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【大賞作品長編化】執着系義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく〜未亡人の私、愛されすぎて逃げられません〜  作者: 草加奈呼


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8/20

8・違和感の正体

「日記の違和感の正体がわかった」

「……え!?」


 あれから軽井沢さんは、忙しい合間を縫って日記と向き合ってくれていたらしい。

 誰もいなくなった事務所のソファに腰を下ろすと、先生は日記を開く。

 テーブルに温かいほうじ茶のマグカップを置くと、ほのかな香ばしさが室内に広がる。

 

「まず、彰人くんは毎回1ページずつ、ページを開けることなく日記を書いている」

「そうですね、日が変われれば、次のページになってます」


 1ページずつめくっていく。さらりと数行書いた日もあれば、びっしりとページ丸ごと書いている日もある。

 

「次に、この日記は横書き──つまり、左開きのタイプだ。なのに、例の文章は──」

「……あっ!!」


 左側の1ページを空けて、右側に書かれている。


「ここだけ空いているのは、どう考えても不自然ですよね……」

「……まあ、彰人くんがなんらかの理由で右側に書いた可能性もなくはないが……」


 軽井沢さんは、腕を組んで視線を上げた。

 ずっと引っかかっていた違和感は、これだったんだ。

 右側に書かれた文言。彰人さんが毎回1ページずつ書いていたのなら、左側が空いているのはおかしい。

 これじゃあ、まるで……。


「誰かが、彰人さんの日記に書き加えた……?」

「まあ、状況証拠でしかないけどね」

「そんな……」


 思わず手元のカップを握りしめた。冷めてしまったほうじ茶がわずかに揺れ、表面に小さな波紋が広がる。

 日記はクローゼットの奥深くに仕舞われていた。

 誰かが持ち出したなんて、考えにくい。

 それに、うちに出入りしていたのは私と律、お父様くらいしかいない。

 もちろん、軽井沢さんや保科さん、真子さんを招いたことはあるけれど、それは結婚した直後、一度きり。

 ──それなら、誰が。


「可能性としては、二つある」


 軽井沢さんが、指を二本立てながら口を開いた。

 

「な、なんでしょう……?」

「一つは、彰人くんが日記を外で書いていた場合。これなら、誰かが手を加えることは不可能じゃない」


 なるほど、可能性としてはなくはない。

 だけど、私はそこにも引っかかりを覚えた。

 

「でも……」


 せっかくの意見を否定してしまうようで、口にするのをためらう。

 そんな私のためらいを見透かしたように、軽井沢さんが優しく促した。

 

「うん。今はどんな考えでも言ってしまった方がいい」

「日記は、クローゼットの奥深くにしまってあったんです。まるで隠していたみたいに。それをわざわざ外に持ち出すでしょうか?」

 

 私の言葉に、軽井沢さんは肯定も否定もせず、頷きながらも何も言わなかった。

 

「もう一つの可能性は……菜月ちゃんにとってはショックかもしれないけど」


 軽井沢さんは言いづらそうに頭をかき、目線を逸らした。

 喉の奥が、詰まる。

 

「なんですか? なんでも言ってください」

「……これを書いたのが、龍樹か律くんということになる」


 やっぱり、そうなってしまうのか。

 予想していたとはいえ、思考が一瞬、真っ白になった。

 

「でも文面からすると、消去法で龍樹が書いたってことになるんだよな……」


 可能性としてはそちらの方が高い。

 けれど、それでも腑に落ちないものが残る。

 それは、軽井沢さんも同じだったようで。


「でも、こっちもこっちで疑問がある」

「これを書いた動機……ですよね?」

「そうだ。わざわざ日記に書く意味がわからない。しかもクローゼットの奥から引っ張り出してきて」


 軽井沢さんは眉間に深いシワを寄せ、例の一文を指でなぞった。

 

「俺は龍樹の性格をよく知っているが、そんなまどろっこしいことをするやつじゃないと思うんだよなぁ……」


 これ以上はお手上げ、と言う感じで頭の後ろで手を組み、軽井沢さんはソファにもたれかかった。


 私は、テーブルの上に開かれた日記へ再び視線を落とした。

 筆跡に特に違和感はない。

 強いていえば、この文面だけ少し走り書きのような感じだろうか。

 それでも、彰人さんの文字に見えないこともない。

 

「筆跡鑑定とかは……?」

「できなくはないよ。だけど、警察は事件性が認められないと動いてくれない。民間に頼む手もあるが、金額がね……これくらいかな」


 軽井沢さんがスマートフォンを操作し、概算の見積もりを見せてくる。

 桁を見ただけで、ため息が漏れた。

 

「こんなにかかるんですね……」

「でも、それでも『彰人くん以外の誰かが書いた』ということしかわからないよ。彰人くんに関わった人物、全員の筆跡を比べるなんて時間がかかりすぎる」

「そうですね。じゃあ、もういっそのこと、『彰人さん以外の誰かが書いた』と仮定して動いたほうがいいんでしょうか?」


 私の言葉に、軽井沢さんの眉がぴくりと動いた。

 

「動くって、菜月ちゃんまさか」

「これを書いた人物を探し出します」


 この一文が、彰人さんの最期に関わっているのかもしれない。

 そう確信してしまった以上、もう立ち止まることはできなかった。



 *


 

 ビルのエントランスを出ると、雨上がりの冷たい北風が吹いた。

 アスファルトの水たまりは、街灯の光を反射している。

 最近は日暮れも早いし、本格的な冬になりそうだ。

 

「軽井沢先生、今日はありがとうございました」

「うん……」

 

 浮かない顔で、軽井沢さんは曖昧に返す。


「どうかしたんですか……?」

「いや、なんでもない。……菜月ちゃん」


 軽井沢さんは、いつになく真剣な表情を向けた。

 この人がこういう顔をするのは、本気の時だ。

 

「絶対に危険なことはしないように」

「わかりました」

「……よし」

 

 表情が和らぎ、軽井沢さんはいつものように私の頭を撫でた。

 

「駅まで送ろうか」

「大丈夫ですよ、近くですし」

「じゃあ、ここで」

「はい。お疲れ様でした」


 ぺこりと頭を下げると、私たちはビルの入り口で分かれてそれぞれ互いの帰路につく。

 背後から、タイヤが水を弾く音が聞こえた。

 振り返ると、少し離れた場所から白い乗用車がこちらへ近づいてくる。

 なんの変哲もない車。ヘッドライトが眩しくて、反射的に目を細めた、その瞬間。

 そのまま横を通り過ぎるのかと思っていた車は、スピードを上げ歩道の境界線を超えた。

 明らかにこちらへ向かってくる。


「──菜月ちゃん!!」

 

 後ろから軽井沢さんの叫び声が飛んできた。

 反射的に身体をひねると、風圧とともに車のサイドミラーがコートをかすめ、冷たい雨粒が散った。間一髪避けたが、体勢を崩してアスファルトの上に倒れ込む。

 水たまりの濁った水が跳ねた。

 車はスピードを緩めることなく、そのまま車道へ出て行ってしまった。

 赤いテールランプが遠ざかっていく。車のナンバーを見る余裕なんてなかった。

 ゆっくりと上半身を起こすと、軽井沢さんが駆け寄ってきてくれた。

 

「菜月ちゃん、大丈夫か!?」

「転んだだけです、大丈夫……」


 そう言いながらも、声は震えていた。

 見下ろすと、スカートもコートも汚れている。


「やっぱり送るよ」

「そんな、転んだだけなのに」

 

 軽井沢さんに手を借りて立ち上がると、膝が震えた。

 恐怖が、じわりと後から来たようだ。

 軽井沢さんは何も言わずに、スーツのジャケットを脱いで私の肩にかけてくれる。

 

「菜月ちゃんに何かあったら、俺が龍樹にどつかれる」

 

 いつものように、ふざけたように言ってくる軽井沢さんの手が、ぎゅっと私の肩を掴む。

 けれど、その気遣いに安心して、ふっと頬が緩んだ。

 

「じゃあ……お願いします」


 あれは一体、なんだったのだろう……。

 肩にかけられたジャケットを握りしめながら、車の去っていった方向を見つめた。そこにはただ、暗闇が残っているだけだった。

 

 ***


「姉さん、どうしたの!?」

 

 玄関を開けるなり、律はぎょっと目を疑った。

 傘もささずに帰ってきたのかと錯覚するほど、義姉(菜月)のコートは泥でまだらに染まっている。


「ドロドロじゃないか!」

「あ、ちょっと、転んで……」

(転んだ……?)

 

 菜月は笑っていたが、とてもそんなふうには思えないほどの姿だ。

 誤魔化そうとしているとしか思えない。

 

 しかも、男物のジャケットを肩にかけている。

 何かあったに違いないと、律は顔を顰めた。

 菜月の両肩に置かれた広い手に気づき、唇を噛む。


 視線を上げると見知った男の顔で、律はほんの少しだけ安堵して表情を緩める。

 

「軽井沢さん、ありがとうございます。お久しぶりですね」

「ああ、海外から帰ってからは、初めてだな」


 軽井沢がワイシャツ姿なことから、菜月が肩にかけているのは彼のジャケットなのだと容易に想像できる。それでも、菜月の身に何かあって、こうして送ってくれたのだからありがたく思わなければ。

 そう思うのに、心のもやもやが、消えない。

 律は極めて平静を装って、菜月に話しかけた。

 

「姉さん。内村さんは帰っちゃったけど、お風呂沸いてるから。入ってきて」

「そうね……」


 菜月の元気のない表情に、律はツキンと胸を痛める。

 なぜ、そこにいたのが自分でなかったのか。

 なぜ、自分が菜月を守れなかったのか。

 お礼と淡い微笑みを向けるのは、自分ではなく、父の旧友。

 

「軽井沢先生、ありがとうございました。ジャケット、後日お返しします」

「ああ、急がなくていいよ。また明日」


 菜月が軽井沢から離れて、ほっとする。

 まっすぐに浴室へ向かっていくのを見届けてから、律は軽井沢へ向き直った。


「軽井沢さん」

「ん?」

「姉さん、軽井沢さんの下で働いてるの?」

「ああ、彰人くんがいなくなったから」


 助手である菜月が別の弁護士につくのは、何も不思議なことではない。

 それが他の者ではなく見知った軽井沢であったことは、律の心を安心させた。

 

「あ、そうだ」

 

 軽井沢が、帰ろうと玄関のドアに手をかけたところで振り返る。

 

「律くん、彰人くんが日記を書いていたことは知ってるかい?」


 その言葉で、律は無意識のうちに軽井沢を探るような視線を向ける。

 

「……知らないけど……。軽井沢さんは、どこでそれを?」

「いや、菜月ちゃんに聞いてね。なんて書いてあったと思う?」


 律の指が、密かにぴくりと反応した。

 次の瞬間、律は満面の笑みを軽井沢に見せる。

 

「さあ……? でも、兄さんのことだから、姉さんのことばっかり書いてそう」

「ご名答」


 ウインクを残して、軽井沢は帰って行った。

 律は笑顔のまま振っていた手を、ゆっくりと下げる。


(ふぅん、姉さん……軽井沢さんにあれを見せたんだ……)


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