其の八 デカチョーとカクさん
しばらく、沈黙が流れた。
ボナと話したのは短い時間ではあるものの、確かな心の交流があった。
異世界の少年。ラマッカ族戦士長、アデムの息子。
どこにでもいる、子供らしい子供だった。現実世界のいろんなモノを見せてあげると、約束した。
しかし、もう会えない。
ナニワは、夜空に映える緑色の花火が、未だ目に焼き付いて離れないでいた。
デコは、想具を持ち去れば、ボナに会えないことを知っていたし、覚悟していた。彼女は彼女の目的のために、想具集めは必須だった。
しかし、数少ない虚人の友人と今生の別れになることは、一抹の寂しさがあった。
うつむくナニワとデコ。
その彼らに
「? なにションボリしてんだよ?」
ジュウは不思議そうに、そう言った。どうやら、いまいち事態を理解していないらしい。
「……せやから、ボナにはもう会えへんっちゅうことや。拒否っちゅう、バリアみたいのがあるせいでな……」
「おお。そういうことか」
口頭で説明されて、ようやく理解するジュウ。
その直後。
「でもほら、これ見ろよ」
と、ディスプレイのある個所を指差す。
それは、想具について説明しているひとつの文。
〇虚人はその領域の想具に惹かれる。故に、想具がある限り、虚人が自発的に領域外に出ることは起こりえない。
「つまりよぉ。想具がねえなら、ボナ達はバリアの外に出れるってことだろ?」
逆説的に言えば、確かにその通りだった。
想具を現実世界に運ぶことで、虚人が領域外へ-----拒否の外へ行く可能性が浮上してくるのである。
『熱林の領域』の想具はジュウ達が持ち帰ったため、虚人の想具に対する『惹かれる想い』はなくなっているはず。
しかし
「……でも。可能性はゼロに等しいわ」
デコは、現実的にそう告げる。
「私達が虚想世界で、『熱帯の領域』を探して向かうならまだしも、ボナはまだ子供よ? それに、仮にボナがなんらかのきっかけで領域外に出るとしても、私達が虚想世界に居る時間はごくわずかだし、領域は何百個もあるわ。だから……」
会えないのも同じ。
そう言おうとして、言葉を飲み込んだ。
会える可能性はごくわずか。その事実を再度つきつけるようで、はばかれる気持ちになる。
しかし、ジュウは
「ナハハハハハハ!!」
笑い飛ばした。
「なぁに! お互い生きていれば、そのうち逢えるさ! 可能性が少しでもあれば十分だ!」
根拠もなく、確証もなく。
笑顔をつきつけて言ってのける。
「それにオレ。なんとなく、ボナ達とはもう一度、逢えると思うんだよな」
その言葉に、ナニワとデコは少し驚くと、あきれて肩を落とした。
同時に、微笑み返す。
少し気が楽になった。
いつ、どこで逢えるか分からない。逢えないかもしれない。
そんな不確定要素がまた、ジュウにとって何よりの刺激なのかもしれない。
それも、冒険の良いところなのかもしれない。
ナニワは、そう考えた。
そこで
「……ま。それじゃあ、こんなとこで、取引成立でいいかしら?」
デコは、ディスプレイを差し示して言う。
「このサイトにのってること以上は、私もあまり知らないし」
「ああ。そうやな。おおきに」
ナニワの礼を背に、デコは帰ろうと、ドアへと向かう。
その時。
「……虚想世界を冒険する事を止めはしないけど、十分注意することね」
ドアの前で彼らと向き直ると、真顔で言い放った。
「鑑定士の話だと、現在、この街にはおよそ300人以上の神具を狙う人達-----『挑戦者』がいるらしいわ。その数は今も増え続けている。想具の奪い合いが起こることも珍しくないし、殺し合いに発展することもあるの。巻き込まれないように気をつけなさい。本当に危険だと思ったときは、迷わず逃げるのよ。……特にあんたはね!」
キッとジュウを睨みつける。ジュウはナハハと笑い、
「大丈夫! どんなものが立ちふさがっても、俺の冒険は終わらねぇ!」
自信満々に、そう言い放つ。
デコは軽くため息をつくと、腰のポーチからメモ帳を取り出し、表紙に挟まれていたボールペンを手に、ペン先をはしらせた。
一枚破り、それをナニワに差し出す。
その一片の紙上には、電話番号らしい数字の羅列があった。
「私のケータイの電話番号よ。私だけ、あなたの家の住所を知ってるのは、卑怯な気がするしね」
(……今更、どの口が言ってんねん)
と心の中でぼやきながら、受け取る。
そこでジュウが、悪戯めいた笑顔で
「素直に『心配だから』って言えばいいだろ?」
と、言うと
「!……べ、べつにそんなんじゃないわよ!」
デコは頬を赤らめて、踵を返す。
ドスドスと音を立てて、階段を下りていった。ナニワが廊下から見送る。
「じゃ、確かに【臆病な英雄】貰ってくわよ! 後で後悔しても、知らないからね!」
背を向けながら、GBNを掲げる。
そして、小学生の容姿をした自称大学生は、玄関の扉を開けて去っていった。
ナニワは部屋に戻ると、貰ったメモを折りたたんで、冒険バックのミニポケットにしまった。
そこで、ジュウが心配そうに話しかける。
「でも、本当に良かったのかナニワ? あれなかったら、おまえただのヘボい小学生だぞ」
「ヘボいは余計や!」
関西風ツッコミ。の後、
「なぁに。心配あらへん」
余裕の笑みを浮べると、自分の机に向かい、前面の引き出しを開けて、あるものを取り出した。
黄色いGBNだった。
全面傷だらけで、乾電池のふたのつめは壊れていて、ガムテープで補修されている。
「本物は、ここにあるさかい」
ニヤリと笑って、それをジュウにみせつけた。
デコが家に取り立てにくることは、予想できていた。
つまり、対策を打てたということだ。
ナニワはもともと持っていた自分のGBNの蓋を壊し、ガムテープで補修し、本物の【臆病な英雄】とそっくりの傷を画鋲でつけて、偽装したのだ。同じカラーだったことが幸いした。
「お前……けっこうえげつないなぁ」
ジュウはその話を聞いて驚きかつ、感心する。
しかし、
「でも、すぐにばれると思うぞ?」
「うぐっ !!」
ジュウの核心をつく言葉に、ナニワは思わず息を詰まらせた。
鑑定士に見てもらえば、おそらく一発でばれる。想具を評価できるということは、つまり能力を把握できるということであり、能力の有無を判断できるということにつながるからだ。よしんば鑑定士に見せなかったとしても、虚想世界で使い試しされれば、結果は同じである。
「…………あとが怖いな」
「………そやな」
二人は再び小さな鬼に追い掛け回されることを想像して、身を震わせた。
*
その日の夜六時。
「ただいま!」
デカチョーこと、武町愛誠が不満面で帰宅した。
とあるアパートの三階。337号室が、武町家の自宅である。
「ちくしょー!今日も捕まえられなかった!」
バタンッ!と大きな音を立てて扉を閉める。乱暴にクツを脱ぎ散らかすと、どたどたと大きな足取りで廊下を歩いた。
「またあのクソガキか? お互い手を焼くなぁ」
色黒の中年。高身長に髭面。カクさんこと、武町大権が、台所から同情するように声をかけた。
その手にはフライパンが握られ、中で目玉焼きがジュージューと音をたてて焼かれている。
武町家の家族構成は、父一人に娘一人。父は警察の仕事で遅くまで帰ってこないことが多い中、今日は一段と早い。娘一人を家に残すのは忍びなく想い、大権は用事のない日はなるべく早く帰るように心がけていた。
二人はカーペットの上のちゃぶ台に目玉焼きの他、もやし炒めや白飯、味噌汁など、質素な料理を並べると、腰を下ろし合掌。「いただきます」と声を揃えて夕食が始まった。
「聞いてくれよ父ちゃん! 今年のクラスの連中が最悪なんだ!」
出し抜けに、デカチョーが不満声を上げる。
「不要物はもってくるわ、服装違反はあるわ。遅刻なんざ日常茶飯事! 規則を守ろうって気持ちがないんだ。先生も悪い! いつものほほんとした顔してよ! 怒鳴ることなんか一度だってないんだ!」
がつがつと白飯を口の中にかきこむ。
東小学校ではクラス替えが一年交代で行われる。今年の五年三組は、たまたま前年の担当教師が雨下花瑠羽だった生徒が多く、その温厚さを知ってか、好き放題に暴れる生徒が多かった。その中に、調子者で人気者のナニワが加わることで、学年一の無法地帯と化してしまったのだ。
デカチョーはそれが我慢ならない。毎日のように声を怒鳴らせて注意するものの、いっこうに収まる気配はなく、ますます彼女の不満を募らせていた。
「ふーん……」
その不満を、大権は真摯に受け止めはせず、軽い気持ちで聞き流す。
「父ちゃんからも、何か言ってくれよ! 父ちゃんの言葉なら、少しは効果あるかもしれないし!」
少しばかりの希望的観測で、そう言うデカチョー。
その彼女に対し、大権は
「あのなぁ。愛誠。俺はクラスの事情にまで首つっこむほど、野暮じゃねえよ。それによ……」
食卓の上の沢庵を箸でつまみつつ、
「そもそもおめぇ。なんで服装をくずしたり、遅刻しちゃいけねえのか、考えたことあるか?」
鋭い眼差しで、見定めるように、デカチョーを見る。
それに対し、デカチョーは
「え? そ、それはもちろん……そうしなきゃいけないからだ!」
答えにならない答えを言い放つ。
大権は、深いため息をついた。
「……確かによぉ、規則を守ろうとするのは正しいし、それを回りに促すことも悪いことじゃねぇ。むしろ勇気のある、立派なことだ。それは、学校の風紀や、生徒の将来を守ることにつながるからな。けどな……」
沢庵をボリボリと噛んで飲み込む。一息ついて。
「本当に大事なことは、何のために規則を守るのかを考えることだ。規則を守ることが正義じゃねえ。最初に正義があって、そのために何をするかが大切なんだよ」
箸で差しながら、強く言い放つ。
「法定速度を守りながら、速度違反の車を追えるか? 拳銃持たずに、強盗集団に立ち向かえるか? 規則ばかりに囚われちゃ、何も救えねぇぜ」
諭すように、そう言う。
速度違反の車を捕まえるために、法定速度を破る。強盗集団を捕まえるために、銃刀法違反を犯す。
それらは全て、人々の命と平和を守るために行われている。
しかし、愛誠はなお不満げに声を荒げて、
「なんだよ父ちゃんまで! じゃぁどうしろって言うんだよ! アタシは何も悪いことしてない!」
太い眉を眉間に寄せて、激昂する。
「だからよ。俺が言いてぇのは、少しばかり規則に疎くてもいいんじゃねえかってことだよ。自分の心で、自分の正義で行動できれば、それで十分だ。それによ……みんながみんな、おまえのような、全ての規則を守れるようなヤツじゃねえんだぜ?」
武町大権は、そう理解していた。
だから、街の雷オヤジと言われる彼でも、多少のことは目をつぶる融通の良さがあったし、彼が本気で怒るのは、その違反者と、回りの人間の平和が脅かされる場合だけだった。
デカチョーは、その話の意味を頭の中で理解しながらも
「……それでも、アタシはクラス委員長だ。規則違反は見逃せない……!」
固い意思を崩さなかった。
大権は、しかめっ面で、ボリボリと頭を掻く。
「あいかわらず、頭の固いやつだな。これだから、友達らしい友達もできねぇんだよ」
「!! と、父ちゃんには関係ないだろ!!」
激昂するデカチョー。半ばやけ食いのごとく、夕食を平らげると、「ごちそうさま!」と機嫌ななめな挨拶を残し、乱暴な足取りでその場を去っていった。
「…………全く」
大権は煙草を取り出してライターで火をつける。浅く吸い込み、フゥと白い煙を吐いた。
武町愛誠。デカチョーは、決して人から嫌われているわけではない。
むしろ、持前のリーダーシップはクラスメイトから好かれている要因だし、頼りにしている人も少なくない。
しかし、故に、彼女と対等に付き合える者はいなかった。
規則遵守を促す彼女は、クラスメイトにとって先生と生徒の中間のような存在であり、ひとつ上の先輩のような感覚があった。上背の高さが、その感覚を助長しているのかもしれない。
つまるところ、彼女には、友達らしい友達がいなかった。
指導者や風紀委員にありがちな、孤独感や疎外感。
大権はそれを昔から察していて、故に今日、規則についての話をしたのである。
規則についてうるさく言わなければ、クラスメイトと対等に、うまく溶け込めるだろうことを予感して、諭したのだ。
しかしながら、今回は失敗に終わってしまった。
どうやら、彼女の『正義』に対する執着は強いらしく、大事なモノを見失っているような気がした。それに、彼女自身も、今の状況を快くないことを自覚しながらも、どうすればよいのか悩んでいるように思える。
「……全く、ヘンなとこばっか俺に似やがって。なぁ母ちゃん」
そう呟く大権。その視線の先は、隅に置かれた小さな仏壇だった。
正面に飾られた、若い女の写真。愛誠を生んだすぐ後、交通事故で亡くなった妻の姿がある。
写真を眺めると同時。
本来、この食卓に一緒に並んでいるはずの少年を思い出す。
武町正義。
四年前に行方不明となった息子を。
妻と並べて連想するのは、つまり、信じられなくなっているのだろうか?
息子の生存を……
そう考えるが、大権はすぐに否定する。
(………生きてるはずだ。必ず……!)
四年間。何度も反芻してきた言葉を、再び心の中でつぶやくのだった。
*
デカチョーの部屋。
ボクシングや空手など、数々の武道大会の賞状やトロフィーが飾られ、また、床にダンベルやエキスパンダーなどが散らかった、女子にあるまじき部屋の中。
デカチョーは扉を背に立ち尽くした状態で、心の中で呟く。
憂いを帯びた表情で、呟く。
(アタシは間違っていない。……そうだろ? 正義兄ちゃん)