其の三十七 水瓶
崖下。その波打ち際。
「……つつ……」
右足を抑えつつ、苦痛の表情を浮かべながら海から這い上がるクリスの姿があった。
崖の高さはそれほど高くなく、しかも下は海。体中を強打したものの、生還することができたのである
しかし、落下の衝撃で足を負傷。骨にひびが入る怪我を負ってしまった。
「……さっきのナイフ。当ってればいいけど……」
上を見上げながら、つぶやくクリス。
先刻、ナニワがためらいなく手を放したのは、船から梯子が届く程度の高さなら死ぬ心配も無いと見越してのことだったのだろう。
その甘さをついて放った一撃だった。
霧に視界を阻まれて、当たったのかどうかは定かではないが。
「……どちらにしろ、このままじゃ終れない!」
と、クリスは強く言い放つと、キッと前を見据えた。
激痛が足に奔る中、体を痙攣させながら、ゆっくりと立ち上がった。
苦境は跳ね返すのみ。
そして、歩き出す。
右足を引きずりながら、顔をゆがませて歩き出した。
「急がなければ……ヴェスチア様の下へ……!!」
うつろな視線で、そう呟くクリス。
彼の方向感覚は並ではない。現在位置から、宝の在り処があるであろう島の中心位置まで、どの方角を歩けばいいのか、大体の察しはついていた。
ヴェスチアの下へ向かうことができる。
この体で何ができるわけでもない。しかし、向かわずにいられなかった。
じっとしていられなかった。
ゆっくりと、しかし確実に歩を進めていくクリス。
固い意思でつぶやいた。
「私を……私達をなめるなよ! 宝は我々、ヴェスチア海賊団のものだ……!!」
※
「くそっ! ホンマにこの道であっとんのかいな……」
深い霧の中。ひた走るナニワが、不安げな表情でぼそりとつぶやいた。
ようやく足腰がしっかりし始めた後。【臆病な英雄】『ラヴチュアリ』の能力を再び発動し、バックログ機能を駆使して、戦闘前の元居た場所へと戻ることができた。
そして、ジュウが向かったであろう道の先へ走り出したのだ。彼の加勢に行くために。
しかしながら、あくまで歩数を逆算して導き出した位置。曖昧で絶対ではない。半分、記憶を頼りにしたものだ。それに、視界ゼロの深い霧の中では、便りになる目印もない。今、自分が向かっている先に、ジュウ達が----伝説の宝があるのか、確信が持てなかった。
しかし、走り始めてから十分後。
彼の走り始めた道が正しかったことを知る。
「! うわっ!?」
突然、何かにつまづき、倒れるナニワ。
「いたた……なんやねん」
ゆっくりと体を起こして、つまづいたモノをふりかえる。
しかしそれは、モノではなかった。
地面に倒れて動かない、ジュウの姿があった。
「!! ジュウ!?」
ナニワは驚き、駆け寄る。
ジュウは、背中にニコを背負ったまま、うつぶせに倒れている。息使いが聞こえていることから、息絶えてはいないようだった。
しかし、彼は重傷だった。
度重なるモンスターとの戦闘で、この島に到着した時にはすでに満身創痍。多量の出血と疲労で、倒れてしまったのだ。
もはや、立ち上がることのできない体。
それでも、ジュウは諦めていなかった。
目の前をまっすぐ睨むと、腕を這わせて、前へ進もうとしていた。
死にもの狂いのほふく前進だった。
「はぁ……はぁ……ぜってえ……諦めねえ……」
その目には、ナニワも映っていない。
うつろな目で、体を震わせながら、血を流しながら、それでも少しずつ、前へ進む。
「ぜってぇ……ニコを、助ける……!!」
「………ジュウ……おまえ………っ!!」
必死な彼の姿に、ナニワの目頭に熱いものがこみ上げる。
彼は、もう悟っていた。
伝説の宝は手に入らない。
ニコを、とうとう助けることができなかったということを。
*
同時刻。
「……とうとう、着いたぞ……!!」”ツイタゾ”
ヴェスチアと飼い鳥。そして、数人の船員。
彼等はとうとう、『ギミック』に到達していた。
おそらく、宝の在り処を示す、最後のギミック。
それは、大きな水瓶だった。
直径3メートル程。少し開けた広場の中央に、ドンと構えるように置いてあるだけの、単純なギミック。当然、それだけでは、どんな仕掛けがあるのか検討もつかない。
しかし、ヴェスチアには、一目見るだけでそれを看破できる能力がある。
「さあ! 船長! 一体、宝はどこに!?」
回りの船員も、宝は手に入ったも同然というように、期待に胸を膨らませてヴェスチアに問う。
最後のギミックを見られた時点で、ヴェスチアの勝利は決まったも同然。
故に、ヴェスチアより先にギミックを見つけるのは絶対条件だった。
ニコを救うための、絶対条件だったのだ。
ヴェスチアは、ニヤリと微笑みながら、その水瓶を観察していた。
そのギミックの正体を知るために。
しかし、その直後だった。
ヴェスチアの表情は微笑を消して一転、険しい表情となる。
「………ちっ」
そして、不機嫌さながら、舌打ちを鳴らした。
「? 船長?」
回りの船員が、怪訝そうにヴェスチアの表情を窺う。
そこで、ヴェスチアは、
「……回りを調べろ。野郎共。このギミックの正体を探せ」
これまでの一言も発さなかった指示を下した。
「!? せ、船長!? なぜですかい!? まさか、見破れないと……!?」
「いいから動きやがれ!! 相手はガキとはいえ、敵が追ってきてんだ!! さっさと調べろ!!」「シラベロ!!」
ヴェスチアは不機嫌さを露骨にすると、回りの船員へ喝を飛ばす。
「は、はいぃ!!」
船員達も、一斉に動きだし、水瓶の周囲を調べ始めた。
こんなことは、彼等にとって初めてのことだった。
これまでのギミックのみならず、過去の戦闘でも、ヴェスチアはあらゆる事を一目で看破してきた。未知の兵器の弱点を言い当てたり、敵が仕掛けたトラップを見破ったりなど、一種の超能力を披露してきたのだ。
それが通用しない瞬間を、彼等は初めて目にした。
動揺ながら、水瓶の周囲を探り続ける船員達。
調べた結果。水瓶自体は、特に何の変哲もない、ただの水瓶だった。
奇妙なことがあるとすれば、それは水瓶の周囲。
直径十メートルほどの範囲で、地面に円形のラインがひかれていた。さらに、そのラインに沿って、ヘビのしっぽらしきものが巻き付いている木の棒が突き刺さっていた。
ジグザグアイランドのギミックでも同様のモノがあった。おそらく、ただの飾りであろうと船員は推測する。
「おい! まだ何か見つかんねぇのか!?」”ミツカンネェノカ!?”
調べ始めてから五分。遠巻きに見ていたヴェスチアが、とうとうしびれを切らした。
「へ、へい! それが、暗号らしきものやヒントはなにも……ただの、水瓶ですぜ!」
「ったく……おい! その水瓶の中はどうなってんだ!?」
「? 水瓶の中ですかい?」
言われた船員が水瓶をよじ登り、中を窺う。それと同時に、ヴェスチア自身が正体を探るため、水瓶に進みよる。
その時。
ヴェスチアが、円形のラインを踏み越えた、その瞬間だった。
水瓶に、変化が起こった。
「!? うわあああああ!?」
突然。悲鳴を挙げる船員。
彼の体は、吸い込まれるように、水瓶の中へと消えて行った。
彼だけではない。
他の船員達も、彼同様に、体を水瓶へと吸い寄せられている。
「!? な、なんだ……!?」”ナンダ!?”
突然の出来事だった。
水瓶の口から、猛烈な吸引力が発生していた。
土埃が巻き上げられ、周囲の木々もしなるほどの引力。周囲船員達の体は宙を舞い、次々と水瓶の中へと吸い込まれていった。
「うわああああああ!!」
「せ、せんちょおおおおおお!!」
「!! ランディ!! フランク!! ビスター!!」
ヴェスチアは、ヘビのしっぽが巻き付いた木の棒に掴み、引力に耐えながら、水瓶の中へと姿を消していく船員達の名前を叫ぶ。
しかし、その勢いは止むことは無い。
そして、あっと言う間に。
水瓶の周りにいた七人の船員は、水瓶の中へと姿を消した。
絶望に、悲痛な表情を浮かべるヴェスチア。
しかし、彼自身にも、余裕はなかった。
その時
ボキッ
捕まっていた木の棒があまりの吸引力に耐えきれず、折れたのだ。
ヴェスチアの体が、宙に浮く。
他船員と同様に、水瓶の中へと吸い込まれていく。
「……………っ!!」
この時。ヴェスチアは、その水瓶がなんらかのトラップであることを直感していた。
飲み込まれれば終わりと思い、必死に抗っていた
しかし、もはや、ヴェスチアに抗う術はなかった。
視界から地面が遠ざかる中。浮遊感に身を任せるしかなかった。
覚悟を決めた、その瞬間だった。
「ヴェスチア様あああああああああああ!!」
聞きなれた声。
長年、苦楽を共にした仲間。ヴェスチア海賊団設立から、仲間として共に歩んだもの。
航海士。クリスが、ヴェスチアの元へ駆けつける姿があった。
彼を視界にとらえ、驚愕に目を剥けるヴェスチア。
ナニワとの戦闘後。懸命にヴェスチアの後を追った彼が、追いついた直後のこと。
ヴェスチアが、水瓶の中へと吸い込まれ、危機に瀕している瞬間だった。
クリスは、右足の痛みも振り切って、大きく地面を蹴りだすと、ヴェスチアの体に思い切りぶつかった。
男としてはあまりに小柄で貧相な体。
しかしながら、ヴェスチアを引力の圏外に弾き飛ばすには、十分な衝撃だった。
「クリス!!」
ヴェスチアは、円形サークルの外側へと弾き飛ばされるや否や、水瓶へと振り返る。
そこには、クリスが今にも、水瓶の中へと吸い込まれていく光景があった。
同時に、ヴェスチアの目に焼き付いたのは
ヴェスチアの顔を見て、ニッコリと微笑む、クリスの笑顔だった。
「クリスゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
絶叫するヴェスチア。
だが無情にも。彼の体も水瓶の中へと吸い込まれていった。
直後。吸引が止まる。土埃はパラパラと地面に落ちて、木のしなりもなくなる。
後には元通り。立ち込める霧と静寂。そして、たった一人残されたヴェスチアの姿があった。
「……なんだ……どういうことだ!?」”ドウイウコトダ!?”
まるで、訳が分からなかった。
ここは宝の在り処じゃなかったのか?
もしくは、在り処を示す仕掛けか何かがあるんじゃなかったのか?
そんな疑問がよぎる中。次の変化が水瓶に起こった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
突如。地面をゆるがす振動が起こる。
「!? 今度はなんだ!?」”ナンダ!?”
訝しげに、周囲を見回すヴェスチア。
直後。それは起こった。
ドオオオオオオオオオオオオオオオ!!
響き渡る轟音。
それは、水瓶の底から猛烈な勢いで噴き出した、水流の音だった。
「……………っ!?」
思わず、目を見張るヴェスチア。
水瓶の底から大量に噴出する水。その勢いで、水瓶はまるでロケットのように、空中へと飛び出した。
そして、あっという間に天空へと姿を消して言ったのだ。
しかし、ヴェスチアにそれを観察する暇は無かった。
なぜなら、噴き出した水流に飲み込まれ、遥か後方へと体を押し出されたからだ。
「が…………あぁ……!?」
必死に抗うも、無駄に終わる。
気が付いたころには、彼は、水びだしのまま呆然と立ち尽くしていた。
数十メートルは流されただろうか。相変わらず、周囲は霧が立ち込めて、どこにいるのか正しく把握はできなかった。
「くそっ……わけわかんねぇよ!!」”ワカンネェヨ!!”
ヴェスチアは、膝をついて、地面を強く叩いて叫ぶ。
まるで、やるせない気分だった。
多くの仲間を犠牲にして、やっとの思いで辿りついた、伝説の宝の在り処を指し示すであろう場所。
しかし、そこには、残りの仲間を飲み込む悪魔のようなトラップが待っていた。
ヴェスチアは何もできず、さらには、仲間に身を挺して助けられる始末。
どうしようもない無力感が、襲い掛かる。
「くそが……せめて……コイツがまだ使えたら……」”ツカエタラ”
ヴェスチアは、そう言って、左目を隠す眼帯に手を当てる。
そして、悔しそうに体を震わせて、ギュッと握りしめた。
失った今、初めて気づく。
宝以上に大切な存在。
かけがえのない、仲間の存在を。
「ちくしょお………ちっくしょおおおおおおおおおおおおおお!!」
天高く。吼えるように叫ぶヴェスチア。
かつてないほどの絶望だった。
その直後。
さらなる絶望が、彼に襲い掛かる。
ドシィン!
「!? な、なんだ!?」
地響きと共に、それは、突然現れた。
まるで、彼の悲痛な叫びを感じたようにそいつは現れた。
彼の周りを、大きく暗い影が覆い始めた時、ヴェスチアは冷や汗を一筋流して、ゆっくりと、視界を上方へと向ける。
そこに、絶望の正体があった。
「うわあああああああああああああああああああああ!!」
島中に、彼の絶叫が響き渡った。
*
一方。ナニワサイド。
ナニワは、ジュウを肩にかつぎながら、ふらつく足で歩き続けていた。
背中には、ジュウの代わりにニコをおぶっているので、二人分の体重を負担していることになる。
「ナニワ……オレは……」
ジュウの意識は覚醒していた。ただ、その表情はかつてないほど暗く、申し訳なさそうに声を落とす。
「……なんも言うな。ジュウ。まだ終わったわけやないで」
励ますように言うナニワ。しかし、内心、絶望的な気分だった。
ジュウがどれほどの時間倒れていたのかわからないが、ナニワに追いつかれてしまうほど遅れていたのは確か。
それに、ヴェスチアは一目でギミックを見破る特殊能力がある。今の状況は、あまりに致命的で、絶望的だった。
ただし、可能性がわずかでもあるのならば、立ち止まるべきではない。
彼等は一歩一歩、ふみしめるように、ゴールに向かって歩き続けた。
その時。
ドドドドドドドドドドドドドド……
「!? なんや!?」
突如。轟音と地響きが鳴り渡る。
それは、彼等の歩く先から聞こえていた。
思わず、早歩きとなる両者。
そして、彼等を待ち受けるものは、
何もなかった。
「……一体、どういうことや?」
ナニワは、首をかしげる。
開けた広間。そこには、いくつもの水たまりと、円形のサークル。そして、サークルに沿って配置された木の棒があるだけだった。
これまでのように、大々的な仕掛けらしきものは見当たらなかったことに、ナニワ達は怪訝な表情を浮かべた。
「なんもねぇ……どういうことだ? ここがゴールじゃねえのか?」
ジュウがナニワの肩から離れて、サークル内へと足を運ぶ。
歩いた時間からして、今いる場所こそ、宝の在り処を示す最終地点。ソロモンアイランドの中心。ゴールであることを推測していた。
何より、先刻あった轟音が響いた場所。何かなければおかしい。
「……もしかして、ここに宝があって、すでにヴェスチアが持ってったっちゅうことか……?」
声を落として、ナニワがつぶやく。
すでに、遅れすぎるほど遅れている。ヴェスチア一同が宝を手に入れ、この場を離脱するには十分すぎるほどに。
ネガティブな発想をせざるを得なかった。
思わず、顔をうつむかせるナニワ。
その時。
「あ! これ……! どっかで見た事ある!」
ジュウが、サークル上に配置された木の棒を見て叫ぶ。
その先には、ヘビのしっぽが巻き付いてある。
「確か……そうだ! 最初の島! でっけえアリンコが出た島の地下で、こんなんあった! 蛇の頭だったけど!」
記憶を辿るように、そう言うジュウ。
「ジグザグアイランドか? 確か、デコ姉もそないなこと言ってたなぁ。気色悪いってぼやいてた----」
その時だった。
ナニワの脳裏に、ひとつの推測が浮かんだ。
あまりに馬鹿げた、ひとつの発想。
ナニワは急いで、この領域の地図を広げた。
「? どうした? ナニワ?」
「まさか………そないなこと……!」
ナニワはぶつぶつと、冷や汗を流して呟く。
そして、手持ちのボールペンを取り出した。
「……デコ姉から訊いたんや。ビンチの言ってた豆知識」
と、語りだすナニワ。
ボールペンの先を当てたのは、ジグザグアイランドの場所だった。
「豆知識?」
「そうや。蛇は錬金術の象徴のようなもの。循環性・永続性を示すもんらしい。俺もどっかのゲームで見た事あるわ。蛇が自分のしっぽを加えてる絵」
語りながら、ナニワはボールペンで地図上に線を引いていく。
その先は、次の島の目的地。ネバーアイランド。
「? それがどうしたんだ?」
「おかしいとは思わへんのか? 蛇が錬金術の象徴っちゅうなら、どうしてネバーアイランドとレオンアイランドにはそれがなかったんや?」
ボールペンが描く軌跡は、さらに続く。
次の目的地。レオンアイランドへと。
「みんなから話を訊いた限り、全てのギミックの形は全て、円形やったそうやな。このサークルもひとつの円。なるほど……確かに、『循環』っちゅうことや。すでにヒントはちりばめられてたっちゅうことか……!」
ナニワが、言葉に焦燥を含ませながら、地図上にラインを描いていく。
最後の目的地。今、自分達がいる島。ソロモンアイランドへと。
ここまできて、ジュウも感づいた。
「まさか……ナニワ……!」
「そうや……最後の島にしっぽ。最初の島に頭。錬金術の思想でいえば、ここをつなげるしかないやろ?」
そう言って、最後のラインを描くナニワ。
ソロモンアイランドから、ジグザグアイランドへとつなげるライン。
そうして浮かび上がったひとつの図形に、二人は見覚えがあった。
「!! こ、これって……!?」
「……どうする? ジュウ」
顔をうかがうようにして訊くナニワ。
ジュウの答えは決まってた。
「そんなの、決まってんだろ! すぐに出航だ!」
「そやな。幸い、場所はここから遠くないで」
そう言って、二人は立ち上がり、遠くを見据える。
深い霧の向こう側を見据えて、ジュウは言い放つ。
「戻るぞ! スタート地点へ!!」