5.夫婦一日目の朝食
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memo:
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【ラヴェンディア・パンセ(17)】
淡い紫色の髪に、新緑の瞳。十三歳のころから、森の屋敷で住み込み家政婦として働いている。実家から逃げ出してきた。
【妖精魔道士エリアル(見た目17歳/実年齢約300歳)】
ストロベリーブロンドに、色素の薄い青い目。童顔。
ラヴェンディアの雇い主。三大魔法使いの一人「叡智の妖精魔道士」。
人と妖精とのハーフ。
本名「ストロベリアルドベック・コプロスマ」。愛称「ベリィ」。
「ラベンダー、……すまなかった」
それは求婚の翌朝のことだった。
夏らしくからりと晴れた空が眩しい光の中で、エリアルは寝台の上で手をつき、深々と頭を下げていた。
これまでほとんど接点のなかった彼のつむじを見ているという状況にぽかんとしていた私は、はっとして彼の腕を取る。
「だ、旦那様、頭を上げてください……!」
「だが……」
ひどく反省した顔ーー眉がいつもより十度ほど八の字に傾いているーーをしたエリアルと目が合う。
体じゅうがぼっと熱くなり、私はうつむいた。彼はそれを許されていないのだと受け取ったらしく、ふたたび頭を下げはじめた。
突然の出来事に混乱していただけでなく、密かに慕っていた相手と思いが通じあったこと。しかも、目を覚ますと彼がすでに起きていて、私の顔を覗き込んでいたことーー。
乳母のソレイユやムスカリ爺さん以外の人間と接したことがほとんどない私にとっては、人生の一ページを埋めるような歴史的出来事であった。
「ーーベリィ」
「え?」
「僕のことはベリィと呼んでもらいたい。……昨夜も伝えたのだが、やはり難しいだろうか」
腰を折ったままこちらを見上げるエリアル、--ベリィの目は、どこか寂しそうだ。
胸の奥がぎゅっとうずいて、勢いよく首を振った。
「よ、呼びます……! 呼ばせていただきます……!」
フレンチトーストの焼ける甘いにおいが室内に漂っている。
ここまで長い道のりだった。
昨日のうちに朝食用に仕込んでいたものだけど、すでに日は高く登り、むしろそろそろ昼食の時間だ。
この屋敷に住んでから初めて寝坊をした。
そのうえ、引き続きまともに彼の顔を見ることができず、トーストを焦がしかけたり、皿を落としそうになったりと、ひどく非効率だったのだ。
そんな私の様子を見かねたのだろうか。ベリィが手伝いはじめた。
「ゆっくり休んでいてください、だんなさ……あ」
慣れた呼称を口にしかけて、はっとベリィのほうを見ると、彼はその愛らしくそれでいて美しい顔がほんの少し拗ねたように歪んでいた。
薄いくちびるの左端が少しだけ下がっている。
「僕は、君をただ働きさせるために結婚を申し込んだわけでは無い」
「では、どうして……?」
私は心底疑問に思って、気づけばそう問うていた。
熱に浮かされたまま婚姻を結び、一夜明けたところで、私の気分は急降下したのだ。
こんな地味でなにも持たない女が、稀代の魔道士様に愛されるわけがないのだ、と。ずっと落ち込んでいた。
「“あなたは出来損ないだから”」
そう告げる声が聞こえてくるようだ。
もしかして、先ほどの「すまない」というのは、結婚をなかったことにしてほしいという意味だったのではないだろうか。
ざっと血の気が引くように、手足が冷たくなっていくのを感じた。
「“あなたが誰かに愛されることなんてない”」
頭のなかの声がどんどん大きくなる。
ベリィは、しばらく逡巡するように口を開けたり閉じたりしていたが(ほんの2ミリほど)、ややあって、決意したように「昨日伝えたはずだが……」と切り出した。
「僕は、君を愛している」
「……あい……?」
驚いてぱっと彼の顔をまっすぐに見つめてしまった。信じられないくらい甘い言葉の温度からは意外なほど、彼の表情は動かないように見える。
けれども、ベリィの瞳は所在なさげに揺れている。
「君の仕事ぶりや、穏やかな気質が好ましい。
そのふわふわとした髪の毛に顔を埋めたいし、つぶらな瞳の可愛さといったら……」
「か、かわい……?」
彼ははっとした様子で私に背を向けた。食器棚から手慣れた様子で皿を出してきて、私の手に取りやすい位置に置く。
そのままさっと野菜を洗ってしっかり水けを切り、サラダも作りはじめた。目が合わない。ーー少し、耳が赤い?
元雇い主がまめまめしく働いているので、私も慌てて動き出す。
彼の動きを盗み見ながら、感心した。ずいぶん手際がいい。
しかも、私の行動を読んで動いてくれているのが伝わる。まるで、長年連れ添った夫婦であるかのようにーー。
そんなたとえを思い浮かべて、私はふたたび倒れそうなくらいの熱を感じた。
「ーーそ、それで、なにが『すまなかった』なのですか」
「すまない。話が脱線した。ーーそれで、先ほどの謝罪の件なのだが」
ベリィは淡々と言った。沸騰している私を気にかけた様子はない。
「結婚式といえば、女性の憧れだと……。朝一番にムスカリ坊が怒鳴り込んできたんだ。まったく、どこから聞きつけたのやら」
その様子が目に浮かぶようだ。思わずくすくすと笑い声が漏れた。
「ーーそれは、私のように、エプロン姿でお玉を持って永遠を誓った女性なんて、世界中探してもいないと思いますよ」
私はわざと口をとがらせて言ってみる。
ベリィが目に見えてしゅんとしてしまったので、慣れない冗談などやめるべきだったと私も落ち込んだ。
台所の小窓を開けた。
夏特有のむわりとした熱を孕んだ空気が、少しずつ部屋の中を満たしていく。けれども、森の木陰で冷やされたかのような気持ちのいい風も、同時に入ってきて、私は大きく息を吸って、そして吐いた。
乳母のソレイユが「落ち込んだときは、よく寝て食べて、明るく清潔な部屋で過ごすこと」と口を酸っぱくして言っていたのを思い出したのだ。
「すまない……。もう一度、やり直しの機会をくれないか?」
ややあって、ベリィは言った。
「やり直し?」
「ああ。今度はきちんと準備をしよう。たくさんの花を用意して、ドレスも君のためだけのオーダーメイドのものを。料理の手配に、……それからケーキだ」
ベリィがこれほどたくさんの言葉を発したのを、はじめて見た。
「君にとって最良の日になるよう、全力を尽くすと約束しよう」
まっすぐに私を見つめるベリィと目が合う。心のなかにじゅわりと温かいものが広がっていく。ーーそのとき、なにかがぱちんと弾ける音がした。
朝食を終え、後片づけをする。
一人で仕事をしていたときの何倍ものスピードで片づいていくので驚く。
魔法使いというのは生活力のない人なのだと勝手に思い込んでいたけれど、ただ研究で忙しかっただけなのかもしれない。
この五年間、一度も苦情を言われたことはないけれど、私の仕事ぶりには満足してもらえていたのだろうか……。
ふと違和感を覚える。
こういうとき、つい思い出してしまっていた過去の記憶が浮かんでこなかった。
私を責める、あの人の声。
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memo
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【ムスカリ爺さん】
エリアル唯一の友を自称する筋骨隆々とした老人。病弱な妻を愛している。
【ソレイユ】
ラヴェンディアの乳母。
・ブルムフィオーレ王国の子どもは「正式名」と、愛称となる「守護花名」の二つの名をもらう。
・ブルムフィオーレ王国には、魔法を使える者はほとんど生まれない。三大魔法使いとして歴史に名を残す者たちがいる。
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ラベンダー! 植物図鑑
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ルドベキア(Coneflower)
・花期:夏
・花言葉:「あなたを見つめる」「正しい選択」など
・別名:オオハンゴウソウ
作中に登場する「ルドベック」の花の元となっているもの。
ミニひまわり!という雰囲気の、黄色い花。北アメリカ原産で、日本のあちこちで野生化しているそうです。
園芸種ではオレンジや褐色、赤なども。
作中ではアンティークピンクの花をイメージしています。実在する品種では「チェリーブランデー」「ルビールビー」が近いですが、色が濃いので別な名の花ルドベックとしました。