【17】舞踏会、三日前のモナコなのに前哨戦は始まっている。 〜王が名を偽り、勝手にやって来た夜〜
そして――
舞踏会、三日前。
ルチアーノ、ロクシー、ルシアン、アンジュの四人は、
モナコに到着していた。
宿泊先は、モナコでも屈指の格式を誇るホテル。
最上階のペントハウス。
もちろん、偶然ではない。
――ルチアーノの父親が、いつ探りを入れて来ても構わないように。
到着後、アンジュとロクシーは、
ドレスの最終確認を兼ねて試着を繰り返し、
時に歓声を上げ、時に真剣な顔で意見を交わした。
それは、どこから見ても、
「舞踏会前の、仲の良い女性たちの時間」だった。
やがて、おやつを済ませると、
アンジュは、何事もなかったかのようにソファに腰を下ろし、
あっけなく、昼寝に入った。
その寝顔は、無防備で、穏やかで――
まるで、これから戦場に立つとは、思えない。
ルシアンが、寝室にアンジュを運び、
ベッドに寝かせ、戻って来る。
そして。
その瞬間を待っていたかのように、
ロクシーの空気が、切り替わる。
つい数分前まで、女子友と笑っていた面影は消え、
そこにいるのは――
冷静に盤面を見下ろす、“軍師”だった。
条件反射のように、
ルチアーノの背筋が、ぴんと伸びる。
ロクシーは、何も言わずリモコンを手に取り、
壁一面の特大モニターを起動させた。
映し出されたのは、
緑色に発光する、巨大な建造物の立体図。
「いい?」
ロクシーの声は、低く、淡々としている。
「これが、ルチアーノの父親の宮殿。
正式な見取り図。
隠し部屋、抜け道、使用人の休憩室――
全部、現行仕様よ」
赤いポインターが、迷いなく図面の上を滑る。
「そして、ここが舞踏会の会場」
ルチアーノの顔から、一気に血の気が引いた。
「ロ、ロクシー先生……!
ど、どうやって……
お父様の宮殿の見取り図を……!?」
その問いに、ロクシーは、
ほんの少しだけ、口角を上げる。
「あんたの親父ね。
どうやら、セキュリティ意識が、千年前で止まってるみたい」
指先が、軽く、モニターを叩く。
「管理がガバガバ。
正面突破じゃないわ。
“正規アクセス”で、15秒」
「……ヒィ……!!」
ルチアーノが、声にならない悲鳴を漏らす。
だが、それを咎める者は、いなかった。
その代わり――
ルシアンが、至極真面目な声音で口を開く。
「だが、
我々は、舞踏会に出席するだけだろう?
なぜ、ここまでの見取り図が、必要なのだ?」
その問いに、ロクシーは、
視線を画面から外さないまま、小さく笑った。
「決まってるでしょ」
一瞬の間。
「あの親父――
予定通り、必ずキレる」
ルチアーノの喉が、鳴る。
「アンジュちゃんと、ルシアンのダンスを、見た瞬間にね」
画面上で、赤いポインターが、
舞踏会場から、別の区画へと移動する。
「元・地獄の王よ?
面子を潰されたら、何を仕掛けてくるか、分からない」
淡々と、しかし、断定的に。
「例えば……
アンジュちゃんを“試す”ために、隔離するとか。
あるいは、ルシアンの欠点を炙り出すために、舞台裏で、何かを起こすとか」
その言葉に、
ルシアンの瞳が、戦士の色を帯びた。
「……なるほど」
短く、しかし、即断。
「理にかなっているな」
ロクシーは、その反応を待っていたかのように頷く。
「でしょ?
だから、用心じゃない。
“前提”なの」
リモコンを置き、二人を振り返る。
「いい?
10分、時間をあげる。
この見取り図、頭に叩き込んで」
そして、容赦なく続ける。
「その後――
ルチアーノは、ピアノの最終練習」
次の瞬間。
「記憶した」
ルシアンが、何の感慨もなく言った。
ルチアーノは、必死にモニターを睨みつける。
――舞踏会。
――父親。
――アンジュ。
――宮殿。
すべてが、一つの線で、繋がり始めていた。
そして、ロクシーは、確信している。
この舞踏会は、もう、“始まっている”のだと。
それから――
ルチアーノとルシアンは、普段と変わらず、
ピアノのレッスンに励んだ。
指の運び。
呼吸。
間。
ルシアンの隣で弾くことで、
ルチアーノの演奏は、否応なく、
「正確さ」だけでなく、「質」までも求められる。
そして、ディナーの後。
ルシアンが、アンジュのために、
食後のロイヤルミルクティーを用意していると――
すすっと、ルチアーノが寄って来た。
周囲を、一度だけ確認し、
声を落として言う。
「ルシアン……
そんなの、ホテルの従業員にやらせろよ。
今のうちに、話がある」
ルシアンは、ミルクの温度を確かめながら、
一切、手を止めずに答えた。
「駄目だ」
即答。
「アンジュさまのお好みの甘さは、
人間では再現出来ない」
それは、冗談でも、誇張でもない。
――本気で、
そう思っている。
ルチアーノは、一瞬だけ言葉を失い、
次の瞬間、子供のようにジタバタし始めた。
「んもー……!!
そういう話じゃねぇんだよ!!
お前の初恋成就の脚本も、
ちゃんと進行してるんだぞ!?」
ルシアンは、なおも手を止めずに、問い返す。
「……そうなのか?」
真剣そのものだった。
「そうなのッ!
だ・か・ら♪
ロクシー先生から、お前に伝言がある!」
「なんだ?」
ちょうど、その時、ロイヤルミルクティーが完成する。
ルシアンは、カップをトレイに乗せ、静かに歩き出した。
その後ろを、ルチアーノが慌てて付いて行く。
バルコニーに出ると――
アンジュは、モナコの夜景を眺めていた。
宝石を散りばめたような街の灯り。
だが、それすら、背景に過ぎない。
「アンジュさま。
ロイヤルミルクティーをお持ちしました」
ルシアンの静かな声に、アンジュが振り返る。
夜景よりも、なお鮮やかな微笑みを浮かべ、
「うむ! ご苦労!」
そう言って、バルコニーのソファに腰を下ろした。
――その時だった。
コツン。
控えめだが、はっきりとしたノックの音。
続いて、扉の向こうから、整えられた声が響く。
「ウルティモ伯爵のおなりです」
その名と同時に、ペントハウスの扉が開かれた。
――ウルティモ伯爵。
それは、ルチアーノの父親が、モナコで名乗る、“仮の名前”。
だが、それは、単なる偽名ではない。
それは――
“王”が、人間社会に降りる時だけ、使う名。
立場を隠すためではなく、
力を抑えるための、名だった。
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