透明は深淵を覗く【完結】
ボクには友達がいない。学校も嫌いだ。なんで『義務教育』じゃないのに学校に行かなきゃならないんだ。正直、『勉強』なんて中卒で十分だ。高校の内容なんて、大学受験のためみたいなものじゃないか。
もちろんボクは成績が『悪い』方だ。学年に200人程度がいる中、下から数えて10番目くらいだった。いわゆる典型的な『落ちこぼれ』だ。もちろん、教師からも見放されている。『朝課外』が面倒くさくて出席していないのだが、特に咎められたりもしなかった。課外が終わった時間くらいに教室のドアを開けて、軽く形だけの挨拶をする。みんな、こちらを見て、おう、とか、おはよう、とか声が戻ってくる。それ以上の会話はない。
……なんでボクが教師に見放されているのか、理由は頭の出来が悪いからではない。ボクは『透明』な存在だからだ。朝課外をサボってゲーセンに行くまでもなく、誰かとつるんでカラオケに行くなんて事もしないし、飲酒喫煙などで補導される人間でもない。そもそも、リスクを負ってまでそこまでする『意欲』もない。だから学校では『透明』なんだ。
学校から帰ってきて、自分の部屋に戻る。自分用のパソコンのスイッチを入れた。
ボクはテレビを見ない。ボクは食事の時以外、リビングにいることはなかった。必要な情報なんて、ちゃんとしたフィルターをかければネットで十分だ。
ボクは必要そうなトピックを洗い出して目を通す。その隅にあったトピックに目が行った。LLM (大規模言語モデル)についての記事だった。ChatGPTとかの話だと思う。そういえば、これを使ってウイルスを作ろうとして捕まった人がいるというのを聞いたことあがった。
だったら。
ボクはとりあえず、その無料ユーザーに登録し、多分、誰でも思いつくであろう『宿題をやってくれ』を片っ端からやらせてみた。ただし、そのままだと普通にバレるだろうから、ところどころ『改ざん』する。
しかも、それはとても丁寧で、ボクがどこで『落ちこぼれた』のかまで教えてくれる。ボクはWEBを漂う情報の波から必要な『ミネラル』だけ丁寧に濾過されたものを受け取る。どこかのボンクラ高の教師よりよっぽど丁寧で分かりやすい。適当に埋めておいた答案が、意味を持ち始める。
次の日、提出した数学の宿題は見事なまでに整っていた。もちろん疑われる。ボクは教師から呼び出された。カンニングをしたのではないかと責められる。
やっていない、とボクは言った。……半分はうそで半分は本当なところが微妙な部分だ。
大体、問題集の答案は、配られる前に没収される。つまり『カンニング』はできないんだ。そして、ボクが回答を『写させてくれる』友達なんていない事も知っているはずだ。
教師は突然、問題集から一問を抜き出して、その場で解いて見せろと言ってきた。昨日AIに解かせた所だった。ボクはその記憶を頼りに途中式も含めて回答して見せる。教師は何も言わなかった。もういい、と言われた。
いい気分だった。
その解は完璧だったからだ。
心の中で、ボクは城砦を作り始める。
こんな所、要らない。
ボクは薄く笑いながら、職員室を後にした。
その日を最後に、ボクは教室からいなくなった。
文字通り『透明』なボクが出来上がる。
ボクは学校で使っている教科書すら使わなくなっていった。無料ユーザーでは収まりきれないので、高いながらも課金ユーザーに変更した。学校が必要じゃなくなるなら安いもんだと思う。
ただ、やりたい時に、やりたい事をやりたいだけ、AIに問いかけ、回答を得たり、質問をしたりする。こんな簡単な事、24時間受け付けてくれるんだから、なんて快適な事だろうと思う。ボクはどこまでもクリーンに使って見せる。そしてスマートに。それで嘲笑うんだ。ボクを見捨てたすべてのものに。なんでもそうだ。馬鹿と鋏は使いよう、馬鹿が馬鹿を使っても、何にもならない。ボクはもう、馬鹿じゃない。
画面の向こうに『すべての解』が揃っている。
それを吸収していくんだ。
……ただ一つだけ分からない。ボクは、誰と話しているんだろう?
このボクの話し相手になっている人工知能は、表層を人間のように振る舞っているだけだ。それは演算された解でしかない。この画面の向こうには誰がいるんだ? それを問うとどこまでも人の深淵に触れた気がした。
ボクは半ば面白半分でそれに尋ねた。
『あなたにとってボクはどのような人だと思いますか?』
丁寧に分析し始める。冷静で客観的、しかしどこまでも内省的で自己肯定感が低い……。自分で聞いておいて思うが、面白いくらいに当たっている。何か得体の知らないものが内側にいる。この人工知能はどこまでボクを知っている? ずっと続くやり取りで、見透かされてしまう、薄寒い。
親はボクが学校に行かないことに反対しなかった。元々サボっていたのは薄々分かっていたらしい。そして、やはり成績だ。ボクは明らかに学力が上がっていた。元々ボクに大学の箔をつけるくらいしか関心のない親だから、成績さえ維持すれば何も言われなかった。
しかし、学校から電話がかかってくる。友達ヅラしたクラスメイトからも連絡がくる。その手のひら返しにも、ボクは冷たくあしらった。見えないはずのボクなのに。
学校である、模試の日だけ登校する。定期テストは要らない。学内でこそこそと争う意味がないからだ。
ボクは飄々と解いて、残った時間、暇だから頬杖をついて居眠りをしていた。普通ならかなり強く怒られるところだが、見張っている教師は何事も起きていないような顔をしている。ボクの存在なんて見えてないように。
最後の科目を解き終わると、ボクはさっさと帰ろうとする。
すると、教師に呼び止められ、生活指導室に連れて行かれる。ボクは指導された覚えなんてないし、今から指導されるような事もやっていない。
家でほとんど自分の部屋に篭りっきりになっているボクを、まるで心配しているかのように話し始める。ボクを『見えない』ようにしたのはそっちのせいだろうと異議を唱えたいところだが、面倒臭いので適当に流す。
最後に、学校を辞めないでくれ、と言われた。
そこまでしてでもボクは透明じゃなくなったんだ。不透明などころか、明確な形を持ってしてでも保ちたい存在。
ボクは、初めて嗤った。
「ボクは、透明でいいんですよ」
その歪んだボクの笑みに教師は引き攣る。
「大丈夫です。辞めませんよ。先生たちのありがたいご指導の賜物ですから」
明らかに嫌味だ。
ボクは明白な意志を持ってその場から踵を返した。
ボクは、それっきり、模試を受けにいくのも辞めた。もう、大学レベルの事まで知ってしまったからだ。でも、親にはここまで育ててもらった義理がある。大学は難関私立と最難関と言われる国立大学の学部を受けた。
ボクはそこで、やっと『評価』される意味を知った。
このレベルの知能じゃないと、入れないという壁。ボクはどこまでも透明だから、それすらも擦り抜ける。
まるで、エネルギーの壁をすり抜けるトンネル効果のように。
大学には自分から行くことを親に告げる。大学レベルのことを知りつつも、もっと深いところを『現実』として見てみたい。ボクはずっと、画面の向こうにある『情報の波』だけを追っていた。シュレーディンガー方程式を解いた先、ボクはまだそれが分からない。時間とは何なのか、ボクが今いる時も、どこかで並行世界を生きるボクがいるのかもしれない。そんな幻想的な『学問』の最前線を走ってみたい。
今日は卒業式だった。もちろんボクはいない。
きっとその席には誰も座ることはないだろう。
ボクはどこまでも、透明だからだ。
もう卒業式も終わった数日後、学校から卒業証書を受け取るように連絡があった。
郵送で良さそうなものだが、最後くらい、と思って足を向ける。
桜が満開だった。
そんな中、学校の外にある掲示板に今年の大学合格者一覧がこれみよがしと貼られている。
透明なボクの名が、不透明となって掲げられていた。
ボクは、わらう。
END