其の十 ジュウの怒り
「痛っ……!」
アデムが、肩に担いでいたデコとナニワを、ヨミの前で乱暴に下ろす。二人は両手首、足首を拘束されているため、受け身が全くとれず、痛みで顔をしかめた。デコは額を思い切りぶつけたらしく、涙目を浮かべている。
「なんじゃ。全く普通の子供じゃないか」
ヨミが拍子抜けといった顔で言う
「わ、私は子供じゃない!」
額にたんこぶを作りながらも、大声で反抗するデコ。
それに対し、ヨミは大口を開けて笑いながら
「はっはっは! 子供と言われてムキになるのは、子供である証拠よ! もういい、さが----!?」
邪魔ものを振り払うように手を振る姿勢から一変。目を大きく見開き、口を閉ざした。
左手で左目を覆うと、みるみる顔が青ざめていく。
「な、なんじゃここは? なぜ貴様が……? あ、あの穴は?………… !! そうか。そういうことか………」
「…………?」
周囲の人間の怪訝もよそに、ぶつぶつと呟くヨミ。
この時、ヨミは予知能力を発揮していた。目を覆う仕草は予知映像を網膜に映し出すためのものであり、アデムもそれを察していた。
(一体、今度はどんな予知を………?)
せめて悪い予知でないことを、心の中で祈るアデム。
やがて、ヨミが唇を震わせて、声を絞り出した。
「………殺せ」
その場の空気が固まった。
そして、堰を切ったように、
「この子供を殺せ! 災いの子じゃ! いつか我が一族を滅ぼすぞ!」
うって変わった激しい激昂と殺意を秘めた眼光。その鋭くとがった長い爪の先を二人に差し、周囲三人の大人に命令する。
ナニワとデコは、頭から血の気がサァッと引くのを感じた。
「し、しかし、すでに管理人がこちらに向かっています。この二人を渡さなければ----」
「かまわぬ! 逃げられたとでも言ってごまかせばよい! この場でこ奴らを殺さねば、とりかえしのつかぬことになるぞ!」
動揺する男に対し、ヨミが恐怖に顔を引きつらせながら、必死の形相で叫ぶ。
予知能力。今まで何度もラマッカ族の危機を救ってきただけあり、その信用性は高い。
周囲の男達は顔を合わせると、コクンとうなずいた。すぐに大テントを出る。
やがて、重さ1トンはあろうかというほどの無骨な形をした巨大な石斧を肩に担ぐ、肥満体形の大男が腰をかがめて入ってきた。
「「…………!!」」
突然。死の恐怖が彼らを襲う。脳に十分な血液と酸素が回っていないのか、視界がぐらつき、吐き気まで感じた。
「特に………娘」
ヨミが震える手で指さしたのは、デコだった。
「貴様が一番危険じゃ。こいつから先に殺せ」
「え、えぇえ !?」
危うく呼吸が止まりそうになるデコ。カタカタと肩を震わせる彼女の前に、ヨミの命令を実行せんと、大男が歩み寄る。
「いくどぉぉ………!」
のろのろとした間抜けな言葉。大男が斧をゆっくりと、高くあげ始めた。
「ちょ、ちょっと! 私が何したっていうのよ……なんで殺されなくちゃ……」
「そ、そうや! ふ、ふざけんなや!」
恐怖に声をうわずりながら、助けを求めるような視線を周りに向けるデコ。ナニワも恐怖を振り払うように抗う。
しかし、
「先神様の言葉は神の啓示だ。悪く思うなよ」
アデムは冷徹な瞳で、そう言った。
「う……嘘でしょ !? い、嫌よ。私……!」
デコの心臓がバクバクと騒音を立てる。恐怖で体中の筋肉が固まる。歯がガチガチと震え、目に大粒の涙を浮かべた。
自分が座っている感覚さえなくし、宙にただようような錯覚を引き起こしていた。
「や、やめろぉぉ!!」
ナニワが立ち上がり、男に体当たりをしようとするが、周囲の戦士達に抑えられる。
「なんでや !? なんでデコ姉が…… !? 畜生! 離せぇ!」
石斧は男の頭上で停止。その無骨な石の塊は、地面から三メートルの高さの位置。それを振り下ろせば、彼女の頭が粉々に砕けるのは確実だろう。
デコは必死に体を動かそうとするが、筋肉へ伝わる神経回路が断絶したかのように、立ち上がることさえできない。呼吸の仕方さえ忘れてしまっていた。
(わたしは……こんなとこで………)
絶対的恐怖。死の恐怖。
それが、彼女の心を支配する。
内に秘めた強い意思とは無関係に。
(死ぬわけにはいかない………!!)
そして、
石斧が、振り下ろされる。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ !!」
ナニワが悲痛な叫びを上げる。
その時だった。
バキバキバキッ!!
頭上から破壊音。それは天井の木の屋根が砕ける音だった。
直後。小さな人影が、デコの視界に飛び込んだ。
屋根から飛び込んだ直後。そいつは無意識か偶然か、大男の頭の頂点に飛び蹴りをくらわした。
「ぐぅは !?」
鈍い音がして、大男がズズゥンと地鳴りを起こして倒れる。振り上げた石斧も同時に落ちた。
「な、何者だ……!?」
たちこめる土煙の中。ヨミは動揺する。
そして、そいつは姿を現した。
「オレか? オレは-----」
黒いブーツにオレンジのジャケット。無造作にはねまくった髪の毛に、首元のスカーフ。
彼らの記憶の中で該当する人物は、ただ一人
「天元じゆう。友達を助けに来た………!!」
「「ジュウゥゥ!!!」」
二人が涙を散らして、その名を呼んだ。
「よぉ! 無事だったか?」
すがすがしいほどの笑顔で答えるジュウ。周りのラマッカ族はあまりの衝撃に、ピクリともその場から動くことができないでいた。
「いやぁ、しかしナニワ。おまえ運悪いよなぁ。熊に会って襲われるわ、変なやつらに捕まるわ。ナハハハ!」
「う、うるさいわ! あほ! 助けんならもっと早くこんかい!!」
「もうちょっとで死ぬところよ! 何やってたのよバカガキ!」
ナニワが涙と鼻水で顔をグジュグジュに濡らす。デコが目を真っ赤に、涙目で叫んだ。
ヨミとその他の大人達は、その様子を、目を皿のように丸くし、ただ茫然と見ていた。天井には大きな穴が空いていて、折れた木がガラガラと音を立てて落ちた。
(馬鹿な……このテントは鉄の硬度を誇る『カナリ樹』で作られている。それをいとも簡単に突き破るあまりか、オットポを一撃で倒すとは……!!)
アデムは頭上の穴を見ながら、動揺を隠せないでいた。
彼らがいる中央の大テントは族長ヨミの住居兼集会場。この村で最も重要な場所であり、鉄並の硬度を持つ樹木『カナリ樹』を加工して作られたものである。遠距離砲弾を受けてもビクともしない建物であり、当然、子供一人が乗ったくらいでは壊れるはずもなかった。
さらに、ジュウが蹴り倒した男。オットポは村一番の巨漢であり、戦士としてはアデムに次ぐ実力者である。不意打ちとはいえ、超重量級の彼を倒す脚力が、目の前の少年にあるとはとても思えない。
「お。おまえらも、この蔓で縛られたのか? よし、ちょっと待ってろ」
ジュウはそう言うと、デコの後ろに回り、手首に巻いてある縄、ガジリ草を両手で掴んだ。
「む、無駄だ! それは力を加えるほど縮むぞ! 『ヒダシ薬』がない限り、絶対に解けやしない!」
一人の男が叫ぶ。『ヒダシ薬』とは、草原のテントでも使用された、ガジリ草の拘束をほどく唯一の溶液である。
しかし、その直後。
ブチッと大きな音が響いた。
拘束していた蔓が、強引に千切られた音だった。
「なっ…… !?」
ラマッカ族全員が絶句する。
「なんだ。意外と簡単にちぎれるな」
ちぎれて、シワシワに枯れた蔓を地面にポイッと捨てると、続いて両足のガジリ草にも手をかける。
なんてことはない。まさに力技だった。蔓が縮む前に、圧倒的な握力で蔓を握り潰したのである。
その様子を見て、さらに動揺する男達。
しかし、アデムはあくまで気丈だった。
拘束から解放された少年達と対面し、問いかける。
「例によって、現人の奇妙な道具の能力か………お前のはなんだ? 怪力を身につけるその服か? 脚力を身に着けるその靴か?」
彼らは現人の使う不思議な道具を知っている。戦う中、様々なモノを見ていた。
テントを壊したり、ガジリ草を握りつぶしたりと、常識では考えられない能力。目の前の少年もまた、その道具-----想具を使っていると直感したのだ。
しかし、
「奇妙な道具?……そんなもんねぇよ」
ジュウはギロリと睨みつけて、端的に返した。
「ない? 嘘を言う-----」
「ごちゃごちゃうるせぇ」
ひと際大きな声で制する。
その口調に、さっきまでの朗らかな雰囲気のものは感じられない。
ナニワはふと、横のジュウの顔を覗き、そして驚いた。
そこに、いつものジュウはいなかった。
今までに見せたことのない、本気で怒りに燃えるジュウがいたのだ。
「俺の友達をこんな目に合わせやがって………覚悟できてんだろうな。お前ら」
右拳で左の手のひらを叩き、眉間にしわを寄せ、歯をむき出しにする。
その時、ジュウ達三人の後ろから、大きな影が覆った。
「そでは……こっちの、でりふだどぉ」
ジュウが蹴り倒したはずの大男。オットポが、再び大斧を持って立ちあがっていた。
鼻に血が詰まっているのか、ただでさえ聞きとりにくかった声が、ますます濁って聞こえる。顔を真っ赤に、頭に血管を浮かびあがらせていた。
ナニワとデコは小さな悲鳴を上げて後ろに数歩下がった。
しかし、ジュウは堂々と立ち向かい、相対し見上げる。
「どうでおまえも『デウディス』だどぉ? おまえからざぎにだだぎづぶすどぉ !!」
「そうじゃ! 殺せ! その少年も同じじゃ! 災いの子じゃ!」
後ろでヨミが声を張り上げる。それに呼応するかのように、大斧が、勢いよく振りあげられた。
「ジュウ!」
思わず叫び、近寄ろうとするナニワ。しかし、
「大丈夫よ。あいつなら」
デコが余裕の表情で、左手をナニワのまえにかざして制する。
そして、目の前の大男に少しも動じず、ナニワを後目にジュウが言い放った。
「安心しろ。約束したからな。絶対おまえを守るって……!」
「………!!」
すでに遠い記憶だった。
まんなか山からの生還時に言った、約束の言葉。
(「よし! 約束するぜ! おまえを絶対守る!」)
忘れていると思った。自分さえ忘れかけていた。
しかし、彼はこうして駆けつけてきてくれた。
何十人の敵の中を、たった一人で。
「関係ねぇんだ。『イカレた百人の原始人』が相手だろうと-----」
石斧が勢いよく、ジュウの頭上めがけて襲いかかる。
同時に、ジュウの右拳が振りあげられた。
「俺の冒険は、終わらねぇぇぇぇぇ !!」
ジュウの右拳と石斧が衝突。ナニワはそのまま叩き潰されると思った。
しかし、
石斧は時が止まったかのように停止した。
そして、ビキッと何かが割れる音がすると、
巨大な石斧が粉々に砕け散ったのである。
「なぁあ !?」
オットポはなにが起きたのか分からなかった。理解する時間もなかった。
なぜなら、
瞬きする間もなく、すぐ目の前に、ジュウの飛び蹴りが迫っていたから。
「ああああああああああああああああああ !!」
ブーツのつま先がオットポの顔に直撃。その顔が原型をとどめないほど大きくゆがんだ次の瞬間。
オットポの体が宙を舞い、テントの壁をぶち破りながら、勢いよく吹っ飛んだ。
「……………!! !! !?」
一同唖然。
オットポはテントの向こう20メートル先までノーバウンド。やがて、一回、二回と地面に跳ねた後、無残な姿が残った。体をピクピクと震えさせると、やがて気絶した。
あまりの衝撃に、誰もが言葉を失った。
デコを除いて。
「よぉし! よくやった! 相変わらずのバカ力ね!」
デコがにっこりと笑い、サムズアップ。ジュウがそれに応える。
ナニワは目をむき出しに、顎が外れそうになるほど口をあんぐりと開けていた。
目の前で起きたことが信じられなかった。
確かに、ジュウは運動能力の高い少年だった。
道中の速い足並みや、続けざまに冒険し続けようとする体力。人並以上のものがあるのは理解していた。
しかし、これはあまりにも異常すぎる。
まるで特撮映画か漫画のように、冗談みたいに、人間が簡単に吹っ飛んだのだ。
ただ驚愕。そして、思わず呟くのだった。
「い、一体なんなんや。おまえ………!」