其の十六 父と母の対立
その頃、ヨミ率いるラマッカ族一同は、すでに空っぽの食人植物の間を抜け、細い穴を滑りぬけたところだった。
隊列は、先頭からアデム、ニミナ、その後ろで数人がヨミの周囲を固めながら並ぶ。万が一、背後からの敵や罠に備えるため、最後尾には元戦士長のイジムがいた。
行進中。
「……しかし、石碑に記されていた食人植物『チェブロラ』はどこにいったのですかねぇ?」
ヨミの傍の男が問いかける。
目の下が大きくくぼみ、頬はやせこけていて、不健康そうな印象を与える。体形は小柄で痩せ型。どうみても戦闘できる体ではない。腰蓑ひとつの他の男達と異なり、チャンチャンコのような服や浴衣のような腰巻きといった容姿である。さらに、不恰好ではあるがワラジまで履いている。
彼の名はキキココ。ヨミ側近の一人である。
村唯一の頭脳派で、道具製作や古典解読に長けている。管理人からもらった罠の設計図の解読・製作の九割は彼の力によるものだった。
戦闘は苦手ではあるが、ラマッカ族の重要な知識人である。
「ふむ。長い年月で枯れ果てたか、その石碑が間違っているのか……本来なら『ヒダシ薬』ですべて腐り落とすはずだったのじゃがな」
ヨミが受け答える。『ヒダシ薬』とは、あらゆる植物を腐らせる特性を持つ薬品である。石碑には、食人植物『チェブロラ』を攻略する鍵となるアイテムと示していたのである。
「まさか、現人達がなにかしたのでしょうかねぇ?」
「ありえるのぉ。やつらの力は未知数じゃからな」
キキココとヨミが推測している最中。
戦士長。アデムは全く別の疑問を抱いていた。
ボナの行動についてである。
アデムは、ボナが現人を助けた所を目撃している。それも脅された様子でなく、積極的に行ったように見えた。表情が恐怖に怯えたものでなく、普段はあまり見せない真剣味を帯びた顔だった。
しかもその後、現人を格納庫まで誘導していたという証言が得られている。
それが真実ならば、ボナは現人の味方。史上初の反逆者であることになる。
(……しかし、なぜ………?)
アデムは考える。
幼い頃から現人は敵だと教えてきたはずなのに、なぜ加担するようなことを?
アデムのすぐ後ろにはニミナがいる。ボナを保護していた彼女ならば何か知っているようにも思えた。
だが、その疑問を打ち明けられずにいた。
祠に入ってからいち早く先頭に並んだ彼らだが、両者無言のまま、一言も喋らずにいた。縁を切った間柄、気まずい雰囲気が両者の間にあった。
しかし、とうとう
「おい。ニミナ」
我慢しきれずにアデムが小さな声で話しかける。それでもニミナに視線は合わせず、前方を見据えたままだ。
ニミナが反抗的な目つきで背中越しにアデムを睨む。
「なぜボナがあの場にいたんだ? そもそも、親父が『孫を取り返しに来た』と言っていたが、どういう意味だ?」
短く言い放つ。しばらく沈黙が流れたが、ニミナがポツリポツリと説明を始めた。
赤髪の少年。管理人が現れ、現人を連れる際に巻き添えにされた事。
その際、ボナが現人に攻撃をしかけていた事を。
「なんだと !? ならばなぜ、現人達を助けるようなことをしたのだ !?」
「? どういうことです?」
「……ボナがキボシの実で煙幕を作って、彼らを誘導しているところを、多くの者が目撃しているのだ。なにか心あたりはないのか?」
アデムがニミナの方へ振り向く。ニミナは首を横に振って否定した。
「ならば、草原から村に行くまでの間に、現人に何かされたと考えるのが妥当だな。脅迫か、洗脳か……忌々しいやつらめ!」
アデムが声を荒立てて憤怒する。
その時、ニミナが言い放つ。
「……本当に裏切ったとしたら……?」
胸を射るような鋭い指摘。思わず、アデムの歩みが止まった。
最悪の予測だった。
ボナが現人に感情移入し、自発的に助けているとしたら?
アデムの顔が青ざめる。
「……私の言いたいこと、分かりますよね? ボナが裏切ったとして、それが先神様に知れたら、あなたはどうするんですか?」
先頭のアデムが立ち止まっているため、後続の戦士達が何事かと前方の様子を伺っている。
アデムの額に汗が流れた。
「先神様は-----いえ、ヨミはきっと殺すよう命令するでしょうね。その時、あなたはどうするのですか !?」
声を荒げるニミナ。アデムはただ立ち尽くし沈黙。
ニミナが続ける。
「もし、ボナを殺そうとするのなら、私があなたを殺します……!」
ニミナが一際高い声をあげる。その顔は冷徹そのものだった。
その時、
「おい。先ほどから何を話しておる! 先を進まんか!」
ヨミがアデムに向かい言い放つ。後続の者はニミナの異様な荒がりようにザワザワと騒ぎ始めていた。
「………申し訳ありません……先神様……」
そこでようやくアデムが口を開くと、再び前進し始めた。
そして、話はうやむやに終わった。
だが、ニミナは願っていた。
『絶対に殺さない』という夫の返事を。
そのために問いかけた質問だった。彼女は確信をもって質問したのだ。
確信があったのだ。なぜなら
彼の腰に、まだあの人形がぶらさがっていたから。
※
「! なぜ、これがここにある…… !?」
一向が罠の道へと差し掛かった時、第一声をあげたのはアデムであった。
弓矢、斧、石柱、針。あらゆる罠が発動した跡。全て見覚えのあるものである。
「石碑に記されていた『ラマッカ族のみが突破できる道』とはこういうことだったんですねぇ」
キキココが後ろから躍り出る。
「罠の発現箇所が分かっていれば、避けるのは容易いですねぇ。それを知るのはラマッカ族のみ。ただ不可思議なのは、なぜ大昔のわれわれの先祖が、この存在を知っていたかということですねぇ」
疑問をなげかけるが、アデムはそれどころではない。
ひとつの絶望的な結論に行き着いた。気づいてしまったのだ。
なぜ先に進んだ現人達が無事に通れたのか?
答えはひとつ。
ボナが誘導したとしか考えられない。
もし脅されていたのだとしたら、いくらでも罠にかけるチャンスはあったはず。ボナは幼い子供ではあるが、ここ一番の行動力はある。普段のボナならここで罠にはめるだろうという確信があった。
だがそれをしなかったのは、彼が率先して誘導していた他ならない。
ニミナも同じく気づき、身をブルブルと震わせる。両者共に顔が真っ青だった。
この時点で、ヨミに『ボナの反逆』を気づかれてもおかしくない。
「そうじゃな。考えられるのは、わらわのご先祖様の能力のおかげということじゃな。」
「! なるほど! 予知能力を使って、罠の構造を知ったのですねぇ!」
ヨミが薄笑いを浮かべて、やや自慢気に言う。どうやら、その思考にはいきついていないらしい。
両者はやや安堵して表情を和らげた。
「しかし、この秘宝殿ができたのは、今から千年も前と史実にはありますねぇ。そんな昔から、罠の詳細の構造まで知ることができるのですかねぇ?」
「ハハハハ! わらわには到底できんマネじゃ! 流石は我がご先祖様じゃ!」
ヨミが高笑い。上機嫌である。
そこで、アデムが
「では、私が先頭となってひとつずつ確かめます。やつらがわざと罠を残していった可能性もありますからね」
通路に足を踏み入れようとする。しかし
「待て。アデム」
ヨミが制止する。アデムが足を止めた。
「いちいち調べるのも面倒じゃ。時間がかかりすぎる。いい加減やつらに追いつかねば、秘宝を盗られてしまうかもしれんしのぉ。そこでじゃ-----」
ヨミが他の戦士達をぐるりと見渡す。そして
「誰かがこの道を走って抜けるのじゃ」
淡々と、簡潔に言い放った。
その場の全員が青ざめる。
走って抜けるとはすなわち、マークの確認を無視し、タイルをひとつずつ踏んでゆけということだ。
罠がひとつでも残っていれば、重傷。もしくは死亡。
しばらくの沈黙。そして、
「ならばやはり、私が行きます」
アデムが率先する。だが
「いや、お主は貴重な人材じゃ。万が一死なれては困る」
と、眉間にしわを寄せるヨミ。
すると思い出したように。
「……そういえば、先日。不可解なことに、門番の一人が気絶していたという事件があったのぉ……」
戦士の一人の男の肩がビクリと跳びあがる。左頬が赤くはれ上がっていた。
「先遣隊が秘宝殿に入ったのもちょうどその日。つまり、現人の一人が門番を殴り倒して、秘宝殿の入り口の開け方を覗き見たのかもしれんのぉ」
男の顔が青白くなる。涼しい気温にもかかわらず、だらだらと大量の汗をかいていた。
周りの皆が彼を注目する。
「そもそも、門番がしっかり役割を果たしていれば、秘宝殿の侵入を許すこともなかったはずじゃ。さて………」
ヨミが、左頬を赤く腫らした男の前まで歩み寄る。
「責任は、とらねばならんなぁ?」
男は視線を合わせられずうつむくが、ヨミはそれを、顔を傾けて下から覗く。
口の端を最大限まで横に引き伸ばした、邪悪な笑みを浮かべて。
男の動悸が激しくなり、はぁはぁ、と大きな吐息を立てる。
数秒後。ついに耐え切れなくなり。
「ぼ……僕が行きます!」
声を絞り出すと、男は通路の手前まで歩き出した。
「おおそうか! 行ってくれるか。自ら率先するとは、なんとも勇敢な戦士じゃ!」
ヨミが嫌味をもって讃えるが、男の頭には入っていない。
「さ、先神様!私が…… !!」
その様子を見るに耐えず顔をしかめていたアデムが、再び名乗り出るが、
「二度も言わせるでない。アデム」
ヨミが鋭い眼光でキッと睨む。
その場の全員が、ヨミの空気に呑まれていく。
そして、男が第一歩を踏み出す。
目は常に下のタイルを見つめたまま、吐息を荒く。数秒遅れて二歩、三歩と歩き始める。体全体がカタカタと震えていた。
しかし、
「なんじゃ、遅いぞ。わらわは走りぬけと言ったつもりじゃがなぁ?」
ヨミが背後から一際声を高く言い放つ。
男はその場で停止。そして数秒後、
「う……うぅう………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ !!」
男は恐怖の奇声を上げて走り始めた。
全てのタイルを踏むために、陸上部の練習のように、ももを高くあげ、短い歩幅で走り抜ける。途中、床や壁に突き刺さった弓矢や斧につまづきながらも、必死に足を動かしていた。
「ハハハハッ! なんとも滑稽な走り方じゃ! ハハハハ!」
ヨミはそれを、腹を抱えて笑う。
男はただ必死に走る。
他のほとんどの戦士達が、眉をしかめていた。
そして、彼はついに罠の道を抜けた。
直後、男は前のめりに倒れた。激しい吐息を連続的に出す。罠にはかからなかったものの、途中、斧や石などの障害物にぶつかったり、つまづいたりして、体は擦り傷だらけだった。
「よぉし。全て大丈夫らしいの。皆の者、先を急ぐぞ!」
その様子もないがしろに、ヨミが号令をかける。
アデムが少し戸惑って、歩き始めた。皆もそれに続く。
その一連の流れを見て、アデムの心の中はグシャグシャにかき乱されていた。
吐き気をもよおすほどの、残酷な命令。どす黒い気持ち。
しかしながら、その感情をアデムは捨て置く。
道徳的に、倫理的に、彼女の命じたことは許されないかもしれないが、彼女にとっては許されること。先神様の行うこと、思うことは絶対で、信じて疑わずにいること。
そう言い聞かせて、顔を蒼白にアデムは歩み始める。
その時、ニミナの中では、激しい怒りの感情が渦巻いていた。
(やはり、この女は許せない! 石碑を出した時だって、率先して内乱を助長していた! きっと、遊びのひとつだったんだわ! こいつは、私達の命なんて虫けら程度にしか思っちゃいない!)
ニミナが拳を硬く握り、血管を浮かび上がらせる。
その他数名の戦士も、歯を食いしばり、眉をひそめたりと、嫌悪感と憤怒の感情を露にしていた。
だが、今事を荒立てれば、厄介なことになるのも事実である。この狭い空間の中での乱闘。逃げ場は無い。下手すれば全滅してしまう可能性もあった。
今はただ、先を進む現人に追いつくことだけを考える。
彼らは心中でそう言い聞かせて、いきり立つ拳を押さえながらも、歩みを進めるのだった。
そして、一向が通路の三分の一ほどまで進んだ時
「ア……アデムさまぁぁ !!」
生贄にされかけた男。いち早く通路を抜けた門番の男が立ち上がって、通路の先から大声を上げる。
「今! この奥で火の光が………!」
男が左手を口に添えて叫び、右手で通路の先を指し示していた。
わずかにだが、赤い光がゆらりと揺れて見えるのが分かった。
「!! やつらか! やっと追いついたぞ !!」
彼らの先に進む者は、先遣隊か現人しかいない。先遣隊は火を持ち歩いていなかった。
したがって、その火は現人の物であることは間違いない。
「走るぞ!」
アデムの号令と共に、戦士達が一斉に走り出す。ヨミは側近の戦士に背負われて、後から続いた。
真っ先に先頭を進むのは、アデムとニミナ。障害物を次々と飛び越えて、なお加速する。
各々の想いを胸に。
アデムは想う。
(ボナを助けるか、殺すか………どちらにしろ、一番にボナの身柄を拘束しなくては! 誰にも前を行かせはしない!)
ニミナは想う。
(ボナが他の戦士に拘束される前に、私が確保しなくては! ボナを殺させはしない………!!)