心か物か
銀河連邦の衰退は、『銀河英雄伝説』原作では精神的理由だけです。
「中世的停滞」と書かれています。
だからこそルドルフは、要するに「退廃に打ち勝つ」と政権につきました。
政策の多くも、統制=心です。間違った遺伝子統制もありましたが。
物質的な理由は読み取れません。
これは現実の歴史ですが、森を切りつくしたとか、農地が塩害で収量が減ったとかのような物質的な理由が。
心か、物か。
原作は心だけのようです。
『火の鳥 未来編』の衰退も、「なぜか」「人類自体が寿命」です。とにかく衰退していく。植民惑星も滅びる。ついには地下にもぐり、コンピュータにすべてをゆだね、核の炎に滅びる。
また思い出すのが、『滅びの風|(栗本薫)』。とにかく滅亡が予測される。
ついでに言えば、『ファウンデーション』も帝国の衰退に、物質的な理由は語られていません。ただ衰退する、それが計算で予測される、計算通りに衰退した。
どれも心だけです。
パルパティーンもルドルフと同様、民主的に戴冠たという点で似た展開である『スターウォーズ』は?
戴冠を求めさせた要因は?
ナブーの侵略を元老院が対処できなかったなど、元老院の腐敗が語られます。
またパルパティーン自身の、時間をかけた陰謀もあるでしょう……一人の圧倒的な手腕が歴史を動かした、と。
それでも辺境と中央の対立構造は以前からあったようです。クローン戦争があったように。
ジェダイ騎士団の硬直もあり、多くのプレイヤーの欲望が強くなる……
やはり心が主要でしょうか。それほど描かれている感じはありません。
筆者の知的な原点と言えるのは『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』(ジャレド・ダイヤモンド)です。
まさに快刀乱麻。知の一閃で、なぜスペインがインカを滅ぼしたのであってその逆ではないのかを解明しました。
それ以前の、名は忘れましたがNHK特集で、人類の歴史とは森を切りつくして文明が滅び、生き残りが次の森に着いて木を切って新しい文明を作る、その繰り返しである。そして今は次の森はない……という実に説得力の高い考えを学びました。
だからこそ、筆者には強い信念があるのです。人類は軌道エレベーターを作り、宇宙という事実上無限の森を開拓し、地球をあとにして滅亡の恐怖から逃れるべきだ、と。
「地球は人類のゆりかごだ。しかし人類はいつまでもこのゆりかごに留まってはいないだろう」コンスタンチン・ツィオルコフスキー
「人類はすべての卵を一つの籠に、生命全部を一つの惑星に入れるという過ちを犯している。籠を落とす前に、荷を分けられることを希望しよう」スティーブン・ホーキング
筆者個人としては、物質的な説明を好みます。銀河連邦、他の幾多の衰退した星間国家の衰退に物質がないとは思えません。
あるとすれば海賊の隆盛……海賊による交易路の寸断は、古代ローマ帝国滅亡の重要な要素の一つです。
ルドルフは海賊と戦って出世し、即位後も当然海賊と激しく戦ったでしょうが。
拡大したこと、それ自体が問題だったのかもしれません。
古代ローマが拡大しすぎて貧富差が拡大し、共和国から帝国になった……自作農が祖国を守って戦い、略奪品を担いで帰ってくるのが数日だったからよかった、でもローマが大きくなれば十数年にもなり、そうなれば残された女子供は自作農を維持できず土地を売ってしまい、持てる地主と持たざる者の構造ができたように。
大きくなれば、それだけで質が変わります。
ある程度以上の大きさの昆虫は、今の酸素濃度ではありえません……肺と血管を使わない呼吸システムでは大きくなれません。
軍の中隊などの人数が100~150人なのは、人類はそれ以上の人数だと、自分以外全員の顔と名前と性格を覚え、仲間意識を持って息を合わせて仕事ができない……ダンバー数が進化によってつくられているからです。
そして人類の歴史で、馬と戦車、灌漑によって多くの部族と奴隷を集めた、何万という人数が大陸級の地域を支配するようになれば、『枢軸の時代』が来ました。
部族宗教ではなく世界宗教。一人のカリスマの大声では届かないので成文法。その他さまざまな支配技術の革新があって、やっと帝国が機能しました。
古代ローマ帝国が共和制から帝政になったのも、規模が大きくなり、貧富構造も変化したローマを統治するためでもあります。
ルドルフやパルパティーンの戴冠にも、その面があるのかもしれません。
3000億人が、高価で無限速の超光速通信でつながり、領域横断に月単位の時間がかかる国家は、人類の本性レベルで不可能だったのかもしれません。
アウグストゥスの戴冠はほかにも検討されつくしています。
また、単純な幾何学が決定打になった可能性もあります。
名前は忘れましたが、昔学研のムック本にあったと記憶していることです。
要するに、無限に広く均等に住める星がある宇宙空間だとして、ワープ性能が変わらなければ星間国家が、単位時間に拡大できる範囲と星間国家の大きさの比が変化していく。
単純な、二乗三乗則です。
アメーバが1メートルになれない……相似で10倍サイズになれば内部体積は3乗で1000倍、表面積は2乗で100倍、「表面の面積」1単位あたりの「内部の体積」が10倍で増えてしまい、表面で水や酸素を出し入れするのが足りなくなる。
それと同じことが、星間国家でも起きる。
地球の周囲の多くの星のどれでも選べたのが、巨大星間国家の、表面の薄膜でしかなくなる……ワープ距離が同じでも。
わかりやすく二次元に。
方眼紙を用意してください。
まんなかあたりに、『王』と書きましょう……将棋の王将、前後左右斜めどの隣にも動けます。
王の周囲には一つの動きで八つとれる空きがあります。それは次男三男を開拓させたり、あるいは軍で侵略し奴隷と宝物を略奪できる場です。
全体としては長さが2倍、面積2の2乗で4倍、周囲は2倍、ということです。
次に四つの『王』を、『田』の字に固めます。同じ『王』を取って動くことはしない、としましょう。
すると、どの『王』も動けるのは五つだけになります。さらに、他の『王』と取り合いにならないのは一つだけです。
次には九つの『王』を固めると、真ん中の『王』は動けません。それ以外も取れる場所は減り、まして取り合いがないとなれば角の『王』だけです。
大きな将棋盤に何百個も『王』の駒を固めると、『王』でできた領域の端の『王』だけ、それも常に隣と取り合いになる……三次元にしても本質は変わりません。
開拓や征服に、中の方の『王』の次男三男が行きたくても、端に行くまでに旅費がかかります。その旅費が借金になって奴隷化されるリスクがある……なら中央の都市で働いた方が、ともなるかもしれません。
また、隣の山を開拓するのなら、まいた種が実るまでの食糧は実家に取りに行けばいいです。凶作でもすぐ帰れます。
でも海を隔てた新大陸では、それこそ凶作と同時に船が難破して来なかったら全員餓死です。
といっても以前検討したように、『銀河英雄伝説』本編にも、人類領域内にも開拓の余地は多くありますが……低コストですが少ない居住可能惑星と、多数あるけれどコストのかかる鉱山極寒惑星などで、さらにややこしい計算になるかもしれません。
中心部から端に行くまでの移動時間もかかり、それで事故にあう確率も高くなる……それも開拓を消極的にしたかもしれません。
古代で言うなら、敵を襲って食物を略奪して帰ったり、あるいは税になる米を担いで都に行ったりするのに意味があるのは、一日1キロ食べ、30キロ背負って20キロメートル歩けるとしたら。30日以上かかる600キロメートル以上だと着いたら手ぶらになる……その宇宙版が起きるのかもしれません。
|(『近代世界システム1』(ウォーラーステイン)、フェルディナンド・フライドが古代ローマも、1939年時点も、40~60日。ブローデルも16世紀地中海について同様の指摘と書いている。注略)
さらに星間国家が大きくなれば星を結ぶネットワークの数も爆発的に増え、それもシステムを変えるでしょう。
また、忘れてはならないこと……『銀河英雄伝説』が書かれたのは1980年代。
『銃・病原菌・鉄』は1997年。『21世紀の資本(トマ・ピケティ)』は仏語が2013年。『歴史の終わり(フランシス・フクヤマ)』は1992年。『大国の興亡(ポール・ケネディ)』すら1987年。『国家はなぜ衰退するのか』は2013年。『ローマ人の物語|(塩野七生)』は2002年。
田中芳樹は当時最高の知の持ち主ではあるでしょう。しかし、今の筆者が読んだ本を、当時の田中芳樹は読んでいないのです。
今の歴史の根拠となった、南極で氷をボーリングして年代ごとに二酸化炭素や鉛の濃度を確認する……同位体と年輪で精密に何万年も昔の年代の出来事を知る……湖の底の泥を採取して、煤や花粉から世界的な気候や大災害を知る……それらの科学的歴史研究も知らないのです。
逆にほぼ確実に、当時の田中芳樹が読んでいたであろう古典。
『西洋の没落(オズワルド・シュペングラー)』は2が1922年。
『歴史の研究(アーノルド・トインビー)』は1954年まで。
『世界史(ウィリアム・マクニール)』は1967年。同じマクニールの『疫病と世界史』は、邦訳は遅れますが1976年。
『神の国(アウグスティヌス)』『ローマ帝国衰亡史(エドワード・ギボン)』などは言うまでもなくずっと昔です。
『ファウンデーション』は1951年。
さらに当時は、知的階層全体に今よりもずっと深くマルクス主義の影響がありました。特に下部構造が上部構造を、などマルクス系の用語が出てきたら……さらにマルクス主義でも様々な派閥の対立が知的議論全体を汚染していた……それが暴力を伴っていたのも当時から見れば最近のこと……
それが、田中芳樹が物質面を書くことを忌避した理由かもしれません。その手の議論に巻きこまれたら悲惨なことになりますし。
それら、人は誰も、田中芳樹も時代の子であることが、物質より心を優先したことに関係ないでしょうか?
さて。
「中世的停滞」という言葉ですが、実際の西洋中世は馬具・水車など進歩は多いのです。
むしろローマ帝国衰退期の、大幅な人口・技術水準の低下……文明崩壊がイメージされます。
まあ、田中芳樹が銀英伝を書いた当時の常識もあったのでしょう。
中世的停滞、でイメージされること。
黒死病。
古代ローマは略奪に依存し、奴隷が安いので機械化の動機がない、科学も水準は高いけど進歩はない。
あとやはり蛮族と環境破壊。
そして精神的な……退廃。特に性道徳の低下、質実剛健な武人から惰弱で贅沢な貴族。
『銀河英雄伝説』でも要するにモラルの低下があり、開拓が減ります。科学技術の進歩も止まりましたが、それは精神的な退廃の結果とされます。
今の筆者が知っている、帝国が衰退する理由……
まず環境破壊。農地が塩害にやられ、生産力が落ちる。森林が破壊され、洪水が頻発し水の土砂が増えて水路が埋まりやすくなる。
健康状態が低下すると伝染病も多くなる。
金属・木材・石材など枯渇性資源も減少し、なにを作るにもコストが高くなる。
結果軍事力が低下し、飢える人が増え、反乱や異民族の侵入が増える。
あとは地方の独立、人口の急減、技術水準の低下……。
要するに、木を切りつくせば食事を出せなくなり、食事が出なければ人は暴れ、国は亡びる。
そう考えると、銀河連邦~帝国の衰退は実に不可解なのです。
資源がなくなることは実質ありえないのですから。原作にも、居住可能惑星が開発されずに放置されたという記述があります。
作中に描かれていない、必須で入手に制限がある資源があるのかもしれません。核融合、ワープなどの中枢技術に必須な……『スタートレック』のダイリチウムなどのように。
いや、そうだとしたら、同盟との交易で入手できるはずです。同盟を発見した後の帝国は密輸だけでも爆発的な経済成長をしていたでしょう。
無論筆者も、現実の歴史の文明の衰退の理由が、環境だけとは思ってはいません。
格差の拡大、身分の形成による社会の変質。これは今も昔も変わらぬローマ史の本質です。
単純に強すぎる遊牧民帝国に踏みつぶされた帝国もいくつもあります。
古代ローマ、中国やイスラムが産業革命に達しなかった……良質の炭田と直結した水路がイングランドにあったこと、衰退前にアメリカ大陸を手に入れたこともあるでしょう。が、やはり科学の発達を、疑うことを許さない、ペンを持つ身分とノコギリを持つ身分を分ける文化もあるでしょう。割れない器を発明した者を皇帝が斬首することもあるでしょう。
制度……財産権、法の支配、科学技術容認、資本。それらも重要でしょう。
それでも、やはり心ではなく物のほうが筆者は個人的に好みです。
それらを考えているうちに疑問になること……
3000億人から全体で400億人まで人口が減ったのは、帝国と同盟の戦争のためでしょうか?
それとも同盟を『発見』して戦争が始まる前にはもう帝国の人口が減っており、同盟は増加が止まっただけでしょうか?
その人口減少は帝国の制度のせいでしょうか?それとも連邦の衰退の延長でしょうか?
原作からわかることはあまりにも少ない……だからこそ想像の余地がある、と。
また、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの最終的な評価は、衰退を加速させたのでしょうか、それとも減速させたのでしょうか。
一時的に衰退を止めて、そしてよりひどい衰退をもたらしたのでしょうか……アウグストゥスが帝政を始めてローマの社会的な矛盾を一時解決し、衰退を何世紀も遅らせたように。
ただゴールデンバウム帝国のシステムは、国民を効率的に動員し、未開発星系の開発を進める、という方向にはいきません。衰退を止めたいというならそうすべきなのに。
新しい技術を開発する、という方向にも行きません……むしろ自動化を忌み嫌い、科学技術を後退させた印象があります。
心にしか関心がないかのように。
もとより異論を許さない体制は、科学技術には不利なのです。
エルサレムがクレーターでないことが最大の証拠です。イランも、イスラム原理主義テロ勢力も、核兵器の自力開発ができないのです。
中南米の麻薬組織も、アフリカの原理主義武装勢力も。
ソ連が負けたのも。
科学よりも、教義や権力が優先になった時点で、自力で技術を進歩させて超兵器を作り出す能力は低下し、既存の物を買うしかなくなるのです。
そして、原作後を想像するときに思うことがあります。
あの人類に、発展の余地があるのでしょうか。ヒルダがどれほどうまく統治したとしても。
ずっと後にも、歴史家がいる程度の文明はあった……ユリアンにも未来がある程度の平和と安定はあったようですが、肝心なのは衰退・人口減少傾向は逆転したのかです。
ロイエンタールが同盟領の腐敗を一掃し、それによって同盟の社会はよくなった、という描写が原作にありますが……そのように、制度をよくすることによって衰退傾向は逆転できたのでしょうか。
もし資源不足であるのなら、旧同盟領もあるのですから資源不足は解決されたはずです。
同盟はあれほど激しい人口・戦艦数の成長をしました。連邦の時点でも多くの放棄された居住可能惑星があり、旧同盟領にもウルヴァシーなどがあります。
少なくとも、一人当たりの生産性が半分である帝国が同盟並みの生産性になれば、それだけでも全人類の生産量は約1.5倍になります。
心か物か。
なぜ銀河連邦は衰退したのか。なぜ人口が減ったのか。なぜ同盟は戦争で衰退過程に入ったのか。
原作はそれらを詳しく書いていません。読者、二次創作作家の想像にゆだねられていると言ってもいいでしょう。
いくつもの優れた二次創作がそれらを分析してもいます。
そして今。この現実。
今の人類は衰退しているのでしょうか、興隆しているのでしょうか。
科学技術はこれ以上進歩するのでしょうか。
人類は核兵器を用いたロケットの研究を禁じました。それを用いてものすごく無理をすれば、今の人類でも少人数の世代間宇宙船を別の恒星に飛ばすことは可能かもしれないのに。常に少人数の出産可能な、産婦人科医の技術も持つ女性を原発~水耕農場で維持し、大量に備蓄された冷凍受精卵を産み育てるという方法で。
まあ外道ですが、人類が滅びそうならやる価値はあるでしょう。
明日の晩、三年後に地球が滅びることがはっきりする、だったら二十年前に水爆を使ってでも少人数移民船を出しておけばよかった……となるかもしれないのです。人は全知ではないのです、だからr戦略を、「一つの籠にすべての卵を入れるな」とすべきです。
軌道エレベーターは繊維がないので無理ですが、その一種である極超音速スカイフックは現在実用化されているケブラー繊維でも可能だとか。でもやっていません。
今の現実の人類も、『心』ゆえに衰退しているのでしょうか。それとも、あくまで『物』なのでしょうか。
軌道エレベーターを可能とする繊維が、核融合を実用化する何かが、電線になる液化窒素温度の超電導素材が発明されればすべては一変する……そう思いたいのです。
『心』であれば、意図的にできることはなにもありません。『物』であれば、発明ひとつで一変するかもしれません。
むなしい願望かもしれませんが。