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とある伯爵令嬢の結婚 ソニア・ブリューメル  作者: 伊守


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1/1

【とある伯爵令嬢の結婚】



「ソニアお嬢様、奥様がお呼びでございます。急ぎお越し下さいませ。エリザ様もお待ちです」

「――! ええ、すぐにお伺いします」

 伯爵令嬢のソニアにとって、その呼び出しは死刑宣告を受けるに等しい重みが常にあった。

 奥様、即ちこの家の正室であある第一夫人フローリアンからのお呼び出し。

 それは何を置いても、例え生母や実父を差し置いてでも、すぐさま駆け付けなければならないものである。

 何故ならこの国の法と宗教は全ての側室と側室の子に対し、生殺与奪の全権を握る正室への絶対恭順を命じているのだから。


 ソニア・ブリューメル。ブリューメル伯爵家の次女だ。年は十六、王立貴族学院に高等部後期生として在籍しており成績は優秀な部類だ。父の癖の無い金髪と母の大きな青い瞳を受け継いだ、美少女と言って良い容姿を持っている。

 ――但し、ソニアはブリューメル伯爵第一夫人フローリアン・ド・ブリューメルの娘ではなく、伯爵の第二夫人エリザ・ブリューメルの娘である。

 この第一夫人か、それ以外の子かという一点において貴族の子弟の価値には雲泥の差が生まれる。

 女神に愛されない側室の子供達は、家の資産として金に換えられる未来しかないのだ。娘であるソニアにとっては、それは他家との縁談――他家の側室としての「売却」を意味していた。

 正室付き侍女に伴われ、マナーを乱さない程度の速足で呼び出された正室の応接間に辿り着いたソニアは大きく深く息を吸い、心を落ち着かせる。

(大丈夫。私も母様も、奥様に無礼な事はしていない。殉死を命じられるようなことは、何も)

 だからきっと、奥様のご用件は「売却先」の事だろう。きっと。おそらく。そうであってほしい。

 ソニアは侍女が恭しく開いたドアを潜り、すぐに深い淑女の礼を取った。

「女神の子たるお義母様に、ソニアがご挨拶申し上げます。お召しと伺い罷り越しました」

「顔を上げなさい」

 重々しい響きの声に、ソニアは習った通りの礼法で顔を上げる。自分の価値を下げるような真似は決してしてはいけない。

 奥様の応接室。それは、この家の多くが決められる場所だ。

 ソファーにゆったりと身を預ける奥様――フローリアン・ド・ブリューメルの背後には、影のようにソニアの実母、エリザ・ブリューメルが立っている。

「ソニア。貴方の婚姻が決まりました」

 ――来た。ついにその日が来たのだ。

 分かっていた事だ。花市場、と揶揄される秋の大夜会で社交界にデビューしたのは二年前。その時、多くの貴族家の正室達から品定めを受けた。

 怯えたソニアにそれは光栄なことと思いなさい、と諭したのは嘗て同じように花市場に並んだ実母のエリザだ。売れ残った花の行き先はごみ捨て場しかないのよ、と言われて震えあがった。

 それからはより一層自らの価値を、この家の娘としての価値を高めるべく励んできたのだ。その結論がこれから出る。

「お相手はローリエ・ド・ヴェルフルール伯爵。貴方は学院を卒業次第、伯爵の第三夫人として嫁ぎます」

「承知いたしました」

 ソニアは淑女教育で学んだ貴族名鑑を、脳内で必死に手繰った。

 ローリエ・ド・ヴェルフルール伯爵。元海軍中将。先の戦争で軍功を挙げた偉人――御年、六十程。父よりもさらに年長、祖父母と同年代の方だ。

 だが、側室として売り払われる先としては良くある年の差ではある。

 御年を召した正室がもう閨の相手は厳しいから、と若い側室を購入するという形の縁談は、実によく聞く話だ。寧ろ年の近い正室に購入される方が何かと大変と聞くから、これは有難いお相手であろう。

 残る問題は、購入者である正室ジュヌヴィエーヴ・ド・ヴェルフルール第一夫人が寛容であるかどうかである。

「ジュヌヴィエーヴ様は私の母の親しいご友人です。寛容な方ですから、彼女に礼を逸しない限りは穏やかな結婚生活を送ることができるでしょう」

「良いご縁を賜りましたこと、誠に嬉しく存じます」

 それはソニアの本心だった。

 奥様は厳格な方ではあるが、理不尽な方ではない。誠心誠意お仕えし、家の資産となる己の価値を磨き続ければそう悪くない縁談を用意してくださる筈。

 そう踏んだソニアの予想は当たっていたのだろう。そもそも、伯爵家格の側室の娘で学院の高等部まで通わせて貰え、しかも卒業までさせて頂ける事はさほど多くは無い。

 同じく伯爵家の側室の娘達は、正室に娘が無くその家の政略結婚の駒となる場合――その場合は正室の娘であった時と同じように高等教育を受ける――を除けばその殆どが中等部、早ければ初等部の卒業と同時に年の離れた相手の下へ「売却」されている。

 実際、ソニアの異母妹ミリア――第三夫人シエラの娘――は既に昨年、中等部を卒業と同時に「売却」された。シエラが侍女相手に零していた内容を聞くに、余り良い嫁ぎ先とは言えないらしい。彼女達母娘にはそういう迂闊な所があった。側室の娘のソニアが知るくらいである、当然奥様の耳にもその愚痴は届いたはずだ。勿論心証が良くなることは無い。

 そして異母妹については、怠惰なあの娘には教育を与えても無駄だから、と生母と奥様が話している事を漏れ聞いた。その時よりソニアはより一層気を引き締めて学問と淑女教育に邁進したのだ。

「次の春の休暇の間に結婚式の用意をしましょう。エリザ、貴方が中心となりなさい」

「はい、奥様」

「話は以上です。下がっていいわ」

「失礼いたします、奥様」

 優雅を心掛けながらソニアは一礼し、奥様の応接間から辞去する。

 すぐ後ろから同じように奥様の傍を離れた母が出て来たのを感じ、ソニアは振り向き、待った。

「お母様」

「ソニア。まずは、おめでとう」

 少しばかり複雑な笑みを浮かべた母、エリザに述べられた祝いの言葉にソニアは小さく頷いた。二人でエリザの居室へと向かう。

 欲を言えば、色々な望みはあった。

 もう少し年が近いお相手が良かっただとか、第三では無く第二夫人が良かっただとか。もしかしたら何かが間違ってうまくいけば、正室が亡くなった後の家の継室になれたりはしないだろうか、とか。

 けれど、何をおいても優しく寛容な第一夫人がいらっしゃる家に嫁げるというのは、側室としては何よりも大切な条件だ。

 母の居室で一人掛けのソファに腰かけたソニアは母に尋ねる。

「ヴェルフルール家は、何処で私をとお考え下さったのでしょう?」

「先方が貴方を、という訳では無く奥様が推薦してくださったのよ。ヴィオレーヌ様のご婚約の件で奥様のご実家に伺った際にジュヌヴィエーヴ様がいらっしゃって、その際に側室を迎える事を考えていると仰っておられてね」

 ヴィオレーヌとは、エリザの異母姉だ。異母姉と言っても三月早く生まれただけの差である。しかし、ヴィオレーヌとエリザには圧倒的な格差があった。

 彼女はこの家の正室である奥様、フローリアンが産んだ娘だ。正当な血筋の嫡女である。

 そして彼女は正当な血筋に相応しく、母方親族のさる侯爵家嫡男との婚約が調っている。当然正室としての輿入れだ。莫大な持参金を共に嫁ぐ。

 この国ではエリザやソニア、ミリア達のような側室として嫁ぐ女性には嫁ぎ先から支度金の名目で金銭が支払われる。

 側室としての縁談が売却と言われる所以だ。支度金と言う名目だが実際に花嫁の支度に使われる事は無く、そのまま実家の財産となる。嫁ぎ先も元々、側室として迎える相手が嫁入り支度をしっかり整えてくるとは思っていない。鞄一つで着の身着のまま婚家に入る事も珍しくないと聞く。

 一方で正室として嫁ぐ女性は莫大な額の持参金を持って嫁ぐ。特に、格上の家に嫁ぐ場合は下手をすれば家が傾く程の金額が必要だ。ソニアやミリアの支度金など足しにしかならないだろう。家の蓄えや正室が輿入れしてきた際に持ってきた持参金、更には正室実家の援助まで得て何とか用意されるものである。

 異母姉の場合は相手も親族であるから、それほど驚くような金額ではないだろうが――それでも大きな出費だ。

「……本当はね。奥様は当初、貴方をヴェルフルール家の御嫡男の側室にと考えておられたのよ」

「え?」

「御嫡男様は今年二十八歳。年も、十二歳の差なら珍しくは無いでしょう? けれど、御嫡男様の御正室は中々……厳しいお方らしいのよ。ご結婚からまだ五年程だけれど、既に二人の側室が罰せられたと聞くわ」

「それは……」

 年の近い――とはいえ十二の差はある――旦那様に、気性の難しい御正室。

 年の離れた旦那様に、穏やかで寛容な御正室。

 側室として嫁ぐならば、断然後者である。間違いない。

 前者はうっかりすると本当に命の危機だ。この国の正室は側室を合法的に死なせる事が出来る。

「奥様もお悩みで、私にまでご相談下さってね。それで、最終的に御当主の側室にとお願いする事になったのよ」

「奥様が、お母様にご相談を」

 ソニアは少し驚いて母を見た。

 奥様が側室に相談をするというのは、珍しいことだ。いや、珍しいどころか、ソニアは今まで一度も聞いたことがない。側室を相談役にしている正室、というのはいらっしゃるにはいらっしゃるが、ブリュメール家では無い事である。

「私も驚いたわ。でも……」

 エリザは少し遠い目をした。

「奥様は、貴方の事を気にかけていらっしゃるのよ。そういう方なの。表には出さないけれど」

 ソニアは静かに、その言葉を胸の中に収めた。

 奥様――フローリアン。厳格で、隙がなく、常に正室としての威厳を保ち続けるあの方が。

 側室の娘の行く先を案じて、側室にまで相談をした。

(……覚えておこう)

 嫁いだ後も、ブリューメル家の奥様に恥ずかしくない振る舞いをしなければならない。それはソニアにとっての礼儀だと、今改めて思った。

「御嫡男様の御正室は、何という方なのですか」

「マリエール・ド・ヴェルフルール。旧姓バスティアン。伯爵家の嫡女よ。お若いわ、二十二歳」

 若い正室。ソニアは内心で小さく息をついた。

 年の近い正室は何かと大変、という言葉の意味を、改めて実感する。若くして嫁いだ正室が、若い側室を心から歓迎するはずがない。心情として、当然の話だ。そもそも結婚後五年で二人の側室というのは相当早く、御嫡男夫妻の関係性に何かしらの問題がある可能性がある。

「二人の側室が罰せられた、というのは――どの程度の罰で」

「一人は鞭打ちの後に離縁、もう一人は……行方が分からないそうよ」

 ソニアは何も言わなかった。

 行方が分からない。それが何を意味するか、側室の娘として育ったソニアには痛いほど分かる。処刑か、神殿送りか。その何方かだ。

「奥様が守ってくださったのですね」

「そうよ」

 エリザは静かに頷いた。

「だから、貴方も奥様に礼を尽くしなさい。嫁いだ後も、折を見てご挨拶を。ブリューメル家の娘として恥ずかしくない振る舞いを見せれば、奥様も悪いようにはなさらない」

「はい、お母様」


 *


 それからの半年は、あっという間に過ぎた。

 学院での最後の日々は、不思議なほど穏やかだった。

 ソニアには学院に友人が何人かいる。同じく側室の娘として社交界デビューを終えた娘達だ。この年まで学院に通い続けられているという事は、ある程度目を掛けられている娘と言うことでもある。

「ソニア、貴方ヴェルフルール家に嫁ぐんですって?」

 昼の休憩時間、中庭のベンチでそう声をかけてきたのはクロエ・ド・マルタンだ。ソニアと同い年の、亜麻色の髪をした娘である。父は子爵、母は側室。ソニアとは初等部からの付き合いだ。

「ええ、夏の終わりに」

「まあ。ジュヌヴィエーヴ様がいらっしゃるお家でしょう。良かったじゃない」

 クロエはほっとしたように言った。

「クロエは?」

「私はまだ……奥様がお決めになるまで、もうしばらくかかりそうだわ」

 少しだけ翳った顔を、クロエはすぐに笑顔で覆い隠した。側室の娘が皆、幼い頃から身につける表情だ。

「貴方が良いお家に嫁げて、本当に良かった。ねえ、嫡男のガブリエル様はどんな方なのかしら。見目麗しいとか聞くわよ?」

「……どこでそのような話を」

「あら、学院の中ではそれなりに有名よ。首席卒業で、剣の腕も立つって。何人かのお嬢様が嫁ぎたいと騒いでいたもの。でも正室の座は既に埋まっているから、側室としてという話で盛り上がっていたわ」

 ソニアはその話題をそっと横に置いた。御正室がご気性が難しくお勧め出来ない、など口が裂けても言えない。

「私は御父君のローリエ伯爵閣下の第三夫人として嫁ぐのよ。ガブリエル様は関係のない話だわ」

「そうね」

 クロエは笑いながら頷き、それ以上は何も言わなかった。

 二人の間に、春の風が穏やかに吹き抜けた。


 *


 夏が来た。

 卒業式典の支度は中々のものだった。本来、側室の娘が卒業に際して盛大に祝われることはない。それでもエリザは朝から目を赤くして、ソニアの制服の襟を何度も直した。

「お母様、もう十分です」

「ごめんなさい。ごめんなさいね、ソニア」

 謝罪の意味を、ソニアは尋ねなかった。

 分かっていたから。

 式典の後、ソニアは母と共に奥様に卒業の報告の挨拶へ赴いた。

「卒業おめでとう、ソニア」

「ありがとうございます、奥様」

「ヴェルフルール家へは来月の向かう手はずになっています。それまでの間、身支度を整えておきなさい」

「承知いたしました」

 奥様はしばし、ソニアを静かに見つめた。

「一つ、餞の言葉を贈りましょう」

 ソニアは背筋を正した。

「側室として嫁ぐ以上、貴方自身の望みは後回しにならざるを得ない事が多いでしょう。それでも――」

 奥様は言葉を切り、それから続けた。

「賢い女は、与えられた場所で必ず根を張ることができます。貴方はその賢さを持っている。どうか、無駄にしないように」

 ソニアは深く、深く頭を垂れた。

「肝に銘じます、奥様」


 *


 夏の終わり。

 ソニア・ブリューメルは、鞄一つを抱えてヴェルフルール家の門を潜る。

 着の身着のまま、というわけではなかった。母が用意してくれた、こぢんまりとしながらも品のある衣装が数着。それから、初等部の頃から書き溜めた勉強の記録と、そっと忍ばせた小さな女神像。

 ヴェルフルール家の玄関は、想像よりも大きかった。

 出迎えに立っていたのは家令と数人の侍女、そして――。

「ようこそ、ソニア嬢。お待ちしておりました」

 穏やかな声で、白髪交じりの上品な夫人が微笑んだ。

 ジュヌヴィエーヴ・ド・ヴェルフルール第一夫人。

 その笑顔は、確かに、母エリザが語った通りの温かさを持っていた。

 ソニアは深く淑女の礼を取る。

「女神の子たる奥様に、ソニアがご挨拶申し上げます。此度のご縁に、心より感謝申し上げます」

「顔を上げて。ここは貴方の家でもあるのだから」

 ソニアは顔を上げた。

 新しい家。新しい生活。新しい自分の場所。

 此処が根を張るべき場所なのだ。


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