其の二十五 満月
「 !?……ジュウ!?」
デコが目を疑い、天を仰ぐ。
ほのかな緑色の空間の中。見えづらいが、そのシルエットは確かに一致する。
「ジュウゥゥ!!」
ナニワが涙目に叫んだ。
ジュウは拳を振り上げる。その視線をクビノスの腹に定められていた。
落下しながら、腹を叩き潰すつもりである。
なぜ彼がここにいるのか、その疑問を口に出すものはいなかった。残りわずかな時間で現れた奇跡に、ただ感動を覚えられずにはいられなかった。
だが、それでもまだ、問題が一つ。
クビノスは威嚇姿勢。つまり、腹は地べたと接しておらず、中空の状態。現在の位置関係では無理な姿勢で殴ることになる。下手すれば外れてしまう可能性があった。
いずれにしろ、腹を地面につけて、確実に、踏みつけるように衝撃を伝えさせる必要があった。
残り、20秒。
「ニミナ!」
いつのまにか、壁際から部屋中央まで近づいていたアデムが、妻の名を呼ぶ。
そこは、クビノスのすぐ真近。
ニミナが彼の顔を見る。
アデムはたった一言。
「道を創れ !!」
叫んだ。
息も絶え絶えに、額から流れる血が頬を伝って顎から滴る。背中には痛々しい傷が深く刻まれている。肉体的に限界なのは、見て明らかだった。
それでも、その瞳の奥底に、未だ光るものがある。
「……はい!」
彼女は力強く応えた。
アデムはクビノスの方を向き、ニミナに背中を向ける。直後、ひざを折り曲げ、二メートル程、垂直跳躍した。
そのタイミングに合わせて、ニミナが矢を引き、放った。
射出先は、アデムの踵。否。そのギリギリ数センチ下だった。
足の裏をわずかに擦れて通過する。その瞬間。刹那の接触を足の裏で感じて、アデムは足の親指と人指し指で、矢の棒部分を挟んだ。
そして、矢に働く慣性力を利用して、矢に乗った状態で空中を移動する。
それはほんの一瞬。数メートル進んだところで失速し、落ち始める。
だが、失速するや否や、アデムが矢を蹴り出して空中に飛び出した。その瞬間。再びニミナが、『踏み台』の為の矢を放つ。
それを5度繰り返し、アデムはあっという間に、クビノスの頭上まで移動した。射出した弓矢はクビノスの脇を抜け、もしくは当たって弾かれた。
彼はニミナに背を向けているのにも関わらず、ひとつのミスもなかった。アデムの驚異的バランス感覚と触覚。跳躍力。ニミナの正確無比な矢の精度と、射出速度。連発速度がなければ成しえない、奇跡の業だった。
そして、アデムは再び右の腕輪に手をかけて、右拳を真下へと向けた。
空気が収束され、空気の弾が出現。その狙いを、クビノスの頭へと定めた。
そして、
「おとなしく、寝てろぉぉぉぉ !!」
ギャゴォォン!
巨大なハンマーで叩きつけられたかのように、クビノスの頭が激しく床に激突する。同時に、腹の背面がむき出しにされた。
その真上に、ジュウがいる。
その体は重力加速によって落下速度を増し、その拳は固く握り締められている。
「行け。現人」
落下しながら、ジュウの姿を捉えてアデムが言い放つ。
「行って!」
ニミナが両手を重ねて祈る。
「いけぇ! バカガキ!」
デコが右拳を突き出して叫ぶ。
「行っけぇぇ! ジュウゥゥゥゥ !!」
バクバクと暴れる心臓の鼓動を押さえつけて、ナニワが叫んだ。
腕時計の針が、残り十秒を切ったその時、クビノスの腹が急激に膨れ上がった。土砂排出の前兆だった。
時間は、ほとんどない。
クビノスによる排出が先か。
ジュウによる救出が先か。
ふたつにひとつ。
ジュウが振り上げた拳を、思い切り。
渾身の力を込めて、
「「たとえ『巨大蛇怪獣』が相手だろうと……ボナ! お前の幸せは-----」
振り下ろす。
「終わらねえええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ !!」
ドゴオオオオオオオオォォォォォォォォン !!
耳を劈く激しい衝撃音と土砂の津波。大気を揺るがす余波が全員に襲い掛かった。
吹き荒れる風に飛ばされ、全員が二回、三回と床に叩きつけられて転げ回る。
鼓膜を直接ハンマーで叩かれたかのような激痛。耳鳴りさえ感じない。突如地中から現れた土砂の波は、高さ10メートルほどまで突き上がった。
そんな目を疑う光景も、激しい余波と砂ぼこりにより、見ることさえかなわなかった。
およそ人間の成す業じゃない。まるで爆撃機の投下爆弾のようだった。
やがて、衝撃音も、土砂が床にぶつかる音も止み、静寂が取り戻される。
一人、二人と、山の影から顔を出し始め、様子を伺い始めた。
その時。
ドボボボボボボボ!
部屋の中央から、噴水のように、大量の土砂が吹き出るのが見えた。
クビノスの、土砂排出である。
「や……やった……?」
ナニワがそれを眺めながら呆然とつぶやく。それに対し
「……まだわからないわ」
隣に居たデコは、緊張感を緩めなかった。
放っておいても行われた土砂排出行為。問題は、それがクビノス自身によるものなのか、もしくはジュウによる強制排出によるものかが、ボナの運命を握る。
タイミングは際どかった。その答えは、だれも分からない。
「………ボナッ!」
たまらずニミナが叫び、我先にと飛び出す。いまだ立ち込める埃の中、噴出する土砂をめがけて駆け出した。
続けてイジム、さらにデコやナニワ、その他戦士達も立ち上がり、走り出す。
たどり着いた先では、アデムとジュウが、必死に土砂の山を掻き分けていた。
その他大勢も、ボナの姿を探し始める。
誰もが必死の形相だった。ニミナは土砂中の石に爪をぶつけ、血で真っ赤に染めても、なお激しく腕を動かして土を掘る。
ボナはこの土の中に十分以上居たことになる。窒息死してもおかしくない。
そして捜索から二分後。
「い……いた!」
アデムが叫ぶ。ニミナとイジムは、弾かれるように彼の元へ駆け出した。
ボナが土の中。小さな顔を覗かせていた。
その目は閉じている。
「「「ボナ!」」」
三人の呼びかけのタイミングがほとんど重なった。
アデムがすぐさま両腕を突っ込み、ボナの両脇を抱えて引き上げた。そして、土で茶色く塗りたくられた体を抱き寄せる。
「ボナ! ボナ !!」
父と母と祖父が何度も息子の名を必死に呼びかける。
すると、
「ス~……ス~……」
静かな寝息が聞こえた。
生きている。
「…………ボナッ………!!」
ニミナは声にならない喜びを感じながら、息子を抱きしめた。
父。アデムはニミナの肩に手を置き、抱き寄せる。共に息子を抱きしめた。
爆発音のような歓声の中。それでも子供らしい、愛おしい寝顔をみせる息子。
その手には、手作りの草人形が握られていた。
アデムとニミナは肩を震わせて、涙で顔をグチャグチャにして、ただボナを抱えて抱きしめる。涙はボナの体に当たり、土を溶かして流れていった。
デコ、ナニワ、ジュウも互いに抱き合い、飛び上がり喜んだ。
満天の星空。満月の光が彼らを照らしていた。