お婆さんのとわず語り
ふんわりした春の風に、華子はぼんやりと髪をなびかせていた。
家族は、華子にちゃんとリハビリ訓練をするよう、重々言い含められてから帰って行った。
が、置いて行かれてすでに数日たつが、華子はリハビリ訓練なんて何もしていない。
ここでのリハビリ訓練の手順は、受付に行ってインストラクターを頼み、その指導に則って訓練をすることになっている。
が、華子は受付に行ったことなど一度も無かった。
毎日ご飯を食べ、温泉に入って、ぼんやり車椅子に乗って散歩をしているだけだ。
それでも誰も華子に注意をしに来ない。
リハビリ訓練なんて、やる本人にその気が無ければ何の意味もないからだが……。
見捨てられているんだろうと、華子は思っていた。
「ま、それでも良いけど……」
華子がリハビリに身を入れないのは一応理由がある。
ただその理由は、華子以外にしたら「はぁ?」と言うようなものだ。
医者は華子がしっかりリハビリすれば、恐らく歩けるようになるだろうと言う。
恐らく――なのだ、百パーセントではない……。
と言うことは、もし真面目にリハビリしてそれでも歩けなかったら、一生歩けないということになる――。
母の真理は
「リハビリしたら歩けるってことなんだから、リハビリしなきゃ歩けないってことよ!自分のことじゃないの。がんばりなさいっ!」
というが、華子にしたら「他人ごとだと思って!」と怒鳴りたくなる。
歩こうとして頑張ってリハビリして、それでも結局歩けなかったら?
医者が頑張ってリハビリしたら歩けるようになるって言ってるんだから、もし歩けなかったら華子の頑張りが足りないんだと、きっと母は言うだろう。
リハビリしたら絶対歩けるようになるなんて、決まってなんかいないのに……。
可能性があるって言われているだけなのに……。
リハビリしてそれでも歩けなかったら「歩けない」になってしまう。
でもリハビリせず、その結果歩けないのは「歩かない」だと華子は思う。
歩けないと、歩か――。
ほんの一字の違いだが、大きな違いだ。
頑張ってリハビリして、それでも歩けなかったら?カッコ悪いではないか!。
それなら最初っから、歩かないことを選択した方が、カッコイイ――。
そう華子は思ってしまった。
まぁ、要するに怖いんである。
頑張って、報われなかったら……惨めだから……。
(惨めな思いをしたくない……)
だから、華子はリハビリを頑張らない……。
「良いお花見だぁねぇ~」
「!」
庭の端っこで、車椅子を止めてぼんやりしていた華子に、不意に声が掛かった。
びっくりして振り向こうとした華子の膝に、ポンと何かが置かれる。
いつの間にか、杖をついた老婆が華子の横に立っていた。
白髪をきちんとそろったオカッパにした、小綺麗なお婆さんだ。
濃いこげ茶の作務衣を着ている。
華子はにこやかなその顔を見て、この療養所に入っている療養患者の一人だと思い出す。
「何?!」
「桜餅だぁよぉー。花見に甘いもんはつきもんだからぁねー」
「さ、桜餅?」
「桜の花見だからねぇ……」
のんびりした声を聞きながら、華子は自分の膝の上に置かれた物体を見る。
白地にピンクの桜が印刷された懐紙に、桜色の小さいクレープみたいなものが乗っていた。
「これ、桜餅?」
首を傾げて、華子はそれを摘まみ上げる。
桜葉を張り付けた桜色の薄い皮に、くるりと餡が巻き込まれていた。
顔の前まで持ってくると、桜葉の良い香りがする。
香りは確かに桜餅の香りだが、華子の知っている桜餅とはまったく違う。
「こし餡嫌いかい?」
「……こし餡は嫌いじゃないけど、これ桜餅じゃないでしょ。桜餅ってピンク色のおにぎりみたいなヤツよ」
「ああ、それは道明寺粉の桜餅だねぇ……。こういう桜餅もあるんだよぉ。良かったねぇ、一つ賢くなっただろう?」
「はぁ?!」
なんだか馬鹿にされた気がして華子は視線を尖らすが、お婆さんはふわふわと笑っている。
「まぁ、食べてごらんよ。これだって、美味しいからさぁ」
「ふん!」
「はは、フン子ちゃんは相変わらずだねぇ」
「は?」
いきなり「フン子ちゃん」などと言われて、華子はポカンとする。
「あんた、すぅぐに『フン!』とか『ふーん』って言うだろう?だから、みんなにフン子ちゃんてあだ名付けられとるのよ。可愛いねぇ!」
「はぁぁぁ???????」
ポカンから唖然!である。
この療養所でいわゆる「若い」と言える年代は華子のみ。
華子以外はどう見ても、皆七〇越えの老人ばかりだ。
療養所と聞かされているが、ほとんど老人ホームの様相を呈している。
若い華子が、そんな高齢者たちと話をしても楽しいはずもなく、華子は出来る限り彼らと関わらぬように過ごしている。
が、逆に彼らは華子に構いたいようで、食堂や温泉で一緒になるとやたらと積極的に話しかけてくる。
聞く気が無い華子は「ふーん」とか「フン!」とか言って、適当に聞き流していることが多かったのだが……。
(まさか、そんなあだ名をつけてるなんて!)
「ははははは!わしらみたいな年寄は、あんたみたいな若いもんが大好きなんよぉ。可愛いねぇ、フン子ちゃん!」
「……」
どうやら華子の意地っ張りな態度は、年寄りたちに面白がられていたらしい。
頭に来たので、勢い交じりに華子は手にした桜餅をがぶっと齧った。
パリッとした桜葉の歯当たりの後、もちっとした弾力があり、桜葉の香りが、こし餡の甘さと一緒に口の中に広がる。
「……美味しい…」
悔しいけど、モグっとした後そうつぶやいていた。
「そぉりゃ、良かった!」
そう言いながらお婆さんは、杖を置くと、華子の脇にあったベンチによっこらせと座り込む。
「ああ、今日は良く歩いた……。わしもねぇ、先月まではフン子ちゃんみたいに車椅子に乗っとったんよー。ここの温泉に入りながら、この辺り散歩しとったらこうやって、杖ついて歩けるようになったんだわぁ……」
「ふーん……」
プイっと、華子は横を向く。
このお婆さんの話を聞きたくないのなら、この場を離れれば良いのだろうが、なんとなくそうするのは負けのような気がして動けずにいた。
「ここはねぇ、昔八真名のお家があったところなんよぉ」
「は?」
急に語り出された話の内容に、華子は驚いてお婆さんの方を振り向く。
そんな話を聞いたのは今が初めてだ。
「八真名製薬発祥の地だよー、知らんかったかい?」
「……」
もしかしたら聞いたことがあったかもしれないが、取り敢えず今の華子にその記憶はない。
が、知らなかったと素直に言うのは悔しいので返事をしない。
「広いだろう?前庭があって、母屋があって、母屋の裏には池と灯篭のある和庭園。和庭園の向こう……今、うちらが宿泊さしてもらっているあの建物は、昔は八真名に努める従業員たちの寮だったのを改築したんだよ。で、その向こうは栗とか柿、琵琶の植わっとる裏庭で、その向こうはちょとした丘になっとる。足が良けりゃあ、あの丘でハイキングだってできるんだよー」
その丘も、敷地の内だとお婆さんは言う。
「八真名さんちには、感謝しかないわなぁ……」
「感謝?」
「そうさぁ!」
お婆さんは胸をはって言う。
八真名の当主がここをこの村に寄付同然の安さで譲ってくれたおかげで、この村の者たちは皆、元気に生きていけるのだと説明してくれた。
「温泉も出るし、他所から療養に来る人達からお金も落ちる。ここで仕事もさしてもらえる。具合が悪うなったら、自分らの療養もできる。村のモンにとってはいいことずくめさね」
「ふーん……。なんでそんな良いとこを村に譲ったんだろう……」
温泉が出る風光明媚な広い敷地……。
ど田舎ではあるが、別荘にしても良かったのに……と、華子は思う。
「良い人だったからだねぇ……」
お婆さんはそう言った。
昔、八真名の仕事が段々と大きくなり、ここでは仕事の全部が賄えない――となったとき、その当時の八真名の当主は引っ越しやむなし!の判断を下した。
薬を作るだけならここでも良かった。
だが仕事を広げるためには、売り上げを拡大させねばどうしようもない。
販路を広げるには、ここはあまりにも都会――人が多くいるところから遠すぎた。
だが、ここに八真名の家があることで、この村には雇用が生まれ、日々の暮らしが支えられていた。
八真名のおかげで、ここに村が出来たと言ってもいい。
もし何の手当もしないままこの地を去ったら、村の衰退は目に見えている……。
雇用がなくなり、お金が回らなくなった村から人は徐々にへり、いつしか消えてしまうだろう。
この村に生まれ育った当時の当主は、それを良しとはしなかった――。
「で、色々考えた末に、ここを置いて行ってくれたのさぁ」
良質な温泉の出る、大きな館――。
ここを村営の療養所とすればいい……。
「人は健康の為なら、いくらだってお金を出す」
そう言っていたそうだ。
ある意味、薬屋らしい言葉である。
「けど、当たり前だろう?腰が痛いより、痛くない方がいい。肩が回らないより、回る方がいい。歩けないより、歩ける方がいい……」
「絶対はないのに?」
ぶすくれた顔でそう言う華子に、お婆さんは笑う。
「絶対じゃなくてもいいんだよ。治る人がいたら、もしかしたら自分も!って思えるだろう?希望ってヤツだよ。人にとって大事なヤツだ。ここは、人に希望をくれるんだよ。凄いだろう?」
八真名の家は、ここに希望を置いてってくれたんだよ。
お婆さんは笑ってそう言う。
「はぁ?なんで、そんなご大層な話になるの?!」
「そうかい?」
目を見開いて驚く華子に、本当のことだとお婆さんは言う。
「だからねぇ…八真名の血の人は、ただそれだけでそれを誇って良いんだよ。それだけのことを、この村にしてくれたんだからねぇ……」
そう言ってお婆さんは、フン子ちゃんは可愛いねぇと、華子の頭を撫でるのだった。
桜餅6個分
・皮の材料
白玉粉 20g 水 100ml 砂糖 小さじ1 薄力粉 50g 食紅 (赤) 1滴 サラダ油 適量
・こしあん 120g
・桜葉の塩漬け 6枚
準備
・桜の葉の塩漬けは2時間ほど水に浸して塩抜きし、キッチンペーパーで水分をしっかり拭き取る
・こしあんはラグビーボール状に6等分にしておく。
1. 白玉粉に水を少量ずつ数回に分けて加え、泡立て器で混ぜ合わせる。
2. 混ざったら砂糖を加えて混ぜ、薄力粉を振るって加え、混ぜる。
3. 全体が混ざったら食紅で色を付ける。※つけすぎ注意!
4. 弱火で熱したフライパンにサラダ油をひき、大さじ2杯を楕円形に流し弱火で焼く。5
5. 表面が乾いたら、取り出して冷ます。
6. 焼いた面を外側にして、こしあんを乗せて巻く。
7. 桜葉の塩漬けで包んで完成。
このタイプの桜餅は関東風なんだそうです。
家で作るならこれが楽です。
道明寺粉の桜餅とはまったく違うけど、これはこれで美味しいと思う。
(私、関西人ですが……)
お読みいただき大変ありがとうございますm(__)m
よろしければぜひまた続きを読みに来てください(o_ _)o))




