其の九 砂かけ娘
土日を挟んで三日後。四月二十九日の月曜日。
五現目の社会の授業は、調べもの学習だった。
タイトル。『御供市の歴史』
御供市にまつわる歴史について、四人ずつ八つの班に分かれて調べ、それぞれ発表するというものだ。
ある班はコンピュータ教室でネット調査。ある班は図書室。また、ある班はすでに自宅で調べものを終えて、教室にて発表準備にとりかかっている。
ジュウが参加する第七班の他メンバーは、ナニワ、デカチョーに加え、由良吉輝という男子生徒である。デカチョーがジュウの班に入ったのは、監視のためでもあった。
現在。図書室で分厚い歴史書を読みあさりながら、発表の題目を決めている最中である。といっても、ナニワは歴史の本を盾にマンガを読み、ジュウにいたっては鼻ちょうちんを作りながら大きないびきをかいて居眠りしている。一応、本は両手に構えた形だ。
「おい天元! 何回注意すれば目覚めるんだ !?」
しびれをきらして、デカチョーが通算11回目の注意を促す。
ジュウは先刻から、読んでは眠り、読んでは眠りの繰り返しだった。読み始めてからものの数秒でいびきをかき始める。難しい書物は生理的に受け付けないらしい。
「んあ!?」
間抜けな声を出して、ジュウが目を覚ます。その横で、ナニワが「プハハハハ!」と大きな声を出して笑い出した。
「佐久間! 歴史書になんか面白いことでも書いてあるのか?」
厳しい口調でギロリと睨みつける。ナニワはビクリ!と肩をはねあげて顔を青くした。
「あ、アハハハ。いやちょっとなぁ。あ! これとかええんとちゃうか?」
裏に隠していたギャグマンガのコミックスを机の下に隠しつつ、歴史書の適当な箇所を指差してごまかす。
デカチョーと熊谷は、机の上に広げられた歴史書を覘いた。ジュウは12回目の睡眠に入っていた。
タイトルには『御供市の由来』とあった。
「おお! 面白そうだな!」
デカチョーが声を明るく言い放つ。ごまかしは成功したようで、ナニワは胸を撫で下ろした。
三人は黙々と、その文章を読み始める。
『五百年ほど昔。庵村という小さな村に、奇跡の力をもつ巫女がいたという。その内容はどの書物にも残されておらず、至って謎であるが、それは、茶碗や箸、桶など、さまざまな日用品を媒体にすることで行われたらしい。村人はその奇跡の恩恵により、恵まれた生活をしていたようだ。村人が家から日用品を持ち寄って、巫女に御供えすることから、御供村と名を改め、これが現在の市の由来となっている。』
「奇跡の力? なんかうさんくさい話だな」
デカチョーが眉をひそめて言う。
しかし、ナニワの耳にその言葉は入らなかった。
目を丸く、本を凝視している。
(日用品を媒体に………? もしかしてこれって、想具のことか? そんな昔から……?)
推測の域は出ないが、可能性は高い。自然とナニワの胸が躍る
そこで、
「ねぇ。ひとつ提案したいテーマがあるんだけど……」
おそるおそる。声を上げる男子生徒が一人。
出席番号24番。由良吉輝。丸メガネとおかっぱ頭が特徴的な男子生徒である。
「? なに?」
と、デカチョーが聞き返すと
「『御供市七大不思議』についてとか、どう?」
由良は若干不安気に、少し声を弾ませつつ言い放つ。
デカチョーとナニワは一息おいてから、「はぁ」と軽くため息をついた。
由良吉輝は、オカルト好きで知られている。
UFO。UMA。心霊現象。超常現象。そういう類の話をしたり、聞いたりするのが、至福の時だという。
「この街の都市伝説みたいなものか? それはちょっと、歴史の趣旨から外れてると思うぞ?」
デカチョーがあきれた調子で意見を返す。彼女も含め、クラス全員が、彼のオカルト話に聞き飽きてるのが現状だ。
「まぁそんなこと言わずにさ! 僕いろいろ知ってるから、まとめるのは自信あるよ!」
やや興奮気味に胸を張る由良。
「でも、俺。ちょっと興味あるなぁ。聞かせてくれへんか?」
ナニワが身を乗り出す。デカチョーはやや不満げな様子だが、
「……まぁ。何かの参考になるかもしれないしな」
しぶしぶと肯定した。
由良は嬉しそうな顔を浮べると、ごほん!とわざとらしく咳を立てる。同時に、デカチョーがジュウの居眠りに気付き、頭を小突いて起こした。寝ぼけた顔を向ける。
「まず、なんで『七大不思議』っていうかというと、この街には、すごくたくさんのおかしな事が起こるからなんだ」
そう言って、由良は説明を始める。
由良の得た情報によると、公園の中にいきなり鹿や狼が現れたり、植えた種が、わずか一日で大木まで成長したり、湖がいきなり赤く変色したりなど、様々あるらしい。
そのうち、特に顕著だったり、多くの人が目撃・体験した七つの現象を総じて、『御供市七大不思議』という。
日本で最も超常現象の多い場所。御供市は、オカルト好きの由良にとっては、最高の環境といって良いだろう。
「「…………」」
由良の話を聞きながら、ナニワとジュウは顔を突き合わせる。
彼らには、その不可思議現象にひとつ、心当たりがあった。
『熱林の領域』に通じる境。とある空家に生える、異常なほど長い芝草である。
(つまり、全部虚想世界の影響っちゅうことか?)
ナニワは目を丸くする。
御供市に超常現象が多い要因は、そこにあったのだ。
それから、由良が数々の超常現象について五分程語った後
「それじゃあ次に、七大不思議についてそれぞれ説明するよ」
由良はさらに調子づいた様子で言い放つ。
デカチョーはすでに興味をなくしつつあったが、話を承諾した手前、途中で打ち切るのは倫理に反すると考え、黙って耳を傾けた。
「まず第一の不思議。『まやかし天狗』」
と、由良が人差し指を立てる。
「まんなか山の現象のことさ。詳しいことは、説明しなくても分かるよね? まんなか山に天狗が住んでて、自分の住処に人を近づかせないために、結界を張っているって伝説があるんだ」
まんなか山の奇妙な現象は、御供市に在住している者なら誰もが知っている。
山に向かって歩いていたつもりが、いつのまにかもとの入り口まで戻っているという現象。昔、ドキュメンタリー番組で取り上げられてから、全国的に有名となった。
しかし、ナニワはその話をとても信じられなかった。
彼は一度、その『後戻り現象』に出くわすことなく、まんなか山に立ち入っているからである。
その現象はガセネタであることを言及しようと思ったが、話の腰をおることになると思い、言いとどまる。
今の所、自分とジュウ以外の人間は、全員その現象を肯定している。もしかしたら、自分達はたまたま、何らかの影響で山に入ることができたのかもしれない。そう思った。
「その伝説を裏付けるのが、この写真さ!」
ナニワの胸中も知らず、テンション高めの由良。胸ポケットから小さな写真ホルダーを取り出すと、一枚の写真を抜き取って机の上に置く。いつでも人に見せられるように、超常現象に関する写真を常時持ち歩いているらしい。
その写真は、麓から頂上までを収めたまんなか山の全景だった。街のはずれから撮ったものなのだろう。
「ここ! ここよく見て!」
真っ青な青空。その中。山の頂上の上空に、黒い小さな点がある。
良く見ると、それは人の形をしていた。
「いわゆる、『フライングヒューマン』ってやつさ。五年前くらいに確認されていて、誰かが天狗だって言い出してから、『まやかし天狗』っていう名前がついたんだ」
目を輝かせながら、いきいきと話す由良。
しかし、ナニワは動じない。
なぜなら、このフライングヒューマンの正体を知っているからだ。
それは今、自分の左にいる人間。
天元じゆうである。
おそらく、跳ね草で跳んだ瞬間を撮影されたものだろう。
「うおお! すげぇな! 空とぶ人間か! 今度探してみようぜ! ナニワ!」
ジュウはそれに気付かず、ワクワクと目を輝かせていた。
かなり鈍い。
「次に、第二の不思議。『袖引き般若』」
調子よく、由良は二本目の指を立てた。
「実は御供市は、日本で一番行方不明者が多い都市なんだ」
声をひそめて、言い放つ。
その時。
デカチョーの顔が強張った。
彼女にとって、それは触れられたくない話だった。
しかし由良は気づかず、流暢に語りだす。
「その証言もおかしな話ばかりでね。すぐ先を歩いていた人が曲がり角を曲がった先のいきどまりで、忽然と姿を消したっていう話や、水溜りに沈んで消えていったって話もあるんだ。うわさでは、街をうろつく般若が人間の袖を引っ張って異世界にひきずりこむとか言われているよ」
「? なんで般若なんだ?」
ジュウが首をかしげて尋ねる。
「目撃証言があるんだよ。真夜中、黒いフードをかぶった般若顔の人をね。特に何をするわけでもなくただ街を徘徊するだけなんだけど、その道が、行方不明になった場所と一致するんだ」
ナニワがブルリと身震いする。ホラー系の話は苦手だった。
「そして第三の不思議が……『砂かけ娘』」
と、三本目の指を立てる。
「娘?……砂かけ婆やなくて?」
ナニワが有名な妖怪をイメージして首をかしげる。
「……この不思議には、ある怪談があってね」
すると、由良は声の調子を落として語り始めた。
「夕方のとある公園でね。一人の小さな女の子が砂場で遊んでいたんだ。バケツに砂を入れてかぶせて、大きな山を作ってたんだよ」
「ある少年が、それをみかねて手伝おうとしたんだ。その山は女の子には大きすぎて、あまりにも危なっかしそうに見えたからね。少年がバケツに砂を入れてかぶせ、女の子が山の形を整える。少年が聞いたところ、大きな城を作るつもりらしい」
「ところが、手伝い始めて10分後。いっこうに砂山は大きくならない」
「少年が違和感を感じた時は、もう遅かった」
「気づくと、自分の腰から下が、砂場の砂で埋まっていたんだ」
「さらにその上から、女の子がバケツでもって、砂を少年の上にかぶせてくるんだ。少年は驚いて、払いのけようとするけど、身動きがとれないし、逃れられない」
「少女は、少年の抵抗にかかわらず、薄笑いを浮かべながら大量の砂をかけてくる」
「ついに、少年の頭の上まで砂が埋まり、身動きひとつ、呼吸ひとつできなくなってしまった」
「そして女の子はこう言うのさ」
「『大きなお城ができたよ。お兄ちゃん』……ってね」
一際、低い声で締めくくった。
ありがちな怪談。それに対し、
「そ、そそそそそんなの、たたたいした話やああらへんなぁ………き、期待してそそ損したわ……」
顔面蒼白。ナニワは体中を震わせていた。
ちょっと泣きそうになっている。
そしてデカチョーは
「……………」
顔をうつむかせて、沈黙していた。
二つ目の話と合わせて、この三つ目の話も、彼女にとって苦い経験を呼び起こすだけにしかならなかった。
その時だった。
「これだ !!」
ジュウがはねあがるように立ち上がった。他三人があっけにとられる。
「ど、どうしたんだ。天元?」
「ナニワ! これだよ! げぇとの手がかり!」
ジュウはデカチョーの言葉には応じず、興奮気味に叫ぶ。由良とデカチョーは首を傾げた。
ナニワは一瞬、訳がわからず顔をしかめた後
「…………!! そうか!!」
直感した。
御供市の不思議が虚想世界に影響された結果だとしたら、
その近辺に、境がある可能性が高い。
「由良!『砂かけ娘』の現象と場所を教えてくれへんか!?」
ナニワも興奮ぎみに詰め寄る。いきなりの変化に由良は戸惑いながら。
「ば、場所は日晒木公園。砂場から突然、大量の砂が噴出する様子を何人も目撃している人がいるんだ。それこそ、温泉を掘り当てたみたいに、大量の砂がね。でも、見えるのは一瞬で、気付くと何もないんだ。巷では砂かけ娘の悪戯とか……」
「日晒木公園やな !? よし !!」
由良の話もそこそこに、ナニワは勢い良く立ち上がる。
ジュウはさらに早く行動を開始していた。
机の上の歴史書やノート類も放って、図書室の出口へ駆け出した。ナニワもその後に続く。
「ちょ、ちょっと! どこに行くつもりだよ! まさか、今から日晒木公園に行くのか!?」
デカチョーの動揺する言葉に対し、
「そのまさかだ! 今回は大目にみてくれ! デカチョー!」
ジュウが悪びれもなく、手を振りながら図書室を出て行った。
ポカンと口を半開きにしてあっけにとられる由良とデカチョー。すでにその二人だけでない。図書室中の全員がその様子を注視していた。
そして、数秒後。
「ま………まだ授業中だああ!! 大目に見るわけ、ないだろおおお!!」
デカチョーが怒り心頭に叫ぶ。図書室に張り出されている『静粛』の文字も目に入らないらしい。
「由良! アタシは奴らを追う! 先生に伝えてくれ! 放課後までには必ず連れ戻す !!」
「えっ !? ちょっ…… !!」
デカチョーはオロオロする由良を尻目にそう言い残すと、持ち前の俊足で彼らの後を追っていった。
※
ジュウはまず、ランドセルを取りに教室に寄った。
その中身には教科書ではなく、手持ちの想具----縄跳び、独楽、ジョウロが入っている。(自宅で勉強することはまずなく、教科書は机の中に置きっぱなしである。)ナニワは、冒険グッズを揃えるため、直接自宅へと戻った。
そして、学校を出て30分後。
例の公園。日晒木公園で彼らは合流した。
時刻2時10分。『砂かけ娘』のいる砂場は、入り口からすぐ近くにあった。
周囲に立ち入り禁止のバーとコーンがハードルのように囲まれていて、その横に『遊戯禁止』と書かれた立て札があることから、噂はとりかえしのつかないほど広まってしまっていることがわかる。
「おいナニワ。なに震えてるんだよ?」
「あ、あほ! 誰が震えてんねん!」
と言いながらも、ナニワは小刻みに身体を震わせていた。怪談話が尾を引いてるらしい。
「とりあえず、掘ってみるか!」
ジュウは深く考えず、素手で砂を掻き分け始めた。
そんなことで虚想世界にたどり着けるのかとナニワは疑問に思ったが、とりわけ他にすることも考え付かず、後に続いて掘り返し始めた。あてもなく街探検をするよりは、ずっと効果的である。
しかしながら
半ば予想通り、何も起こらず。無情にも砂場の底まで到達してしまった。
「あかんな……やっぱ、何か条件があるんやないか?」
土まみれの手を叩いて払うナニワ。
条件は3種。『時間条件』『行動条件』『人物条件』
怪談を聞く限り、一番のキーワードとして思いついたのは『夕方』だった。
(こりゃぁ、夕方まで待つしかあらへんかもなぁ)
と思ったその時、
「ナ、ナニワ !!」
ジュウが顔を砂だらけにして、鼻息を荒くしている。
「うおわぁ !! ど、どないしたんやその顔 !!」
「見つけたぞ、げぇと! この中だ !!」
興奮した面持ちで叫ぶと、ジュウはナニワの手を掴み、引きずり込む。
底まで届くまで掘り返した結果できた、大きな砂山の中へ。
高さ1メートル弱。まさに、怪談にも出てきた『砂かけ娘』の作っていたそれであった。
「ちょっ……待っ……!」
「とぅあ !!」
ナニワの戸惑いもよそに、ジュウは両足から勢いよく飛び込んだ。
全身がその砂山に覆い隠され、半ば転がり込むように、ナニワが頭から突っ込む。思わず、固く目をつぶった。
次の瞬間。
乾いた空気が彼の頬を撫でた。
「…………!」
砂山の中。そこに、明らかな外の空気と臭いがあった。
砂のザラザラ感は、首筋の部分でしか感じることができないことから、一枚の砂の層が隔てていることを理解した。
ナニワは口の中に入った砂をペッペと吐き出しながら、這いずるように進む。手を置いた感触から、顔のすぐ下に、砂があるようだ。
ようやく全身が、砂から抜け出した感覚を感じて、立ち上がる。
熱くも寒くも無い。カラカラに乾いた空気が周囲に感じられるのみである。
そして、涙ぐんだ瞳をそうっと開けた。
目の前には、地平線まで続く広大な砂漠が広がっていた。
言葉が出なかった。
後ろを振り返ると、そこに大きな砂山があった。
否。すでにその大きさは山でなく、丘と呼称すべきものだった。彼らは公園の砂山を通じて、砂から這い出た形でここにいる。
ナニワはジュウを見て、ジュウもナニワを見た。
そして同時に、ニィと微笑む。
「「やっっったあああああああああぁぁぁぁぁぁ !!」」
ガッツポーズを掲げて、ハイタッチ。パン!と乾いた音が響いた。
「『行動条件』やったんやな。ただの砂じゃなく、『砂山を作る』ことで初めて入れるっちゅうことか!」
「ああ。立ち上がる拍子に砂山の中に足突っ込んでよ。でも、思ったよりザラザラしなくて、もしかしてと思って顔つっこんだら、もしかしてだったぜ!」
要するに、今回もたまたま。偶然、条件を揃えたようだ。
「今度の世界は砂漠かぁ! よぉぉし !!」
期待に、胸が膨らむ。ジュウは砂だらけの顔を袖で拭って首元のバンダナを解く。
広大な世界を前に見据え、そしていつかのように、バンダナを頭に巻いた。
ワクワクを胸に、高らかに言い放つ。
「冒険の、始まりだ !!」




