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二、『青い国より』

空を浮いている感覚がある。重い水に濡れ、風にさらされ、過去を引き摺るように身体が言うことを聞かない。

腕は、脚は、身体がどこにあるのかわからない。意識できる暗闇の中でまさぐる。

暗い、寒い、冷たい。

寂しさを覚えるような感覚に包まれていて、そのどれもがこの身体と命を少しずつ蝕み続けているのがわかる。


あっ、今動いたっ!ねぇ!


何かが聞こえる、必死に誰かを呼んでいる。瞼が重くて視界が半分にしか開いてくれない。自分の瞳に一切の血液が流れてこないようで、入り込んでくるのは只管に悪夢のような青だった。


少し体を起こそう、反応を見てくれ


違う声。それは男性のもので、冷静沈着だが確かに思いやりを感じられる声だ。

すると、背中に温かいものが触れ、この身体をぐっと光の方へ上げていく。脳の位置が一気に上昇した感覚に驚いたのか、喉を通る空気を一瞬遮ってしまった。

「ぁかっ…けほっけほっ…!」

肺が拒絶した空気によって無理矢理ながら意識は覚醒した。通じた管の間を急激に酸素が通り抜けていく。心臓、肺の辺りが熱く痛い。指先には血液が無数に突き刺さるように流れ込んでいく。

「大丈夫!?ねぇ、この子ってっ…!」

「目が覚めたのか。あまり無理に息を吸わなくてもいい。」

その声の主に対して焦点が合わず、少女は空を見る。

「落ち着いて呼吸を整えて。大丈夫、私達がいるから。」

先のどれとも違う女性の声は、あまりにも優しく包み込むようでとても暖かい。

「ぁ…なたた、ちは」

喉がきゅっと締め付けられているようで、声が上手く出せないように見える。それでも、話すことができたようだ。

「あっ!よかった!意識が戻ったみたい。」

「俺達は『譜桜』だ。しんよささんからあなたが倒れていると連絡を受けて救助に来た。」

黄色の瞳越しに見える世界の霧が少しずつ晴れていき、次第に彼らの姿がわかるようになってきた。

今話していた少年は緑の髪色をしている。隣には少女が2人、片方は青緑の髪に黒色の大きな紅葉をつけている。少年らは続けて口を開いた。

「俺は『例話し』だ。」

「わたしは『かざるて』だよ!取り敢えずあなたが生きててよかった…!」

もう片方の少女を見る。灰色の髪の一部が桜色に染まっており、そこには桜が飾られている。紫の瞳は吸い込まれるように美しかった。

「あっ、私が『しんよさ』。あなたが浜辺で倒れてるのを見つけて、2人に来てもらったの。具合はどう?」

しんよさは長い前髪の隙間から沈み込むように美しい紫紺の瞳を覗かせ、少女の表情を伺っている。

そこまでしてようやく青い少女は自分の状態に気づいた。着ていた服装が変わり、自分が今彼女の膝の上に寝ていることを。

急いで起き上がろうとしたところを察したのか、しんよさの腕は青い少女の背中を支えていた。その際、違和感に気づく。

「あれっ…あれっ!帽子っ……私の帽子はっ………!」

焦って勢いよく顔を上げたせいか、少女の目の前をズキンと痛みが横断する。その痛みに耐えるように、眉間にはシワが寄せられた。

「大丈夫!?無理しないでね。帽子ってこれのこと?わたしが持ってきたから安心してっ!」

かざるては自分の膝に置いてあった青い三角の帽子を両手で持ち上げ、彼女に差し出した。

少女が手を伸ばしたところを例話しが止める。

「待て、彼女の服や帽子はまだ湿ってるからもう少し置いて乾かした方がいい。それに彼女の髪もまだ拭いてないだろう。」

「あっ、そかそか!ちょっと待っててね。今タオル出すからね~」

今一度かざるての膝の上に帽子が置かれた。紅葉を乗せた彼女は横の鞄に手を突っ込んでガサガサと音を立てながらタオルを探している。

「っ………」

その様子を見た青い少女が心配そうに呟く。視線は夕日の方を向いていて、心配の色が伺える。

「もしかして日差しが苦手?今は私が被さってるけど、それでもしんどい?」

「あっ、いえ…今は、たぶん大丈夫です。」

「そっか。もうそろそろ日も沈むし、今は心配しなくても大丈夫だよ。でも怖いだろうし急いで髪拭こっか。」

「あ、ありがとうございます…」

しんよさが言う通り、太陽は遠方の山の輪郭に隠れ始めている。

「あの、ここは……?」

少女は小さく尋ねる。

「『悠街・星地区』の上空だ。しんよささんの連絡を受けて俺達は『空遊魚』に乗ってここまで来た。」

「そ、空ですか…」

道理で地上の位置が認識とズレていたわけだ。加えてこの風の強さにも説明がつく。

「わぁ…」

遠方には空を突き刺すような山々が見える。しかし山にしては鋭利すぎるようにも感じる。

「空から"氷山"を見るのは初めてか?」

不思議そうに景色を眺める少女の眼差しを感じ取った例話しが優しく問いかけた。

「ひょ、氷山……?」

彼は氷山と口にした。よく目を凝らしてみると、確かに山の付近には冷気のような霧がかかっているのがわかる。逆さに出来た氷柱のようにも見える。

「あぁ。街を円形に囲む氷山で、向こうに見えるのは『雪地区』にある最も高いものだ。」

「君が流されてきた星地区の海の向こうにも氷山はあるんだよ〜!そこも結構な高さあるんだけど、やっぱり雪地区の氷山は段違いで高いよね〜、ここからでも見えるもん。」

かざるてが補足する。

「氷山に囲まれた街…すごい……」


黄色い瞳はしばらくその景色に見惚れていた。

「じゃあ、私からも少し聞いてもいい?」

「は、はい。」

しんよさは「ありがとう」と微笑みながら返答した。それに続いて質問が始まる。

「じゃあまずはあなたの名前を聞いてもいい?」

「あっ!そういえば確かに聞いてなかったね。なんて呼んだらいい?いきなりちゃん付けされるの苦手?」

やっと見つけたタオルで少女の髪を拭きながらかざるても質問を投げかけてくる。あまりに怒涛の勢いだったため、呆れた例話しによって途中で制されていた。

「な、まえ。」

その雰囲気を横に少女は黙り込んでしまった。続かない言葉を目前に、三人には共通の疑惑が浮かび上がる。

「もしかして、名前思い出せない?」

重い痛みが今もなお蔓延っている頭の中から必死にそれを見つけ出そうとしている。

「ごめんなさい…」

結局少女は記憶の中から自身の名前を見つけられなかった。そのことを申し訳無さそうに謝る。

「謝らなくて大丈夫だよ。教えてくれてありがとね。」

しんよさは変わらず優しい笑顔を見せている。安心させようとしてくれる彼女の視線には、心配も含まれていた。その様子を汲み取るようにかざるても口を開く。

「これって、もしかして記憶喪失ってやつなのかな?」

「あり得なくはないな。長く波に流されていたんだろう。その間に強く頭を打ち付けていたのかもしれない。」

その後も少女には幾つかの質問がされた。どこから来たのか、何故海に流されていたのか。辛うじて十五歳であるということが分かったが、少女は殆どのことを忘れてしまっているようだった。

「今思えば、氷山や街の景色も忘れてしまっているのかもしれないな。」

日差しが苦手であることも、覚えているというより本能的に「日差しに当たらない方がいい」と感じていたのだろう。

「家族とか住んでた場所とかも思い出せない感じ?」

「家族…」

少し黙り込む。先と違い、何かを掴めそうな表情だった。

「もしかしてそこは思い出せそう?」

「……ごめんなさい、やっぱり分からないです。ただ覚えてるのは、私は……長い間、ずっと独りでした…」

質問と会話が途絶え、小さな沈黙が現れた。彼女の身体は震えている。それはきっと、たった今思い出してしまった、孤独の中で彷徨っていた寂しさだ。


「じゃあさ!とりあえず名前付けてあげようよ!」

その状況を破ったのはかざるてだった。

「えっ」

少女が驚いた目をしている横でしんよさと例話しは頷いている。呆気にとられている内にかざるてが元気よく続けていく。

「私達も名前がないと呼びづらいからねっ。」

「かざるてにしては珍しくまともなこと言うじゃないか。彼女の身元がわからない以上、しばらく譜桜にいてもらうことになるからな。」

「うんうん!ちなみにさ!『かざるてにしては珍しくまともなこと言うじゃないか』って本当に必要だったかな?必要だったかな???」

「君のその真っ直ぐさが普段からいい方向だけにはたらいてくれたら、俺だってそんな一文を置かないよ。」

「んにゃあ〜〜!!こいつ!!!」

「こら二人とも、この娘の前で取っ組み合いなんてしないの。落っこちちゃったらどうするの。」

叱られた片方はなぜ自分が叱られたのか理不尽に思い複雑な表情をしている。

それすら包み込むような愉快な空気と笑みによって、空遊魚は密かに揺れていた。

「………優しい人たち、なんだな。」

冷たい温度だけではない。今はそれだけ分かっていればいい。


その隙に陽は沈み、茜色が空を覆っていく。遠くの山たちは優しく塗り返され、薄暗い世界に移り変わっていく。

かざるては少女の髪をタオルで拭きながら頭を悩ませていた。

「う〜んどうしよう、いい名前が思いつかないよ……私名前つけたことないからさ〜…れーわなんか思いついた?」

「すまないが、俺も名付けに関しては不得意なんだ。」

「物書きのくせにぃ。うーん、青い髪してるから青子……いやちょっとストレートすぎるかな……青ちゃん……ん〜〜〜????」

「無理に今決めなくてもいいんじゃない?帰る場所が分からない間は桜地区に留まることになるだろうし。」

しんよさの言葉を聞いて少女が問う。

「えっと、泊めていただいてもいいんですか?」

「うん、大丈夫。確か譜桜の本拠点に空き部屋があるはずだからそこを使ってもらってもいいよ。」

「ありがとう、ございます。でも、見ず知らずの私に、なんでそこまで…?」

しんよさは少し驚いた表情をした後、返答に悩む顔を見せた。困らせてしまったかと、少女が悔やみかけた時、再び口が開く。

「そんなにおかしいことかな?」

えっ、という声が出る前に二人が補足をする。

「君に桜地区に留まってもらうのは、保護のほかに監視の側面もある。」

目覚めたばかりの少女には酷かもしれないが、しんよさ達はまだ少女のことが分からない。少女が記憶喪失のフリをして、街に危害を加えようとしている可能性だって否めないのだ。

「信頼する前に疑惑をかけてしまうのは許してくれ。」

彼の話し方は確かに少女のことを判別している段階だったが、それでも孤独から覚めた幼い眼差しを不安にさせないようにと気を遣っている様子だった。

「でも何より本当にあなたが記憶喪失なら、これからのあなたは独りになってしまう。だから誰かが傍にいた方がいいでしょ?独りは、寂しいからね。」

一瞬、言葉に詰まっていた。疑いをかけられること自体は理解できる、いや、そうなるものだと思っていたのだ。

目の前にいる3人は優しい声色をもって伝えてくれた。ただ優しいだけではない。少女にはそこに「他者を思いやる」という言葉だけでは表しきれない感情があるように見えた。

「ありがとうございます。では、しばらくの間お世話になってもいいですか……?」

向けられた良心を無碍には出来ない。救われた身分でそう感じることが正解なのかは分からないが、そんな気がして仕方なかった。

「もちろん!」

少女の頭上でかざるての溌剌な声が響いた。

「そろそろ着くよ。」

『空遊魚』と呼ばれた生物が下降を始める。紫紺の瞳がが見つめる方向を少女も眺めた。

「わぁ…!」

思わず感嘆の声を上げた。

一行が進む方向には、沈み込むような夜に点々と光が輝いている。

「じゃあ改めて!」

かざるてが少女の元から離れ、空遊魚の先頭に立つ。背景にその光たちを纏いながら、腕をめいっぱい広げて言った。



「ようこそ!わたしたちの『悠街』へ!!!」



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