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【大賞作品長編化】執着系義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく〜未亡人の私、愛されすぎて逃げられません〜  作者: 草加奈呼


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7/20

7・俺がいるよ

 朝、コーヒーの香りで目が覚める。

 それで、内村さんが来たんだ、といつも気配を感じている。

 安心感に包まれながら寝返りをうつと、目の前に綺麗な寝顔があった。


「ひゃ……っ!」


 悲鳴をあげそうになり、思わず口を塞ぐ。

 そうだった、昨日、律と一緒に寝るって約束してしまったんだった……。

 昨夜は疲れていたからお互いすぐに寝てしまったけれど、改めて間近で律の寝顔を見ると綺麗で見惚れてしまうくらいだ。彰人さんと、似てる……かな?


(まつ毛、長……)


 私のシングルベッドに無理やり大人二人が横になれば、必然と距離は近くなってしまうわけで……。あまりの至近距離に、どきんと胸が鳴る。

 いや、いやいやいや。小さい頃はよく一緒に寝ていたじゃないの。

 義弟(おとうと)にときめくとか、ありえないから。

 自分の反応に驚いて、慌てて枕に顔をうずめた。

 律を、彰人さんと挟んで一緒に寝ていた頃を思い出す。


「ん……」

 

 律が少しだけ動き、明るい色の前髪がはらりと流れる。

 我に返って少しでも距離を取ろうとした、そのときだった。

 律の腕が、私の背中に回ってきて──

 

「え、ちょ、ちょっと……!?」


 ぎゅむ、と強めに抱き寄せられた。

 驚きのあまり変な声が漏れそうになるのを、なんとか飲み込む。

 律は目を覚ましている気配もなく、穏やかに呼吸している。

 寝息が、私の首元にふわりと触れた。

 くすぐったくて、思わず肩が跳ねる。


「律、ねえ、起きて……」 

「……ん……ねえ……さ……」

 

 完全に寝ぼけてる。

 抱きしめられている体勢のまま身動きできず、どうしていいかわからない。

 

「起きてってば……!」

「んー……」

 

 呼びかけても、起きる気配がない。

 けれど、抱きしめる力が少し強くなった気がした。

 律はただ私の肩に顎を寄せ、安心したように息を吐く。

 

(小さい頃も、そうだったな……)

 

 私や彰人さんの服を掴んで離れなくて、彰人さんと二人で笑って、「しょうがないなぁ」って言っていた、あの頃。懐かしさで胸がきゅっとなる。

 でも今は、あの頃とは違う。もう「しょうがない」で済む年齢じゃない。

 律の鼻が、すり……と首筋を撫でる。


「ひゃ……っ!」


 冷たさとくすぐったさで、今度こそ声が出てしまった。

 

「……律っ!」

 

 名前を呼ぶと、律のまつ毛がわずかに揺れた。

 ゆっくりと、薄く目を開ける。

 

「……あれ? ……姉さん?」


 今度こそ、起きてくれると思ったが、


「……なんだ、夢か」


 そう言って、今度は私の肩に顔をうずめる。

 

「もぉっ! 夢じゃないってば!」

 

 意識が戻る気配と同時に、私の腰に回っている腕も自覚したらしい。

 

「……え?」

 

 ゆっくりと顔を上げ、ぽかんとした顔。

 そして、次の瞬間。

 

「……っ、あっ、ご、ごめん!」

 

 慌てて飛び起きようとした律が、布団にもつれて余計に身体が密着してしまう。

 

「ちょ、ちょっと、落ち着いて!」

 

 思わず私も起き上がろうと身をよじった瞬間、二人の額がごつんとぶつかった。

 

「いっ……!」

「痛っ……!」

 

 お互い同時に額を押さえる。


「……ほんとだ、夢じゃない」


 律は、涙目になりながら苦笑した。


 

 *


 

 朝食の時間。

 ダイニングでは、内村さんがいつものように手際よく料理を並べてくれていた。

 エプロンをつけて家事をしている姿を見ると、亡くなった母を思い出して胸があたたかくなる。

 内村さんは、平日毎日朝早くに宝堂家にやってきて、朝食を作ってくれる。洗濯や掃除などの基本的な家事を済ませると、夕食を作り置きして、金曜日には休日の分まで冷蔵庫に入れてくれている。それが二十年以上続いているのだから、尊敬しかない。風邪をひいたなど、一度も聞いたことがない。

 

(……いつも私たちのために、全部やってくれてるんだよね)


 何か、ちゃんと感謝を伝えたい。

 そんな気持ちが芽生えた。

 

 朝食を終え食器を下げていると、律がずいぶんとゆっくりとしている。

 いつもは急いで家を出ていくのに。

 

「あれ? 律、今日はお休み?」

「うん。夜に配信があるだけ」

「そ、っか」

 

 タイミング的にも今なら話せそうだ。

 律も、何かを感じ取ってくれたのか、「どうしたの?」と訊いてくる。

 

「あ、あのね……相談が、あるんだけど」

「なに?」

「内村さんに、なにか感謝の気持ちを伝えたいんだけど……」

「それなら、今言えばいいじゃん?」


 視線を向けると、内村さんが洗濯物をランドリー室に持っていくところだった。

 

「そうじゃなくって! ほら、内村さんって、私たちにとって母親みたいなものでしょ? だから、お休みをあげるとか、料理を代わってあげるとか……」

「……母の日、みたいな?」

「そう!」


 私は、母の記憶は少しだけあるけれど、律はどうなんだろう?

 律のお母さんは、すごく小さい頃に亡くなったと聞いている。

 とにかく善は急げ。ランドリー室に入った内村さんに声をかける。

「そんな……休むなんて、どうしたら……」と戸惑いながらも、どこか嬉しそうな内村さんを休ませ、私と律で洗濯をしてから、夕飯を作ることになった。


 彰人さんが亡くなってから、あまり使わなくなったエプロン。

 久しぶりに身につけると、なんだか新鮮な気持ちになった。


「新婚時代を思い出す?」

「そ、そうね」


 律のからかうような声に、曖昧に笑ってごまかす。

 心の片隅に置いていた記憶が、揺れた。

 余計なことは考えないでおこうと、包丁で玉ねぎを刻む。

 律もいつの間にかエプロンを着て、楽しそうに鼻歌を歌いながら鍋を取り出してくれていた。

 

「いいなー兄さんは。姉さんのエプロン姿を毎日見られたわけでしょ?」


 軽い調子のその一言に、指先がわずかに止まる。

 

「そんなことないわよ。彰人さん、帰りが遅い日の方が多かったから」

 

 本当のことだった。

 それ以上を続ける気にはなれなくて、私は黙って視線を落とす。

 けれど、思っていたより動揺していたみたいで、包丁がわずかにずれた。

 

「いたっ……」

「えっ? 切ったの!?」

 

 律がほとんど反射で飛んできて、手を掴んだ。

 そのまま、ほんの数センチの距離で覗き込む。

 

「見せて。血が……」

「だ、だいじょ──」

 

 言おうとした瞬間、律が指を持ち上げて、口元へ持っていく。

 本能のように動きかけたその仕草に、慌てて手を引いた。

 

「ちょっ、ちょっと、なにするの!?」

「え、だって昔、姉さんが『舐めれば治る』って」

「いつの話よ!? だめよ、逆にばい菌が入るから!」

「ちぇーっ」


 けれど、律はまだ心配そうに私の手を包んだままだった。

 その距離の近さに気づいたのは、ほとんど同時だったと思う。


「…………」

「…………」


 言葉が途切れ、ほんの一瞬、間が落ちる。

 息が、触れそうなほど近い。

 まずいな、と思った。

 このままだと、何かを意識してしまいそうで。


「……と、とりあえず、水で流すねっ!」


 半ば逃げるように蛇口の方へ向かうと、すぐ後ろから律がついてくる。


「待って、俺がやる。ほら動かさないで」

 

 有無を言わせない調子で、手を取られた。

 水で傷を洗い絆創膏を貼るまで、律は丁寧に手当てしてくれた。

 ……昔から、こういうところは変わらない。

 

「……気をつけてよ。姉さんが怪我したら困る」

「う、うん……ごめん」

 

 絆創膏を貼り終えても、律はすぐに手を離さなかった。

 見上げると、視線が一瞬だけ合って逸らしてしまう。

 

「……あのさ」

「ん?」


 律の心配そうな顔を見て、なるべく言葉を選ぶ。

 

「手、もう離して?」

「あっ……」

 

 慌てたように、律がぱっと手を離す。

 その拍子に見えた耳が、うっすら赤い気がした。


 そして、二人で協力して作ったシチューが出来上がった。

 夕飯の時間になり、内村さんは「まあ」と目を丸くしてから、嬉しそうに食べてくれた。

 何度も頷きながら「懐かしい味ね」と言ってくれて、それだけで心があたたかくなった。

 律も、おいしそうに食べてくれている。三人で食卓を囲んで、久々に家族の食事ができた気がする。

 やがて内村さんは帰っていった。

 仕事で遅くなる養父の分は、ラップをして冷蔵庫に入れておいた。

 二人で食器を下げていると、律がぽつりと言った。


「今日のシチュー、兄さんが好きだったやつだよね」

 

 その声は、少しだけ寂しそうで。

 振り返ると、律はシンクの縁に寄りかかり、どこか所在なさそうな表情をしていた。


「……うん」

 

 彰人さんが亡くなってから、このメニューを作ることはなかった。

 そもそも家に戻ってきてからは、内村さんが全部やってくれていたし、私自身、料理をする余裕もなかった。

 

「兄さんは、もういないのに……?」

 

 ぽつりと落とされた律の言葉に、息が止まった。

 返す言葉が見つからず、私は思わず視線を落とす。

 しまった、という顔をした律が、慌てて口を開きかける。

 

「……ごめ──」

「律も好きでしょっ?」

 

 被せるように言って、私は無理やり笑顔を作った。

 あまり考えないように軽く、いつも通りみたいに。

 

「う、ん……。好き……」


 律の言葉に私は小さく頷いて、返事の代わりにもう一度だけ笑う。

 そうしないと胸の奥に溜まったものが溢れてしまいそうで。

 ごまかすように振り返って、洗い物を始める。

 蛇口をひねると、水の音が一気に広がった。

 食器同士が触れ合って、かちゃりと音を立てる。

 それに紛れるように、私は小さくため息をついた。

 大丈夫。泣いてなんか、いない。

 ただ、指先が少しだけ冷たくて。

 水の温度がわからなくなっただけだ。


 律が貼ってくれた絆創膏が剥がれかけている。

 直そうと手を止めた瞬間、背中にぬくもりが触れた。

 律の手が、後ろからそっと伸びてきて、抱きしめられた。

 

「……俺がいるよ」


 耳元で静かな声が響いた。

 

「ありがと、律」

 

 反射的に、そう返していた。

 慰めてくれているのだと思ったし、その言葉がありがたかったのも本当だ。

 

「俺が……いるから……」

 

 もう一度、言葉が重ねられる。


「律……?」

 

 呼びかけると、律は答えなかった。

 抱きしめ方が、どこか不安そうで。

 ……寂しいのは、私だけじゃない。

 彰人さんがいなくなったこの家で、律もまた、同じ空白を抱えているのかもしれない。

 そう思うと、無理に振りほどくことができなかった。

 私は洗い物を続けながら、律の腕の中にいる自分をそのままにしていた。

 その温もりが、今はただ少しだけ、切なかった。


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