〜迷える子羊達〜
序章:理由
ずっとずっと、聖母マリアになりたいと願ってた。
いや、なれるものだと確信してた。救世主でなくとも神の子イエスでなくとも__子供さえ産めば、その瞬間からなれるものだと信じていたのだ。
マリアになりたかった理由?
神の愛息子を、穢れた末日に生み出した母親だから?
どんな大罪を冒しても、無限の慈悲ですべてを赦す人間から?
馬鹿馬鹿しい。そんなアバウトな理由なんかじゃない__もっと簡単で稚拙な理由だ。
「聖母なら自分の子供を殴ったりなんかしない」
そう、聖母なら__悲鳴に似た声音で許しを請う三歳児の柔らかい両頬に、数え切れないほどの平手打ちを浴びせたりなんかしない。何が悪かったのかさえ理解できないのに「ごめんなさい」「もうしません」「いい子になるから」を連呼する__我が子の成長過程中の腹部を手加減なしに蹴り上げることなんかしない。「ごめんなさい、って何が!?何が悪かったのか自分でわかってんでしょ?言ってごらんよ!?何が悪かったのか、言ってごらんよ!!」
怒りはトップギアへと移行した。このモードは特殊で、車の性能とは異質だ。ローからスタートすることは殆ど皆無だ。エンジンをスタートした時点で、既にサードギアに入っているのだから。
わかってる。
三歳児に__しかも矢継ぎ早に質問したところで、納得のいく答えが返ってくることなどないことなど。わかっていても、この怒りの刃を収める鞘を私は持ってない。一度抜いてしまった刃は、致命傷を負わすまで、その体を貫き続けるしか行き場がないのだ。
「ぼ、ぼくが……こぼしたから、お、おかあさんがおこりました」
「わかっててなんで同じこと繰り返すのよ!?」
泣きじゃくりながら必死に言葉を紡ぐ息子の頬を、ネイル装飾した爪が食い込むほどに抓る。
(ああ、せっかくのネイルアートが台無しだ。1万もしたのに……)
辛うじて残ってる理性の部分が独りごちると、今度は別の怒りがギアをハイトップに移行させた。もう止まらない。止められない。ギアがハイトップに入ってしまったら、私は私を止められない。アクセルを床いっぱいに踏み込んで、警告アラームが鳴り響いても加速し続けるしかない。母親として最低の言葉を吐く__というゴールへ向けて。
「アンタなんか産まなきゃよかった!!死ねばいいのよ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません」
最低の言葉を吐きながら、殴打の儀式を続ける。
息子の顔は皮肉なことに、彼が大好きなアニメのヒーロー「アンパンマン」の顔と瓜二つになっていくのを、私はどこかで楽しんでいるのかもしれない。
正義のヒーローなんて存在しないのだ。聖母マリアなんて空想の人物なのだ。夢を見ること、希望を持つことが如何に愚かなことなのかを、私は息子に教育しているのだ。
そう、私は「虐待」という名の教育方法で息子を育児しているのだ。