【7】お茶会は静かに始まる。 〜地獄の王の父が言葉を失った瞬間〜
午後一時。
十人のお付きの者を従え、
ルチアーノの父親は、セレニス州のヴィラに到着した。
空気が、目に見えない形で、一段、冷える。
そのヴィラは、セレニス州の中でも、
特に、眺望に優れた一棟。
前回――
ルチアーノとロクシーが、
父親と、初めて相対した場所でもあった。
メインリビングへと入って来た父親の前で、
ルチアーノと、その半歩後ろに立つロクシーが、
揃って、深く頭を下げる。
「お父様。
本日は、お越し頂き、ありがとうごさいます」
それは、普段の軽薄さが一切消えた、
極めて礼儀正しい声音だった。
父親は、返事をしない。
ただ、威厳に満ちた眼差しで二人を見下ろし――
数秒の沈黙の後、
低く、鋭い声を落とした。
「我が息子、ルチアーノよ。
お前の親友と、その婚約者は、どこだ?」
ルチアーノは、すっと一歩前に出る。
「お父様。
まずは、少しお休みになられては?
長旅で、お疲れでしょう」
次の瞬間。
「――わしを、
年寄り扱いするとは、何事だ!」
雷鳴のような怒声が、
リビングに響き渡った。
「今すぐに、二人に会わせんか!
それとも……」
父親の目が、妖しく光る。
「わしに、恐れをなして逃げ出したのか?
地獄の王の父親に会う……
その緊張感は、計り知れぬものだからな」
ロクシーは、しおらしく視線を伏せたまま、
内心で、静かに息を整える。
――来たわね。
想定通り。
最初は、必ず、圧で揺さぶってくる。
その間にも、ルチアーノは一切、動揺を見せず、
穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「いえ、決して。俺様のズッ友――」
一瞬、言葉を区切る。
「……いえ、親友のルシアンは、
お父様にお会い出来る時を、心よりお待ちしております」
「ほう……」
父親は、ゆっくりと白い髭を撫でた。
「わしの“指示”を、待つ、か。
殊勝な、心がけよ」
その口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「では、そのルシアン殿と、婚約者に、会おうではないか」
ルチアーノは、姿勢を正し、
一切の躊躇もなく、ヴィラのバルコニーへ向かって、
手の平を差し出した。
その動きは、優雅でありながら、
主導権を渡さぬ、計算されたものだった。
「では、ご案内、致します。
――お父様」
まず、父親の目に入ったのは、光だった。
午後の陽光を受け、
完璧に配置されたテーブルと、
その脇に立つ二人の輪郭が、
まるで一枚の絵画のように、浮かび上がっている。
そして――
千年以上前の価値観を持ってなお、
思考が追いつく前に、言葉を失わせる“美”が、あった。
完璧に整えられたテーブルの脇に立つ、二人。
背の高い、細身で、引き締まった体躯の男性は、
紺のジャケットに、白い襟付きシャツ。
堅さを感じさせない、遊び心のあるネクタイに、革靴。
だが、その立ち姿は、どこまでも静かで、
人の視線を受け止めながらも、微塵も揺らがない。
隣に立つ女性は、
金色の髪が、陽光に溶けるように輝き、
真っ白なワンピースは、華やかでありながら、品を失わない。
視線は、穏やかで、
見られていることを、評価されていることを、
意識している様子は、まるで、なかった。
清潔感と上品さが融合した、
まさに、理想形とも言えるスマートカジュアル。
作り込まれたはずの空間の中で、
二人だけが、場そのものを支配していた。
――圧倒的な、美。
父親の足が、ほんの一瞬、止まる。
その沈黙に気づき、
ルチアーノが、半歩だけ前に出た。
――ロクシーの脚本通りに――
「お父様、いかがなさいました?」
父親は、わずかに視線を逸らし、
次の瞬間、キッとルチアーノを睨みつける。
「何でもないわ!
いちいち、私の行動に、口を出すな!」
雷鳴のような、怒鳴り声。
だが、その声には、隠しきれない動揺が滲んでいた。
その様子を、ロクシーは、
視界の端で、静かに捉える。
そして――
ロクシーの口元が、ほんの少しだけ、上がった。
父親が、バルコニーに到着すると、
ルシアンが、静かに口を開いた。
「初めまして。ルシアンと申します」
ただ、それだけ。
だが、父親は、文句の一つも口にしなかった。
ルシアンから自然と放たれる品格は、
その一言だけで、初対面の挨拶として、
十分に成立していたからだ。
やがて、父親のお付きの者が椅子を引き、
父親が腰を下ろす。
それを見届けると、
ルシアンは、アンジュの椅子を引いた。
アンジュが、ふわりと微笑みながら、椅子に座る。
その一連の所作に、
父親の眼光が鋭く光り、
眉が、一瞬だけ動いた。
そして、勝ち誇ったような口調で言う。
「君は、自分で、レディに椅子を引くのかね?
それは、使用人の仕事では、ないのか?」
ルシアンは、一切、視線を逸らさず、
父親の目を真っ直ぐに見て、答えた。
「大切な、お方なので」
その言葉に、アンジュが、にっこりと笑う。
疑う余地のない、信頼に満ちたその笑みは、
無垢で、そして、聖なる美しさを放っていた。
父親の額に、意図せず、
うっすらと脂汗が浮かぶ。
――そうして。
お茶会は、
静かに、始まった。
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