其の二 雨下先生
◆
ナニワが転校してから、ジュウの生活に少しずつ友達が現れ始めるのに、あまり時間はかからなかった。
初日からジュウとナニワは常に共に行動する仲だった。ナニワは転校生ということを差し引いても、人を惹きつけるものがあった。
結果、クラスメイト達とジュウが話す機会も増えていったのだ。
その話の内容を聴くと、どうやら彼らの大半は、自分からジュウを避けているようではなかったらしい。
「お母さんが、『あの子とは関わるな』って言うから、なるべく話さないようにしてたんだ」
出席番号七番。熊谷宗太郎が申し訳なさそうに話した。
「危険なことばっかするからって……でも、だからって、そんなのおかしいよね。今まで避けてて、ゴメン」
宗太郎が頭を少し下げて、ジュウに向かい謝った。
危険なこと。つまり、冒険だ。
ジュウの生きがいともいえる趣味である。今まで数々の生徒がその冒険に振り回され、その度にひどい怪我をしたという。ほとんどが街中の探検なのだが、その内容が大人でもハードなものだった。
ある時は屋根の上を走り、ある時は二メートル程の川幅を飛び越え、ある時は野犬がうろつく裏路地を走り回る等。その危険度ははかりしれないものばかりである。
怪我をした者。その者から話を聞いた者。さらにその者から……というように、ジュウの破天荒な行動はクラス中、学年中、学校中へと伝染していた。
それは父兄にも伝わり、やがて、『天元じゆうとの接触』を子供に対し禁止するようになったのだ。
親の言うことに信頼をおくのが子供である。
日常会話はするものの、積極的にジュウに話しかける者は誰もいなくなった。
しかし、ジュウがナニワと楽しそうに行動しているのを見てか、宗一郎やその他の生徒達は考え方を改めたらしい。
冒険に誘われて怪我をしたとしても、それは自分の責任。やりたくなければやらなければ良い。ジュウにはなんの非もない。
そう考え始めた生徒達が一人、二人と増え、四月末には、ジュウはナニワに負けずとも劣らない、人気者になっていた。
現在。さすがに加減を覚えたのか、遊びの最中に無茶を要求することは少なくなっていた。
時々、旗を上げるポール(高さ五〇メートル)の上り競争や、川下から川上(水深五メートル)に向かっての競泳を提案するときがあるが、その度にナニワがストップをかけることで、犠牲者を出すことを防ぐことができた。
悪口や嫌味もない。本当に明るく、真っ直ぐな性格。普通に遊ぶ限り、何の問題もなかった。
しかし、それでもなお、異を唱える少年が一人。
「俺は絶対認めねぇぞ!」
出席番号十三番。竜間結城が反感の姿勢ですごむ。
ナニワの転校初日。ジュウとの非接触を薦めた少年である。低めの身長と半開きの目が特徴的な男子である。
「みんな知らないんだ! そいつがどんなに危ないやつか! 俺は死ぬような目にあったんだ!
絶対認めるもんか!!」
ジュウとナニワを取り巻くグループに向かって、声を荒げて言い放つ。その目には確かに、恐怖の色が宿っていた。
どんな危険な目にあったのか。ナニワは知りたくなったが、聞けば、ジュウについた友達が再び離れていきそうな予感がし、その場は口を閉ざすことにした。
◇
現在。4月26日金曜日。午後3時20分。
放課後を知らせるチャイムが鳴り響き、生徒達が帰り支度をし始めている。
明日が休日であることに、楽しげな雰囲気だ。
その中、一際嬉しそうな表情を浮かべる少年が一人。
「ナニワ! 早く街探検に行こうぜ!」
早食い選手権優勝者。ジュウが待ちきれないようにナニワを急かす。
ナニワは、彼の元気な様子を見て、訝しげな表情。その手にもつモノを見る。
給食の牛乳瓶。
彼が給食前、ジュウのものとすり替えたものである。
(……確かに、腐っとったはずなんやけどなぁ……)
ナニワの作戦は、ジュウの腹痛を狙ったものだった。
あらかじめ用意した、賞味期限が一週間切れた牛乳瓶を、ジュウの隙を見てすり替えたのである。その腐った牛乳を飲めば、早食いどころではないはず。
良心がやや痛む行為ではあったが、普段、ジュウの無茶苦茶に振り回されているのだから、このくらいの仕返しは愛嬌だろうとの判断で、ナニワは作戦を決行したのだった。
しかしながら、その牛乳を飲んでも、ジュウはケロリとしていた。
それどころか、全ての献立をぐちゃ混ぜにしたゲテモノスープごと、一気に胃袋に流し込み、早食い選手権の優勝を勝ち取ったのである。
そして、景品であるいちごプリンを、自分の分も含めて三人分、旨そうに平らげたのだった。
「? どうしたんだ? ナニワ?」
訝しげな表情をするナニワに、首をかしげるジュウ。やせ我慢しているようにも見えなかった。
(……こいつの胃袋。どうなってんねん……)
ナニワは呆れた顔をする。
どうやら、度重なる冒険で様々な食べ物を食べるうち、鉄の胃袋を得たらしい。
それに、サバイバルでは好き嫌いを選べない。栄養があれば、どんなにまずそうなゲテモノでも口にする気概が、彼にはあるのだろう。
まんなか山で何か試し食いをして死にかけたという発言を、ナニワは思い出した。
ふう、とため息をつく。
あらかじめ用意した作戦が無駄に終わってしまった。勝負事にはこだわる性格であるナニワは、がくりと肩を落とすのだった。
「もしかして、早食いで負けたこと、根にもってんのか?」
そう訊くと、ジュウは笑顔でナニワの肩を叩き
「気にすんなって! それより、早く行こうぜ! オレ待ちきれねえよ!」
と、足踏みを鳴らして、急かす。
彼らは帰り道、街探検をすることが日課となっている。放課後はいつもこの調子である。
「……わぁったて。今支度するさかい……」
ナニワは気を取り直し、ランドセルに教科書等を詰める。
その時である。
「あら、じゆうくん。今日、日直じゃなかった?」
彼らが帰る様子を見て、5年3組の担任教師。雨下先生が声をかけた。
「帰る前に、日誌を書いて提出してね」
「ええ~!? めんどくせ~な~」
ジュウは唇を尖らして不満顔。
今日。日直の仕事をほとんどやっていないにもかかわらず。
「オレ忙しいんだよ。カルちゃん。代わりにやっといて」
こともあろうに先生に代役を頼むジュウ。
すると、先生は困ったような顔で
「んも~う。しょうがないなぁ……じゃあ、先生にじゃんけんで勝ったら許してあげる!」
と、手を突き出す。
ジュウは満面の笑顔で了解。そして
「よぉし! じゃ~んけ~ん……」
両者。拳を振りかぶり、
「「ポン!」」
じゃんけん。
ジュウがグー。先生はチョキ。
ジュウの勝利だった。
「やった~!」
跳びあがり、体全体で喜びを表現する。
その様子に、
「あら。負けちゃった」
やや困った顔で、先生は微笑むのだった。
その女教師の本名。雨下花瑠羽
性格は超温厚。マイペース。かなり広い心の持ち主でもあり、ちょっとやそっとじゃ怒ることはない。それどころか、子供のわがままにも優しく応じてしまう甘さがあり、先生らしくない一面がある。
しかし、活気さかんな小学生のまとめ役である。
授業中に騒いだりするのは日常茶飯事。怒鳴ることのできない彼女としては、困った状況のはずであるが、そんな時、彼女が決まって使う必殺技があった。
(「ふっ……ふえええぇぇええん!」)
教壇に突っ伏して、泣き叫ぶのである。
女の涙に男は弱いと人は言うが、それは小学生にもあてはまるらしく、ピタリと黙って、誰もが気まずそうな顔をするのだ。
だが次の瞬間。
(「じゃぁ。この問題だけど……」)
ニッコリと笑顔を向けて、何事もなかったかのように授業を続けるのだ。
つまりは嘘泣き戦法。
頭ごなしに叱るよりもかなり効果的な方法であった。生徒達はその戦法を理解してはいるが、目の前で大の大人が泣かれると、嘘と分かっていても条件反射的に黙り込んでしまう。
優しい性格ながら、そんなしたたかな面も、彼女にはあった。
その一面を忌み嫌う女子も何人かいるが、基本、人当たりのよい人格である。生徒全般から慕われる人気の先生だ。一部の生徒からは、『カルちゃん』と愛称されている程である。
「よおし! 今日こそ見つけてやる! いくぞぉ、ナニワ !!」
元気な張り声を上げるジュウ。ビュンと風をきり、勢いよく教室の扉を開けると、廊下へ跳びだした。
本当に待ちきれないらしく、ナニワは取り残されたのだった。
ポカンと、唖然とするナニワ。
「? 見つけるって、何を?」
そこで、ジュウの言葉に、雨下は首をかしげてナニワに訊く。
「! い、いや、なんでもあらへんよ!」
と、ナニワは慌ててごまかした。
いくら温厚な先生でも、毎日行われる無茶な街探検を知れば止めるだろうし、ましてや、その探検の目的を説明できるはずもなかった。
雨下はやや訝しげな表情をした後、打って変わり
「……それにしても、じゆう君。変わったわねぇ」
ジュウの向かった先を遠くに眺め、うれしそうに微笑んだ。
「4年生の頃はね。あんまり学校に来る子じゃなかったのよ。大好きな体育の時間がある日だけ登校してね」
少し寂しそうな眼差しで話す。
「そ、そうやったんか? カルちゃん!」
ナニワは驚きに、目を剥かせた。自由奔放な性格は認知していたが、そこまでとは思わなかった。
いや、無理もないのだろう。
ジュウにとって学校は、楽しくなければ行く意味もない。義務教育なんて言葉はジュウにとっては何の関係もない。
自由気ままに。楽しくなければ、平気で登校拒否をするだろう。
だからといって、家に閉じこもる柄ではないはずだ。学校に行かない間。彼はずっと一人で、孤独な冒険をしていたというのだろうか?
そう思うと、ナニワは少し、胸に痛みを覚えた。
そこで
「でも、あなたが来てからは、毎日登校してるわね」
雨下は嬉しそうな表情を浮かべると、
「遊び友達もたくさんできて、先生、安心したわ。これからも、素敵な友達でいてね。ナニワ君」
ニッコリと笑顔を向けた。
ナニワは、恥ずかしそうに鼻の下をこすると
「……言われんでも、そうするわ!」
そう言い残し、ジュウの後を追って駆け始めた。
雨下はそれを微笑ましく眺めながら、右手を小さく振って、背中を見送るのだった。