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【大賞作品長編化】執着系義弟の甘い罠は壊れるほど狂おしく〜未亡人の私、愛されすぎて逃げられません〜  作者: 草加奈呼


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11/20

11・狂い始めた歯車

「……うそ……」

「……あれを書いたのは、俺だよ」

 

 律の言葉に、息が止まった。

 彰人さんの日記に残された《律には気をつけろ》──あの走り書き。

 それが、律本人の手によるものだったなんて。

 けれど、文面からして律はありえないと思っていた。


「ど、どうやって……彰人さんの日記に書き込んだの……?」


 クローゼットの奥深くにしまい込んであったのに。

 隠し場所を知っていなければ、できることではない。

 それに、彰人さんが亡くなってから律が新居へ来たのだって、数回だ。

 その間に私の目を盗んで書くなんて、できるはずがない。

 

「簡単なことだよ。俺、合鍵を持っていたから」

 

 あっさりと答えた律の声が、信じられなかった。

 合鍵なんて……渡した覚えはない。

 

「いつの間に……」

「教えてほしい?」

 

 返事を待たずに、律は話し始める。

 私と彰人さんが新居に住み始めてしばらくした頃──律が一人で遊びに来た。

 彰人さんは仕事でおらず、私と律で買い物に出かけようとしたら、玄関の鍵が見つからない。

 散々探しても出てこなくて、このままでは出かけられないと、私は引き出しにしまってあったスペアキーを持ち出してきた。その時──


「あ、あったよ、姉さん」

「え? どこにあったの?」

「玄関の棚の下に落ちてたよ」

「落としたのかしら……」


 鍵が見つかったので、私はスペアキーを引き出しに戻した……はずだった。


 ──あの時。

 律は隠し場所を知り、私が目を離したほんの数秒の間に、スペアキーを拝借していたのだ。

 そこから合鍵を作り、私たちが留守の間にここへ来て、何事もなかったかのようにスペアキーを戻す。

 一連の流れを聞いて、背筋が凍るようだった。


「いやぁ、姉さんの目を盗んで玄関の鍵を手に入れるのが大変だったよ」


 落としたのではない。

 すべて、律が計算して仕組んでいた。

 それを律は、まるで楽しかった出来事のように、笑顔で話す。

 

「そんなことまでして……。なんで合鍵を……」


 そういえば、日記を見つけたあの日、律は音もなく家に入ってきた。

 あの時は玄関の鍵を閉め忘れたのだと思っていたけど、合鍵を持っているから、いつでも入ってこれたんだ……。

 

「本当はね、いざという時以外、合鍵を使うつもりはなかったんだ。でも、兄さんが死んで、ちょっと思いついちゃってさ」

「思いついたって……なにを?」

「日記だよ」


 律は、まるで秘密を共有できることを嬉しがる子供のように笑った。


「兄さんが日記を書いていること、知ってたんだ。でも、なにを書いてるかまでは知らなくて。お葬式が終わった後に読んでみたら、震えたよ……姉さんのことばっかり書いてあるんだもん」


 淡々と話していたはずなのに、気づけば語尾に熱がこもっているように聞こえた。

 抑えが効かなくなっていく。

 

「ああ……兄さんは姉さんのこと本当に愛していたんだって、ゾクゾクした。こんなの読んだら、姉さんはまた兄さんのことを思い出して、兄さんのことでいっぱいになってしまう……! そう思ったんだ」


 悔しがるとか、寂しがるとか、そんな感情じゃない。

 まるで、胸をかき立てられる名画のワンシーンに酔いしれているかのような、熱のこもった言い方だった。

 

「だから、俺が最後に書き加えた」


 その一言を境に、律の温度がすっと下がった。

 部屋の空気までも冷え込んだように、しん……と静寂が落ちる。

 

「ねえ姉さん、あれを見てどう思った?」


 律の顔が、真っ直ぐに私を見つめていた。

 その視線に射抜かれるように、呼吸が乱れる。


「俺のこと……気になったでしょ? 気になって、気になって、気になってしょうがなかったでしょ?」


 無邪気な微笑みが、狂気に包まれている気がした。

 喉で言葉が詰まる。

 律はゆっくりと、私の目の前に跪いて手を取りそして──手の甲に口づけを落とす。

 

「大事なのは、姉さんの頭の中が俺でいっぱいになること。それだけだよ」

 

 反射的に手を引こうとしたのに、指先が強ばってうまく動いてくれなかった。

 震える手を引っ込めて、ようやく律を睨み返す。

 

「……犯人だって思われるかもしれない、とは考えなかったの?」

「犯人? だってあれは事故でしょ?」

「でもさっき、〝排除してきた〟って……!」


 私が言うと、律はぴたりと口を閉ざした。

 表情が抜け落ちたみたいに、すうっと無機質になる。

 

「……うん。兄さん以外を(・・・・・・)ね」

「え……?」


 それは、どういう意味……?

 律は、再び笑顔を向ける。

 

「俺はね、兄さんも姉さんも大好きなんだ。だから、二人が結婚した時、正直安心したんだ。ああ、これでもう、排除しなくて済むって」


 律の笑顔は天使のようだった。それなのに、背中のぞくりとした感覚が消えない。

 排除って、何を……? 誰を……?

 嫌だ、聞きたくない。だけど耳が勝手に律の声を追いかけてしまう。

 コルクボードの写真が視界に入る。さっきの男の人たちの×印が、やけに赤く見える。

 まさか──。

 ごくりと唾を飲み込み黙っていると、ふっ、と空気が変わった気がした。

 律の表情が、いつものように戻っていた。けれど、少しだけ寂しそうだ。

 

「でも、そっか。姉さんは日記を見て、兄さんの他殺を疑ったんだ? 俺が犯人かも、って?」

「そうじゃ……ないの……?」

 

 律は一歩離れて、ただ、寂しそうに首を横に振った。

 肯定とも否定とも取れる。けれど、直感的にわかった。

 律は、事件に関与していない。

 ようやく私は息が出来る感覚が戻ってくる。


「律は犯人じゃないのね? やっぱり事故だったのね?」

 

 そうだ、今はそこを喜ばなければ。

 律を疑っていた自分を反省して、少しだけほっとした。

 けれど、じゃああの昨夜の電話は──

 

 『兄さんの話はするな──反吐が出る』


 あれは一体、なんだったの……?

 聞こえたのも断片的だったから、勘違いだったと思いたい。

 律に訊こうかどうか迷っていると、いつの間にか、真剣な目を向けられていた。

 

「姉さん……」


 その変化に、再びひやりとする。

 

「姉さんのカンは、案外当たってるかもしれないよ……」

 

 その一言に、空気がぴんと張り詰められたように感じられた。

 

「……どういうこと?」

「俺も、兄さんの死は事故じゃない気がしてたんだ」

「え……?」


 言葉を失った。

 律は視線を逸らさず、落ち着いた声で続ける。

 

「だって、変じゃない? なんで兄さんは、非常階段なんかにいたの?」

「それは……」


 わからない。返す言葉が見つからなかった。

 あの日、警察が来て現場を調べ、彰人さんの所持品を持ち帰っていった。

 数日後に返されたものは、社員証、スマホ、財布──中身もきちんと入っていた。

 衣類に乱れもなかったことから、争った形跡もないと説明された。


 わざわざ非常階段からビルを出ようとした理由……。

 それがわかれば。

 

「防犯カメラ、見れないかな?」


 ぼそり、と律がつぶやいた。


「でも、すでに警察がチェックしてるんじゃ……」

「警察にわからなくて、俺たちに気付けることがあるかもしれない。行こう、姉さん!」


 律が私の手首に触れた瞬間、体がぎゅっと固まる。

 心臓が嫌な音を立てて、手のひらが汗ばむ。

 怖い。怖いのに、律の真剣な目を見上げると、胸が締め付けられる。

 あの電話のこと、日記のこと、彰人さんのこと……思いが次々に押し寄せ、頭の中がぐちゃぐちゃになり──。

 気づけば、私は思わず手を振り払っていた。

 パシッと、部屋に乾いた音が響く。


「ごめん……律……。私……あなたのことがわからない……!」


 ずっと一緒にいた義弟(おとうと)なのに。

 今はただ怖くて、触れられたくない。

 目の前の律が、なんだか遠い人に見えた。

 

「姉さん」


 律は寂しそうに微笑んで、近づいてくる。

 後ろは机で、逃げ場もない。身体をのけぞるけれど、律は私をぎゅっと抱きしめた。


「律……!」


 腕の中で声が震える。

 離れようとしても、腕ごと抱え込まれていて動けない。

 律は何も言わず、ただしばらく私を抱きしめたまま黙っていた。

 律の鼓動が伝わってくる。きっと、私の鼓動も──。

 

「俺は、姉さんが好きだけど」


 耳元で、律の声が落ちた。

 どくん、と心臓が大きく波打つ。


(好きだけど……なに? なにか言ってよ……)


 逃げられない。

 動けない。

 このまま、律になにかされる……?

 そう思った時だった。

 

「姉さんは──俺を好きにならないで」


 寂しそうな、泣きそうな声で。

 態度とまるで逆の言葉を、吐き出した。

 私は、まだなにひとつ理解できていない。

 律の心の奥底にある、狂気にも似た想いを──。


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