【19】舞踏会、開幕。主役は息子か、親友か。〜拍手の向いた先で選別は始まり、魔女は微笑む〜
それから――
舞踏会までの二日間。
ルチアーノの父親からは、
電話の一本も――
来なかった。
それが、逆に、不気味だった。
来るなら、来る。
来ないなら、何かを、仕込んでいる。
沈黙は、準備の合図だ。
ルチアーノは、ルシアンと並んで、黙々とピアノの練習を続けた。
指の位置。
呼吸。
間。
そして、誰に言われるでもなく、
ペントハウス内での移動は、すべてワルツのステップになっていた。
三拍子。
一、二、三。
時折、ほんの一瞬だけ、リズムが乱れる。
だが、すぐに、戻る。
――直せるうちは、
大丈夫だ。
ロクシーもまた、黙々と脚本を書き続けていた。
ルチアーノのための、いくつもの到達点。
何通りもの分岐。
削っては書き直し、
並べては、消す。
同じように、
ルシアンの初恋成就の脚本も、
静かに、更新され続けていた。
そんな中――
ただ一人、アンジュだけは、
モナコを、目一杯楽しんでいた。
もちろん、ルシアンは護衛として、常にアンジュに付き添っている。
グルメ。
街歩き。
歴史ある石畳。
地中海の光を受けながら、
二人で歩く、古い街並み。
それだけで、ルシアンにとっては、至上の喜びだった。
空気の温度。
アンジュの歩調。
そして、笑顔。
すべてが、今この瞬間にしか、存在しない。
その間――
ルチアーノのピアノレッスンは、
ルシアンの分身が担当していた。
正確で、無駄がなく、容赦もない。
正に、“ルシアン”以外の何者でもない。
ルチアーノは、それを当然のように受け入れ、
練習に励んでいた。
アンジュが、不意に立ち止まって、振り返る。
「ルシアンよ!」
その声に、即座に応える。
「はい」
呼ばれる。
応える。
ただ、それだけ。
だが、その一瞬の輝きは、
誰にも奪えない。
そして、その先に待つものを、
ルシアンは、まだ、知らない。
そうして――
舞踏会の日が、やって来た。
ルチアーノの父親――
ウルティモ伯爵の宮殿は、荘厳で、そして過剰だった。
ロココ調を基調としているはずだが、
壁という壁、柱という柱が、金色の主張をやめない。
美ではない。
力を誇示するための、装飾。
それが、この宮殿の本質だった。
アンジュとルシアンは、
各国の王侯貴族やセレブリティに混ざり、
舞踏会の始まりを、静かに待っていた。
ルシアンは、黒の燕尾服。
無駄のない仕立てが、立ち姿を一層引き締めている。
アンジュは、
婚約指輪のブルーダイヤモンドに合わせた、
淡いパステルブルーのイブニングドレス。
派手さは、ない。
だが、光を受けるたび、色合いが、微かに変わる。
一方――
ルチアーノとロクシーは、会場の袖に控えていた。
ルチアーノも、黒の燕尾服。
だが、その視線は、すでに、場全体を捉えている。
ロクシーは、
婚約指輪のピンクダイヤモンドに合わせた、
上品なピンクのイブニングドレス。
甘さは抑えられ、
線は、計算され尽くしていた。
やがて、会場奥の一段高い場所に、
ウルティモ伯爵が姿を現す。
鋭い眼光。
だが、口元には、作られた微笑。
威厳に満ちた声が、
ホール全体に響き渡る。
「これより、
我が息子ルチアーノと、その婚約者のお披露目の舞踏会の幕を、
開けさせていただきます。
心ゆくまで、お楽しみください。
さあ、音楽を!」
オーケストラが、華やかに鳴り響く。
その音に乗って、
ルチアーノとロクシーが、フロアへと現れた。
万雷の拍手。
――だが。
次の瞬間、
会場の照明が、意図的に切り替わった。
スポットライトが、
ルチアーノとロクシーから外れ、
別の一点を、照らし出す。
ルシアンとアンジュ。
二人の立つ場所に、
強い光が落ちた。
ざわめきが、
一気に広がる。
再び、ウルティモ伯爵の声。
「本日は、
ルチアーノの親友、ルシアン殿と、
その婚約者アンジュ殿も、お招きしております。
紳士、淑女の皆さま。
どうぞ、この二人にも、祝福を!」
拍手。
先ほどよりも、
明らかに大きく、長い拍手。
その音が、
誰が“主役として見られているか”を、雄弁に物語っていた。
視線が、一斉に移る。
ルチアーノとロクシーから、
ルシアンとアンジュへ。
ルチアーノは、即座に理解した。
祝いではない。
選別。
そして――
ルシアンとアンジュの動揺を、引き起こすための演出。
「ロクシー先生……」
小さく、だが、確かな声。
「この展開は……」
ロクシーは、可憐な微笑を崩さぬまま、答える。
「こう来たか、って感じね」
視線は、すでに、全体を捉えている。
「でも、筋は通ってる。
舞台が、そっちに振られただけ」
そして、一言。
「ルシアンなら、乗り切る」
それは、希望ではない。
確信だった。
「で、でも……!」
ルチアーノが、息を詰める。
「ルシアンは……
お父様に気づかれぬ範囲の、恩寵しか……!」
ロクシーは、ぴたりと、ルチアーノに視線を向けた。
「グダグダ言わない」
低く、鋭い声。
「今は、あんたが、地獄の王でしょ」
一歩、間を詰める。
「私の脚本通りに、動きなさい」
「……イエッサー」
好奇心。
羨望。
妬み。
無数の視線を浴びても、
ルシアンは、眉一つ動かさない。
アンジュも、変わらぬ微笑を保っている。
その二人を、
少し離れた位置から、
一人の若い令嬢が、見つめていた。
二十歳ほどの年齢。
美貌と、圧倒的な気品。
だが、その視線は、人物ではなく、
場全体の構図を捉えている。
光。
距離。
立ち位置。
舞踏会そのものを、
一枚の“画”として、観測していた。
そうして、視線は、アンジュに着地する。
鈴の音のような声で、
彼女は、静かに呟いた。
「……面白くなってきたわね」
その令嬢こそ――
リオの婚約者に化けた、
地球最強魔女イレイナだった。
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