其の三 追いかけっこ
下校こそが、ジュウの本領を発揮する時間帯だ。
間違っても、彼は真っ直ぐ帰宅することはない。
裏道や屋根の上。川のフェンスの上。下水道の中。
本能に従うように、好奇心に従うように。未知なる道を目指して、道なき道を進むのだ。
その範囲は学区外にまで及ぶほどだった。
そうして、極限の道草を経て、あたりがとっぷりと暮れてから、やっと帰宅する。街探検が飽き始めたらまんなか山へ遊びに行き、時には泊り込む。この繰り返しが彼の日常だった。
現在。この街探検は、彼の趣味であると同時に、ひとつの目的のための手段だった。
つまり、異世界の入口―--境を探すことだ。
「ジュウ! ちょ、待てや!」
ナニワが電信柱を登りながら、どこの家かも分からない屋根の上に立つジュウへ叫ぶ。
本来、作業員が使う電信柱の足置き場。それを伝って跳躍し、屋根の上に登ったのである。
そして、隣の家の屋根へ。もしくは木の枝の上へ。まるで忍者のように警戒に跳び伝っていく。
地面まで約10メートル。落ちたら重傷は免れない。
にもかかわらず、満面の笑みを浮べながら、家に住む住人など気にもせず、トタン屋根の金属音を鳴らして駆ける。ナニワはいつものように、ハァハァと息切れをしながら、怯えながらも、必死についていった。
当然。不法侵入罪と名の付く犯罪である。
この行いを許さない者が必然のごとく存在していた。
「こらぁぁ !! 屋根の上登るなって、何度言ったら分かるんだ !!」
委員長。デカチョーが、彼らの移動に合わせて、家の傍の歩道を走りながら激昂していた。
「ゲッ! もう見つかってもうた!」
ナニワが眼下のデカチョーをみて、顔をしかめる。
ジュウのはた迷惑な街探検は、学校中に知られている。当然、デカチョーはそれを許さず、帰り道にジュウを見かけようものなら、見失うまで追い掛け回すのだ。
四年生までは同じクラスになったことはなく、帰り時間が異なっていたため、遭遇する機会が少なかったのだが、今年。同じクラスになってからは、毎日のように追い掛け回される日々である。
しかし、
「ナハハハ! 逃っげろぉ!」
ジュウは楽しみが増えたといわんばかりに笑みをふりまき、屋根から屋根へと飛び回る。それとは対照的に、ナニワの顔は恐怖でひきつっていた。
「待てぇ!!」
デカチョーは青筋を浮べながら、家の外側から追いかける
彼女の最も厄介な特徴は、高い身体能力と格闘術である。
女子にも関わらず、体力測定の結果は毎年学年一位。つまり、日々の冒険で鍛えられたジュウの身体能力さえ上回るのである。
それに加えて、彼女は『耀纏道場』という稽古場に通っている。そこでは柔道、剣道、ボクシング、空手など。あらゆる格闘技を習えることができ、彼女はそれら全ての稽古を受けているのだ。
しかも、子供の部において全てがトップクラス。大人にも負けない格闘術の使い手なのである。
ケンカは負けなし。目をつけられれば、鉄拳制裁を覚悟するしかない。
御供市東小学校において、間違いなく最強の座についているのだ。
つまりはこの状況も、決して安寧としたものではなく、捕まれば最後。地獄のフルボッコが待ち受けているかもしれない。
「飛び降りるぞ!ナニワ!」
ジュウが屋根の淵で一瞬立ち止まって言うと、庭に生えた六メートルほどの高さの杉の木に向かって飛び降りた。そして、枝をクッションに、バキバキと音を立てながら着地した。
「…………っ!!」
ナニワは一瞬戸惑うが、周りに飛び越えられる屋根もない。
やむなく、ジュウの後に続いて飛び降りた。
残った枝木をバキバキと折りつつ、着地。足に衝撃が走り、少しよろめくが、すぐさま走り出す。
家は塀囲い。デカチョーは表門の外にいる。ジュウは裏の塀まで回ると、片手で体を支えながら、一足跳びでピョンと飛び越えた。
まるでアクションスターのような身軽な動きだ。ナニワはそうもいかず、両手をついて、またぐ形で乗り越えた。
直後、塀の角からデカチョーが姿を現す。
鬼のような形相だった。『デカ』と呼ばれて遜色なし。
ナハハとジュウは笑い、一目散に逃げる。
だが、ナニワは一般の小学五年生。走力はそこそこといったところ。百メートルを10秒台で走破する少女から逃げ切れるはずもない。
みるみると距離を縮められていくその時。
二人は道の広い商店街へと出た。
花巻商店街。歩道にアーケードが設立されている、歩行者に優しい商店街である。
彼らはすぐさま角を曲がり、商店街へ。デカチョーもそのあとを追った。
しかし、
「? あれ?」
彼らの姿は、そこにはなかった。
「あいつらどこいったんだ?」
タイムラグはほんの数秒のはずだが、右も左も見ても、姿が見えない。
デカチョーはしばらく困惑した後、
「……くっそ!」
そうはき捨てると、勘頼みに左の道へと走り出した。
しばらくして
「ふぅ……今回も危なかったで」
ナニワが安堵のため息をもらして、彼女の背中を見送る。
彼らは、アーケードの屋上にいた。
商店街に設置されたアーケードには、整備用の梯子が等間隔で取り付けられており、彼らは商店街に出てすぐに、近くの梯子を上って姿を隠したのである。
デカチョーが視界から消えるのを確認して、二人は歩道に降り立つ。そして、ニヤリと微笑みあい、元気よくハイタッチをした。
「やっぱあいつがいると、面白ぇなぁ」
ナハハとジュウが笑った。
街探検を始めて、デカチョーに見つかり、追いかけられて煙に巻く。毎日がその繰り返しだ。
屋根の上を飛び回ったり、塀の上を歩くなどのハードトレーニングに、いつのまにかナニワは、精神も肉体も鍛えられていた。東小学校最強の女子に追い掛け回された後でも、笑顔を作ることができるほどには。
しかし、彼らが求めるスリルは、こんなものではない。
「よし。じゃぁ続けよか。今日こそ見つけるで!」
ナニワが元気よく掛け声を上げて、ジュウと共に商店街を走り抜ける。
彼らの求めるものは、常識を超えた、新たな未知なる世界だ。
しかしながら
※ ※
結局、境を見つけることはできなかった。
町中の空家はもちろん。マンホールや下水道の中など、怪しそうな箇所は全て確認したが、ことごとく外れだった。
ジュウが二年間街中を走り回って、三箇所しか見つけることができなかったのだから、ほんの一ヶ月足らずで見つけられるほうが奇跡というものである。それでも、彼らは現在、闇雲に街中を探し回るしか方法を知らない。
「あ~あ……今日も見つかんなかったなあ~」
夕日の差す道を、ジュウは憂鬱そうに歩く。
それを見かねたナニワは、前々から考えていた気分転換を提案した。
「なぁ。ボナに会いにいかへんか?」
ボナ。
ラマッカ族という、ジャングルの村に住む一族の少年。一日も満たない短い付き合いであったが、二人の大切な友達である。
いつか、会いに行くという約束をしていた。
「お! いいな! 行こうぜ!」
ジュウはもちろん、承諾した。
久しぶりに異世界に行けることと、友人に会えることを楽しみにしながら、二人は帰宅した。
※ ※ ※
そして翌日。
ある空家に向かって進行中である。ジュウはランドセル。ナニワは大きめのリュックサックを背負っている。中には、チョロキューやルービックキューブなどの、子供が喜びそうなおもちゃや、めざまし時計、打ち上げ花火などの日用品に至るまで、様々なものが入っていた。
全て、ボナのために用意したものである。
「楽しみだなぁ。あれから十五日経ったから…………………あっちでは四ヶ月くらい経ってんのか?」
「なんでやねん。二ヶ月半やろ」
道を歩きながら、典型的な漫才師がやるように、胸をはたいてツッコむナニワ。
虚想世界は現実世界に対し、5倍時間の流れが遅い。つまり十五日の5倍で二か月半だ。
沈黙の間は約十秒。ジュウは身体能力が高い反面、頭脳が弱い。
やがて、例の境。空家に生えるバカでかい芝草の前に到着した。
ワクワクに、胸が躍る。
「よし、行くぞ!」
ジュウの掛け声を先頭に、二人は足を踏み入れた。
ガサガサと音を立てて、掻き分けながら進む。
視界は草で埋まる。彼らは満面の笑みを浮べて行進した。
しかし、
「痛っ !!」
ゴツン! と鈍い音と共に、ジュウのうめき声が先頭から聞こえた。
首をかしげるナニワ。直後、ナニワがジュウの背中に鼻の柱をぶつけた。
よろめいて後ずさり。
「な、なんやねん! どうしたんや !?」
鼻を手で押さえながら叫ぶ。
次の瞬間。ナニワは絶句した。
ジュウが見つめるその先は、家を取り囲むブロック塀だった。
つまり、彼らは庭を横切り、虚想世界に入ることなく、向こう側まで到達したのだ。
「な……なんやこれ。どういうことや!」
ナニワが動揺する。ジュウも目を剥かせて、ただブロック塀を見つめるのみ。
とある人物から聞いた話では、境それぞれに、虚想世界へ到達するための条件が備わっているらしい。
ここの場合は、『午前4時から10時の間に芝草に入ること』
現時刻は、午前8時。間違いないはず。
「なんで……?」
ぼそりと、ジュウも信じられないといった様子で呟く。
背の丈をも超す長い芝草の中、二人は呆然と立ち尽くすしかなかった。