其の一 出会い、絶交
少年は目覚めた。
早朝。とある洞窟の、寝袋の中である。
少年は寝袋からむっくりと上半身を起こすと、体をぶるぶると震えさせた。4月になって暖かくなってきているとはいえ、早朝は凍える寒さだった。
少年は頭を掻きながら、おぼろげに覚えていた夢のことを思いだす。
「なんや今の………変な夢やったなぁ……」
関西弁のイントネーションで、ぼそりと呟いた。
覚えているのは、燃え盛る炎の中。泣き崩れる女とそれを見守る男。この世のものとは思えない、奇怪な叫び声。
彼自身、そんな情景に記憶はないし、見たこともなかった。
まとまらない思考の中。ふと隣を見ると、空の寝袋があった。さらにその横には、塗装が半分以上剥げて真っ白になったボロボロのランドセルが転がっている。
そこでようやく、脳がまともに起動し始めてから、彼は今の現状を再確認することができた。
そして、後悔した。
「………できればずっと眠りたかったわ……」
少年は深く頭を抱える。
昨日の出来事が、現実のものであると、未だに信じられないでいた。
◆
少年の名。佐久間浩介。
ごく一般の名前とごく一般の容姿をもつ小学五年生。彼が放つ流暢な大阪弁は、親の転勤で転校が多い彼がすぐに友達を作るために独学で手に入れたものだった。日本一ポピュラーな方言と、元来の性格の明るさに人は惹きつけられ、どのクラスでもすぐに人気者になった。
御供市立東小学校、五年一組でもそれは変わらなかった。
「佐久間浩介や。前の学校じゃ、大阪弁やからって、ナニワって呼ばれとった。よろしくしたってや!」
転校初日。第一声の自己紹介でクラス中が沸いた。休み時間には多くの人が彼の机に集まり、他愛のない話で盛り上がった。
一番最初に話しかけてきたのは、ジュウと呼ばれた少年だった。
本名。天元じゆう。
土木作業員が履くようなダボダボのズボン。ジャケットの前ジッパーを全開にして、中のタンクトップをはだけさせているといった珍妙な格好。無造作にはねまくった天然パーマと、首元に巻いた赤いバンダナが印象的だった。ある日、黒板に書かれた日直当番の名前が、『ゆ』だけ小さくなっていたため、『ジュウ』というあだ名がつけられたという。
ナニワとジュウは特に気が合い、転校初日から気さくに笑いあう仲となった。
しかし、それを見て
「あいつとだけは、付き合うのやめとけ」
一人の男子がナニワに近づき、耳元でささやいた。
「? なんでや? 元気で、面白そうなやつやないか」
ナニワの疑問に、男子は言葉を返そうとした時。
「なんだ? 何の話だ?」
ジュウが横から割り込んできた。男子は少し怯えた様子で、
「い、いや。なんでもない……」
そう言いながら、そそくさと席を離れていった。ナニワはその様子をみて首をかしげる。
そして、その日の放課後のことである。
「おいナニワ! 歓迎会だ! まんなか山に探検しに行こうぜ!」
ジュウがナニワを含める男子生徒5人に話しかけてきた。
「探検? ええなそれ! 面白そうや!」
と、ナニワが嬉しそうに肯定するが、残り四人の表情は、浮かないものだった。
「そ、それはダメだよ……」
「そもそも、入れないだろ?」
否定的に言い放つ。
「え? どういうことや?」
ナニワが尋ねると、一人の男子が説明し始めた。
ナニワが御供市に引っ越してすぐに惹きつけられたのが、町の中心にどんと構えるようにそびえる、『まんなか山』である。その面積は市全体の四分の一を占め、町は山を中心に、環状に立地していた。
しかし、まんなか山は『ある現象』が起こることから昔から危険視され、近づくことさえ禁止となっていた。
深夜、奇妙な鳴き声が聞こえたり、鳥ではない何かが空に向かって飛び出すのが見えたりなど、オカルト的な話が数多くあるが、それらを頭から吹き飛ばす程の奇妙な現象がある。
山に向かって進んでいるといつのまにか元の入り口に戻るという。
それは誰が何度やっても同じ結果だった。つまり、誰も山に入れないのである。
人々はその奇妙な現象に恐怖し、いつしか、山近辺に住居をおく者はほとんどいなくなった。
ここまで話を聞いて、ナニワの顔が青ざめた。
一緒になって聞いていたジュウは
「ん? そうなのか?」
と首をかしげる。
「知らなかったのかよ。おまえ……」
と説明した男子生徒はあきれる。地元育ちなのに街一番の不思議を知らないでいたジュウが、浮世離れしてるとしかいいようがない。
それでも、とにかく行ってみようとジュウが誘うと。
「ダメだよナニワくん! ついていっちゃ!」
「ろくな目にあわねぇぞ!」
負けずに、必死に説得をする男子達。それはなぜかジュウではなく、ナニワに向けられていた。
少し怖い気持ちはあったが、本当にその『ある現象』が起こるかどうか試してみたい気持ちもあり、また、自分の臆病さを露見することが嫌な気持ちもあって、
「なんや皆。よ、弱虫やなぁ! そんなん噂やろ! 行くで! 俺は!」
と賛同することにした。彼らはとうとう折れて、
「し、知らねーぞ!」
と、逃げるように帰って行った。
その時、ナニワが不審に思ったのは、彼らの視線だった。まんなか山が恐ろしい所で、恐怖に顔をひきつらせるのは理解できた。
だがそんな中。彼らの視線はジュウに向けられていた。
さっきまで慣れ親しみながら話した様子とは、まるで違っていた。ジュウを拒否するような視線だった。
(「あいつとだけは、付き合うのやめとけ」)
とある男子生徒が言ったあの言葉が気にかかる。
急に不安になるナニワ。しかし、
「よし! 行こうぜ!」
彼らの視線など気にも留めずに歩き始めるジュウ。その嬉しそうな笑顔を見ると、後には引けなかった。
※
東小学校から西へ十分程歩くと、まんなか山の入り口に辿り着いた。杉の木が立ち並んでいて、一見、普通の山に見える。
入り口は、低地の森と砂利道の境目。ナニワが息を飲む。
そんな緊張も露知らず、ジュウが大胆にズカズカと入ってゆく。彼はひも付きブーツを履いていて、ズボンを中にしまいこんだ形で、どんな道でも進んでいけるようなスタイルだった。
ナニワが慌てて後をつける。
半分興奮。半分恐怖で進行するナニワ。
しかし、
結果。『ふりだしに戻る現象』は起こらなかった。
「うわさなんて、所詮こんなもんやなぁ」
ナニワが少し、がっかりした顔でぼそりとつぶやいた。
「な! なんとかなったろ! よぉし行くぞぉ!!」
ジュウは首に巻いていたスカーフをバンダナ代わりに頭に巻くと、楽しそうに、さらにどんどん奥へ進んだ。
奇妙現象は体験できなかったが、街中でハイキングとはなかなかできない事である。冒険心も手伝って、ナニワもジュウの後を追いかけることにした。
二人は獣道や、草原の中をかきわけて進んだ。しばらく歩くと、ナニワはある違和感に気付いた。
辺りに生える草木が、見たことのない奇妙な形をしていた。
さらに、キロロロ。グォグォグォ。といった明らかに日本の動物とは異なる鳴き声が響いていたのである。
奇妙な感覚が辺りを包み込む。富士の樹海や、南米のジャングルとも違う。まるで別世界にいるような感覚だった。
「……お、おいジュウ。ここ、おかしいやろ。絶対」
次第に恐ろしくなったナニワが声を震わせながら、後ろからジュウに話しかけた。
「だろ! とにかくスゲェんだここ! 見たことねぇ動物とかいっぱいいっしよ!」
ジュウの意外な返答に、ナニワの顔が引きつった。まさか肯定してくるとは思わなかった。
次の瞬間。ナニワの足元を何かが横切った。
「ひっ!?」
その何かが横の木の根元で止まり、振り向いた。
それは、
モグラと猫を足して二で割ったような、奇妙な生物だった。
「 !!…… ??…… !?」
ネコ目にモグラのような鋭く長い爪。茶色い毛にずんぐりした胴体。モグラにしては俊敏で、猫にしてはしっぽが短すぎる。おまけに鼻から角のようなものがつきだしていた。
あまりの衝撃に、声が出なかった。足の力が抜け、尻もちをついた。
「ナハハハッ! おおげさだなぁ、おまえ!」
そういうとジュウはその動物に近づき、喉をなでた。それは猫のようにゴロゴロ音をたてて寝転がり、じゃれついた。
「な……なんや。そいつ……」
遠くからおそるおそる指差してナニワが言った。
「安心しろよ。ここの動物は人を襲ったりしねぇよ。すげぇ人なつっこいし」
「? おまえ、前に来たことあるんか?」
「ああ。一年生の頃からこの山に通ってるぜ」
そういえば道中、かなり険しく、道とは呼べないような道だったにもかかわらず、ヒョイヒョイと手慣れたように進んでいた。
それにしてもまず、不思議に思うべきは目の前の動物の存在である。
見たことも聞いたこともない、奇妙な生き物。
(もしやUMA? 第一発見者で有名人?)
などと、ナニワがのんきな事を考えていると、
「あ。言い忘れた。ひとつだけ注意することがあった」
ジュウが猫モグラ(仮名)を人形のように頭にのせて話す。
「あいつだけは凶暴だから、絶対に近づかないほうがいいぞ」
「あ、あいつ?」
直後。猫モグラの体が跳ね上がり、ジュウの頭から飛び降りると、森の奥へと逃げるように駆けた。
同時に、ナニワの背後から大きな影が浮かんだ。視界が暗くなる。
ナニワはゆっくり振り返った。直後、頭から勢いよく血の気が引くのを感じた。
「あいつって……コイツ?」
「うん。コイツ」
そこには、
全長三メートルを超える化け物がいた。
地面に爪が擦れるほどの長い両腕。手は人の胴体を掴めるほどの大きさで指は三本。首元まで伸びた長い牙。黒い毛で覆われた筋肉質の体。
あえて言うなら、熊に近かった。
それは、二人をじっと見下ろすと、大木並に太い右腕を高く振りあげる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ !!」
ナニワの大絶叫。腕が振り下ろされると同時に、生存本能がつき動かしたかのごとく、体が跳ね上がる。
「ナハハハ! にぃげろぉぉぉ♪」
ナニワは震えるひざに鞭をいれるように走り出す。ジュウはまるで鬼ごっこをしているかのような楽しげな走りで逃げ出した。
自分が今どこを走っているのかもわからなかった。
ただ背後から迫る恐怖をふりはらうように、時間を忘れて走り続けた。
※ ※
いつの間にか辺りはとっぷりと暗くなった。
狭い木々の間を通り抜けたおかげか、巨体の化け物は追って来れず、うまく逃げることができたが、月明かりをたよりに森の中を彷徨うはめになった。ナニワの疲労は限界に達していて、肩で息をしながら、足をひきずるように歩いていた。
しかし、ジュウは相変わらずの満面の笑みをうかべて鼻歌まじり。今の状況を楽しんでいるように見えた。
「ゆ……夢や。これは夢や……」
ぶつぶつと呟きながら、すでに末期状態の様子のナニワ。やがて狭い木々を抜けると、疲労困憊の彼の目の前に大きな洞窟が姿を現した。
彼らはそこで、夜を過ごすことにした。
※
「なんでこないな事になったんや……」
焚火の光に照らされた洞窟の中、ナニワはこの世の終わりといったような絶望的な表情で頭を抱える。
焚火がパチパチと音を立てる。外は視界ゼロの暗闇。聞いたことのない動物の激しい鳴き声が夜の静寂を支配していた。
焚火の周りに、木の串で貫いた魚が二匹、地面に突き刺さった状態で焼かれている。
しかし、ただの魚ではない。
色は黄色。胸ひれは人間の指のように五本に分かれていて、尾びれがあるはずのところにトカゲのようなしっぽが生えていた。
焚火を挟んで向かい合うように、ジュウは楽しそうに薪木をくべ、ナニワとは対照的な満面の笑顔を浮かべている。
「まぁそう深刻な顔すんなよ、ナニワ。ほら魚焼けたぜ」
ジュウは串を一本掴むと、目の前の少年、ナニワに差し出した。
それは、ジュウが近くの泉から魚を捕ってきたものである。薪木を組んで、焼いて食べる様子などをみると、かなりこの山の生活に慣れているようだ。卓越したサバイバル技術を持った、たくましい小学生である。
それはさておき
「……ジュウ。おまえ。なんでそんな気楽でいられんねん」
ナニワは怒りをあらわにして、ジュウを睨みつけた。
にもかかわらず、ジュウは大声をあげて笑い飛ばした。
「ナハハハッ! あいつに追われるのは初めてじゃねぇしな! 追いかけっこみてぇで面白かっただろ?」
相変わらずの笑顔を浮かべながら、当然のように言い放つジュウ。
「アホか! ふざけんやないで! この状況、もとはと言えばおまえのせいやないか!! これからどないすんねん!?」
はちきれたように立ちあがり、怒鳴る。
はぁはぁと、息を切らしながら怒るナニワに対し、ジュウは困ったような顔でボリボリと頭を掻いて、差し出したその魚を自分の口に放った。
「あの熊ばかりはなつかなくてよぉ。会う度逃げてんだ」
「んなこと聞いてへんわ !! それに、どう見ても熊やないやろあれは! 化けもんや! バケモン!」
「そうかぁ? まぁ細かいこと気にすんな! あ。魚くわねぇなら貰うぞ?」
ジュウはいつのまにか魚を食い終え、もう一本の串もつかんでいた。とかげらしきしっぽが目の前で垂れ下がっている。
「んなもん食えるかアホ! 勝手に食え! 俺はもう寝るで!」
そう言うと、ナニワは地べたに寝転がった。
「こへつかへよはひは。」
ジュウが三匹目の魚をほおばりながら、自分のランドセルに手を伸ばす。
取り出したのは、二人分の寝袋だった。
「! おまえ……最初から、俺とここで寝るつもりやったんか?」
「あぁ。ここに来る時は大抵野宿だからなぁ」
ジュウは串を焚火に捨てて、歯に挟まった魚の骨を指で取りながら言う。
ナニワは怒りを通り越してあきれた。
どこの世界に、学校帰りの道草で、野宿を考える小学生がいるだろうか。
とても付き合ってはいられない。
だからナニワは、寝袋に入る前に言い放つ。
「……もうやってられるか。おまえとなんか、もう絶好や」
たき火の始末をするジュウを背に、しかめた顔を浮かべるナニワ。
「……………」
聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのか、ジュウからの返事はなかった。
やがて、たき火の明かりが消えて辺りが真っ暗になる。ジュウが寝袋の中に入るガサガサという音が聞こえた。
一方。ナニワはこの数時間に色々なことがありすぎて、眠れずにいた。
色々な考えが頭を巡っていた。
鳥ではない何かが飛び出すという噂は本当か? 山に入れないという噂は? あの生物達は? ジュウはこんなところに一年生からいてなぜ無事? 家に生きて帰れるのか?
緊張と疲れからウトウトし始めたとき
「……なぁナニワ。起きてるか?」
ジュウがぼそりと話しかけた。
ほんの少しの沈黙の後。
「まぁどっちでもいいや。寝言だと思って聞いてくれ……俺、おまえとここに来れて、本当にうれしいんだ。今まで一人だったからさ」
「! ……………」
「俺、こんな性格だから、今まで何人も無茶な冒険に友達巻き込んで、その度につき放されて……おまえだったら大丈夫だと思ったんだけど……やっぱ嫌だよな。いきなりこんな所連れてこられて」
「………………」
「……絶交でもいいけどさ、安心しろよ。絶対俺がおまえを家に帰すからさ。……寝言終わり!」
そう言うと、ものの数秒のうちに、ジュウは大きないびきをかき始めた。
ナニワは一気に眠気が醒めた。
再び思考を巡らせる。
ジュウは、クラスの嫌われ者だったのだ。
学校でジュウと楽しそうに話していた者は少なからずいた。しかし、それは上辺だけで、結局はただの話相手でしかない関係なんだろう。
彼の無茶な冒険に振り回されるのを怖がって、怪我に怯えて、誰もが敬遠していたのだ。必死に抵抗しても無駄だということも分かっていた。
ジュウの顔を見る、クラスメイト達の軽蔑した視線は、つまり、そういうことだった。
誰だって、我が身が一番。
(……そういえば、最初話しかけたのはコイツやった。ひとりでも友達が欲しゅうて、少しでも可
能性のある俺に誰よりも早く話しかけたちゅうことか……)
今回のまんなか山の探検も、転校生が来るという話を聞いてから、前もって準備していたのかもしれない。
ランドセルに寝袋を二つ分用意していたのが、その証拠。
(……こいつ……ホンマは……)
明るく振る舞ってはいるものの、本当は寂しかったのかもしれない。
そう考えると、ジュウに対する怒りの感情が、少し揺らいだ気がした。