第九話 強制連行茜町
境界に来て、初めての食事。何が出てくるかドキドキしていた壬空だが、出された物は案外普通。けれど食後は普通じゃない。ああ、まともな日々は来るのだろうか────
汁をすする音。
ご飯を租借する音。
香ばしい匂いが心地良い。
ここはミズハの家の一階、台所兼食卓である。
黙々と箸を動かす壬空の向かい側。
「でね、見てよ露、じゃなくて咲良。壬空さんいつの間にか甲手が無くなってるんだよ。
これってどうやったのかな? それに、起こした時は朱いお面してたのに、いつの間にか消えてるのよ」
どう思う? と言うミズハの口は機関銃のよう。
食事はどうやって行っているのか、と問いたくなる。
見ると、咲良の意見を聞くときに、飲むようにして食べている。
否、これは飲んでいる、と言った方がいいかもしれない。
『そうじゃな、不思議じゃな。それはもう分かったから、きちんと租借をして食べるのじゃ。身体に悪いぞ』
右から左に流れるように受け流す咲良。
ミズハの右側で不作法なく箸を動かしている。
それはもう、慣れた感じで。
出来うる限り、流れ玉は来て欲しくないため、黙って食事をする壬空。
汁は、味噌だろうか、最近は食べていなかったから懐かしく感じる。
次は手元のご飯に箸を伸ばし、食べる。
米にしても、日本と同じ。
なんか変なものでも出るかと思っていたため、ほんの少し拍子抜けしてしまった。
まぁ、普通に食べられて良いけど。
「んぐ、んぐ、あっ! そう言えばそろそろ、食糧を買いに行かなきゃじゃ……」
『ああ! そうじゃ、ヤバいぞ、買い込まねばそろそろ冬じゃ!』
ミズハの言葉に、重要な事を思い出す咲良。
驚きのあまり、いきなり立とうとして、つまずいてすっ転んでいる。
声がもの凄く大きい。
「……耳栓、いや、鬼面のが良いか、やり易いし」
先程の朱魅夜童子────長いのでこれから童子と呼ぼう────から送られた知識により、陰気で鬼面の再構成を行う。
瞬間、淡い光と共に、頭が少しだけ重くなる。
人の良い事に、童子は緋々色金の重さの調節の方法まで、この鬼面に入れておいてくれたようである。そこまで頭が重くなく、木製の仮面程度の重さである。
だが、感覚で行うものが一朝一夕で身に付くはずもなく、面は少々不格好だ。それでも機能として聴覚の制御があるからいいだろう。
会話は聞かず、食事に専念しよう。
今まで手を付けていなかったオカズを食べよう。
この肉は何だろうか。
「─────」
なんか聞こえた気がするが、スルーしよう。食事は大切です。
で、食べてみたら、あら不思議、なんかちょっと臭いし、筋張ってて食べにくい。
けれど、久々のたんぱく質、胃に入れて栄養にしなければ。
『壬空、お主出来ぬのでは無かったのか?』
何故か聞こえてしまった声。
否、そう言えば咲良は、心に話しかけるんだったか。
口の中の筋張った肉を租借しながら答える。
「夢ん、中で、鬼に教えて」
『汚いから飲みこんでからにするのじゃ』
「ハイ」
会話と共に適度に柔らかくなった肉を飲み込む。
『……にしても、鬼じゃと? そ奴の名は分かるのか?』
「応、朱み」
《言うなよ》
地の底から響いてくるような声。案外怖い。
実際は心の底だが。
これはあまり説明は無かったのだが、朱魅夜童子が壬空の精神に憑依しているから向こうからの一方通行でのテレパシーの様なモノらしい。
壬空は集中しようとしていた食事を中断し、咲良との会話を微妙に緊張しながら始める。
「ウン、朱美さんです」
少量の汗をかきながらも、自分をフォローしてみる壬空。
莫迦らしい即席の命名。けどまぁ、今度からこう呼ぼう。こっちの方が言いやすいし。
《ハァ?! そんな即席の言い訳あるか! そんなんで納得する訳……》
『そんな名の鬼などいる訳ないじゃろう! まぁ良い。
壬空も陰陽術の初歩の事は教えられた。と言う事でよいのじゃな?』
《良いのかよ》
両者共に頭が痛い、と声音が言っている。
顔をあげると、さっきすっ転んでいた時とは違い、なんか旅支度が出来ているミズハと咲良の姿。
何故だ。
『よし、これで壬空も行けるじゃろう。結界の強度を強くして、行くか』
「────」
ミズハがなんか言ってるが、聞こえてこない。
そう言えば聞こえなくしていたか 、聴覚を元に、ってやりすぎた。
「よーし! それじゃあ行きますよ! 壬空さん! 買い出しです!!」
ミズハの声が頭に響く。
何だか、ガッツポーズをして目をメラメラ輝かすミズハは、隠れ熱血なのだろうか。
だが、行きますってどこ?
なんで俺の襟首つかむの?
どうして咲良は『よし、荷物持ちが出来たのじゃっ』て言ってんの?
何で? どうして? 待ってぇぇぇえええ!
思考と言うか、色々と困惑している壬空であった。
◆ ◇ ◆ ◇
壬空は現世からの旅人だ。
何時か使えるようになるだろうとは考えていたが、初歩の初歩とは言えこうもあっさり魔術を身につけられると、時間をかけて身に刻み込んでいる奴等が馬鹿に思えてくる。
「ねぇ、壬空さん。それって魔術ですよね」
「応、そうだミズハ」
それに、朱美と言うのは、何が何でもおかしいだろう。
そんなフザケた名の鬼族が居たら、私が直々にたたっ切ってやる。
即席で考えたのか、それとも……
「それって、鬼族の頭蓋骨を意識してるんですか?」
「どうだろうな、朱美さんは何を考えていたんだろう」
まぁ良い、それよりもあの面の形は精巧すぎる。
ミズハが言うには、壬空が再構成をしなければアレは完璧に鬼の様だったらしい。
原形を作りだした者は、相当の数の屍を見てきたのだろう。
普通に生きていれば、ここ境界でもそんな事は無い。
一体どんな鬼族なのだろうか。
「フフフッ、でもその朱色は、きっと鮮血を意識しているんでしょうね」
外出の為の着物で怪しく笑うミズハ。(アレは私の影響だろうか)
最近は着物を着やすいように着る者が多くなり、振りそではあまり使わない。
だが、それも良いだろう。
使いやすさは重要だ。
踊るような足取りで語り始めるミズハ。
それは、水に流れる青々とした木の葉を思わせる。
また、悪い癖が始まった。
「その朱は、相手に恐怖を抱かすために。
その術式は、死に行く者への弔いを。
その骨は、死した猛者の、姿を映し。
その頭脳は、あらゆる知識を蓄える。
私の眼からは、そう見えます」
詩の朗読にも似た、言葉の羅列。
半分は、無意識に行うミズハの術式の解析。
それは本来、陰陽術の中でも、余り使われる事のない術。
だが、その術を高めていば、確実に強くなれるモノ。
最近の学舎では、教えてくれなくなった旧い術だ。
欠点は、使用者が詩的な人間になってしまう所だろうか。
「ど、どうしたミズハ妖気が出てんぞ」
仮面の下で、壬空は嫌そうな顔をしているのだろう。
少しづつ、ミズハの出す妖気の量が減っていく。
「いえ、ただ少し、私の術を使いました。それだけです」
私をまねたような怪しい笑顔ではなく、無邪気な笑顔を見せるミズハ。
やはり、ミズハはこの顔が一番だ。
それを見た壬空は、仮面の下で苦笑いをしている。
その仮面は、鬼の面。
地は朱色で、全面的に幾条もの魔力線で術式が刻まれている。
一対の角は鋭く、前方に突き出ていて力強く、
口元には、凶器にもなりえる鋭牙が十本以上。後頭部の下の方からは、髪の毛が少量はみ出している。
目の周りは、他よりも多く術式が刻まれており、仮面としては、ほんの少しだけ装飾過多にも思えた。
だが、アレは単なる仮面では無い。
それ自体が能力を与える武器のようなモノ。
何時か、アレを奪おうとする者があらわれるかもしれないな。
「あっ、壬空さん。見えましたよ」
「……すげぇ」
考えている間に、目的地に着いてしまったようだ。
米さんや、梅さんは元気だろうか。
「ここが、私達の買い出しの場所。彼岸ノ國の最東端の町。茜町ですっ!」
ミズハは、何時もより楽しそうだ。
私も少しだけここは楽しいし、今日は何時もよりここに居る時間が長くなりそうだ。
◆ ◇ ◆ ◇
ほんの少し遠くに見える、大きな市場。
現代の日本では余り見ない光景だからか、壬空は目を大きく見張った。
「……すげぇ」
その一言に尽きるのだろう。
壬空はそれ以外の言葉を発しなかった。
するとミズハが、満足そうな顔で言う。
「ここが、私達の買い出しの場所。彼岸ノ國の最東端の町。茜町ですっ!」
この町に壬空が驚いている事が、とても嬉しそうだ。
だが、壬空が驚くのも無理はないだろう。
この茜町は、妖怪と人間の町。
一応人間の方が数は多いが、その人間も妖怪の血が混じっているものが多い。
何を言いたいかと言うと、とにかくシルエットが人間でない者が多いのだ。
買い物をするおばさんは一本足だし、物を売るおっちゃんは顔がない。
何から何まで妖怪だらけ。
人らし影が見当たらない。
壬空は仮面の情報から、視力を上昇させているため余計にそれが良く見える。
昨日今日来たばかりの平凡な少年が見たら、絶句して当然だろう。
『さぁ!、今日は荷物持ちもおるし、何時もより多く買い込むのじゃ!』
「ハイ! 買い込みます!」
「……フゥ」
叫ぶ咲良。
返事をするミズハ。
そして、どうせ自分が荷物持ちなんだろう、と溜め息を漏らす壬空。
本日は晴天為り。
魔性の者に、逢いたくなければ、
誰ソ彼前には家路につけ。
逢魔ヶ刻は、子供が消える。
それは自分で消えたのか、それとも何かに消されたか。
逢魔ヶ刻の、外出を禁ずる。
本日より、諸事情により一時連載を休止させていただきます。
この小説を楽しみにして下さる方。
申し訳ありません。
最低一ヶ月後には戻ってまいりますので、その時にはまたよろしくお願いします。