其の十四 砂漠の地下の秘密基地
一方。デカチョーサイド。
武町兄妹と他3人は、奇妙な馬車に乗って、砂漠の上を進んでいる。足をとられやすい砂の上であるにもかかわらず、彼らの目の前の生物。もといラクダもどきは、悠然と砂煙をまきながら、大きな砂山を難なく越えてゆく。
「兄ちゃん! これからどこに行くんだ?」
ここがどこなのかも分からない状況であるにもかかわらず、嬉々とした表情でデカチョーが訊く。馬車に積んでいた水を飲んで、些か体調は回復していた。
「……僕たちの隠れ家さ。そこで詳しい事情を話し合おう。どうしておまえがここにいて、僕が今までどんな暮らしをしてきたかをね」
「わかった! てゆーか兄ちゃん。なんか老けたか?」
デカチョーは訝しげに、正義の顔をのぞき見る。
武町正義が行方不明になった当時、高校3年生。つまり十八歳だった。
それから4年が経過して、今は22歳のはず。
しかし今、彼の肌は荒れ、頬もこけて、若若しさは感じられない。わずかに小じわが垣間見えていた。
「老けもするさ。お前と別れて、二十年近く経つんだからね」
「えぇえ !? 二十年 !? 何言ってんだ兄ちゃん!?」
「ああ……そっちとは時間の流れが違うからね……まぁ、その辺の話も後だ。喋るほど口の中から水分が奪われるよ。黙っていたほうが良い」
そう言うと、正義は前を見据える。
デカチョーは話したいことが山ほどあったが、少し不満気に従って、口をつぐんだ。
しかし、四年ぶりの再会。生きているかどうかも分からない兄にやっと再会することができて、デカチョーは心の底から喜んでいた。ジュウとナニワのことなどすっかり頭から吹き飛び、老けた正義の顔を見て、嬉しそうに微笑むのだった。
そこで突然。
「自己紹介するッス! ジブンはイャンクッドって言うッス!」
一人の男。サソリの化物を倒し、デカチョーを助けた男が右手を挙げて言った。
体格こそ立派な大人のようではあるが、その顔や仕草から、どことなく子供のような印象を受けた。
「私はルゥンダよ」
彼の横に座る女も、続けて名乗る。頭から布をすっぽりと被り、顔面しか露出しないようにしていて、アラビアの女性の姿そのまま。どことなく上品そうな雰囲気があった。
「………………」
残りの一人は口を閉ざしたままだった。
その男は、他二人とは明らかに容姿が異なっていた。
細く引き締まった筋肉質の体。ひざ下丈のズボン。下駄を履いていて、ベルトにひょうたんをぶら下げている。やや長めの丸刈りに糸目。その顔にひび割れはなく、肌の色も至って普通。また、顔の左半分から左胸にかけて、唐草模様の刺青があった。
先刻、デカチョーがサソリの怪物に襲われたときも、唯一馬車から飛び出さなかった男である。険しい顔をしているが、年は若そうな印象だった。
「ああ。ごめんね。この人無口でね。変わってるのよ。名前はラカス(・・・)っていうの」
訝しげに彼を見る様子を察して、ルゥンダが代わりに答えた。
「あなたのことは、正義さんからいつも聞いてたッスよ。お会いできて、光栄ッス!」
と、イャンクッドが握手を求める。デカチョーが咄嗟に応じた。
「こちらこそ……助けて頂いてありがとうございます」
と、遅れながらも、礼を述べた。
そして、『いつも聞いてた』という言葉に、デカチョーは安堵する。
それはつまり、正義もデカチョーのことを忘れていなかったということだ。出会って早々、彼が憂鬱な顔をしたから、少々不安を感じていたところだった。
一方。正義は
久しぶりの再会に、満面の笑みを浮かべる妹を前にして微笑ましくなる一方、妹に起こっている悲劇を考えると、気分が落ち込んだ。
憂鬱な顔をしていたのは、今後待ち受ける彼女の運命を憐れんでいたためだった。
妹までもが、この世界に捕われてしまったという悲しい現実に、心の底から喜べなかったのである。
※
馬車が走り始めてから20分後。
前方にサボテンのようなものが見え始めた。ラクダもどきは、その直前で停止した。
そのサボテンは高さが5メートル程あり、トゲというよりは角のようなものが何百本も緑色の幹から生えている、鬼の金棒のように見えた。
デカチョーを除いた4人が馬車から降りると、彼らは揃って、サボテンから2メートルほど離れた地面を手で掘り返し始めた。
デカチョーは首を傾げつつ、後に続いて降りる。
やがて、砂の中から直径20センチほどのパイプが顔を出した。イャンクッドがそれに顔を近づけると。
「合言葉!」
パイプの中に向かって叫ぶ。数秒遅れて、声が返ってきた
《合言葉。了解! 正義団!》
「平和と自由を我らの手にッス!」
《合言葉よし! 例の位置にて待て!》
パイプを通じた問答が終わると、砂を被せてパイプを隠す。すると、正義が馬車まで戻り、デカチョーの手を引いた。
「一体、何をするつもりなんだ? 兄ちゃん」
「大丈夫。何も不安がることはないよ」
優しい声でそう言う正義。
その言葉に頷き、馬車から飛び降りるデカチョー。正義は彼女の手を握って、ある地点まで誘導した。
そこはサボテンに対し、先ほどのパイプとは逆に位置する場所だった。何の変哲もない、砂の上である。
「じゃあまず、僕達からいくよ」
正義が他3人に言うと、彼らは黙ってうなづいた。
そして、デカチョーの手をひくと、3歩ほど歩みを進める。
その後、数秒もたたないうちに、変化が起きた。
突如。地面が陥没し始め、身体が足からズブズブと飲みこまれてゆくのだ。
いわゆる、流砂である。
「えっ! ちょっ! 兄ちゃん!」
「大丈夫だ。落ち着いて」
と、慌てる妹に肩を置く正義。
すでに砂は、彼らのくび元まで到達した。
しかし、それと同じくして、足から砂のザラザラ感が消え始める。宙ぶらりんの感覚。
やがて、砂の流れが激しくなり、勢い良くデカチョーの身体が底へ吸い込まれた。
「うわっ !?」
デカチョーが頭のてっぺんまで完全に砂を被った。
その直後、体が急速に下へと呑み込まれる。
突然の変化に戸惑うデカチョー。しかし数秒後、地に足が着く感覚を頼りに、ややふらつきながらも着地。正義が続いて、デカチョーの横に着地した。
デカチョーが辺りを見回す。
そこは、鍾乳洞のような小さな空間だった。
広さは、畳6畳分の小さな空間で、天井まで高さ4メートルほど。彼らの真上から、滝のように砂がザラザラと音を立てて落ちている。
どうやら、流砂にのみこまれて地下の空間に落下したらしい。上を見上げると、残りの三人が順番に落下してきた。
「ここは……一体……?」
思わぬ光景に、息を飲むデカチョー。まさか砂漠の下に、このような空間があるとは思いもしなかった。
「僕らの秘密基地って所かな。偶然、見つけた場所なんだけどね」
正義は簡潔にそう答えると、奥に続いている小道に向かって歩き始める。
人一人がやっと入れる程の幅。一同は彼の後に続いて歩き出した。
一体ここはどこなのか?
兄に何があったのか?
疑問は山ほどあったが、ひとまずは口を閉ざしておくことにする。
その代わりに
「……兄ちゃん。相変わらず、ズボラなことするなぁ」
デカチョーは、正義の背後から呆れたように言う。
正義の長く伸びた後ろ髪。それが、あろうことかネクタイで縛られていたのである。
「んん? ああ、これかい? ハハ。まあ、切るのもメンドクさいしね」
正義は笑いながら振り返って言う。こういうズボラな所は父親譲りである。
姿形は変わっても、中身は変わらない。その様子に、デカチョーは少し安堵するのだった。
※
途中、不恰好な階段を降りながら歩くこと5分。体育館のように広い空間に出た。
そこでは、50人ほどの人が歩き回っていて、商店街のようにガヤ騒ぎが絶えない。また、全員がイャンクッド達と同様に、顔にひび割れがあった。
「おぉい! 戻ったぞ!」
先頭を歩く正義が手を振って声をかけると、瞬く間に何人もの人が集まった。
「正義さん! おかえりなさい!」
「今回の収穫はどうでしたか?」
と、人ごみの中から聞かれると、
「駄目だ。子供1人分くらいの食料しか集まらなかったよ」
正義が残念そうに答える。集まった人々もそれぞれ肩を落とした。
「そろそろ体力の限界だよ……」
「このままじゃ、みんな飢え死によ!」
「早くなんとかしないと……」
不安げな顔で見合わせる。
その中、一人の男がふと気付いて、
「あれ? 正義さん。この子、見かけない顔ですね? 誰ですか?」
怪訝そうな顔で聞いた。
「ああ。僕の妹だ」
「ええぇぇええ !?」
驚く一同。ザワザワと、あたりがざわつき始めた。
「まぁ細かい話は後で。とりあえず、食料を配るから、みんな取ってってくれ」
正義がそう言うと、最後尾を歩いていたイャンクッドが、槍にぶら下げた布袋を地面に広げた。中には、小さな果物らしきものが少しと、わずかな量の獣の肉が入っていた。
その食料に群がる人々の中。正義は辺りを見回す。
そして、少し離れた所に佇む、一人の少年を見つけた。
「ああ、王子。ちょっと来てもらっていいですか?」
正義は、明らかに他の人とは違う丁寧な物腰で、そう呼びかけた。
「少し、話したいことがあるんです」
「うむ。分かった」
王子と呼ばれたその少年が合流し、一同は奥の方へ。とある横穴へと入った。
そこには、畳8畳ほどの部屋があり、中心に4人が座れる石製の机と椅子があった。奥の壁からは、チョロチョロと少しずつ水が流れていて、下に水たまりができている。
「ここでゆっくりと話し合おうか。まぁ、座りなよ」
正義は席を促すと、机の上にあったお椀で、水たまりの水を掬う。デカチョー達は椅子に座り、正義はお椀をデカチョーの前に置いて、向かい側に座った。
刺青の男も無言のまま、どかっと椅子に腰かけ、足を組む。口をへの字に曲げて、どこか近寄りがたい雰囲気を放っていた。
正義は腰につるした布袋を取り出すと、閉じ紐を弛めて、中の水を飲む。デカチョーもお椀の水を飲んだ。
一息ついたところで、
「改めて紹介しよう。彼らはイャンクッドとルゥンダ。僕の右腕であり、頼れる部下だ。イャンクッドは屈強の戦士。ルゥンダは医療班のリーダーだよ」
彼らは正義の横で、「よろしくッス!」「よろしくね」と頭を下げた。
「おまえの横にいる男は、ラカス。無口でぶっきらぼうだけど、腕っ節は人一倍だよ」
薄く微笑んで言う。ラカスはなお無言で、デカチョーの右隣で腕を抱えてふんずりかえっていた。
「そして彼がサィッハ王子。サイッハ=ラフィス3世だ」
続いて正義は、デカチョーの左隣の少年を差す。
彼もイャンクッドやルゥンダと同様に、肌が黄土色で、顔にひびがあった。年齢15歳程度。散切り頭が印象的な、まだ幼さが残る少年だった。
その少年。サィッハ王子も、デカチョーに向かって頭を下げる。
しかし、彼女は困惑していた。
「?……戦士とか、医療班とか、王子とか……訳わかんねえよ! いちから教えてくれよ、兄ちゃん!」
「それは……話すと長くなる。まずはそっちの事情から話してもらおうかな。どうして、どうやってここに来たのか……」
言われて、やや躊躇しながらも、デカチョーはこれまでの経緯を話した。
といっても、クラスに二人の悪童がいて、彼らを追っているうちにこの世界に迷い込んだという、ただそれだけの話だったので、ものの5分で終わった。
「……なるほどね。おまえらしいよ」
正義は一通り聞き終えると、半ば呆れるように、半ば感心するように言う。
「だけど今回は、そのおまえらしさが仇になったね。全く、不幸中の幸いというか……僕達が通りかかって本当によかった」
「うん。あの……本当にみなさん。ありがとうございました」
と、デカチョーは一同に向かって深々とお辞儀をして、改めて礼を述べる。委員長らしく、礼儀正しい姿勢だった。
「そんな……大した事じゃないッスよ!」
イャンクッドは照れくさそうに赤らめて、ルゥンダは静かに微笑んだ。
「しかし……その天元くんと、佐久間くんという子も心配だな。普通の人間では、この砂漠では一日も持たないだろう」
「? 普通の人間では……?」
デカチョーが訝しげに反芻する。
「ああ。イャンクッドやルゥンダ達、砂漠の民は生まれつき、乾燥に耐性を持っているから、超乾燥地帯のこの砂漠においても平気だけど、普通の人間では肌から大量の水分を奪われてしまうんだ。それは身を以て体感しているだろう?」
言われて、なるほどと納得する。
先刻、砂漠の上を移動している間、彼らが一滴の水も飲まずにいられたのは、体質のおかげであった。顔にあるヒビ割れは、その影響なのだろう。
「とにかく、すぐに探しに行かせなきゃ」
そう言うと、近くを通りかかった人に事情を説明する。すると、数人のグループが作られ、地上に向かって足速に駆けた。
どうやら正義は、この人々のリーダー的存在らしい。
「さて……」
一息ついて、正義は机に両肘をついて両手を構える。
そして、デカチョーを見据える。
「……本当なら、折角の再会。世間話でもして和みたい所だけど、あいにく、今はそんなことをする心境でもないんでね。とりあえず、おまえが一番気になってるであろう、僕が消えたその後について話すよ」
そう切り出すと、彼は淡々と、懐かしむように、語り出した。
幸福と絶望に満ちた、20年間の記憶を。