とりあえず、殴ってもいいか?
纏わりつくようなジェリコの視線に晒されているせいで、俺の足は恐怖で竦んでいた。
——ヤバい、なんかわからんが、ヤバい。
……怖くて微動だにできない。
「ジェリコ、あんまりユージンをいじめるな。まだ、お前に慣れてないんだぞ」
マハトは見かねて、俺とジェリコの間に入ると、恐ろしい視線を遮ってくれた。
——助かった!
俺は、ホッとして遮ってくれた、マハトの大きな背中を見上げた。
「あら、うふふっ失礼♡ マハトにも劣らずいい男だったからついねっ」
ジェリコの視線から外れたら、急に俺の身体がフッと軽くなった。
——はぁ、やっと息が出来た
「だからって、人間に向かって魔力を込めるのはダメだと、何度言ったらわかるんだ」
マハトはちょっと怒っているのか、声のトーンが下がっている。
魔力? ……ジェリコ、なんかやったんだな?
だからさっきは身体の自由が、全く利かなくなったのか……
怖かっただけじゃ、なかったんだな?
「はあ〜い、ごめんなさい。もうしないわよ。だから許してね?」
ジェリコは、マハト越しに俺を覗き込むと、しおらしく頭を下げて謝ってきた。
もうしないって、何するつもりだったんだ?
「ユージン、ジェリコはもう大丈夫だから、普通に話をしても平気だぞ」
マハトは、ジェリコと俺の前から退き、釣竿を片付け始めたが、普通に話せと言われても、俺は半魚人と何を話せばいいんだ?
「……ジェリコ……さんは、湖の深いところに住んでるのか?」
とりあえず、世間話でもすれば良いのか?
率先して関わりたくはないんだがな。
「あら、正式に名乗ってなかったわね。アタシは『半魚人ラマンティーヌ』。ジェリコって呼んで? もしくは、ジェリたん♡」
ジェリコは、バチンとウインクをしてきた。
ジェリ……たん?
ムカつくが、殴っちゃダメだよな?
「……じゃあ。ジェリコで」
俺は……何も聞かなかった事にした。
たとえ聞いていても、気のせいだ。
——無だ、無になるんだ。
何も、聞こえなかった事にするんだ。
オレは、色々と突っ込みたい衝動からくる『一発殴りたい気持ち』を押し込んだ。
「んもぅ、ユーちゃん連れないなぁ。まぁいいわ。アタシ達は、基本的には湖の深部にある洞窟に仲間と住んでいるの。この湖は底の方に海に繋がっているトンネルがあるから、居心地がいいのよ」
ジェリコは、自分の前髪の巻き毛を指にくるくる巻き付けながら説明してくれた。
そういえば、マハトもこの湖は海と繋がってると言っていたよな?
「そういえば最近、ジェリコは湖以外の海にあまり出かけていないよな?」
マハトは手元の片付けを終わらせると、話に参加してきた。
ジェリコの行動をよく知っている様子だけど、もしかしたら、お互い頻繁に連絡を取っているのだろうか?
二人が話をしている間に、俺も自分の使った釣り道具を片付け始めた。
「あら、だって、私がここにいないと、逃げて来た子達を匿ってあげられないじゃない。おちおち外出も出来やしない」
ジェリコは不満が溜まっているのか、はぁ、とため息をついてマハトと話している。
もしかしてジェリコは、水中で日々仲間達を守っているのか?
——逃げてくるって、ピコラみたいだな。
「そうか、お前も色々大変だったんだな」
二人は事情を理解しあっているのか、マハトは真面目な表情のまま、ジェリコを労うように声を掛けている。
この国は、人間と争っているんだよな……
「まあ、今は仕方がないわ。それより、なんでマハトがここにいるのよ?」
俺は黙々と片付けながらも、この二人の状況が気になってしまうので、耳だけは勝手に会話を拾っていく。
「俺か? ちょっと失敗してな。ユージンとピコラに助けられたんだ。アルプはフリーゲンを連れて迎えに来た」
マハトは、バツが悪そうに頭をかきながら現状説明をし、フリーゲンも来ていると伝えた。
そうだった。マハトも昨日はかなり傷だらけだったよな?
この世界もだけど、魔族の国は、今どうなっているんだ?
正直しっかり聞きたいけど、俺は部外者だし、責任を持ちたくないので、はっきりと聞くことを今も躊躇している。
「フリーゲンは? どこにもいないじゃない」
ジェリコはフリーゲンを探しているのか、あたりを見渡した。
ピコラはマハトの顔も知らなかったのに、ジェリコはフリーゲンも知っているんだな。
——この二人は、本来どんな関係なんだ?
「フリーゲンは、今はトビ族のピコラと、畑作りに行ったな」
確かピコラは、マハトの名前は知ってそうだったよな?
アルプは、マハト様と呼んでるよな……
——もしかして、マハトは立場が偉いのか?
「は? 何で、ドラゴンが畑作りに行くのよ」
ジェリコは、蔑むような眼をして、マハトを見た。
……ジェリコの態度を見る限り、偉い人に対する態度とは違うか?
「まあ、ピコラにも助けて貰ったし、ユージンに旨い飯食わせてもらったから、畑の手伝いはそのお礼だな?」
マハトがこちらを見て「なあ?」と声をかけてきた。
おっと、話が急にこっちに来たな。
「食材も貰ったし、特別、気にしなくても良かったのに……」
有り合わせの物しか作れなかったがな。
でも、気持ちは嬉しいよ。
「え? マハト様、旨い飯って何ですか?」
魚の処理を再開していたアルプが、飯に反応して急に話に入ってきた。
「ん、ユージンは料理人だからな。めちゃくちゃ美味かったぞ」
マハトは、嬉々としてアルプに自慢げに報告した。
普段はアルプを無視するのに……自慢だけはするんだな?
アルプはショックを受けたのか、悔しさからかプルプル震えている。
「まぁ! そうなの?! どんな料理?!」
旨い飯と聞いたジェリコも、豊満な肉を揺らしながら、マハトの話に食いついた。
「モチモチで、香りが良くて……物凄く美味かったぞ」
マハトは、パスタがかなり気に入ったみたいで、食レポは下手くそだが、幸せそうに、いかに旨かったかを二人に教えている。
——帰りに、パスタを土産に持たせようか?
「マハト様、私はそんな話は一言も聞いておりません! あ……だから魚を捌けと?!」
プルプル震えていたアルプは、報告漏れを不満に思い、今捌いている魚は、この後俺の手に渡る事になる事実に気付いたようだ。
アルプは、自分の主が使う魚でもないのに、下処理させられていた事を知ってしまったか。
「マハトに利用されている事に、アルプはようやく気付いたのか……」
見れば見るほど不憫さが募っていくアルプを見ると、なんだか心が痛む反面、少しの癒しを感じ始めている自分がいた。
アルプは、不憫だからこそ存在が光るのかもしれない。
少しだけ、あえて無視しているマハトの気持ちが分かってしまった。
「ああ〜ん。それじゃぁわからないじゃない! そうだわ! ユーちゃん。あなた、どんなお料理が作れるの?」
ジェリコはブルンとこちらに振り向き、何が出来るか尋ねてきた。
肉が……波打っている……。
「食材があれば、それなりには……」
俺は、ジェリコの波打つ肉におののきながら、目をそらして返答をした。
「エビとか、カニも使えるの?」
ジェリコは、肉を揺らし首をかしげ、興奮気味に聞いてくる。
好物なのかな? 違いがあるのか、ちょっと使ってみたいな。
「ああ、多分、何とかなるか?」
ただ、ここの食材、一筋縄では無理なんだよなぁ。と思いながら返事をしたら、
「わあぉ♡ ちょっと待っててね♡ ちゅ♡」
ジェリコは、俺に投げキッスを送って、大きな体には見合わない素早さで——
ダバァン!!
盛大な水飛沫をあげて、潜って行った。
——やっぱり、一発殴りたいか。
「あー、ユージン、すまん。多分ジェリコのやつ、食材持参してくるぞ」
マハトは頭をかきながら、眉根を下げて謝ってきた。
「そんな感じだな。まあ、構わないが、マハトの時間は大丈夫なのか?」
迎えに来たのに、このままでは一向に帰れないよな?
ふとアルプを見たら、捌いた魚をトレーに乗せ、大切そうに持ったまま俺を見つめ——
「ユージン……これ……もしよろしければ」
控えめにそっと、俺に魚を献上してきた。
その姿は、余りにも哀愁が漂っていたので、アルプに何か食わせてやりたくなった。
「ありがとう。魚は大切に使うよ。マハト、アルプが食事する時間あるか? あるならアルプへの礼に、今から何か作りたいんだ」
せっかくなら、魚料理がいいかな?
アルプは目を輝かせ、興奮で毛並みがボアッと膨らんだ。
「アルプだけ? 俺は?」
マハトは、俺とアルプを交互に見比べた。
マハトは遅めの朝食を自分で作って食べたはずなのに、アルプだけが俺の料理を食べるのは不満なようだ。
「アルプにだよ。マハトはさっき朝食済んだよな?」
見た感じ、結構な量を食っていたよな?
置かれていた食材と、鍋の残量を目にしたけれど、そこそこの量だったと思う。
「もう昼だ。だから俺も食べるぞ」
そう言い切って、マハトは釣り竿などの荷物を室内に運んで行った。
アルプは、マハトの後に付き従うようについていったが、明らかに足取りがルンルンしているのが見受けられる。
「マハトは体が大きいから、消化がかなり早いのだろうな」
体感的に、2時間ほどしかたっていない。
そもそも時間がなかったから、魔法の疑似餌を使ったはずでは?
「まあ、食べるなら作るけど……」
人数が増えたところで、変わりはないが、
……問題が一つあるな。
「ピコラのお昼の分は残すとして、フリーゲンは……さすがに食わないよな? 普段ドラゴンは何を食っているんだろう?」
フリーゲン相手だと、人間の料理じゃどれだけ食べさせても足りないだろう。
「そういえばジェリコは、どのぐらい食べるんだろう? あの巨体だし、もしかしたら相当食べるのではないか? 小食なわけないよな」
かさまし出来る食材はあるだろうか?
そもそも、魔族の主食って何だろう?
「俺はこの後に、一体何人分作ればいいんだ? 持ってきた大鍋と、ピコラの鍋で量は足りるのだろうか?」
かなり量が多くなりそうだから段取りを考えないと、と考えながら、湖に背を向け、室内に向かおうとしたら——
ダッパーン!! ビチャビチャビチャッ
「んっハァ〜ん! おっ待たせぇ♡」
ジェリコが特大の水飛沫となって、俺の視界いっぱいに現れた。




