四、旅立ち
眠りは浅くて切れ切れだったが、昼近くまでウトウトするうち、だいぶ頭と心の整理がついた。
その頃になって、高原が桐子を訪ねて来る。
高原は、一人ではなかった。一緒に来たのは、倉島美里の婚約者、村長の秘書を務める本多聡司だ。良く、父を訪ねて来た若者の一人なので、桐子も見知っている。
「本多さん…が、どうして…?」
桐子の問いには、高原が答えた。
「本多は自分の友人なのですが、別件で相談をしている時に、桐子さんに伺いたいことがあると言うので、一緒に来てもらいました。村長のお嬢さんの件だというのですが…」
「ええ、私がお話ししたかったのも、そのことです」
急き込んで答える桐子に、本多が頷きかける。
「だろうと思ったんですよ。それで、高原に無理を言って、連れて来てもらったんです。いろいろ、村の状況も分かってきたもので。とりあえず、お邪魔して良いですか? まずは菅田先生の事件について、高原から話があるそうです」
「…どうぞ、お上がりください」
二人を客間に通すと、桐子は茶を淹れた。
「どうかお構いなく」
二人はそう言ったが、本多達が父を訪ねて来た時は、いつもそうしていた。慣れた手順が、多少心を落ち着かせる。
向き合って座ると、まず高原が切り出した。
「先程、お父様の検死が終わりました。死因は、ナイフのようなもので胸を刺されたことによる、失血死ということです」
昨夜の現場を思い出し、桐子は眉をひそめた。
「でも…父が倒れていたところに、血は流れていなかったでしょう…?」
「ええ。それなんですが、菅田先生があの場で刺されたとすると、他にもおかしな点があって。胸の傷ですが、着ていた衣類には、破れ一つなかったんです。凶器も見つかっていないのですが、傷から見て、かなりの刃渡りがある大型のナイフでしょう。衣類に乱れもなかったので、状況からすると、菅田先生はどこか別の場所で服を脱いだ状態で刺殺され、血が止まってから服を着せられて、あの場所に放置されたことになります。その間のどこかで、額にあの模様も付けられた」
「だって…それは変だわ。どうしてそんな、手の込んだことをするのかは別にしても、時間が…」
桐子が村長の家に出かけたのが、午後五時過ぎ。公務が五時に終わって、準備をするからということで、村長宅での占いはいつも五時半からだ。父が仙人の祠に出かけるのは、毎日午後六時少し前。昨日も桐子を見送ってから、支度して出かけた筈だ。仙人の祠までが、歩いて二十分程。
桐子が当日の時程を説明すると、高原は頷いた。
「魔神結界が消滅したのは、凡そ六時二十分頃です。菅田先生が祠に着いて間もなく、ということになりますね。結界消滅に驚いて、仙人の祠にお伺いを立てに行ったご近所の方が、菅田先生を見つけたのが、七時頃。自動工場近くの無線ターミナルから通報があったのは、午後七時二十六分でした」
そうすると、通報を受けて現場に急行した高原と、桐子がぶつかったのは八時頃か。
「パパが私を見送ってすぐ家を出たとしても、発見まで二時間弱ね。時間的に、無理があるんじゃ…?」
「自分もそう思います。殺害現場がお宅と仙人の祠の間のどこかだったとして、全てが被害者の合意の元に行われたとしても、人目に付かないところへ行って服を脱ぐのに五分、殺害から流血が止まるまでに二十分程度、血を拭き取って服を着せるには更に二十分程度かかるでしょう。移動時間は普通に歩いて二十分。菅田先生は小柄な方ではありませんから、殺害現場から発見現場まで運んで行くとなれば、その間はもっと時間がかかる。仙人の祠の辺りは、足場も良くないですし。二時間なら可能かもしれませんが、実際には、菅田先生は普段のスケジュール通りに動いていた可能性が高いでしょうし、黙って殺されるままになっていたとも思えない。ただ、ご遺体に争ったような形跡は見られなくて、ある程度、覚悟の上だったようにも考えられるのです。そこで問題になるのが、お父様の過去なのですが…」
そうだ…これは、父の話だった。
単なるケースとして、時間の配分等を考えている分には、冷静でいられたが。
「結婚前のことは…私には分からない。話してくれたことも…いえ、祠参りの理由について、「大切な人との約束」だ、って…事情は話してくれなかったけど、毎日欠かさずお花を供えに行くって、それだけパパにとって重要な誰かが居たって…それしか」
「…そうですか。私達には、それすら分からなかった。調べてみても、お母様と結婚する前のお父様について、知っている人が誰もいないのです。出版を始めたのも結婚後の話ですし。書かれたものからして、村の事情には詳しいようなので、しばらく東雲村で暮らしていたのは間違いないでしょうが、外の状況や岩山を越える旅についても多少の知識があるようで。自分としては、菅田先生が外から村に来たという噂が、事実なのではないかと思っています。何か事情があって、この村にやって来て、素性については一切語らなかった」
桐子は真っ直ぐ、高原を見つめた。
「父には何か、秘密にしておきたい事が…?」
「そのように思えます。事件の発端も、その過去にあるのではないかと。菅田先生は、仙人伝説を否定したり、村から出ることを推奨したりで、反対する人もいましたが、それが殺される程の理由になるとは考えにくい」
それは、その通りだろう。
高原は、少し間を置くと、難しい顔で話を続けた。
「もう一つ、深刻な問題が判明しました。停止した自動工場なのですが、担当者が中に入ってみたのです」
「でもあの建物、出入り口が…」
「ええ、扉はありませんが、大型の日用品もありますからね。その取り出し口から、入ってみたそうです。機械か何かで塞がっていると思っていたようですが、そこから出てくるはずの品物が一つ置いてある他、何も遮る物は無かった。他の取り出し口についても、同様だったという話です。とりあえず食料品等、傷みそうな物は出して保存がきくようにした方が良いだろうということで、中の物を運び出したのですが、その一つ一つに、菅田先生の額にあったのと同じ、焼き付けられたような模様が見つかりました」
桐子はゾクリと、身を震わせた。
「じゃあ、パパの事件と、工場停止に、何か関係が…?」
「そう思われます。結界の消滅については、時期が重なっている以外、関連付けるようなものは見つかっていませんし、今のところ実害もないようですが、全て半神の仕業だと言っている人達もいます
「だって…半神が襲って!来た訳でもないでしょう? もしそんな、伝説の生き物が居たとしても。何を根拠に…」
そこで、本多が口を挟んできた。
「あのね、桐子ちゃん。僕はちょっと興味があって、村の歴史や、伝説や何かについても、調べてみたことがあるんだけど、半神やら仙人やらの話は、言い伝えといってもたかだか百五十年ぐらい前の話らしいんだ。東雲村はそのずっと前からここにあって、山向こうの村との交易の資料なんかも残ってる。だから、半神についての目撃情報も、書かれた資料が残っていたんだけどね。姿形は、人に化けていたとか、鳥だったとか獣だったとか、話によってまちまちなんで、どうやら自由に形を変えられる、そういう人外の生き物が居たことは確からしい。言われている程、人間に害を為した訳でもないみたいだけど、人を事故で死なせた話と、建物を壊した話が一件ずつ残ってて、その中に、人や建物に印が残っていて、半神の仕業と知れた、という記載があった」
「それが…あの模様だ、ってこと?」
本多は、首を振った。
「断定はできないよ。印とやらが残ってる訳じゃないからね。でも、その可能性は否定できない、ってこと。それで、美里の話なんだけど…事件当日に、桐子ちゃんがどんな映像を見たのか? 僕は、それを訊きに来た」
そうだ…美里を、助けなければいけなかった。
本多は村長の秘書なので、桐子の占いについては知っている。
「あの、高原さんは、私の仕事のこと…」
「本多から聞きました。それと、牧場を経営する堂嶋さんが、太鼓判を押していましたよ。お嬢さんはインチキじゃない、言われたた通りの仔馬が産まれたんだから、と」
それなら、話は早い。桐子は二人に、予見した美里の未来を話した。
「あの時は、どうしてこんなことに、って思ったけど、結界が消えて、工場が停止して、それが半神の仕業だと思われてしまったら…」
高原と本多は、顔を見合わせた。
「半神への生贄、ですか。確かに、パニックがひどくなれば、あり得なくはない」
高原が呟く。
本多は頷いた。
「やっぱり、パニック絡みの話だったな。だとすると…桐子ちゃんにも、話しておいた方が良いんじゃないか、高原?」
「まあ…確かに」
高原は溜息を吐くと、桐子の方に向き直った。
「非常事態への対応は、本来我々公務員の仕事なんですが、村全体の状況についてご心配頂いているということで、貴女にも現状をお伝えしておきます」
高原の話によると、結界消滅については、直接的な被害が出ていないということで、訳が分からない不安はあるとしても、村人が理性を失う危険は少ない。同時に起こった殺人事件については、噂は広がっているものの、関係者以外にとっては対岸の火事だ。村人の生活に影響を及ぼすものではない。
生活に直結するものについては、電気と水は心配なさそうだ。村には川が流れていて、その水力発電と、太陽光発電で作った電力が、蓄電施設に充分供給されている。電力が足りていれば、川の水を引いた貯水池から、各家庭で使用する貯水槽に、水を供給するシステムも問題ない。
最も緊急の課題は、食料だった。
各家庭の備蓄と、工場から運び出したもので、数日は保つだろう。川で魚を捕る人達がいるので、それも足しにはなる。だが、岩地ばかりの東雲村に育つ作物はなく、早急に交易を始めないと、まず食べるものが底を突く。
「いずれにせよ、山向こうの集落と連絡を取るのは必須です。それに加えて、結界や半神について、菅田先生の過去について、何か知っている人を探すなら、村の外に出るしかない。そこで…自分と本多は、明日の朝、村を出ることにしました」
一緒に岩山を越え、そこから高原は殺人事件の捜査に、本多は最寄りの集落へ援助を求めに行くという。
「私…」
桐子は、言いかけた言葉を呑み込んだ。
…も、連れて行って。
言ったところで、聞き入れられるとは思えない。部外者に情報を漏らすだけで、あれだけ躊躇していた高原だ。却って、桐子が勝手に動かないよう、監視体制を作りかねない。
「あの、葬儀の手配をしなきゃいけないと思うんですけど、父は…? 帰って来るのが、明日以降になるようだと、誰に連絡すれば良いのか。それに、美里の保護は…?」
「お父様については、検死は終わっているので、いつでもお連れできます。こちらにお帰しした方が良いですか? 直接、お寺にお連れすることもできますが。美里さんについては、村長に頼んで、本多が食料の手配をしていることを村人達に説明して、戻るまではパニックを抑えることと、お嬢さんは外に出さないよう伝えてあります」
高原が、淡々と答えた。
どうやら、怪しまれなかったらしい。
「父は、お寺に連れて行ってください。私から、住職様に頼んでおくわ。美里については…村長が、上手く事態を捌き切れるか、少し不安ではあるけれど」
本多が、溜息を吐いた。
「まあ、それは、僕もです。なるべく早く、帰れるように努力しますよ。いずれにしても、何もせずに美里の置かれた状況が好転することは、あり得ない訳ですから」
自分で守れないのは不安だが、早くパニックを治める方が、結果的に美里は安全になる…本多の判断は正しい。
「それでは、自分達はこれで…。お父様は、警察署に戻り次第、お寺に移すよう手配します」
「お手数をおかけします」
桐子は頭を下げて、二人を送り出した。
二人を見送って、家の中に戻るなり、大きなリュックを引っ張り出す。
連れて行ってもらえないなら、後を追って勝手に合流するまでだ。
適当に荷物を詰めて、家の中を片付け、貴重な食料品は隣家に引き取ってもらうよう、父の火葬と埋葬、供養についてはお寺にお願いするよう、それぞれ手紙を用意する。
その夜は、不思議とグッスリ眠れた。早朝、まだ暗いうちに起き、通りを見張る。
高原と本多は、夜が明け切る前に家の前を通り、祠の方へと向かって行った。桐子はそれを確認してから、お寺に手紙を、隣家に食料と手紙を届け、リュックを背負って家を出る。自動工場を、仙人の祠を通り過ぎ、足場の悪い岩地を踏み締め、かつて結界が地面に接していた一線を踏み越える。
立ち止まりも、振り向きもしなかった。ただ前へ、父の死の、理由を知る旅へ…。
切り捨てられた過去への、旅立ちだった。