其の十二 再会
「いったい……ここは……?」
彼女はしばらく呆然と、周囲を見渡していた。
鬼の委員長。武町愛誠。通称デカチョー。
興味本位で入り込んだ砂場の中には、信じられないような光景が広がっていた。
一面の砂漠。
「……夢でも見てるのか……?」
思わず、そう呟く。
同時に、吹き寄せる乾いた風と砂の感触が、確かにリアルであることを実感させていた。
夢ではない。
「……なんか、やばそうだな……」
デカチョーは危機感から、再び砂の中に入り、元の世界に戻ろうと試みる。これ以上、深入りするほど好奇心旺盛ではない。
その時だった。
「……ん?」
足元に、何かが埋まっていることに気づく。
ナニワが目印に差した、縄跳びの取手である。
「! これは……!?」
デカチョーはそれを抜き、まじまじと観察する。
彼女はその縄跳びに見覚えがあった。
昼休み時間、ジュウ達がよく振り回して遊んでいたものだ。
学校指定の縄跳びが青色に対して、彼が持っていたのは黄色だった。さらに、ネームシートに書かれている名前が異なるものだったため、盗品を疑ったからよく覚えている。
確かに、ジュウのものだ。
(ジュウとナニワは……ここにいる……!?)
そう確信して、彼女はその縄跳びをジーンズのポケットにしまった。
もし、彼らがこの世界に迷い込んでしまったのならば、助けなければならない。学校に連れ戻すという約束もした。
さらに、取手だけしか残っていないのは不可解だったが、規則と正義を重んじる彼女にとって、それは立派な『落し物』だった。
落し物は拾う。
たとえ見知らぬ世界に放り出されたとしても、それが彼女の常識で、正義だった。
「……よし。行くか……!!」
彼女は決意し、足を踏み出した。
二人を探し出し連れ戻すために、広大な砂漠に足を踏み入れた。
だがしかし、彼女の決定的な欠点は、正義に固執するあまり、周りの状況や後先を考えないことだった。
一度その場を離れた場合、もとの砂山まで戻れるかどうか。ナニワが当然のように思い至ったその点について、彼女は思いつかなかった。
そして、彼女は宛も無く、広大な砂漠を彷徨う。
※
数十分後。
彼女もジュウ達と同様、水に飢えていた。脱水症状で倒れるのは、時間の問題だった。
(さすがに……やばいか……?)
武道の稽古で、きつい状態に慣れていた彼女ではあったが、さすがに限界を感じ始めていた。その上、見渡す限り砂の山ばかり。精神的にも苦しいものがあった。
上半身をふらふら揺らしながら歩き続ける。
その時
ドドドドドドドドド……
後方から何かが迫る音が聞こえてきた。
かなり大きい。人のものではないことは、見なくても分かった。
ふらつく足で、彼女は振り向く。
全長10メートルはあろう巨大なサソリが、迫ってきていた。
「 !!……え…… !?…………」
デカチョーは卒倒しそうになる。
正確に言えば、サソリではない。足はムカデのように何十本もあり、ハサミは蟹のように、身体に対してかなり大きめである。尾にあるトゲは1メートル近い長さで、それが3本もある。
「な………なんだよ、コレは !?」
数多の熟練者と戦い、度胸や勇気を鍛え、幾つもの修羅場を経験してきた彼女だが、これはあまりにも、予想だにしない、受け止めきれない現実だった。
混乱する思考をむりやり正して、ふらつく足に鞭を打ち走った。
逃げる。それ以外に選択肢はなかった。
しかし、いかに俊足といえど、その怪物の、巨体に反した速い足さばきから、逃げ切れるはずがなかった。巨大サソリはみるみるうちに距離を縮め、デカチョーのすぐ後ろまで迫ってきた。
デカチョーは真近に迫る恐怖に、顔をゆがめる。
(うそだろ……こんな訳の分からない所で………死ぬのか…… !?)
そして、人を簡単にひきちぎるであろう、その巨大なハサミが彼女に向かって振り下ろされた。
「…………!!」
思わず、堅く目をつぶるデカチョー。
その時。
ひとつの影が、彼女とサソリの間を横切った。
一瞬。サソリの動きが止まる。
そして、
巨大サソリのハサミと胴体、尾が断裂された。
”キシャァァァァァァァァァァァァァ!!”
サソリは苦痛な叫びをあげると、ドシィン!と大きな音を立てて砂の中に崩れていった。
デカチョーは呆気に取られ、ポカンと口を開けたままだった。一体何が起こったのか、分からなかった。
そして、立ち込める砂煙の中。
一人の男が姿を現した。
全身を覆う長いマント。頭全体を覆うターバン。さらに、薄く汚れた長ズボンと、鉄の胸当て。腰巻を身につけている。全体的にアラビア風の衣装に似ていた。
しかし、一番目を惹いたのは、頬全体に、まるで枯渇した大地のように大きなひび割れがあることだった。
その肌の色も普通ではなく、地球上のどの人種も有していない肌色。黄土色だった。
「大丈夫ッスか?」
男は気さくに声をかけると、手を差し伸べる。他方の手には1メートル程の長さの槍を携えていた。
デカチョーは目の前の現実を未だ受け入れられないでいた。
しかし、目の前の男が、サソリの化物を退治してくれたことは理解した。
かろうじて、彼女は視界に捉えていた。巨大なサソリを飛び越えた跳躍や、目にも止まらない槍の振り速度は、人間業ではなかった。
「あ……ありがとうございます」
混乱した頭で、かろうじてデカチョーは礼を述べて、男の手を取り立ち上がった。
「危ないところだったッスね」
ひび割れた顔で、爽やかな笑顔を向ける男。
その時、彼らの後ろから、再びドドドドッという野生の足音が聞こえてきた。
デカチョーは一瞬身構えて振り向くが、それはサソリではなかった。
半円状の屋根を被った馬車だった。正確に言えば、馬はラクダのような顔をしていて、馬車はタイヤでなく、ソリのような形状だった。
馬車はデカチョー達の手前数メートルで停止。後ろから一人の男と女が飛び出した。
「良かった! 無事みたいね! 間に合ってよかったわ!」
少女の無事に安心している様子で、女が声をかける。二人とも、槍の男と同様に、アラビア風の衣装を身に着けている。
だが、デカチョーの視線は彼女に向けられてはいない。
男達の一番後ろ。フードを深めに被った男がいた。
男はデカチョーを見ると、大層驚いた様子で、微動だにしない。全身が震えているようにも見えた。
デカチョーも男を見つめる。男はゆっくりと近づいて、フードを外した。
エリート育ちを思わせるような、きっちりと整った顔立ち。長く黒い髪は後ろで束ねられている。
その顔を見ると同時、デカチョーの呼吸が止まる。
あまりの衝撃に、心臓が口から飛び出しそうな錯覚を覚える。
感情の波に、思考がついていかなかった。ただ、男の顔を見つめるのみである。
最初に口を開いたのは、男の方だった。
男も同様、信じられないといった様子で、目を剥かせている。
「なんで……おまえがここに……?」
デカチョーの兄。武町正義がそこにいた。