間2
アルミ張りの角ばった机。その上にあらゆるものが乱雑に散らかっていた。
インスタント食品の空容器。割り箸。吸殻。タバコ。そして、捜査資料。何十枚も無作為に、一メートル四方の机の上に散らばっている。片付いているのは、奥の棚にファイルが二つ立てかけられているだけである。
その見るに耐えない机を前に、一人の男が安っぽいキャスタ付椅子によりかかり、両手を頭の後ろに、ひざを組む。片手に煙草を持ち、白い煙を吐いていた。
「……まぁた遺失届かよ」
会計課の女警察官が大量の紙を抱えて廊下を歩く様子を見て、彼はぼやいた。
色黒の肌と無精ひげ。長身。きっちりと整った角刈りから、『カクさん』という愛称で親しまれている。
頑固おやじの代名詞。少年少女にとって御供市最恐の男。
御供市警察署捜査第一課警部。武町大権である。
さすがに勤務中はハチマキを外しているようだった。
「どうかしてるぜ、この街は。よっぽどマヌケが多いんだな」
だれともなく、ぼそりと呟いた。
御供市の警察署に届けられる遺失届は、全国から見て比較的多いことで知られている。といっても、平均をわずかに上回る程度で驚くほどの量ではない。
驚くべきは届出に記入される失くした状況項目であった。
『数秒だけ目を離しただけなのになくなった』
『手に持っていたはずなのにいつのまにかなくなっていた』
といった、いたずらめいたことが書かれており、遺失届が受理されない場合も多い。
この現象は今から約10年前から続いている。
「仕方がないですよ。御供市七大不思議のひとつですから」
と、傍を通りかかった部下、久木杉太が言う。
痩せ型。釣り目の顔が特徴的な男だった。
「御供市七大不思議? なんだそりゃ?」
武町は眉をひそめて首をかしげる。
「知らないんですか? 警部。警察たるもの、あらゆる情報に敏感でないと」
「うるせぇな。いいから話せ」
とすごむと、杉太がおっかなびっくり。コホンとひとつ咳払いをする。
「御供市にはですね。実は数多くの不可思議な現象が至る所で起こるんですよ。そのうち、特に有名で顕著な七つの現象を、御供市七大不思議と呼ぶんです。そのうちの一つがあれです。警部も知っているでしょう?」
と言って、杉太が窓の向こうにみえる山を指す。
この街に住む者ならだれでも知っている。
その山。まんなか山には誰であろうとも立ち入ることができない事は。
山に向かったはずが、いつのまにか元の地点に戻っているという、奇妙奇天烈な現象。かつて、その原因を突き止めようという企画でTV番組が報道されたことがあったが、結局解決することはなかった。番組に出演した学者達は最終的に『山中の特殊な植物による幻覚効果、催眠効果によるもの』という説に至ったが、山に入ることができない以上確かめようもない。
街の住民にとっては恐怖の対象でしかない山であったが、その番組が全国的に話題を呼び、結果、街の大きな宣伝となり多くの利益を与えているのは、皮肉な話であった。
「山に入ろうとしても入れない。その現象は『まやかし天狗』っていう名前で呼ばれてるんです。なんでも、山の中に天狗が住んでいて、人を立ち入らせないよう、まやかしの術をかけてるっていう話です。」
「……ふん。くだらねぇ」
鼻で笑って、手に持った煙草を灰皿に押し付ける。
「まぁ誰かが作った都市伝説みたいなもんすからね」
「んで? この落し物事件はなんて呼ばれてんだ?」
武町がさほど興味なさそうに尋ねる。
「『乞食妖精』です。目に見えない貧しい妖精が、人々からいろんな物をくすねるっていう話です」
そこで大権は、「ハーハッハ!」 と声をあげて笑う。
「なんだそりゃ? どこのファンタジーだ? 最高のネーミングセンスだな!」
杉太もつられて笑った。
「あと、『般若の袖引き』っていうのもあります。なんでも忽然と人が消えるっていう………あっ!」
と笑い半分に話しかけて、
武町の顔が険しいものになっていた。
彼は目を合わせない。気まずい空気が流れた。
「す、すいません……」
杉太は申し訳なさそうに顔を落とす。
「……いや。気にすんな」
低い声でそう言うと、大権は椅子から立ち上がり、壁にかけられた針時計を見る。午後6時丁度を指していた。
「……うし。定時だ。おい久木。今夜飲みにいくぞ」
と杉太の肩に腕を回し、明るい調子で話す。
「だ、だめですよ。娘さんがかわいそうじゃないですか」
「残念。今日は合宿で家にいねぇんだ。それに、昨日のクソガキの騒ぎでストレスたまってることだしよ。黙ってつきあえ!」
と脅すように言って、杉太は肩を落とす。
「(警部……酒に酔うとタチが悪いんだよなぁ………)」
「あぁ? なんか言ったか?」
「い、いいえ! 何も !!」
首を激しく左右に振る杉太。帰り支度をうながしてから、武町はやや悲痛な表情を落とした。
そして、心の中で呟く。
(いったいどこいきやがったんだ……正義………!)