肩を落とす。
「出るのが遅えぞ! まぁとにかく迎えに来たから、準備しろよ」
「準備って……何の---!」
疑問を投げかけるが、ジュウの満面の笑みを見てハッと思いだした。
(「どこへでもついてきてくれるのか !?」)
まんなか山での一言。
ナニワの血の気がサアッと引いた。
「せ、せやかておまえ、また叱られるで?」
どこへでも着いてくと宣言した手前、無下に断るのも悪いと思ったが、これからまた外に出て冒険する元気はない。理由を付けて断ろうと考えた。
しかし、
「大丈夫。昼間のうちに帰ってくりゃいいわけだから! ほら! 水筒とかお菓子とか、バックに詰めて来いよ!」
と、さらに無邪気な笑顔を見せつけるジュウ。直感的に何を言っても無駄だと察した。
結局、筋肉痛の痛みに耐えながら私服に着替え、適当なポテトチップス三袋とスポーツ飲料の入った水筒をピクニック用リュックに詰めて支度。げんなりした顔で玄関に戻った。
「しかしおまえ……家からよぉ抜け出せたなぁ」
靴を履きながら、ジュウに半分感心、半分あきれるように言う。ジュウは親から厳重に監視されているだろうとナニワは予想していた。
「ナハハハッ。ワケねぇよ。家に居んのじいちゃんだけだし。」
この時、ナニワは『年寄りが相手だから隙をみて抜け出すのが簡単だった』と解釈したが、実際そうではなかった。後日、ナニワは知ることになるが、ジュウの祖父、天元我門は相当の変人であることで有名だった。
数年前。ジュウの度重なる冒険に巻きこまれた子供の親が、家へ直接苦情を訴えた時のことである。ジュウの祖父は四人に詰め寄られても、胸を張ってこう言い切ったそうだ。
(「んな小せぇことでガタガタなかすなよ。怪我したのはてめぇんとこのガキの責任だろうが。たんこぶ? 切り傷? 大いに結構じゃねぇか」)
当然、四人の保護者は顔を真っ赤にして怒るが、
(「大体、今のガキは縛られすぎていけねぇ。もっと自由に遊ばせりゃいいんだ。怪我することで、危険なものかそうでないものか分かるようにならぁ。あっち行くな。なにするな。って大人にガミガミ注意されるより、よっぼど正しい生き方だと、俺は思うぜ」)
と、笑みを浮かべながら、あまりに個性的すぎる教育論を述べたのである。
結論。天元我門は『超放任主義者』である。
ジュウが何度も山に泊まれたのも、そのためであった。今回の騒動も我門にとっては大した問題ではなく、帰って来たジュウに何も言わず、衣食住を提供するだけであった。周りの大人もすでに匙をなげ、専ら苦情は、事件の当本人であるジュウに集中していた。
それでもさほど応えないのが、ジュウの長所であり短所である。
「でも、カクさんのげんこつは痛かったなぁ。昨日も夜遅くまで叱られてひどい目にあったぜ」
と頭をさすりながら笑い混じりにジュウが言う。
カクさん。本名、武町大権。
街一番の頑固おやじである。昔からジュウが問題を起こすたびに、実の父親のように問答無用に叱りつけていた。
もちろん、その他の子供も同様。PTA会長の孫だろうが、ツッパリ度マックスのヤンキーだろうが、彼にとって何の抵抗勢力にならない。町の子供たちは皆この男に恐怖し、近づこうとすらしないという。ジュウを除いて。
(もっとひどい目にあったのは俺やけどな)
ナニワがリュックを背負い、ボソリとつぶやく。
「よぉし! 行くぜぇ!」
ジュウが興奮さながら叫んだかと思うと、いきなり走りだした。
「ま、待てや! まだ疲れてんねん俺! ちゅうかどこ行くんや !?」
と、ナニワは必死にジュウの後を追う。
途中、ジュウは立ち止まりながらナニワを待つ。走っては止まり、走っては止まりを繰り返しながら移動した。まるで首輪をつけない犬の散歩のようだった。
いや、犬の散歩といっても、ナニワがジュウを連れているのではなく、逆にジュウに連れまわされているのだが。
その工程を二十分ほど続けると、ある空家にたどり着いた。
「よし、到着!」
ナニワはヨロヨロになりながらの到着。ジュウの横でひざをついて息を整えた。
空家は、築五十年は経ったであろう、家としての原型を保っているのが不思議なほどの相当なボロ家だった。二十坪ほどの小さな敷地。クモの巣は張り放題。芝が二メートルほどまで伸びたジャングルのような庭。風雨にさらされた扉はまっ茶色に錆びていた。昭和の味をかもしだす塀門には、立ち入り禁止の、黄色と黒の縞模様テープが何本も張られていた。
「なるほど、今度はこの空家の中を冒険てことやな?」
とナニワが余裕しゃくしゃくといった感じで言う。
(昨日の冒険に比べれば、なんて平和なんやろ。敷地も小さいし、全部回るのに三十分かからへんで)
ナニワが安堵したような表情をみせるが、
「あー違う違う。ここじゃねぇんだ」
というジュウの返事。しかし、彼は立ち入り禁止テープをくぐり敷地内へ侵入する。
「……?」
ナニワは訳が分からなかったが、後に続いて敷地内に入った。
ジュウは、家には目もくれず庭の方へ歩き、ボウボウと生えた背丈以上の芝草の手前で立ち止った。塀門の前で見たよりかなり威圧感を感じる。
(……いくらなんでも、長すぎやないかこれ?)
二メートル超の長さの草原など、沖縄のサトウキビ畑ぐらいである。関東圏に存在するはずがない。ナニワがいぶかしげに見上げていると、
「よし! 行くぞ!」
ジュウが鼻息荒く、興奮気味に言って芝草の中をかきわけて入って行く。少しためらって、ナニワも後を追い始めた。
視界は全て草で埋まった。ガサガサという葉の擦れる音と自分の足音のみが聞こえる。2メートルくらい遠くにちらりとジュウの姿が見えた。手や顔に草がこすれて、ちくちくと痛い感触を残す。
30秒ほど芝の中を歩いて疑問を感じた。
(ここの庭、こない広かったやろか?)
外から見ただけで正確な大きさはわからなかったが、普通の一軒家の庭なら、長くても10秒あれば横断できるはずだ。草が邪魔で歩きにくいとはいえ、歩いた距離を考えると、とっくに塀を貫通しているはずである。
やがて、先に光が見えた。ジュウが芝を出たらしい。
ようやくうっとうしい草から逃れられると喜びつつ、ナニワが後に続いて芝を出た。
そして、
「……なんやこれ………」
ナニワはただ立ち尽くす。
これは夢か? 幻か?
自分の目を疑った。正気を疑った。
呆然と立ち尽くす。
----目の前の光景は、何や?
「ナハハッ。驚いただろ?」
ジュウが振り向いて満足げに言った。
驚いたなんてもんじゃない。昨日会った化け物熊は、まだUMAで納得できる。異常植物も、突然変異で納得できる。
でも-------これは無理だ。
ナニワの目の前に
雄大な草原が、地平線まで広がっていた。