其の十五 地獄の地下生活
◆
約20年前。
気がつくと、正義は砂漠の真ん中で、大の字になって倒れていた。
「……………?」
訳もわからず、辺りを見回す。
さっきまで公園の砂場で妹と城づくりをしていたところだった。
卒業式当日。学校からの帰り道に、日晒木公園の砂場で遊んでいる妹を見かけた。
活発的な彼女にしては珍しい遊びだと思いつつ、日はすでに落ちかけていたので、家まで一緒に帰ろうと思い立った。
しかし、彼女は砂の城を作るまでは帰りたくないと、これまた珍しく駄々をこねた。しかたがなく、家からバケツをもってきて一緒に城を作り始めたのだ。
卒業後は東京の大学に進学するため、妹とも当分会えなくなる。最後の思い出作りとして、なにかをしたい。そういう気持ちもあった。
しかし今。
なぜか正義少年は、砂漠の上に居る。
「……なんだ? ここ……? 夢………じゃないよね」
乾いた風と舞い上がる砂の匂い。夢とは思えない現実感があった。
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、じっとしていても仕方が無い。あてもなく、正義は砂漠を歩き始めた。
だが、彼もナニワやジュウ、デカチョー達と同様に、歩きはじめてしばらくしてから、ひどい渇きが襲うことになる。脱水症状である。
ひたすら水を求めて彼は歩き続けるが、一向にそれらしきものは見当たらない。
歩き始めて6時間後。ついに倒れてしまった。
(……もう、動かない……こんな、わけのわからない所で……!!)
目がかすみ、頭が正常に働かない。限界だった。
意識を失いかけたその時。
彼の真下の砂が、勢い良く陥没した。
「なっ………!!」
そこは流砂の起きるポイントだった。彼は慌てて逃げようとしたが、激しい砂の流れに引きずり込まれる。
死を覚悟した。
しかし、そこは普通の流砂とは違い、砂の中に生き埋めになるような危険なものではなかった。彼らが現在隠れ家としている、地下空間の入り口だったのである。
正義は砂の層を抜けると、4メートル近く落ちて、岩に叩きつけられた。
後に、その入り口は砂漠の至るところにあり、上になにかが乗ると、その重みによって岩盤の隙間から砂が流れ出るために起こる現象であるということがわかったが、この時の正義にそれを知る由は無かった。
「う……うう……」
うめき声をあげつつも、力を振り絞って立ち上がる。あてもなく道をさがして、歩き出した。
そこは鍾乳洞だった。砂漠よりも、水がある可能性は高い。
そう考えて、湧き上がる生存本能に突き動かされたのだ。
そして、その予想は的中した。
ピチョンッ
と、水滴が落ちる音が聞こえた。
正義はよろめく足をむりやり動かして、音の方向へと進む。
そして、見つけた。
「………!!」
水が、壁からわずかにだが、湧き出していた。
いわゆる、地下水脈だった。
※ ※ ※
正義は2日ほど、そこで体力を回復した後、外に出る方法を探し始めた。
意外にも、それはすぐに解決した。ある行き止まりの通路に溜っていた砂を掻き分けて突き進んでみたところ、地上に出ることができたのだ。
だが、やはり、そこを離れるわけにはいかなかった。
再び地上に出て下手に歩き回ると、この地下への入り口に戻れなくなるかもしれない。ほんの数分で、急激に水分を奪われる。そんな環境で、他に人が暮らしている可能性はおそろしく低い。
過酷な現実に嘆きながら、彼はもとの地下生活に戻った。
地下には食べ物はほとんど無く、あるのは水だけである。それでも、ここに残るしか、彼の生きる道はなかった。
可能性がゼロに等しいことは理解しながらも、ただ、誰かが助けてくれることを祈るしかなかった。
※ ※ ※
水を飲み、寝て、時々地上に出て様子を見る。
その生活が2週間ほど続いた。
再び、彼の身体に限界が近づき始めていた。
地下に生えていたわずかなきのこ類も食べつくし、食料はない。そこで、少しでも体力を温存させるため、地上への出入りを止めることにしたが、それが逆効果だった。長時間光が差さない暗闇にいることと、静寂につつまれた空間にいることが、彼を極度の神経過敏状態にさせた。
頬は窪み、目はうつろ。肌は血の気がなく真っ白。
身心ともに、極限状態だった。
そんな時に、
ザザザザザザザザザザザザッ!
地上から、砂が激しく動く音が聞こえた。
それは砂波の音。当時、彼もその現象をすでに知っていた。何百回も地下空間の上を通過していて、別段驚くことではなかった。
しかし、その時の正義の精神状態は、あまりにも不安定だった。
「う、うぅああああぁあ!!」
突然の大音量に驚き、彼は錯乱し始めた。
声にもならない声をわめきながら、地下を走り回った。辺りの鍾乳石の突起に身体中をぶつけながら、ひたすら走り回った。
そして、回避本能からか。砂に潜って地上に飛び出した。
「ああぁあ! うぅあああああああああ!!」
太陽こそないものの、その夕日のような赤い空は、彼の網膜に大きなダメージを与えた。苦しみ、もだえながら砂の上を転げまわった。
その時。
コツンッと、何かが彼の足にぶつかり、盛大につまづいた。
「ハァ………ハァ………?」
激しい混乱から、やや落ち着きをとりもどす正義。ゆっくりと起き上り、足に視線を移した。
それは急須だった。
茶葉をいれ、湯をさして煎じ出すのに用いる、小さな土瓶である。表面は緑色で、使い古したような印象だった。
正義は思わず、それを手に取った。
すでに思考は虚ろで、自分が何をしているのかも分からない。ただそれは、動物が物珍しいものをみると手に取るような、そんな行動だった。
それを手にとって、呆然とそれを見つめる正義。
ふと、表面に砂がこびりついているのが目にとまり、咄嗟にそれを手でこすって拭いた。
その行動は、彼の生死を決定付けたものだった。
ブシュゥゥゥゥ!
急須の茶口から、白い煙が激しい音と共に飛び出した。
「う、うわぁ!?」
正義は思わず急須を放りなげる。煙はなお、激しく出続ける。
やがて、それが人の形へと変化していった。
気付くと、目の前に8メートル程の巨人が姿を現していた。
「………!? !!」
正義は何が起こったか分からず、ただ呆然と見つめていた。
それは、ナニワとジュウが出会った魔神。
魔神は、その大きな口を開き、言い放った。
「汝の願いを、三つだけ叶えよう。一つ目の願いを言うがよい」
腕組みをしながら、正義を見下ろす。
その時の彼には、それが現実なのか、夢なのか、幻なのか何ひとつ理解できなかった。思考も虚ろで、今にも意識を失いそうな状況だった。
だから、たった一言。
ずっと叫びたかった、願っていた一言を言葉に発した。
「た……助け……て………」
ひどくしわがれていて、聞き取りづらい声でそうつぶやくと、意識を失い、砂の中に身体を沈めた。
魔神はただ黙って、その様子を見つめていた。