其の二十二 大好きなこと
「………… !!」
ジュウが振りむく間もなく。
管理人が右手で彼の頭を横から鷲掴みにして、近くの木に叩きつけた。右手は炎化されていなかったものの、衝突でジュウの額から血が流れた。
管理人は血管を浮き彫りに、わずかに口角を上げて言う。
「カッカッカ………ここまでくると笑えるぜ。ずいぶん飛ばしてくれたじゃねぇか」
幹に顔の右側面を押し付けられ、半分宙に浮いた状態のジュウ。管理人の指が、ジュウの頭に食い込む。
ジュウはわずかにうめき声を上げて
「な……なんで……?」
訊ねる。確かに、管理人を箱の中に入れたはずだった。
その言葉の意味を汲んで、答えた。
「フレイムビートの起動方法や、楽園の使い方。よく覚えていたもんだぜ。大した観察力だ。だけどな、爪が甘いぜ。俺はちゃんと言ったぜ? 『出たいと思えば普通に出れるぜ!』……ってよぉ」
「………… !!」
管理人が意地悪な笑みを浮べる。
ジュウは大事な点を忘れていた。
楽園はロック装置を起動して、初めて閉じ込められる。かつて、管理人がジュウを村に連れて行く道中、たしかにそのようなことを言っていた。
ジュウがフレイムビートを投げ飛ばした時、おそらく、ロック装置は解除したままだった。ぶん投げる前。あるいは直後、管理人は単に「出たい」と思い、脱出。 そして、ジュウの背後に回ったのだ。
「さぁて。じゃぁそろそろ、片付けるか。現人はすべて捕まえる決まりだが、てめぇは例外だ」
そう言い放ち、体中の炎の出力を上げた。
ジュウがそれを背中越しに、熱気によって感じる。肌が焼きつくかと思うほどだった。
それはすでに『熱い』ではなく『痛い』
その炎は、管理人の腕をゆっくりと、ジワジワと伝っていく。ジュウの髪の先が、火の粉によってチリチリと音を立てて燃えた。
ジュウは歯をギリリと食いしばる。
その時、彼の心に渦巻く感情は、恐怖ではなく、怒り。
仲間を救えない自分のふがいなさに。自分で自分に腹が立っていた。
「畜生! 放せぇぇ !!」
手足をばたつかせ振りほどこうとするが、管理人の握力はすさまじく、頭は微動だにしなかった。その間も確実に炎はジュウの頭に迫る。
その時、
「…………!」
ある音がジュウの耳に飛び込んだ。
木に押し付けられた右耳から、何かが聞こえる。
「それにしても、前言撤回。おまえ、ついてねぇぜ。よりによって、このオレに捕まって、ケシクズになっちまうとはなぁ。まだ地下にいたほうが、助かったかもしれねぇぜ」
カッカッカッカ!と、邪悪で下劣に、高らかに笑う管理人。炎はすでに、ジュウの側頭部のすぐ手前まで迫っていた。
チリチリと、左頬に激しい痛みを感じる。
「………じゃぁな。天パ野郎」
冷徹な目でそう言い放つ管理人。炎の勢いがそこで、最高潮に達した。
赤く、高く燃え上がる。
そして
「…………オレが、ついてねぇって?」
熱気で視界が揺らめく中。ジュウが微笑みを見せる。
彼の中に、ひとつの確信があった。
故に、言い放つ。
「ウソつけ……!!」
直後。
ジュウは右手に持っていた竹筒を振り上げる。
フレイムビートを起動させるために持ってきた、小屋の部品の一部。それを思いきり、自分が押し付けられているその木に突き刺した。
次の瞬間。
竹筒の中から、まるで蛇口をひねったかのように、膨大な水が流れ出てきた。
「!! なっ!?」
その水は、管理人の視界を埋め尽くすと同時に、全身にふりそそぐ。ジュウゥと、黒い煙が立ち込めた。
「ぐぅああああああああああぁぁ !?」
なにが起きたのかわからないまま、もだえ苦しむ管理人。素早くジュウの頭を放し、水の降りかかる範囲から逃れた。
それでもダメージは相当大きかったらしく、彼は痛みに叫び続けた。もろに水が覆いかぶさった顔面を両手でおさえる。
ジュウは解放され、ニヤリと微笑んだ。
彼が押し付けられた木の名は、『リヒスの水樹』。
樹の中に、人間の血管のように膨大な地下水が循環している樹である。ラマッカ族が、普段から水分補給に使っている樹である。
デコも同じように水分補給している場面を、ジュウは覚えていた。だから、ジュウが幹に押しつけられた時、幹の中から聞こえる音が、地下水が流れている音であることは、容易に想像できた。
「水に濡れれば、火は燃えねぇだろ」
足取りを不安定に、悶え苦しむ管理人に、ジュウが悠然と近づく。
そして
「……俺の大好きなことも、教えてやる」
右手を大きく振りかぶる。
管理人がハッと気づくが、
もう遅い。
「ワクワクの、冒険だああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
咆哮。それと共に、ジュウの渾身の一撃が管理人ラカスの右頬に直撃した。
水に濡れたためか、ひるんだ隙だったためか。彼は炎化することもかなわず、勢いよく吹き飛ばされた。
木々をぶち折りながら、宙を舞う管理人。そして、一回・二回と地面にバウンドして、50メートル先の大岩に叩きつけられた。
ドゴン!という音と共に岩が一部砕け散り、体がめり込んだ。
「………… っ!!」
そして、彼は叫び声を発することもなく、頭を垂れた。
ジュウは殴った姿勢をそのままに、肩で息を整える。管理人はぐったりとして、ピクリとも動かなかった。
ジュウはそれを確認して構えを解き、遠くを見据えた。
「……急がなきゃ」
勝利の感動も歓喜もなく、ただ一言言い残して駆け出す。
ボナが蛇に飲み込まれて、大分時間が経っていた。早く助けないと、消化されてしまうかもしれない。
地面に残った、バイクによるわずかな焦げを頼りに、彼は村の方へと走り出した。
※
しばらくして、岩に減り込んだ管理人の真っ赤にはれ上がった頬から炎が発する。
ボボボと小さな炎が燃えたかと思うと、瞬時に消えて、腫れが引き、もとの正常な顔が再現された。
そして
「………カッカッカッカ……」
声を低めに笑う。
「面白ぇ……やっぱ、こうでなくちゃなぁ……生き残りよぉ………!」
カッカッカッカと、不気味な笑い声が、暗い森の中にこだました。