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モノサシ、善悪2

煮えていない…熟成されてない…発酵もできてない…

まだ硬い生煮えの豆が多数転がってるような…

 考えてみれば、筆者は以前から様々なモノサシ・物差し・天秤を検討しています。価値観とも言います。

 特に「選民思想」のところで、モノサシが変化することの残酷さもかなり検討しました。


 今回やることとどれだけ関係するか、最近もかなりいい本を何冊も読めています。それでどれだけ新しい考えが加わったか、考えてみます。


『NEXUS 情報の人類史ユヴァル・ノア・ハラリ

 心か物か、と比較すべき考え……客観的現実(地球に向かっている小惑星など誰も見ていなくても、ある)、主観的現実、共同主観的現実(貨幣などネットワークを作る物語、人をチンパンジーと違い150人の限界を超えた協力をさせる)と分解。

 真実は必ず勝つ、というのも幻想、説得力があるかどうか。ただし客観的な真実はない力がすべて、ともしない。

 官僚の必要性、無謬を主張する権力の問題、ただし強みもあることも。


 またもっと根本的な、「帝国になる理由」も。経験則として、通信・文書作成テクノロジーが低い古代では、ある程度以上の規模の集団は専制になる。遠距離の人と話すことも絆を作ることもできない。

『銀河英雄伝説』は、超光速航行も遅く、超光速通信も高価だという制約がある、連邦が壊れ帝政になったのは、また帝国が勝ったのはそのためかも……


 AIの本質的な質の違いを強調している。銃は自分で引き金を引かないが、AIは誰を撃つか、撃つかどうか決められる、異質/エイリアンな知性だと。

 同じハラリの『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』にも、「人間が人間を支配する方法の歴史」についての情報は膨大に入っています。むしろ一冊にまとめてほしいほど。


『システム正当化理論(ジョン・T・ジョスト)』

 これも読んでおきたかった本。まさに人間がなぜ支配されるのか。

 まず人は、デフォルトの、強い欲求というべきものとして、今生きている体制を支持する。

 注目する心理は「公正世界仮説」。世界は公正である、因果応報だ、と信じたがる無意識レベルの心理。だから特に性犯罪などで被害者が悪いとしてしまう。

『火の鳥 鳳凰編』の我王とその母が事故の犠牲者なのに憎まれた理由は、あれほど悲惨なのは悪いことをしたから、悪人だから、と、事実などを飛ばして感情の深い部分が確信してしまったから、と説明できてしまう。


『ロボットの反逆(キース・E・スタノヴィッチ)』これは『心は遺伝子の論理で決まるのか』の改題新版。

 中身はタイトルと少し違い、『ターミネーター』の類ではなく、むしろドーキンスが言う利己的遺伝子の乗り物である人間は、その心も体も事実上、擁護できない目的のために作られたロボットに等しい……だが、その副産物である心を組み合わせて、『火の鳥 復活編』でロビタが作り主であるはずの人間に逆らったように、遺伝子や悪しきミームに逆らって自分で目的を決めるべきだ、と。ただし何を目的にすべきか……


 ちなみにユヴァル・ノア・ハラリの著作は、そのジレンマをさらに発展させる……もうじき何を望むかも自分で書き換えられる。それで何と書き換えたい?と。


『なぜ悪人が上に立つのか(ブライアン・クラース)』

 これも、進化段階の狩猟採集サルから、文明の黎明、と人間がどのように、人間が人間を支配する社会を作ったかを描いていく。

 さらにダークトライアドやサイコパスについても豊富な事例がある。

 多くの現実の支配者や、恐ろしい決断をした普通の人のインタビューや紹介も豊富。


『Invention and Innovationバーツラフ・シュミル

 ここしばらく読んだ本で特にショッキング。多くは、これまで大失敗した技術を振り返る。

 だが後のほうで、今報道で期待されているありとあらゆる技術、真空チューブ交通、AI、トリウム溶融塩炉、なにもかも徹底的に調べて望みがないと切り捨てる。

 ロバート・ゴードンの長期停滞論も含め、何十年も人類社会の技術進歩は、報道から受ける印象よりもとんでもなく遅いし、これからも遅いままだと断言してしまう。

 筆者から見ればとてつもなく嫌な「不都合な真実」。それでは人類は滅びてしまうと絶叫したいがそれも間違っていると叩きのめされるのだからたまらない。とても嫌なところに閉じ込められたような感じになる。

『いつになったら宇宙エレベーターで月に行けて、3Dプリンターで臓器が作れるんだい?(ケリー&ザック・ウィーナースミス)』も、膨大な技術を、多くは永久に不可能だと切り捨てる。軌道エレベーターはぎりぎりで絶対不可能ではない、ただし宇宙太陽光発電は完全否定。


 ついでに言えば、ハラリ、ニック・ボストロム、レイ・カーツワイルをはじめAIが良きにせよ悪しきにせよこれからとんでもなくなるという本も多いし、新井紀子、『虚妄のAI神話(ジャン=ガブリエル)』などAIは進歩しない、という論者も多くいる。


 未来を知りたければ何よりも未来の科学技術を予測すべき、だがその未来の科学技術の予測こそ何よりも困難で、歴史上常にとんでもないことが起きて以前の予測が根こそぎ笑いものとなっている。



 モノサシが変わることが重大になるのは歴史の転換期、幕末のような時代。

 黒船により、それまでの武士道・身分・仏教・漢文儒学などのモノサシが根こそぎ役に立たなくなり、万国公法と銃、科学と帝国主義の世界に放り込まれました。一時剣術がモノサシとなる場もあり、短時間でそれも消えて剣術自体が否定され、さらに西南戦争で警視庁抜刀隊が活躍してまた戻る、という極端な変化もありました。

 多くの、特に異星人とのファーストコンタクトを伴う宇宙戦艦SFはそれらに類似します。

 価値観、モノサシが違う複数の群れがある、ということは、ギリシャ古典でも有名な寓話……死んだ親族を食べるのが葬送礼である地域と、どんな金を積まれてもそんなおぞましいことはできないという地域……で示されます。

 古代中国でも、論語で時々野蛮な中華の外が話題になります。

 しかし、特に『現実』の近代化していく西洋に襲われる時代は、多くの文明の上層は自分たちの外側・他者が存在することを見ないようにしました。一つのモノサシにしがみつき、それ以外は存在しない、としました。

 モノサシを一つだけにする、という心理は独裁・全体主義・宗教・精神論などとも共通します。以前から考えている、世界をきれいにしたい、とも共通します……たくさんの矛盾するモノサシがあると、世界が散らかって感じられます。


『三体』は「危機紀元」と改元してまで危機に対応しようとし、〈大峡谷〉の反省もあり変な方向に暴走したと言えそうです。その中で何を善とするかのモノサシも次々と変わります。特に過去からコールドスリープした人はその違いに愕然とします、軍事がある世界で育った男から見ればチェン・シンの聖母イメージは悲鳴ものでした。そして危機だからこそ、内心も含め法の原則も破る緊急避難的な全人類法も次々と出、それこそが自滅の遠因となりました。

 危機に対応するために秩序を過剰とする、その結果代替選択肢が失われる、ということは他にも多く見られます。

『火の鳥』では望郷編で移民の帰還を禁じ、また未来編ではコンピュータにすべてを任せるという決断をしました。望郷編でも未来編でも人の心、同情などがなくなって法だけで容赦なく子供でも殺す精神状態が求められます。またヤマト編は征服戦争から戯画的に描かれますが文化国家の建設という転換、乱世編もあの時代は日本史上重大な変革の時代でした。鳳凰編も多くの災害などを仏教に頼って克服しようとした試みです。

『宇宙軍士官学校』はモノサシ、価値観そのもの、精神そのものをファーストコンタクトと同時に異星人が少し作り変えます。それから上述のように、異星人のモノサシでの優劣と、地球人の軍などが考える優劣の違いが随所で出て、これまでの地球人の基準では劣るとされる人が活躍します。

『スタートレック』でも、ジェインウェイがヴォイジャーで外を旅していた間に、本国はドミニオン戦争で変形能力がある敵に悩まされ、セキュリティ感覚が大きく変わってしまっていたことが語られます。


 逆に『宇宙戦艦ヤマト』やロボットアニメなどは、他者との接触でひどい目にあいながらそれほど人類全体が変化する様子はありません。味方は生存、敵は征服というどちらも単純な考えだからでもあるでしょう。

 ただし古代たちヤマトクルーは戦いを後悔し愛し合うべきだったと思うなど、モノサシが変わるほどの衝撃を受けています。


『銀河英雄伝説』のルドルフは、危機に対応するため世界全体、世界全てのモノサシそのものを書き換えた、と言えるでしょう。始皇帝、ナポレオン一世など世界設計者でもある征服者には常にその面があります。焚書坑儒なども新しいモノサシを徹底して強制するためです。



 フランス革命は内部からの変化で同等のことが起きています。『銀河英雄伝説』のルドルフ、『スターウォーズ』のパルパティーンなど民主制から帝政への変動も同様、というかフランス革命もナポレオンの戴冠に至っています。

 病気による危機、というのも実際には巨大です。中南米両帝国、ハワイやニュージーランドなども実際には病気による危機でした。『天冥の標』『銀河の荒鷲シーフォート』『カズムシティ(の過去)』などでその危機が描かれます。最近の『現実』も新型コロナという巨大な危機を受けています。


『銀河英雄伝説』は長い戦争で固定された状態からの突然の変化、ただし準備されていた印象も。その点はアレクサンダーや、長期間の東ローマとササン朝ペルシャの潰し合いを蹴り倒したイスラムに通じます。


 逆にそのような危機の時代でなければ、大抵の人は何も考えず、世間と習慣、体制に従って漫然と生きていればいいのです。自分が今従っているモノサシが宇宙のすべてだ、と。『三体』の地球人の道徳のように。

 SFはそのような生を否定することから始まります。また宗教、特にパウロ型の回心・イエスの福音も、それを否定することから始まると言っていいでしょう。

 そのように生きていた場合、危機がやってきたときには悲惨な死に方をすることにもなります。『銀河英雄伝説』の門閥貴族の、特に貴族の女子供のように。



 文明自体の危機、それを中心とした本にはダイアモンド『文明崩壊』『危機と人類』、さらにトインビーの著作すべてに通じるでしょう。他にも無数にあります。


 そして、それこそ何十年も前から、この『現実』文明は危機で曲がり角で改革しなければ、という本は無数にあります。

 最近では戦後やや経ってから、まず1968年という西側各国の暴動やテロがあり、またニューエイジという精神に関する話が広がりました。

 1970年前後から石油ショックが起きて多くの先進国で経済的な高度成長と、平等化と教育水準の向上と希望そのものが終わり、また石油・プラスチック・アルミニウムの次がないという奇妙な現実が何十年も長期停滞を作りました。

 政治・財界も改革を訴える声が半世紀支配的であり続けています。日本では政治改革から政権交代の努力があり、それが失敗に終わってからも、自民党も野党も改革を叫び続けています。

 環境問題、人口問題、地球の限界それ自体も指摘されるようになりました。


 改革そのものについても「一般文明論・栄枯盛衰」の回でかなり検討しています。


 それ以前からも、第一次・第二次世界大戦は、文明世界全体が滅びるかどうかの絶対正義の戦争とされました。

 さらに第二次世界大戦後は核戦争による人類滅亡の恐怖が高いリアリティを持って語られました。……実際には過去形ではないのですが。

 最近多く読んでいるのが、第二次世界大戦後西側で、富裕層から莫大な税を取り貧困労働者層に分配し、平等を作り出した動きがあったことです。無論有色人種や女性の問題はありますが。それが1970年ごろからの長期停滞と同時に……因果はわかりません……「上からの階級闘争」があり、徹底して労働組合が潰されて格差が空前に拡大したことも多く語られます。



 その、変化するモノサシにどのような種類があるか。

 現実の物理でいえば、単位の数がモノサシの数とも言えるでしょうか。


 文明、人間の生活や心理の多くが、いくつかの数のモノサシでできている。

 人間は、自分が「いい」であることを強く望み、違ったら修正しようとするし、群れに順応したがるので、群れの他のメンバーと同じモノサシで「いい」でありたい……あるいは、他のメンバーと同調している・群れに受け入れられている度合い、それが最大のモノサシだ、とも言えそうです。


 善悪・正義と悪・信仰・勝利・勇敢・呪術的な穢れと清浄など……正しい共産主義精神、国体、多様性とMAGA……

 いまは幸福も、倫理学でも注目されます。


 正義、というのは西洋独自の言葉でもあり、ある意味文明や哲学者ごとに定義が違うこともあります。その定義の多様性・リストも十分面白いのですが。

 正義を分配にしてしまうと、必要に応じて、貢献に応じて、身分に応じて、所有に応じて、などさまざまなモノサシが出てしまい、争いになります。それこそ『現実』戦後の世界全体を二分した冷戦そのものが、分配が本質にあります。

 正義こそ大半のSFの、主人公の「目的」であると言えるでしょう。国家の一員として国家の勝利という正義を追求することもあり、また自国が悪である場合それを正しくする、あるいは倒して新しい国を作る。自国を勝利させるか、「正しい国の一員として生きたい」か。

 どのような社会にしたいか、も正義の問題ということです。「政体」のところの議論も。

 どちらも正義であることもあります、『量子真空』では何度も祖国を裏切った英雄が、今仕えている国の上層部がバーサーカー型異星人による人類の危機に、許せない対応法をしていると判断して裏切りました。どちらが正しいかはわかりません。似たケースとして『三体シリーズ』の何人か宇宙に逃げてリスクを分散すべきだ、というジャン・ベイハイの「正義」と逃亡主義禁止という政府側・人類の大半が合意する「正義」、『タイラー』で銀河の危機に長距離移民船を作ろうとする勢力と、それを潰したタイラーもあります。

 ラインハルトもヤンも自分の正義のために戦っています。狂信者も本人の心の中で言えば自分が正義です。

『ガンダム』の宇宙世紀は、連邦側の主人公たちは自国を正義だと単純に思えないのに戦っています。逆にジオン側は自分の正義を疑いません。また連邦側軍人で自分の正義を疑わない人はだいたい悪役です。

 自分の正義を疑わない、という人が悪役になることもとても多いです。特に悪役軍人に多い、共存できる異知性を皆殺しにしたがるなど。


 それこそすべての物語のすべての登場人物を挙げて、それぞれの「正義」を書くことが可能です。膨大すぎます。

「正義の味方」という言葉は昔の子供向け娯楽ではとても分かりやすい主人公の属性です。

 また、正義に背を向けて、生きるだけ、悪の側で暮らしている、自国が悪だと承知で仕えている、などのキャラクターもいます。


 正義と切り離せないのが復讐です。

 人間にとっては最も根源的な、激しい感情の一つ。

 ここで意外なのが、ギリシャ神話などでは、復讐は単に感情だけでなく、それを成し遂げなければ秩序が回復せず天罰が終わらない、という魔術的な意味もあるのです。それは法と刑罰のかなり深い本質にあります。

『叛逆航路シリーズ』のブレクは復讐のために長い旅に耐え、思いがけず成功した後の生を仕事、理念、公のために注いでいます。

『銀河英雄伝説』のラインハルトの根本的な動機は、姉を取り返し帝国を倒すことでした。

『ガンダム』宇宙世紀のシャアもザビ家に対する復讐を胸に抱き、後にはララァを殺したアムロに復讐心を抱きました。

 戦場での戦いは恨みっこなしにしないと底なしの復讐になる、というのは言うは易く行うは、実際にはとても難しいことです。

『宇宙戦艦ヤマト』の古代進はかなり強い復讐心で戦い始め、だからこそ成し遂げた時にみじめになります。

『ヴォルコシガン・サガ』のマークは、アラールの占領軍の暴走で家族を殺されたテロリストの注文で作られ、だからこそ過剰に虐待されもしました。

『三体』のイエ・ウェンジェらはもはや人類そのものを復讐の対象とします。

『火の鳥 黎明編』ではナギの当然の復讐心を考えられなかった皮肉があります。後には虐殺者は全て仇だ、とも変化します。

 鳳凰編には、いくつも汚れた正義が描かれます。我王とその母を迫害した村人の「正義」。我王による復讐という「正義」。後に否定される弱肉強食、全ての人に対する、単に健康体である茜丸に対する「復讐」。自分を犠牲にしても税を払え、また仏を作る事業のために虫けらのように労働者に死ね、という政府の「正義」。即身成仏。

 鬼瓦の勝負で、負けるのが嫌だから昔の犯罪を言い立て、芸術の良し悪しを、犯罪者かどうかという別のモノサシにすり替える。そしてそれが罪であるという火の鳥のモノサシ。


『イデオン』の、「手柄」を重視するバッフ・クランの価値観は、部族が競争してしまうため和解を不可能にしてしまいます。『ガンダム』のファーストやSEEDでも主人公を追う側が派閥抗争をしているため戦力の逐次投入状態となり、主人公が生き延びる隙になります。

 軍の愚行の多くは、間違ったモノサシのほうが強まることです……勝利より派閥抗争、政治将校による軍事的合理性よりも党への忠誠心、など。



 モノサシの集まりである人間世界で重要なのは、優先順位です。

 いくつもモノサシがある、けれど人は一つの行動を取ることしかできません。究極的には、ボタンを押すか否か。

 モノサシの優先順位、あるモノサシを重視することで、他のモノサシで価値があることを捨てる……多くの焚書はその観点で起きます。広島原爆で城の天守や多くの文化財が焼けたように。また当初の原爆の標的は京都でした……ここで戦争というモノサシと、文化財保護というモノサシが対立したことが知られています。さらに原爆を投下したい側は、人種差別、復讐心、せっかく多額の予算を使って作ったのだから成果を、というような奇妙な多数のモノサシの集まりですし、逆に止めた側も文化財保護だけでなく戦後統治なども考えてです。

 特に精神論では、勝利などより精神的な清浄さというモノサシが優先されます。

『火の鳥 未来編』では、まさにムーピー禁止・保護という、どう考えてもどうでもいいモノサシが人類の全滅より優先されたのです。

『三体シリーズ』は、道徳、逃亡主義禁止、など別のモノサシの優先順位が高く、人類そのものの存続の優先順位が下がったことが失敗の理由でした。しかもそのことを意識していませんでした。

 モノサシを、モノサシではなく別の何かだと思ってしまう、モノサシが思考の全部を占領してしまう、という状態も、間違いのよくある形です。

『スターウォーズ』の非正史EP6後では、レイアはジェダイの修行をしたり子を産み育てたりすべきなのに、同盟の偉い人が政治仕事しろと邪魔しまくります。



 モノサシの違い、それだけで争いになったりすることもあります。

 それこそ「モノサシが違う」というのはそれ自体、「別の群れ」と言っているようなもので、人が内集団=自分が属する集団をひいきし外集団=それ以外を敵と憎む心理が発動します。

『銀河英雄伝説』だけでも、ラインハルトがヤンにコーヒーを出し、元帥の地位で誘ったこと……ヤンにとっては軍における出世が「モノサシ」ではなかったことを理解していなかった、があります。それ以前に帝国と同盟、フェザーン、地球教、それぞれモノサシが違います。

 ヤンが憂国騎士団などに憎まれるのも、モノサシが違うからです。逆にあるモノサシは、ヤンたちと帝国の若いラインハルト麾下の将たちに共通します。安全な後方で戦いをあおるのが嫌い、前線で危険を冒す、という点はヤンとラインハルトで一致しました。



 モノサシ、価値観の違いとして、残虐水準の違いも、以前も考えましたが結構大きい。

 ある立場・ある場になると、残虐水準・人命の価値などが変わってしまう。

『冷たい方程式』の人命軽視。

『銀河市民』で主人公が宇宙商人として海賊を殺したことが金持ちたちには受け入れられなかった。

『若き女船長カイの挑戦』では強盗を正当防衛で殺したことも上流では残酷な治療の対象とされたし、主人公も敵を殺して快感を覚えることに強い罪悪感・それを知ったら誰でも自分を拒むという恐怖を覚える。

『銀河の荒鷲シーフォート』では反乱者の死刑という合法・指揮官の義務である行動で責められ私生活を失う。

 そう考えると、モノサシ、価値観というのは、感情の面もものすごく大きいことがわかります。


 異なるモノサシを持つ人の共存、というのは古代から重要なことでした。

 タブーなどが違う二つの群れが全滅するまでの殺し合いにならない、一方が一方に服従して共に征服を続け帝国を作るためでも共存する……さらに征服が難を隠す時代が終わり、平和というゼロサムの時代に変わっても共存し続けるために、それが枢軸の時代のテーマと考えられます。

 近代も、ある時期からは異なる群れの共存を意識するようになりました。


 ロールズのリベラリズムなども、価値観や宗教が違う人が共存するためでもあります。

 近代のかなり根本的な、思想などがこうでなければならない、という条件が、価値観や宗教が違う人が共存できること、です。特に大航海時代のスペインやナチスドイツとは違って。それが嫌になる勢力は常に出ますが。


 そのテーマで印象深いのが『モラル・トライブズ(ジョシュア・グリーン)』。

〔道徳は、協力を促進するために、生物進化・文化進化によって設計された、一連の心理的能力だ。

心理的レベルでは、道徳は、おもに情動的な道徳的直観、すなわち私たちに(一部の)他者の利害を尊重し、他者にも同じことをするように促す直感的反応を通して実現される。

異なる人間集団は異なる道徳的直観をもつ。これが大きな衝突の源となる。衝突は、異なる集団どうしが異なる価値を強調することで生じる場合もあれば、無意識のバイアスを含む手前勝手なバイアスから生じる場合もある。意見が合わないとき、人は、自分たちの直観的判断を合理化するために論理的思考力を利用する〕

『モラル・トライブズ』は幸福という共通通貨、功利主義という共通道徳を提唱しますが……問題は、人間が一体の人格ではないと最近の研究では思われてきていることです。むしろヴィクトリノックス・ウェンガーのツールナイフのような、多数の道具の集合体とみなされます。

 その心の要素、それぞれが別のモノサシで判断しているとなると……



 多くの群れの共存、という理想が強く言語化されているのは『スタートレック』や『ギャラクシーエンジェル』でしょう。

『星界シリーズ』では、逆説的にそれを可能にするために征服・帝国という形を取っています。それが悪だと承知の上で。

『無責任三国志』の、まともな秩序の国、強い異端者の国、弱すぎて弾かれる人の国、というあり方もなんとなく関連する気がして印象強いです。



「人格」という言葉と「モノサシ」の関係も考えてみるべきでしょう。

「人格」は「人権を享受する条件」ともなります、人間以外の知性を考えると。

 そして「人格」には自然に高低がある、それ自体がモノサシとなる文脈もあります。

 人を裁く、善人か悪人か、恋愛……魅力・クール・魅了能力や惚れ薬、有罪か無罪か……

 ただしその多くは、「基本的帰属のエラー」かもしれない……人は、他人が何か、特に悪しき行動を取った時にはそれは本人の性格・人格を原因とするが、脅迫された可能性もあり、それが無視されます。


 上述ですが、古代中国の儒教は、言葉はともかく人格を高い低いのモノサシで評価し、それを統治にかかわる資格としました。

 さらにそれが変形し、皇帝は儒教の最高の学者でもある、ともされました。儒教の学者こそ人格が高い、だから科挙で宰相にもする。皇帝はその意味でも一番高いから一番上に立つ資格がある。という論理。


「なろう」小説で多くなった「追放系」では、主人公のスキルが、世間一般、所属しているパーティ、生まれた家の父親などのモノサシから見て劣る・無価値とされて、「スキルが無価値だから本人全体が無価値」と追放されたが、使い方を変えれば有用で富・地位・戦闘力を得る、ということが多いです。

 あるモノサシで、人格全部を測ってしまうというのがそれらの恐ろしいところです。

 あるモノサシで評価が低いけれど、はそれこそ『タイラー』が代表的でしょう。軍人としての一般のモノサシでは最低、でも実戦指揮官としては最高。

『項羽と劉邦』の韓信らも、多くのモノサシで否定されながら、楚漢戦争の中では役に立っていきました。それこそ劉邦こそ、いかなるモノサシでもなぜ天下をとったのかわからない存在です。

 成り上がり系であれば、「家柄」というモノサシで低くても「能力」というモノサシで高くなるということです。

『銀河戦国群雄伝ライ』では、味方を裏切って雷に仕える将を雷は重用して自陣を強めましたが、終盤では重く用いず斬れと命じました。天下統一のときに、またモノサシが変わることを見越したのです。そして最後の戦いの前の、下剋上の時代は終わった、という宣言も、モノサシを変えるという宣言です。


 さらに人間の精神の「多」性、AIの可能性も「人格」を考える上では重要になるでしょう。

 ハラリがおびえる、これからの科学技術の可能性……人間を設計して新しく作ってしまう可能性。人間を改良するとして、どのモノサシか。

 それは技術がなくても、教育そのものを通じて常にあるモノサシが示されていることには変わりない。

 今までのところ、近代国家、憲法という理想そのものを、あまり意識せずモノサシにしていればよかったが……これからの時代は?



 筆者はモノサシそのものが目隠し、サングラス、「目の中の梁」となることが恐ろしくてなりません。

 現実はどうなっているのか。

 そしてどのモノサシを選ぶべきなのか。

 どのモノサシを使うべきか。次の時代のモノサシは何か。

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