皮剥がれて人あり
問おう!もし私が死ぬと言ったならば、君はどう思う。泣くだろうか、笑うのだろうか。成程それならば大いに残念だ。何を憤慨しているのだ。私は聖女足りえる君の本質が見たいのだ。感情というものは人の本心で満たされた大海が立てる波に過ぎない。そんな波を幾ら私に叩きつけたって、依然君が聖女である事には変わりない。何?笑わせるなよ。それは果たして本当に心からなのか?私はそこが疑問でしょうがない。人と言う生き物は常に仮面を被って生きている様な生き物だ。1つ例を出そう。友と兄弟、双方が失恋をしたとしよう。その時に出される答えは同じか?対応は同じか?同じでは無いだろう。友と兄弟、双方が物を壊したとしよう。同じ怒るでも大なり小なり違うだろう。こんな些細な例でもほら違う。これは感情が発露する時に、何かしらのフイルターを通りこの世に具現化されてるのだと考える。私が思うにその名は人生と呼ばれる物だろう。君の場合は聖女と呼ばれる膜が心を覆っている。君の人生を振り返って見給え。何ともご立派なものでは無かったか?皆を率先して助け、嫌な顔もせずに他者に奉仕し、傍から見たら自己犠牲の模範例に思えん程にな。そんな味気の無い物で濾過された感情には君と言う本心が何一つ入っていない空虚な物だ。当然私の心には到底届きもしない響すらしない。私は濾過される前が見たい。聖女だ何だ周りが作り上げた虚な物ではなく、君が歩み体験し糧にし、実となった物が見たいのだ。聖女とか言う狂信めいた仮面が厚くてその痕跡すら迷子になってる様には些か同情するがね。どうした唖然として。笑わせる。私という落伍者は誘蛾灯に群がる蛾の様な存在だ。どうしても光について知りたくなるのだ。君は何故笑う、何故泣く、何故怒る。君が発する感情の全てに興味があるのだよ。その根底が知りたいのだ。再三言うが、感情とやらは人生の象徴とも言える代物だ。ならば聖女と呼ばれる存在の人生とやらを実際に味わってみたいではないか。かの有名なジャンヌ・ダルクや少々違うと思うがナイチンゲール等聖女と呼ばれる物は全て土に還った。そして聖女と呼ばれる物は戦乱の時代に於いてその価値が見出される。だがしかしなんと言う幸運だろうか、今私の眼前に聖女と呼ぶに相応しい人物が現れた。戦争が終わり、語り部が少なくなっている時にだ。これを幸運と呼ばないのであれば何と呼ぼう。故にだ、私は君を観察してたのだよ。天真爛漫に笑う君はどの様な人生を歩んできたのだろうと。まぁまぁそんなに怒りなさんな。何故だか懐かしい心持ちにもなったんだ。不思議と目が離せなくてね。散々ご高説垂らしたがこちらが本心やも知れん。それは置いといてだ。ハハハ、どうした毒気が抜けた顔をしてるでは無いか。この私がその様な行動原理がある事がそんなに驚くか?それならば光栄に思おうか。漸く聖女様にしてやったりと言ったところか。では不躾ながら聖女様一つご質問があります。貴女の半生は貴女が望んだ物でしょうか。私はそれが疑問でしょうがない。「偽る」というのは自分自身を削っていく現象にしか思えない。ならば聖女と呼ばれてる。いや呼ばれるようになった「偽り」の仮面を被り何か思わないか。人と為ると書いて偽と書くのだ。むしろ違和感を感じないのが人として在るべき姿かも知れん。だが落伍者の私はそれに真っ向から反対しよう。自分という存在を削り人と為るなら私は為ら無くていい。どうでしょうか聖女様。今一度聞きます。その半生は貴女の望んだ物でしょうか?どうにも私には貴女の姿がとても痛ましく見える。私が何時も見る時貴女は笑っている。しかしだ本当に少し、本当に少しなんだ。君の笑顔はどうにも夕暮れの様に感じる。それが本心かどうか分からぬ誰ぞ彼時の様な笑み。太陽がもうじき隠れるように仄かに影がかかったような笑み。私には何故聖女様がその様な笑みを持つ様になったのが疑問でしかない。嗚呼何ともつまらない返答だ。この私の問が戯言だと?この期に及んでまだ私を笑わせる。この私の問いが嘘だと言う自信はあるのか?そう自信だ聖女様。自分を信じ、この私を悪だと悪魔だと断じる覚悟はあるのかと言っているのだ。どうだ何とか言ってみたまえ!嗚呼何故そんなに泣きそうなのだ。
君は嘘吐きだ。狼少年だ。今もこうして聖女だ何だ私を呼び叫んでる。嗚呼虚しい。
彼とは不思議と初めて会った気がしない。運命めいたことを言うのであれば前世からの仲とも言えるでしょう。皮肉な事に彼と同じ事を思ってる。今の彼の姿は正直見るに堪えない。子供の様にキャンキャン吠えてる。何故、何故?彼はそんなにたくさん私に対して首を突っ込むの?
彼はいつも私に対して遠ざけるばかり。一度だってワタシと面を向かって話をしたことがない。保育園でも小学校でも何かに付けて私を遠ざける。進路は?勉強は?恋愛は?どれを聞いても別にの一言。私は昔っから良い子だった。外科の父と看護師の母との間に生まれたひとり娘。兎に角良い子にしてれば良い親だった。門限とか宿題とかをちゃんとやっていれば、ご飯も与えられて、家で寝れる。だから私は良い子であれと自分を戒めて暮らしてきた。彼に言わせて見れば道徳の教科書通りだって。人のこと何だと思ってるのかしら。今でも思い出す。保育園で初めてあった君が。目まで掛かってるボサボサな髪、誰も寄せ付けないで一人で何か組み立ててる。私と真反対な君。私が帰る時間になっても誰も迎えに来てない君。何だか不思議な人。自慢じゃないけど私の笑顔にかかれば皆話したがるのに、君だけ君だけだった。気味悪そうに見てたのは。何だか笑えちゃうわ。それで私が何かしら提案するたんびに、別に無理しないでの一辺倒。逆に私から話をすると静かに本を読みながら聞いてたかな。何か可笑しいね。そんなにツケドンされてもそれが心地良かった。他の人みたいに褒めることもしない。かと言って陰口を叩く訳でもない。私にはその姿が外を走り回る犬に見えた。こんな籠に囚われてる小鳥ではなく。大きく言ってしまえば、気高く自分を持っている君は凄く羨ましく思えた。何としてでもこの手に収めて見たかった。
君は一言で言うと化物。何を考えてるのか全くわからない掴めない。小中高と一緒に居たけど全然。躍起になって何とか振り向いてもらおうと頑張ってみても空回り。素材はいいと思うんだけどな。何だか癪に障る人。
しかし、私が医者になるって言うだけで何で君はそんなに怒るのかなー。私は君に怒ってるんだよ。そんなに言うならモット私を見てよ!って言いたいのが乙女心ってやつじゃない?もう高校3年生の5月。何も進展もなくて君は相変わらずの陰キャ。おまけに将棋部の役満。女の子が毎週土曜日一緒にご飯食べてる事に感謝してほしいぐらい。
なのに何で君は死んだらって言うの?そりゃ悲しいよ。なのにそれを否定されて、黙ってたら説教始まるし何なんだよ!もっと私を見てよ!
気づいたら僕の目の前に星が走った
気づいたらおでこが当たった
柔らかくて痛くて彼女が泣いていた
言葉の皮が剥けたときに始めて彼女の人が見えた
存外彼女は傲慢なようだ。聖女足らしめたのは環境ではなく彼女自身なようだ。手の届く範囲を自分のものにしたくなる。感服だよ。
気づいたら手が出てた
勇気を出して恥を捨てて行動した
痛くてムードを無かったのに彼は赤くなってた
あいつは意外と初心だな。この先の勝利を確信した。
存外彼は臆病なようだ。化物足らしめたのは彼自身が臆病だからだろうね。何が何でも彼をもう離さない。
前作の続き的な立ち位置です
興味があれば「また会いましょう」読んでみてください