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【大賞作品長編化】執着系義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく〜未亡人の私、愛されすぎて逃げられません〜  作者: 草加奈呼


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5/5

5・まだ、秘密


 カーナビに入力して案内された場所は、居酒屋風の創作和食のお店だった。

 個室に通され、改めて先生に日記を読んでもらう。店員の元気な声や、グラスで乾杯する音が、喧騒として店いっぱいに広がっている。騒がしくて話どころではないかもと思ったけれど、逆にこの喧騒が私たちの声をかき消してくれて、気兼ねなく込み入った話ができた。


 料理を注文して待っている間、軽井沢さんはテーブルの上に日記を置く。

 

「……菜月ちゃんは、これを見てどう思った?」

「考えたくはないですが……。彰人さんは事故死ではなかったのかも、と……。彰人さんは、生前いつも言っていたんです。『弁護士という職業は、恨まれることもある』って……だけど……」


 うつむき加減でテーブルの下、膝の上でぎゅっと手を握る。

 

「律が関与しているかも、なんて、考えたくないんです……。私、どうしたら……」


 ようやく吐き出せた自分の気持ちに、涙腺がゆるむ。

 言葉が途切れると、頭の上にふわりと何かが乗った。

 軽井沢さんの、手のひらだった。

 

「菜月ちゃん。俺の考えを言おうか」


 顔を上げると、彼は不安を包んでくれるように微笑んでいた。

 

「正直、警察が事故死って言ってるなら、放っておくのもひとつの手だと思う」

「……そう、ですか」

「でもな。もし菜月ちゃんの勘が当たってて、ほんとに事故じゃなかったとしたら──」

「なかったと、したら……?」

「面倒だよ。宝堂家ってだけで恨みを買うこともあるから」

「え……?」


 耳を疑うような言葉に、心臓が、ドクンと一つ大きく鳴った。

 

「つまり、狙われてるのは彰人くんだけじゃないかもってこと」


 私や律、それにお父様──宝堂家、全員が……?

 背筋がぞわりとした。

 なぜ、その可能性を今まで考えなかったのだろう。

 宝堂グループは、世界中に名を知られる巨大企業。だからこそ、敵もまた──数え切れないほどいるのかもしれない。軽井沢さんの言うとおりだ。彰人さんと結婚して得た幸せに、私は甘えていた。見たくない現実から、意図的に目を逸らしていたのかもしれない。

 

「って、ごめんごめん! 怖がらせたかったわけじゃないんだ。でもまあ、用心するのに越したことはないと思うよ」

 

 そう言いながら、軽井沢さんは両手をひらひらさせ、明るく振る舞ってくれた。


「でも、宝堂家全員が狙われているなら、この言葉の意味は……?」


 日記の最後に書かれた、例の文言を見ながら、再び考える。

 私はこれを見て、一瞬、律を疑ってしまった。けれど──

 

「……そうか。そうなると、意味は変わってくるな……。いや、俺はてっきり、律くんに菜月ちゃんを取られたくなくて『気をつけろ』って言ってるものとばかり」

「んぇっ!?」


 変な声が出てしまった。


「……とすると、これはもしかして、次に狙われるのは律くんであることを示しているのか……? いや、でもな……」


 軽井沢さんは、腕を組んで考え込んでしまう。

 そのうち注文した料理が運ばれてきた。

 食べている間も、軽井沢さんは「うーん」とか、「でもなぁ……」とか、独り言のように言っている。

 私は、軽井沢さんのさっきの言葉が気になって、そればかり考えてしまう。

 だって、律をそんな風に意識したことなんて……なかった。

 いつまでもかわいい義弟で、ちょっといたずらが過ぎるだけで……。


『俺は、いつまで義弟でいればいい?』


 あの時の、律の言葉が脳裏をよぎって、かぶりを振る。

 あれは、あの言葉の意味は、やっぱりそうなのだろうか。

 

(……考えすぎよね)


 きっと、律のいつものいたずらだ。からかわれただけ。


 そう自問しながらも、食事はいつのまにか終わりに近づいていた。

 お皿の上に残った最後のひと口を運び、私はようやく軽井沢さんと視線を交わす。

 彼はナプキンで口を拭いながら、何かを思いついたように声を弾ませた。


「これ、保科くんにも見てもらおうか?」

「なぜ保科さんに?」

「いやぁ、彼なら喜んで協力してくれると思って」


 軽井沢さんは、誤魔化すように頭の後ろをかく。彼はおそらく、保科さんの気持ちを知っている。

 先日の、保科さんとの食事を思い出す。

 結婚指輪をしていた左手に、手を重ねられた。

 あれは多分──()()()()()()だ。


「いえ……今はまだ、二人だけの秘密にしておきたいんです」


 自分や律に気持ちが向いている人には、まだ相談できない。

 しない方がいいだろう。

 もっと客観的に見てくれる人の意見がほしかった。

 だから、軽井沢さんの帰還は、正直ありがたかった。

 しかし、当の彼はというと……。


「……ふたりだけの、か。いいね、それ」


 冗談まじりに笑う。

 本当に、こういうところは昔から変わっていない。


「……先生、冗談やめてください」

「ごめんごめん」


 軽く謝りながらも、口元には笑みが残っていた。

 やっぱり、本気なのか冗談なのか、つかみどころがない人だ。


「菜月ちゃん、これ、しばらく借りていいかな?」

「いいですけど……絶対にまだ誰にも見せないでくださいね? お父様にだって秘密です」

「本当は警察に調べてもらった方がいいんだろうけど……」

「だめです」

「だよなぁ」


 律の名前が書いてある以上、律が疑われてしまう。

 万が一、宝堂の人間が事件に関係があると報じられれば、世間の格好の的となってしまう。宝堂グループの信頼は揺らぎ、そうなれば経済そのものに影響が及ぶかもしれない。

 それだけは避けなければならなかった。


 軽井沢さんの鞄に日記が仕舞われるのを見ながら、私はこれからのことに一抹の不安を抱いていた。


 

 ***


 

 夜、港区の高層マンションの一室。

 リビングの照明は仄暗く、窓の向こうには眠らない街の灯が滲んでいた。


「律〜〜。待ってたわよ」


 甘く湿った声に、いつもながら吐き気がする。

 ロングヘアの女は、ソファに横たわるようにして片脚を高く組んでいた。

 黒のキャミソールに、艶めく肌。黒い布が太ももをわずかに隠すだけで、その下から伸びる白い脚線が際立って見えた。

 年齢不詳の美貌。華奢なのに曲線的で、どこか肉感のある身体つき。

 そして何より、笑みの奥に覗く底なしの欲──。


 律は無言で近づき、茶封筒を差し出した。


「……ほら、今月の分」

「ありがと〜〜っ。ほんっとうに、律はいい子ね」


 指先が封筒に触れたのと同時に、女の白い手が律の手の甲を撫でるように滑った。


「さわるな」


 否定の声に、女はわざとらしく口を尖らせる。


「あん! なによぉ。アタシにそんな態度取っていいわけぇ?」


 律は奥歯を噛みしめた。こいつはわかっていてやっている。

 女は、自分が律にとって〝切れない鎖〟であることを、心から楽しんでいた。

 睨み返しても意味はないとわかっている。

 この部屋では、理屈も正しさも役に立たない。

 

「そうだ。今月、もうちょっと足りないのよねぇ……」

「もう、充分だろ。これ以上は──」

「お姉さんがどうなってもいいの?」


 くっきりとした紅を引かれた唇が、嫌なほど動く。

 その一言が、律の動きを封じる。

 皮膚の下に、冷たい血が逆流するような感覚。

 女の笑みは、まるでそれを計算していたかのように深くなった。

 

 この女の存在は、ただの足枷でしかない。

 毒に満ちた女の口から、菜月の名前が出ることすら耐えられない。


 女はソファにもたれながら、脚を組みかえる。

 その動きすらも腹が立つ。

 律は拳を握りしめ、視線を逸らした。

 その足元に、何も知らない菜月の未来が、ゆっくりと絡め取られていくようだった。


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