13.つかまえた
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memo:
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結婚してから一年近く経った、夏。←now
【ラヴェンディア・パンセ(17)】
淡い紫色の髪に、新緑の瞳。
実家から逃げ出してきた元伯爵家長女。
十三歳のころから、森の屋敷で住み込み家政婦として働いている。
冬の街出身。
実は酒が好き。
【妖精魔道士エリアル(見た目17歳/実年齢約300歳)】
ストロベリーブロンドに、色素の薄い青い目。童顔。
ラヴェンディアの雇い主。三大魔法使いの一人「叡智の妖精魔道士」。
人と妖精とのハーフ。
本名「ストロベリアルドベック・コプロスマ」。愛称「ベリィ」。
夏の街の森に住む。
雪の中でも咲く花「パンセ」を開発した。冬の街では英雄扱い。
カップの底に残ったほんの数滴のコーヒーが、いつのまにか乾いて染みになっている。
普段なら忙しく動き回っている時間帯だというのに、飲み終えたコーヒーカップを下げることもせず、座ったまま、どれくらいの時間が経ったのだろう。
近頃はすっかり日が長くなり、外の明るさでは時間がわかりにくくなった。
蝉の声が降ってくる。切なげな歌のような調べ。
ベリィに好きだと告げられたのもこういう日だったなと思い出した。
あの日は、人生で最良の日だった。不安も自己嫌悪も罪悪感も、何も感じる余裕がなく、ただ圧倒されるように流れていく時間の中で、その手を掴んでいるだけでよかった。
気がつくと、屋敷を抜け出していた。
何かに突き動かされるように、夕暮れ時の森を進む。
どうして彼は、懐かしいと口にしたのだろう。あのスープは、ソフィに教えてもらってはじめて作ったものなのに。
ソフィにはじめて会ったとき、どうして動揺したの?
一緒に酒場に出かけるのはソフィに会いたいから?
もしかして、私と結婚したことを後悔している……?
喉のあたりになにか詰まっているような不安感に襲われて、ごくりと唾を飲み込んだ。
もしかして、私も壊れたお皿を買い替えるように、代用品として見られてる……?
夫と親友にこんなことを思うなんて、私はきっと、妻として……。
「失格だね」
手足の先が冷たくなってきて、私はふらふらと木に寄りかかった。
ベリィのことが好き。彼の毎日を支えたい。いっしょに過ごしたい。私の事だけを見て欲しい。
でも、どんなに優しい言葉をもらっても、抱きしめられても、すべてを信じられない自分がきらいだ。
頭の中で誰かが言うのだ。
「"あなたには無理だよ”」
「“あなたはだめな人だから”」
「“誰にも愛されない”」
--でも。
ベリィはこの一年、どんなときでも優しかった。私に何も求めず、ただいろいろなものを与えてくれた。
私は一度も本心を伝えられなかったけれど、彼は惜しみない愛の言葉をくれた。甘ったるいコーヒーを用意してくれて、研究室に戻る彼を名残惜しく見ていたら、戻ってきて額にキスを落としてくれた。
そうして、言ってくれた。どんな私でも好きだ、と。
あの目に嘘があるだろうか。そもそもベリィは、嘘をつけるような器用な人間だろうか。
ーーそのとき、心の奥で、なにかがぱちんと壊れる音がした。ぶわりといろいろなものが流れ込んでくる。
今まで、感じたことのない感覚に目眩がした。
だから、私は気がつかなかった。後ろに誰かが立っていることに。
「ね、俺が言ったとおりだったでしょう?」
頭の中にあった声が、耳元で聞こえた。
ぞわぞわと虫がはうような恐怖を覚えた。振り向くと、そこには見知った顔があった。
アメジストのような、深い紫色の目。パンセ家の”賢者の瞳”と呼ばれるそれを持つのは、--同い年の義弟エンツィアンしかいない。
ぱっと腕を掴まれる。
「やっと捕まえた」
甘いにおいが広がる。世界が暗転していった。
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memo
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【ムスカリ爺さん】
エリアル唯一の友を自称する筋骨隆々とした老人。病弱な妻を愛している。パンセ伯爵家長女の母親と、使用人の父親を持つ。弟がいるが、すでに故人。
【ソレイユ】
ラヴェンディアの乳母であり義母であり、はとこ。
褐色の肌、焦げ茶の髪、金色の目。
ムスカリ爺さんの姪で、成人したのをきっかけにパンセ家で働くようになった。
【エンツィアン】
ラベンディアと同い年の義弟。
【ソフィ】
ラヴェンディアの友人。金髪緑目、小柄だけどどこか妖艶な美女。
・ブルムフィオーレ王国の子どもは「正式名」と、愛称となる「守護花名」の二つの名をもらう。
・ブルムフィオーレ王国には、魔法を使える者はほとんど生まれない。三大魔法使いとして歴史に名を残す者たちがいる。
・ブルムフィオーレ王国は、四つの地方に分かれている。